ツイスター ~ステーキとマッシュポテト~

4月のはじめ、はじめてジャガイモを植えた。
種イモを半分にカットし、複数を土に埋め、日々、水をやって葉を茂らせた。
大きなイモを創成するには" 芽かき"なる作業をしなくちゃいけない、それをやらなきゃ小さなイモしか出来ないよ… と園芸本にあるので見様見真似で2本程度の枝のみ残して後は全部を引っこ抜くというのもやった。
下の写真は4月30日撮影。

当初こそ頼りなげだったけど、どんどん成長し、いまや、すでに花が咲くところまで成長してる。
メークインゆえ花色は白。
実りは、おそらく採れても量はしれている。
が、それでいいのだ。複数回のカレーとマッシュポテトに用立てれば、いい。
来月あたり、うまくいけば… 自家製マッシュポテトということになるんじゃなかろうか… そう思うと、早や、牛乳とバターの攪拌が念頭に浮いて、粘りあるポテトにするにはいかに… と想像したりする。いっそ、粉チーズ入れてみようかなどなどな"淫質"な欲がわく。
当然、ステーキに添えるんだ。

わずか2ヶ月ほどでこんなに茂るから、おごる平家はメークラブ…。ワケわかんないフレーズが出たりスル。上は5月22日撮影。


ヤン・デ・ポン監督の『ツイスター』という映画を、ボクは好みにする。
理由はわかってる。
彫り深いがゆえ時に眼元あたりに辛酸をなめた老女のような表情が見えなくもないヒロインのヘレン・ハントが好もしいという他にもう1点、劇中、実に美味しそうなステーキが出てくるからだ。
厚さ、大きさ、焼ける具合、いずれもボクが観たステーキ登場の映画中、断然に1番、と思っているからだ。

おしゃれなレストランではなく、ごくごく普通の家庭内。
竜巻のメカニズム調査のためオクラホマを訪れた科学チームが身内のお宅を訪ねて昼食を頂戴するという、それだけのことだけども、実にいいのだ。
ヤン・デ・ポンはかなり極端な菜食主義らしく、このステーキ・シーンの撮影は苦痛だったというが、肉食を嫌うゆえ逆に冷淡がプラスに転じ、米国におけるお肉の食事光景を"うまく"画中に出せたのかもしれない。
肉を焼きつつ、卵が2ケ、フライパンの中に添えられる。よく馴染んで使い古された感じのフライパンがビーフを惹きたてる。

くわえて、皿に盛られるマッシュポテトだ。これがすこぶる、いい。
10人に近い大人数での午後の晩餐だけども、会話の集中、食事への集中、が見事にからまった名シーン。
何度観ても、飽くことなく美味そうに見えるから、これはゼッタイ旨いのだとボクは確信する。


マトリックス』では、キアヌ・リーブスたちを裏切るヤカラがとても分厚いステーキを食べるシーンがあって、厚みという点ではたぶん、それが映画史上最厚と思えるけど、ベリーレアな生焼けた赤みはボクの好みじゃない。

ポルターガイスト』では、幽霊騒動の家の調査をする学者の一団が最初の頃に出てくる。真夜中に、その1人が勝手に冷蔵庫をあけてステーキ肉を取り出し、フライパンで調理をはじめるというシーンがあって、そこに登場のお肉もなかなか良いのだけど… いかんせん、ご承知の通り、フライパンの中で肉が化けるんで… とてもいただけない。


米国の映画ならステーキを食べるシーンは幾らでもあるだろうと思うけど、意外や、さほどにはない。
いやもちろん、ボクが知らない、観ていない、というだけのことかもしれないけど、思い返してみるに上記のような例をあげるくらいしか… 作品名をあげられない。
かつては映画の代名詞だった西部劇ですら、あれほどに牛追いを描いて大量の生きた牛を登場させはしても、ビーフをいただくシーンはほとんどない。
カウボーイ達の食といえば、焚き火の周囲での豆を煮たものと苦っぽいコーヒーがあるきり。時にハーモニカが添えられる。
おかしいね、これは。なぜ少ないのかしら、と訝しむ。
けども、ま〜、それはどうでもいい。
要は『ツイスター』のビーフとポテトがヒジョ〜に美味そうだということを云いたいだけなのだ。

マッシュポテトは子供の頃にはよく食べた。
今もあるのかどうかはしらんけど、子供の頃には粉末というかフレーク状になったのがあって湯に溶いて出来上がり。
当時、我が母はそれにミカン缶のミカンを入れたもんだった。
それがボクの知るマッシュポテトの味なのだ。
はるか後、大人になって、例えばBARとかで、ミカン缶を入れるという話をすると、たいがい笑われた。
微笑ましく笑われるというのではなく、どこか、
「あらあら…」
嘲笑の匂いが底の方にあることに気づいて、いつのまにか、ボクはそういう話をしない大人になったけど(苦笑)、だけど、マッシュポテトを嫌いになるワケはない。
『ツイスター』の、まるでクリームのようなポテトには無論ミカンは埋められない。


大量という部分ではスピルバーグの『未知との遭遇』が白眉中の白眉だけども、あの盛り上げてデビルスタワーのひな形を造ってしまう高名なシーンの食卓には… ポテトはあってもステーキがない。

注意深くこのシーンを眺めると、幼い子供2人を抱える夫婦のメイン・ディッシュは、卓の中央、皿に盛られたレトルトっぽいハンバーグのような… ものらしい。
カタチからすると、どうも既製品らしい。手ごねのそれではなくスーパーで入手してちょいと温める程度の。
なので感心しない。
けれど、ここのシーンで着目して驚くべきは、子役の1人が、崩壊しつつある父親の姿をみて、本当に涙をこぼすところだ。
スピルバーグの演技指導の凄さがわかるシーンの1つに思える。
今となって顧みると大中小の光り輝く円盤や宇宙人なんぞよりもこの映画の価値は、この子供の涙にあるんじゃなかろうかとさえ、思える。なぜなら事実、ドレファス演じる父親は映画の最後でワイフもその子供も忘れて円盤に乗って宇宙の彼方に出てくんだから、子の涙はいわば"最後の晩餐"での離別の覚悟と悲痛でもあろうからだ。
その意味で云えば、この少年は"第3種接近遭遇"の真の第1級の被害者ということになる。

結局のところ、あの友好的宇宙人がもたらしたのは家庭崩壊以外のナニモノでもなかったということになって、映画の最後に奏でられるディズニーのピノキオの名曲が… 実に釣り合いがとれないのだった。もちろん、けれども一方で子に縛られることなく宇宙へ出ていったドレファスにもまた、共感をおぼえないこともないボクなのだ。
それゆえ、再見するたび、ボクのこの映画の評価はひどく、ぶれる。


以上はさておき、『未知との遭遇』でも『ツイスター』でもそうだけど、マッシュポテトは大きなボールにどっちゃり盛られて食卓に出る… というのが米国っぽい。
大きなビーフにも惹かれるけど、ボールのでかさにボクは魅了される。
食の豊かさだの、過剰摂取だのの、フィルターいっさいなしで、その大きさを好もしく思う。日本でのご飯のはいったおひつに相当するモノとは判っていても、光景として1種の目映さをおぼえる。


『ツイスター』の1シーン。中央のクリーム色のボールがそれ。


比較するに、『未知との遭遇』のポテトはやや粘度が高く、『ツイスター』のそれは粘度がゆるい。
ソース(たぶんグレイビー)をかけられると同時に、『ツイスター』のマッシュポテトは山の高さが3分の1くらい減じるから、これはかなりゆるく溶かれたポテトとしれる。
ボクが好む粘度は『未知との遭遇』の方だな。やや硬め。
くわえて『ツイスター』では各人のお皿には丸っこいパンが2つ、つく。

大きめステーキ、目玉焼き2つ、マッシュポテトのてんこ盛り、たっぷりなグレイビーソース、パン2つ、飲み物はレモネードかコーク。
グリーン野菜いっさいなしで糖質たっぷりコレステロール過剰で高カロリーで品もよろしくないけど… この場合、いいじゃないすか。
「なんか元気になる〜」
って気持ちが昂ぶるじゃないですか、これは単純に。
事実、映画の中の陽気な科学者チームはその1点、"肉が喰いて〜!"のみで主人公の親戚宅を訪ねるんだからね。
要は、実質に身体にいいとか悪いとかじゃなく、気持ちのところだね。
「さぁ喰うぞ、遠慮なく〜」
という喜色なところが大事なのだ。

今、パンが2つと書いてるけど、仔細を見ると、このシーンをヤン・デ・ポンは細かく演出してる。
テーブルについた各人のお皿の盛りつけが実は違うんだ。
例えば、家の主たる女性金属彫刻家(?)の皿には肉がなくって、マッシュポテトにソースをかけているだけを食べているとか、ステーキを半分平らげたところで目玉焼きを添えてもらってる人がいたりとか… そのあたりのリアリティ〜、人の個性の描き方がこの映画の旨味なんだ、な。
下写真。左側に女主人のお皿。ポテトとソースのみ。

『ツイスター』の科学チームは、まことに気持ちいい連中で実はこれも本作の見所の柱なのだけど、中でも長髪太っちゃなフィリップ・シーモア・ホフマンは最高に良かった。
この映画が名作の位置にあるのはたぶんにこのホフマンの忌憚のない演技によるところが大きいよう、ボクは思う。主人公でもリーダーでもないけどもチーム個々人の接着剤としての役割を実にうまく表現してる。エナジーの燃焼度合いがすさまじくいい。眼には見えない紐帯(ちゅうたい)を全方位に向け放射してる。
ビビるほどに衝動的、かつ、むきだしの感情を恥ともせず、あるがままに直球を投げ出す映画の中の彼。その破顔の醍醐味が竜巻を追うチームの束ねになっている。

けども彼は今年の2月、46歳の若さで逝ってしまった。
下の写真。『ツイスター』での食事中のホフマン。(右)

彼がアカデミー賞をとった『カポーティ』をボクはまだ観ていない。
たぶん、観るのを惜しがっているんだろう。知らず、映画というカタチの中で彼はボクにとっての"ご馳走"になっているんだろう。美味しいものを後に食べようとするヘキゆえ。
奇しくも、ボクがジャカイモを植えたのは彼がなくなって2ヶ月後だった。
でもって… 今日、最初の花が咲いた。
よって、この一輪をフィリップ・シーモア・ホフマンに。
ジャガイモの花ごときを… と、目くじらをたてるむきもあろうけど、つまらぬ菊なんぞより、この一輪を捧げたい。
開花したことでもたらされる実りの予想の上でのマッシュポテトと共に、幾ばくの哀惜と感謝を映画『ツイスター』の中の彼に。