熱いアズキ・成長する子供

夜半、ものの1キロと満たない距離を歩いただけなのにお馴染みの店に着くと、も〜メチャに寒くっていけない。
体調が悪かったか、外気がやたら冷えてたか、あるいはその両方かは判らないけど、とにかくカタカタ… 慄えがついちゃった。
それをみて速効即座、Y子さんとYUKAさんが、ニッカと笑って出してくれたのが下の写真だ。


眼の周辺をあたためる。
中にアズキが入ってて、レンジでチンすりゃ、しばし、熱い感激にひたれる優れもの。
何ぞあれば眼元は冷やすもの… 程度な未開な知識しかなかったもんだから、眼の周辺をあっためるというのは意外で、おまけに、これがま〜、実によろしい。
空虚に凍えて萎縮した節々が光明な慈愛にくるまれて、ついほどけて、昇っていくような落ちていくような、不思議な飽和をおぼえさせられた。
眼元があったまると、今度はそれをネックウォーマーと一緒に肩にのっけてもらったりして、ヌクヌクしてる内、裕福な暖味が浸透して、気づくとボクはウトウトしてやんの。
まだヒューガルデンのグラス1つを干してないのだよ。
ビール一杯で出来上がっちゃ〜イカンじゃないか、と我が事ながら苦笑してしまった。
ま〜、それくらい、気持ちが良かったのだ。2人に感謝したい。サンキュ〜。


で、一夜があけて、ハタッと思い出したのだけど、実はこのアズキをぬくめる小道具を1つ、ボクは持っていたのだった。
ただ、効果は薄いだろ〜と使わず、そのまましまい込んでいたのを思い出したのだ。
そこで引っ張り出す。
眼元を温める用途じゃないけど、アズキ入りだわ。
けども、
「あらま〜」
こりゃ、羊かな?
顔がついてるのに気づいた。なんだかファンシーでちょっとカッコ悪いような。でも、持ってて嬉しいような。


この週末、7日の日曜、講演する。
なので、その準備をしなきゃ〜いけない。
けども、どういうワケか、こういう時に限って、まったく講演とは関係のない本を読みたがったり、DVDを観たがったりする。
試験の前夜にフイに漫画を読みたくなった若い頃と… 一向に変わらない。
成長していないな〜、とニガ笑うけど仕方ない。
それで、「ハリー・ポッター」シリーズの最初の4本を久々というか、実はその半分は今回はじめて封を切って観るDVDなのじゃあるけど… とにもかくにも、観てしまったのだ、今朝までかけて…。
そんなもの見てる場合でないコトは重々承知なんだけど、後ろめたいがゆえに妙に心地良い悪徳の榮え的な淡い喜悦みたいなのが涌いたりするから… 困ったもんだ。


子供の成長は大いに喜ばしいことだ。けども、この「ハリー・ポッター」シリーズのみは、そこがいささか哀しいのを4本通して観て… いささか痛ましく感じてしまったりもして、これまた困ったもんだ。
第4作めの「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」では、もはやしっかり声変わりし、骨格も変わってしまい、第1作めの"子供"はもう失われているんで、
「あっちゃ〜」
ガッカリしちゃ〜いけないけども、ガックリはしてしまうのだった。
小説としての「ハリー・ポッター」は永遠の子供世界に変化はないけど、映画の中のナマの子供は成長するから、ね。
時の経過というのは、こういう場合、残酷なもんだ…。
などと、講演のコトを脇に置いて… Movieを見てるワケよ…。


マ〜、強いていえば、日曜のハナシの内容には、時間の経過の残酷を少し描くような所もあると思うから、多少、考えさせられるような、自分的には考えの層がチビリ厚くなるような… と、そのように善意に解釈して… Movieを観てるのを正当化しちゃったりして。


その昔、「ブリキの太鼓」という映画があったよね。
今、なぜか、それがとても観たい。
自身の意志で成長を止めたオトナコドモが主人公で、金切り声でガラスを割る特技を発揮しつつ、ナチズムが台頭し浸透する第二次大戦頃の壮絶な大人世界を垣間見るという、絢爛と倦怠と、上品と下品と、欲望と不条理の増量肥大なゴッチャ煮加減でもって迫害され追いこくられるユダヤ人が実にうまく描かれた映画だったけど…、口惜しや残念にもDVD持ってない。
でも、今この瞬間はそんな"観た〜い"モードだけど、講演が済んだ翌日あたりじゃ、も〜きっと、この気分は消えてるんだろうけどね。
ブリキの太鼓」は、今、思いついたけど、そんな流されていく自分と流されまいとする人間の映画だったような感あり。たしか、映画のラストで、主人公は、コドモオトナをやめて成長すると決意して終わったのではなかったかしら。