ヘア〜サロン

昨日チョットした祝いのメールを悦ちゃんからもらって、数通やりとりしてる内に「オトナゲ」な話になって、すなわち… これ、髪の毛のハナシね。
なので、今回は髪の話を少々。


あんがいとボクは自分の写真というのを持ってない。
もとより写真映りが芳しくない方なので、あんまり写真の自分を見るというコトに馴れてない。
けども時折り、
「んっ?」
と、なるコトもあるにはある。
下の写真はその稀れな一例。
昨年末の講演時の様子をスタッフが撮ってくれてた1枚。

髪色とあいまってハレーション効果が頭部をふさふさフサヤンに見せてくれているのが、とてもヨロシイ。
本人だから云うけど、とても安らぐ。歓迎する。
むろん、こりゃ真実じゃない。
天井からの照明が頭部にあたって反射し、カメラレンズを誤魔化したに過ぎない。一見のだまし絵的効果。
だから、この1枚の写真をもって我が姿を1/6サイズのフィギュアにしようなどとしたら、大いに間違った髪型の模型になっちまうのだ。


真実の髪は、ザビエルのように頂点界隈にゃない。
ないゆえに、こういう写真の中の"フィクション"に、本人は一縷な願望色の吐息をついてしまえる… ワケなんだ。
下写真がやや真実。テッペンのヘアはなくって文字通りな不毛のヘッドライン。
写真というのは時に真実であるけれど、時にはこのようなファンタジーを現出してくれる。逆にいえば、信用ならんのだ。
ましてや今はPhotoShopなどの修正ツールがある。ウソをつける環境も整っている。

トゥルーとフィクションの距離は大きい。
なので、不毛の自分をしっかり自覚しなきゃいかん。
近年、差別用語がとやかく持ち出され、アレもダメ、コレもダメ、と言葉遣いがどんどん不自由な時代になってるけど、どういう次第か、
『ハゲ』
は、まだ差別語として認知されないようだ。
『ハゲ』の一語はまだキラキラして自由だ。
しかるに一方では、その単語を投げかけられた本人が傷つくようなら、それは差別に価いするという見解もあって、さてそうすると、この『ハゲ』がもたらす傷つきの効用は如何なもんかとも… 内心ひそかに思ったりはする。
が、かといって、『ハゲ』に変わる、あたりさわりのない一語があるのかといえば、それはないのであって、どう表現しようとも、頭髪薄きな事実を隠蔽するものではないのだった。
「こちら、毛が不自由な方」
と紹介されてもらっても、一向に嬉しくない。むしろ先方の気兼ねして言葉を懸命に選んでる尽力さに逆に、差を感じてしまわないか…。
というワケで『ハゲ』の一言は時に皮膚色の悲しい音色をたてるけども、受け入れざるを得ない常用句と容認しなきゃ〜いかんようにも考える。
そういう意味合いでは先の悦ちゃんの「オトナゲ」はアンガイ柔らかい良い表現なのかもしれない。
「こちらオトナゲのステキな方ですのよ」
などと仲介者が見合いの初顔合わせ時に申したら、それはなかなか爽やかな空気の演出というコトになるんではなかろうか。

この国では、『ハゲ』ちゃえば女性にもてないぞ的な暗黙な通念があるようで、どうもそれがイカン。知らず、それが感染して『ハゲ』本人までがそこで萎縮をする。萎縮が奇妙な自粛感をともなって帽子を被ったりする。
ま〜、そのもてるもてないの傾向は10代20代っくらいで、30代半ばから上になると、女性の眼も変化して肩の肉づきに比例して円やかになって、男子の外的なカタチよりも内なるものに興を示し出してくれるから、これはケッコウ救われる。帽子なくともコッチをちゃんと見てくれる視線を感じ出す。
先にあげた悦チャンもきっとそうであろう。きっとボクを好きに違いない。眼にいれてもきっと、「オラ〜痛クネ」くらい好きに違いネ。


ただ、好んでこちとら『ハゲ』てるワケではないんで、ナニゆえか頭髪に不自由しましたというダケなんだけど、そのダケのところがいまだ… 重苦しい内心の重圧であったりもする。悦チャンの気持ちは嬉しいがそれに応えられない妙な後ろ向きが常に身辺高いところからジワジワとわいて自分を蚕食にかける傾向が高い。
そういうのが発生する要因が… すなわち、社会構造なのだ。
要は『ハゲ』の社会性なのだ。
『ハゲ』が大いに認められ、いっそ逆に『ハゲ』の方が何かと優位よ… といったアンバイになって初めて人は『ハゲ』から解放され、眩い太陽の光臨ともどもいっそう地表を明るく照らし出す反射鏡となり得るのだ。

江戸時代のオール男子の月代(さかやき)をば見よ。皆なが率先して前頭部を『ハゲ』らかしているのが素晴らしい。
中世のキリスト教世界やチャイナの弁髪をのぞいて世界中さがしても、この斬新はなかったカタチだから独自色たっぷり。頭髪からくる無意識な差や区別を月代は見事にのみ込んで、どの宗教もどの国家もなしえなかったヘア〜による一種の平等主義な革命を進行させてた筈なのだ。
鎖国をやめて開国と同時にホントは明治政府は世界に向けてこの月代を剃るファッションを発進し、押し進めるべきだったのだけど、しなかった。
伊藤博文たちは再スタートとなる日本国の礎を造るために独逸やら英国に出向いて長期滞在し、学び、そこを手本に日本国憲法を編み出してくれたけど、同時に、頭髪をのばし、それどころか独逸の不細工なカイゼル髭までも導入してしまって、自身の持つカッコ良さを放棄し、あるいは恥と知覚しちまったのは、やはり、とてもいけなかった。
ベータはVHSにまけたのだという以上に、自身の誇りを失ったのもまた開国の汚点だった。

けど、もはやしかたない。月代カッコいいの世の中はきっとモ〜来ないだろうから、なので製薬会社はあれこれと『ハゲ』に効きそうなお薬塗り薬の進化に励んでくれているんだろう。
化学の進歩を期待するのは、まさにこの1点だ。いや、もうこの1点のみに化学はあるようなもんだ。
なので一夜にして髪の毛フサチャンなお薬が発明されて販売されたら、もう化学は用済み。裏庭で焼いて捨てていいのだ。


ま〜、せっかくだからPhotoShopで遊んでみよう。