ここ最近 〜プリデスティネーション〜


1月終わり。2月が来る。
早いな〜。
ババ抜きトランプがイスラム圏7カ国からの入国禁止を指示し、あちゃこちゃで混乱が生じてるさなか、アベコベ総理が、
「コメント出来る立場にない」
だって…。耳を疑うね。



昨年8月末に亡くなったジーン・ワイルダーを偲ぶ。
この人をボクはズ〜〜っと等身大で崇拝していたよ。今もそう。スクリーン上のそのカタチを模倣しているようなトコロもある。
出演した映画はいずれもジーン印とでも呼ぶべき独特な芳香があって、それはヒョウキンと真摯が格段の精度で1つの歯車になってる彼の演技から出てた。だからホントは真似ようとあがいたって遠く及ばないのだけども、スタイルの指標として彼は今も強い磁場をもったパルサーであり続ける。
『ヤング・フランケンシュタイン』、『大陸横断超特急』、『チョコレート工場の秘密』、『スタークレージー』などなどなど。愁いの上に塗布された諧謔、あるいは滑稽の上にコートされた憂愁… その2面が時に鏡のように向かい合う瞬間の演技が彼を電波天体めいた独特な存在にしている。



しかし、傑作なのにいまだDVD化されない複数の作品があって、亡くなったさい、発売されるかとも思ったけど、期待だけに終わって早や半年…。
上記の『スタークレージー』をはじめに、『ハンキー・パンキー』、『ウーマン・イン・レッド』、『見ざる聞かざる目撃者』… いずれもVHS時代のレンタル・ショップにあったものが、DVDの時代になるとプレスされず、いわば淘汰されて今にいたってる。
残念なことだ… 偲びつつ、口惜しさも拡がる。



某日。お仲間24名でのパーティ。
あんがい良かった「丸屋」のボリュームとお味とスタッフの対応。ただ、これっくらいの人数で着座しちゃうと、向こうの方の人とあんまりオシャベリ出来ない。
れいによって愉しい時間というのはアッという間に過ぎる。
けどもこたびは、祭りの後の寂しさをいささか身に沁ませた。寄せる波よりも退いてく波にボクはのって… そこから景色を眺めているような気がしないでもなかった。



遠近両用なメガネに次ぎ、作業用に拡大メガネを購入。
メガネの上にメガネをかけて… と考えたワケだけども、むしろ単独使用の方が利便で広角度クッキリ。これは思わぬ拾いモノ。
しかし、ど〜矯正しようともクタビレ易いメダマに変わりなし。近眼(チカメ)な作業では、10分に1度ほどは眼を閉じて休憩させてやらないとイケナイ。
不便な眼。



拾いモノといえば、この映画。
プリデスティネーション』。
ロバート・A・ハインライン原作でイーサン・ホーク主演のオーストラリア産SF映画
「運命」とか「予定」とかいったニュアンスの"Predestination"。
派手な特撮CGは皆無。
低予算を逆手にとって、ヴァイオリン・ケースのようなタイムマシンが出てくるのが、この映画のカタチをよく示してる。
しかしダントツは、青年ジョンと女の子ジェーンの2つの役を演じたサラ・スヌークという若い女優さん。
青年ジョンに扮しての演技が際立って秀逸。フッとした瞬間に、我がお友達のEっちゃんの表情に似ていたりもして… 大変によろしいというか… 妙な親近もおぼえ、惹かれた。




しかもあきらかに彼女が主役のイーサンをくっている。その存在で映画が成り立っている。
閉じた輪が次第に収縮し、いよいよ輪が輪として硬化して1つの檻と化すような主題とその運びも、なかなかのもの。タイム・トラベラー映画は数多あるけど、これは異彩異質を放って鮮烈。ボウイ主演の『地球に落ちてきた男』の結末に味わった苦みめいたものを久々に味わう。



某日夕刻。「天神瓦版」筆者ケン発行者宅にて3者懇談。
濃い話に終始しアッという間に時間が過ぎる。昨年暮れに20号目の「岡山街歩きノオト」を出版の福田忍氏が"ラヂオ塔"を語る。
東京からこの岡山にやってきて、もう…ウンジュ〜ネンと御本人はおっしゃるが、ヘタに産まれ育ったヒトよりはるかに岡山を知ってらっしゃる。この人の行動力と興味の拡がりには頭がさがる。




一方の「天神瓦版」筆者はまもなくモロッコに出かける。しばし、ディートリッヒが靴を脱いで砂塵の彼方に向かうあのシーンを話題にする。土産話が楽しみ。
彼が帰国したら、3人で、チョットした行動を起こせたらとも思う。その準備をしばしこれから。



某日夕刻。別な会合。
ミーティングの間中どういうワケか、「春の小川」の一節がアタマに鳴り、さらにどういった連想か、明治になって東京と名が変わった頃の小鰭(こはだ)のにぎり寿司がアタマに浮きっぱなし。眼に銀色がチラチラ。
会合後、移動して酒席。
1月が旬の小鰭は… もちろん出てこないけども、先週はインフルエンザでシオシオノパ〜だった人がすっかり回復で元気に呑んでるのを見て、チョット、ほっ。
けどま〜、小鰭なんて、ボクは過去に2〜3度食べたかどうかという程度に馴染み薄な江戸前なんだけどね。お馴染みさんでないからナイモノネダリ… 余計にアタマに浮くのかも。
解散後、単独で吉野屋。久々味わう呑んだ後のコッテリ。お江戸の頃の小鰭もファーストフードだったよね… などとモグモグ思ったり。