酒飯論絵巻

 狩野元信が描いたと伝わる『酒飯論絵巻』をMacのモニター上に開くと、いつも決まって小さな解放感みたいな気分が心地よく泡立つのを感じ、シゲシゲ眺めては感嘆、その痛烈や諧謔を愉しみつつ、空想、妄想、アレコレな思いにかられるのだった。

 酒飯論は、ごく普通に、シュハンロンと読む。

 

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 文化庁が所蔵(2002年に入手)しデジタル公開しているのは2つあって、1つは狩野元信、もう1つは土佐光元が描いたという。だから室町時代後期のもの。

 応仁の乱やらで京都が丸焼けになった後、その復興期のさなかに描かれたということになる。以後、江戸時代になるまで複写本や異本が多々に出ていて、このオリジナルがかなりの人気作(ここで紹介する狩野元信のもの)であったことがしれる。

 愛媛の西予市にある愛媛県歴史文化博物館にも、江戸後期の写本があって、うどんツアーをかねて見に出向いてもイイなぁと思いつつも、実現しない。

 

『酒飯論絵巻』はのびのびした感触が何より良いし、中世の食の光景をリアルに写し出している絵というのもポイントがでっかい。

 11年も続いた戦乱の、その後のつかの間の平穏の中、平和な感触を強く望む気分が、食の光景として描かれたように思えないこともない。

 絵画研究の世界では、法華宗一向宗天台宗の宗教的対立が滑稽に暗示されるというようなコトらしのだけど、学術的諸々はさておき、16世紀の食物を窺い知れて興味ぶかい。眺めていて、絵の中の品を食ってみたい……、と思ってしまった希有な絵巻がこれ。

 

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            この僧は明らかに菜の香りを愉しんでますな。

 

 絵巻は、酒好き(上戸)と飯好き(下戸)とその両方を好む(中戸)の3者が競い、結果として中戸が1番に良いと結論されてメデタシメデタシという内容。そこに至る個々の描写が細かくって、見飽きない。あれこれ示唆されて、おもしろい。

 上の絵でお膳にのってるのはいずれもご飯の類い。

 

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  宴もたけなわ……。今も昔も何故に男は酔うとハダカ踊りするのだろう? バカだねホント(*^^*)。

  酒の肴はほぼ塩だけという所がこの絵のキモだね。

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 奥方は困惑というか、これ明らかに迷惑顔。一方のこの家の主は酩酊ぎみで大いにお楽しみってトコかな。

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             寝てるヤツもいる。手前に塩の小皿。ごま塩だな。

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これはおそらく、この武家の客人として迎えられた僧。酔っちまって、「これっくらいの~・お弁当ばっこに~~♪」羽目を外して謡い踊ってしまったと思えて、おかしい。

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こちらの僧は付き合いとして酒盛りの場にいるけど、呑めない、あるいは呑まない人に思える。手元に杯がなく、盛り上げられた焼き菓子みたいなモノに着目。でもって、仲間の僧(たぶん彼より身分が下の)の失態に、あちゃ~~、って感じかなと眺めていて思うのだけど、どうよ? 顔面に朱がさしているのは酔いではなく、羞恥の色合いとボクは思うのだけどね。

 

 総じてこの巻物を観察するに、まず感じ入ったのは、武家には2つの厨房があるというコトだった。

 鳥や魚を扱う血なまぐさくもある厨房と、精進料理の調理場の2つが明確に分離しているということに最初にハッとさせられた。

 

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 今と違い、相応の身分ある家なら屋敷は広いだろうから厨房あるいは調理の場は2つ2種あったと思っても、いいか。(上の絵は土間ではなく明らかに中庭だ)

 寺の場合は魚や獣肉はないし、食事作りは日々の日課、役割分担をかねた務めであったろうが、武家や公家の厨房では、お給金が出ている。当然に、そこに従事する人は専門職。

 鳥獣も扱う調理職と、精進一筋の調理職の、この2つは明確に分離していることにハッとしてグッときた。魚をさばく人はそれに徹し、米を扱う人はそれに徹し、兼ねたりはしないということなのだろう。なので、けっこう大勢の人が厨房(庭先も含め)にいる。

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縁側で鴨のハラワタを抜く人。「気持ちわり〜」な表情がいい。子に乳をふくませているのは下働きのこの男のワイフか? となれば共働きだ……。

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  こちらカモをさばく人。どこかカメラ目線なのがこの人の自信のほどをしめしているよう。

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             刻まれたカモを煮てるのか? さて?

 

 絵を眺めているだけでは、ドクダンとヘンケンが増してくるし、やや理解が薄い。

 ハタッと困ったのは、この部分。(下写真)

 米粒を拾っているのは判るにしても、何で? な疑問でわだかまる。

 

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 こういう場合は、参考書というか解説してくれる本が要る。

 ありがたいことにチャンとある。3冊もある。

 うち1冊は、日仏共同でこの絵巻を研究した専門書だ。

 嘆かわしいコトに文明開化の鐘が鳴った幕末から明治初期にかけて、こんなのもう要らないと、日本の美術品のアレコレが海外に売り飛ばされた。

 『酒飯論』もその各種バージョンが流出。

 今は、NYパブリック・ライブラリー、チェスタービーティ・ライブラリー、大英博物館、フランス国立図書館、やはりパリにある東洋美術専門のギメ美術館などが所蔵する。

 で、近年になってフランスでは『酒飯論絵巻』の研究を進めてた。

 実に意外なことに日本では、およそ20数ヶ所の美術館やお寺が何らかのバージョンを所蔵しているというのに、これを美術史の研究対象とするセンセイが少なかった。(何でだろ?)

 なので外からの圧力(?)に巻かれ日仏共同研究というカタチで、本となったわけだ。

 これがあればボクのような部外の素人でも随分にお勉強が進むとは判るけど、ただ圧倒的に高額。大学の助成費で買うワケでない一般ピープルには1万6000円弱というのは……、いかにも高い。

 幸い、上記の本の抜粋的編集ながらツボを押さえてくれたやや廉価な良書があるので、よってこちらをば参考にさせていただいてる次第。

 

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 米粒を選び取るハナシに戻る。

 何とも手間ヒマかかる作業だけど、室町末期のゴハンというのは、蒸したオコワが主体で、今とは様相が少し異なる。

 ここで粒を選別しているのは大唐米という種類の米だそうな。赤みがかった色合いのものや白いのや何種かある。

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 収穫量が多くて脱穀もしやすいが、傷みやすくて粘り気も少なく、味はかなり淡泊、ただし温かいうちは香気があって大変によい(和漢三才図会)とのこと。

 これは江戸時代になると赤米と云われて下等品扱いになる。栽培収穫しても赤いのや白いのが混ざって、時代の気風に見合わなくなってしまった。

 昭和時代には神社の神事で使うだけで、ほぼ壊滅状態だったけど平成の頃から各地で「古代ロマン」的流れでもって赤いのが復活栽培されているらしい。

 けれど室町期後半、戦乱に次ぐ戦乱で疲弊した京都界隈では、もっとも入手しやすいのが大唐米であって、家来を抱えた武家でもこれをよく食べていたというコトのようである。

 そこでこの絵では、一度蒸した後、ひろげ、うまく脱桴(ダップ)しなかった粒を捨てているというのを描いているらしいのだ。あるいは、白に混じった赤いのを取り除いているか……。

 何とも手間がかかるお米だけど、しかたない。特殊事例として絵になっているワケでなく、当時はこういう光景がどこでも見られた……、ということなんだ。

 

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 2種類の米でニギリなりモチらしきを作っている人。右端に積み上げられているのはその混合かしら?


「おこわ」は「強飯」と書き、これは甑(コシキ)で蒸す。

 甑というのは手作りで簡単に造れる鍋で、現在の土鍋のような上薬をかけて1200度の高温で焼いたような強度あるものではない土器だけれど、鉄釜の入手が難しい時代ゆえ1番に重宝されていたようだ。

 今は、「ごはん」の調理といえばただの1種類、米と水を鍋に入れて熱するというだけのモノだけど、室町時代の「ごはん」は、これが何種もある。お米の種類もかなりある。

 主だった”ごはん類”をあげると下記のようなアンバイ。

 

「強飯」

「炊飯(かしきかて)」

「黒米飯」

「油飯(あぶらいひ)」

「糒(ほしいい)」

「餉(かれいい」

「糄(やきごめ-ひめひ?)」

「𤇆妝(おごしごめ)」

「頓食(とんじき)」

「姫飯(ひめいひ)」

「水飯」

「湯漬」

「饘(かたかゆ)」

「汁粥」

「漿(こずみ)」

「味噌水(みそうず)」

「望粥(もちがゆ)」

「薯蕷粥(いもがゆ)」

 

 現在の我々の「ごはん」は室町時代の「姫飯」に近い調理法だけど、「姫飯」は沸騰させてしばらく炊いた後で粘り気のある白湯を取り除いて、再び蒸し上げる「湯取り」を必要とした。

 で、この湯取りのさいの白湯は、これは「漿(こみず)」と呼んで、これはこれで食卓の汁物の1つであったらしいから……、ややこしい。では、同じ漢字ながら読みの違う「漿(こずみ)」とはどんな調理なのか? どのようなお米だったか? まだまだ不明な部分がある。米の種類が豊富で、このあたり、今とはかなり違う。

 だから、膳に高く盛られた「ごはん」と共に、別な「ごはん」もお椀に盛られている。

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      武家に招かれ食事をいただく2人の僧とこの武家の跡取り息子。お酒なしの食事。

 

 ごはんばっかり……、という印象が際立ってくるけど、それぞれ別の米や麦、別な調理法ということで味覚には幅がある。ごはんの周辺に刻んだ菜を添えたり、豆をのせたりもする。僧が香りを嗅いでいるのは、だからごはんに菜をまぶすか、乗せているんだね。

 いわゆるごはんとおかず、主と副の関係も曖昧なんだ。さらに餅が加わる。餅も各種の米が使われ、これまた調理は多岐にわたる。

 

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 一方で、茶が必需なものとして出て来ているのも注目だ。

 割った竹で構成された縁側にて、臼で茶葉を粉末にしている人の姿がある。「挽茶」を作っているわけだ。挽いた茶粉を掃き寄せるためか、あるいはゴミを取り除くためか、その両方でか、鳥の羽根が手前に置かれていて、このあたりの写実具合もまた素晴らしい。挽き具合を均等にすべく、この人物(僧か?)が作業に傾注している息吹すら感じられる。

 この巻物を描いた狩野元信は永禄2年(1559)に没しているが、記録に残る千利休の最初の茶会は天文13年(1544)だから、ちょいと時代が重なってもいる。

 

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            こちらお上品な食事光景。お酒はほとほどという感じ。

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                お酌の係りも何だか手持ちぶさた。

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          かなり今に近いお膳。お汁の中に菜っ葉があるのが判るね。

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ご飯のおかわり係の家来。食事中の3人に向けてたえず目線を動かし、立てひざで即動けるよう待機中。

ウィンブルトンのコート横で待機のボールボーイの原形みたいなもんだな……。

 ともあれ室町期を経て、やがて戦国の時代へと変遷するに連れ、お膳のカタチも整えられていったような感じかな。この『酒飯論』が結論した中戸のかたち、ほどほどの飯と肴に酒の混声合唱へと向かったという次第か……

 ただ、戦国時代突入頃に”ちょっと昔の室町時代”を描いているワケだから、酒呑みではない下戸の食風景を誇張し強調し、あえてアレコレのお椀にごはんを描き込んでいるのでは? という説もあって、いまだ、明快に立証されているわけでもないようで、謎は謎として浮遊し続けている。

 ま~、それが余計にこの巻物の醍醐味のような感もチラホラで、おもしろさ継続中。謎というのは魅力を増加させる効能あり……。