ウィルスそのものより、ニンゲン側の拙(まず)さ、怖さ、滑稽に、
「なんだかな~」
ぐったり続きなここ数週。あえてそれらに触れず、身近なモノに眼をむける。
空間というかスペース、について。
先日夕刻の西空。
レンブラントの描く光と影の含みみたいな、光線具合がちょっと良かった。
彼が今の時代の日本でアウトドアを描くなら、やはり電線は描かざるをえなかったろう。実に不細工で景観への配慮などチビリともない、このラインの束が今の姿というか、今を示す特徴の1つなんだから、これを描かないことには画家の存亡に関わる。
とはいえ誰がそんな電線絵画を買ってくれるのか? かわないカワナイ。
「ぁ、無駄な空想しちゃった」
首をすくめて、こちとらクスクス笑うのだった。
レンブラントを想起したのは、1990年にボストンの美術館から盗まれ、未だに発見されていない『ガリラヤの海の嵐』という作品があったからだ。
1633年の作品 彼が描いた唯一の地上ではない絵
激しい波に苦労している帆舟の幾つものロープが、上の写真の電線のようでもあって、それで2つのイメージがつながってしまったんだ。
この絵は、横幅が160cmで高さが128cmもあったというから。かなりデカイ。
流布されている画像を見るに、かなり暗い映像のものが多く、上に載せてるもののようには明るくはない。
たぶんこの画像は明度だか彩度をあげてるような気がしないではないのだけど、何せ写真は盗まれる以前、1990年以前に撮られたものしかないワケで、実物の明暗度がどうであるかは定かでない……。
レンブラント作品の多くはかなり暗い色調の中に沈んでいるから、本来はこの絵も暗っぽい日没間際の見えるようで見えないような描写だろうとは予測するけど、このように彩度をアップさせて提示することで、初めて、画家が丹念にディティールを描き込んでいることも判るワケで、そのことでレンブラント・ファン・レインの力量が圧倒的なものであったと、逆にしれる。
たぶんおそらく、この画像の方が実際の絵の色調に近い? が、盗まれてもう30年。具体的に検証できない
盗難にあったイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館はボストン美術館のすぐ近くにあって、入口こそ近代っぽい造りながら敷地内は中世イアリアの大豪邸をモチーフにしての建造で、中庭が実に美しいらしい。
同館では、いまも本作のために、展示されていた場所に同寸のカラの額縁をかけ、絵の帰還を願ってる。
その空のスペースは、腹立たしい災禍を示すわけじゃあるけれど、無駄なスペースじゃない。そこにあるべきものを示唆し続けてる。
イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館
一方、盗んだヤカラは、売るに売れず、捨てるに捨てられず……、なのじゃあるまいか。
丸めて保管してるのかも知れないけど、盗人の住まいだかの一画でそれは大きな意味でのスペースを取ってるはず。
トットと返した方がいい。その空間を救済のためにも。
ちなみに盗難は同作だけでなく、フェルメール作品も含め13作品もが、その時ごっそりやられてる。
この事件に関してはマサチューセッツ州警察(ボストンは首都)やFBIの大捜査に関わらず犯人不明という次第で、米国では幾つかTVドラマになったり、ドキュメンタリー的映画『消えたフェルメールを探して』というのも作られたようだけど、残念ながら未見。これはDVDで市販されてるのだけど絶版だから中古市場に出るのを待つしかない。
我が心の内には、その待ち時間としてのスペースや、有り。
『ガリラヤの海の嵐』は、ガリラヤ湖という淡水の大きな湖をイエスと使徒らが渡ってるさなか嵐がやってきて、往生した使徒らの前でイエスが奇跡をおこして嵐を静めるという、ま~、神さんの子は自然をも制御するというような、マルコの福音書第4章での話を絵にしてるようだけど、神の子は今はいないっぽいから……、嵐としてのコロナウィルス騒動をも静めてくれない。
残念。
閻魔の大王さんなら、ウィルスと現政権、どっちが悪質かって~なお裁きじゃ、いささか面白い判決を下すような気がしないでもないけど、よく考えりゃ、閻魔は該当者が死亡してはじめてご登場だから、これもま~、現世じゃ役にたたんのぅ……、というわけで、ぁあ、また無駄な空想しちゃった。
ともあれ、カラの額に絵が戻ってきますよう……、ここはやはり祈るっきゃ~ないか。
祈願出来る対象という意味では、一神教・多神教とわず神さんは機能してるなぁ。
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マックス・フォン・シドーが亡くなったそうだ。90歳。
『エクソシスト』で老神父を演じた時はまだ44歳……。大阪南の映画館で当時観たさいは、そんなに若い人とはまったく知らなかった。以後いろいろな映画で愉しませてくれた。彼が出てくるとその映画に必ず重みが生じてた。ラッセル・クロウの『ロビン・フッド』でのウォルター卿に扮した彼がとりわけに。
合掌。