日差しほっこり、微風も心地良い。
こういう時候のさなかは、何ぁ~にも考えず、どっかに行こうとも思わず、ただ縁側にすわって、
ボ~~~〜
遠来の汽笛のように、
ぼ〜〜〜〜
っとしているのが、イイね。
小庭ながら我が宅でも、春の植物たちが揺れている。
今から咲こうとしてるのや、終わりかけたの……、やらやら。
陽光のもと、それらに蝶が立ち寄るのを見てるだけだけど、「至福の時間」っていう字がアタマに浮かんだりする。
————————————————————————————————————————
最近、近代遺産に価いする(と思われる)ような建物が、あいついで「不要なモノ」として取り壊されつつある。
例えば、「北海道百年記念塔」。
例えば、銀座の「中銀カプセルタワービル」。
いずれも老朽化ゆえに壊すというコトらしいけど、古いから廃棄というだけでイイのかしら?
奈良の大仏や大仏殿はもっともっと古いワケで、要は近代に造られた建物への思いが薄過ぎるんだねぇ。大仏殿のように大事にはされないんだ。
「北海道百年記念塔」はメモリアルかつ北海道のシンボルタワーとして1968年に建造され、建造費の半分は道民の寄付だったというし、札幌や江別市の小中学校では校歌にこのタワーが唱われてもいるという。
1968年時点でのそんな北海道民の愛情と思いも、2022年の今は不要ということか?
インターネットのニュースが道庁の担当者の声をひろってたけど、このさき残すには今後50年間で28億かかる。いま解体するなら2024年度までかかるけど6億円ほどで済む……、とかいった廃棄前提の金銭のことばかりで、54年前の建立時の人々の熱い思いやらカタチとしての塔の意味や意義の継承なんぞにはいっさい触れられないのだった。
かたや「中銀カプセルタワービル」は、黒川紀章の代表作〔1972年建造)なれど、やはり老朽なんで壊しちゃう、というコトらしい。
この4月の12日頃より解体作業をやっているそうな。
(この2例は保存運動もあったけど、多勢に無勢って~感が濃厚)
けど、壊しちゃえば、もう2度と復帰出来ないワケで、昭和の光景としての遺産が遺産(あるいは資産)と認識されないままハンマーや重機で、ベキバキ壊されていくって~のは……、淋しいというよりも、ひどくモノ悲しいなぁ。
何でもかんでも残せばイイとはちっとも思わないし、保存維持には相応の資金を要するのも判っているけど、明治大正のモノには愛情が注がれるのに、昭和時代のモノには奇妙なホドに冷淡な感じがして、かなりペケね。……思えば「岡山市民会館」もそうだ。
黒川のカプセルタワーより5〜6年前に造られ、彼のメタポリズム設計思想に影響をあたえたと思われるモシェ・サフディ設計によるカナダ・ケベック州にある「アビタ67団地」が、しっかり保存され、現役の集合住宅として今も、存分に“活かされ”ているのと大違い。
昨今、生活の中での諸々なモノに関して『断捨離』が奨められているような感触があるけど、なんか根底には、
「捨てちゃえば新しい風が吹く~」
ってな短絡でショートしちゃった風潮がのさばってるような気が、しないではない。
生(なま)の記憶が残る昭和はオールドでどんくさいし、消去してイイんじゃ~なぁ~い、みたいな空気があるんだろうか?
けど記憶が乾燥してくると、どうだろ?
かつて全国津々浦々、明治に取り壊したお城を、一転、セッセとコンクリなんぞで復活させたみたいな、繰り返しが起きるんじゃなかろうか、そのうち……。
となれば、行ったり来たりの右往左往が我が国の“特性”なのか、な?
まっ、庭先でポンヤリしつつも、上記のようなコトが念頭に浮かぶんで、
「ふ~」
小さく溜息をついたりもする。ただま~、春先の陽炎みたいにアタマの中で揺らぐだけなんで、そこがイカンのだろうなぁ、たぶんに。