赤穂玩具博物館の前で

 

 車駆けらせ、赤穂へ。

 大石神社のすぐそば、赤穂玩具博物館へ行く。

 周辺のしっとりとした景観に、この館はマッチしない。

 昭和時代のおびただしいホーロー看板で古民家全体を覆いつくし、元禄15年(1703)の赤穂事件以後、時を止めているような、その周辺から大きく浮いている。

 

 

 だけども、その浮きっぷりが昭和という時代をよく抽出していて、いっそ好ましい。

 

 開館は午後の3時から5時までで、中に入る余裕がなかったけど、ま~、いいさ。

 おびただしい昭和期の玩具たちがひしめいているのを想像するだけでも、愉しい。

 色彩の擾乱めいた外側を眺めつつも、懐かしい……、とかいった平坦な感想も感慨も浮かばないのは、自分が昭和の空気を存分に吸って、それが血肉の基礎としてあるからなんだろう、な。

 昭和時代が良かったぁ~、などとはチッとも思わないけども、こちとら、令和を生きつつ、昭和も活きている。

 ここの旧車や看板類を見ていると、ゆるやかに体内の何かが溶けはじめ、昭和30~40年頃の色や匂いなんぞが自分の体内から沁み出してくるような気がする。

 ヘンテコ、だ。

 眼の前の展示物が匂うのではなく、見ている自分が昭和の匂いをまとっていると意識できるんだ。

 当方が少年だった頃、当方の親を含めた方々の、その戦後の丸裸状態から昭和50年代に駆けての生産エネルギーこそが、戦後昭和の等身大のスガタ。その残滓の数々が凝縮されてココにあると思えば、懐かしみよりも"ありがたみ”の情がわく。

 外観を愉しんだ後、道路真向かいの赤穂大石神社に参拝。

 

 明治後期に創立のこの神社を訪ねるたび、子供の頃に観たNHKの大河『赤穂浪士』がアタマに浮いちまう。

 大石内蔵助役の長谷川一夫を筆頭に、当時のスター達がズラ~リの豪奢。

 吉良家の筆頭家臣役を演じたコワモテの芦田伸介が、妙に印象に残ってる。その後に彼が、

「クリープを入れないコーヒーなんて……」

 とTVコマーシャルで出てきたさいは、めんくらったもんだ。

 むろん、芦田伸介演じた小林平八郎はこの神社に祀られない。

 吉良邸で上野介を守るべく奮闘して討たれた彼を含め、罪なくして殺害された吉良の家来や家人たちは……、既に320年が経過したとはいえ、気の毒な感じが拭えない。

 たしか、10代前半の住込みの茶坊主も切られ、亡くなっている。

 

    八重桜が左右に置かれ、染井吉野がヤヤ狭いなぁ~、肩身狭いなぁ、という風情がおかしかった

 この日は「人形供養」とかで、人形の類いを持ち込んでる方も散見。

 不要となった人形たち。

 焼却するには惜しいような雛人形たち……。いや。惜しすぎ。我が輩なら捨てない。

 

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 大石神社のわりと近くに、個人運営のビートルズ博物館というのがある。

 でも、そこを訪ねずとも我がビートルズは損なわれない。

 なので、行かない。

 逆に、行って見学しちまうと、何だかビートルズのビートが我が体内から剥離しそうな気もする。博物的な館に収納されておさまるバンドじゃないし、そも、ロック・ミュージックをガラス・ケースに封印は出来まい。

 ま~、そんなコトはどうでもいいけど、せっかくの久々の赤穂だもんね。

 

 穴子料理の「一粋」で、穴重を食べ、天気も良いので城跡を散策。

 城の桜もよく咲いてる。

 ユッタリ歩き、本丸庭園内でユルユルと茶をすする……、フリをする。

 茶之間の縁側での殿さん気分のセルフ・ポートレットだけど、「茶を持てと 小姓呼びたし 小姓なし……」。

 

 と、それにしても、日本のお城はどこも、石の階段の高さが尋常でないねぇ。

 赤穂城本丸の石段も、高さが膝と同寸くらいだから、一歩あがるのがとてもシンドイ。

 袴に草履というイデタチだった頃はいっそう登りにくかったと思うんだけどなぁ。当時は手すりもないしぃ。

 たぶん、したたかにスネとかぶつけて、

「痛ったぁ」

 呻いたサムライも大勢いたろう、な。

 でも、沽券に関わるんで、傷みこらえて普通な顔してゴマカシたに違いない。

 

 やっぱり、赤穂に出向いた以上は……、塩饅頭だろ。

 近場の店に入り、自分用を買って帰る。