出雲へ

 

 先月に淡路島へ出向いた5人と、出雲大社へ出向く。

 今にも雨が落ちそうな、肌寒いような、しかし歩くと上着を脱ぎたくなるような、不安定なお天気具合だったけど、そこが何とはなく出雲大社という場所にふさわしいような感じがなくもなかった。

 

 

 こたびはなぜか同行者全員、「しめなわが小さくなってる~」と訝しんで首かしげたりしたけど、な~んのコトはない、出雲大社には2つのしめなわがあるのだった。全員そのコトを失念していたワケね。

 

 

 はるかはるか大昔、日本というクニのカタチが出来つつあった頃、アレコレ色々あった激動の出雲方面。その鎮めとして鎮座し、いまだ天皇家とても本殿には入れないが、天皇家天皇家で大社大遷宮のさいには礼をもって接するという出雲大社……

 大社もタイシャではなくオオヤシロというのが正しい。

 

     

 

 探訪は20数年ぶりくらいかな? その時はちょうど、信じがたい程な高層物を示唆する神殿の礎石跡が発掘されたばかりで、縄がはられ、学術探査が行われる直前だったよう記憶する。

 

 今は、その発掘場所がチャンと記され、かつてのカタチのでかさを示し見せる工夫がなされてる。

 

 併設の宝物殿には、発掘されて移動した「心御柱(しんのみばしら)」が玲玲しく置かれて、その大きさをアリアリ見るコトが出来るけど、入場料300円+撮影禁止というのは、ありがたくない。

 

 一方、大社すぐそばの古代出雲歴史博物館は、常設展示を見るには620円が必要だけども、同時発掘された実物の巨大柱(宇豆柱)が置かれ、貴重資料も豊富。

 撮影自由な上に大昔の大社を知ろうと思えば、この博物館はとても重宝かつ価値が高い。

 出雲に来たれば、竹内まりやの生家・竹野屋旅館の門前で写真を撮るコトよりも、この博物館探訪が大事。

 

 平安時代に大きな建物を指す口遊(くちずさみ - 言葉で伝える学習みたいなもんかな)があり、

雲太、和二、三京

 出雲大社が1番、2番が東大寺大仏殿、3番が平安京太極殿と伝わっていたのが、発掘により、デタラメでなく事実であったらしきコトになって、さぁ大変。

 ま~、もっとも、それが建造物の高さを示しているのか広さを示しているのか、そこん所が今もって判らないワケだけども、背丈も超絶なものであったコトだけは確かなようで、なのでこたびは大社詣よりこの博物館を愉しみにしていたワケだ。

 入館し、1/10スケールの復元模型を眺めつつ、それのリアル・サイズを想って、

「あへ~」

 感嘆というより、眩暈めいた感触をおぼえた。

 


 

 昔々に、出雲大社の神殿は過去3度、強風で倒壊したという記録がある。

 おそらく凶猛な台風ゆえだろうけど、倒壊しても、めげず励み、3度も圧倒の高さとなる神殿を再建させたエネルギーの根幹は何だったのか? 鎌倉時代の頃に至るまで、そうまでして高さを維持しようとした理由が何だったのか? 

 国譲りという美談的神話の奥底に潜んだ何かを、この模型から直に嗅ぎ取ることは出来ないけれど、高々に祀り上げねばならない何かが、かつてあったというコトは確かだろう。征服された側と征服した側との接合接点としての、かつての姿をしばし眺め入った……。

 

 別の展示室。ズラ~っと並んだ銅剣や銅矛や銅鐸……。この異様な数量が、出雲という場所が尋常ではなかったコトをアリアリ示してる。

 鋳造されたばかりの銅鐸などを示し見せる展示が良かった。

 金属の重みと輝きが、それまでの土器とは比較にならない「飛躍」をビジュアルとして明快にしてくれて秀逸。

 やがてこれら銅製品はさらに重厚な鉄器に移行するワケで、それゆえ、多量の銅鐸や銅矛などが役目を終えたさい、「どうもありがとうね」という感じで意識的に埋められていったんだろか? 

 館の解説文によれば出土場所は陽当たりのいい良好な土地が多いそうで、そうであるならただ捨てたのではなく、日本というクニの根幹にはモノを大事に想い、モノを慈しむ、なかなか良い心情があったというコトにもなるだろう。

 

 と、それにしても……、平日というのに、出雲大社境内および界隈は人でいっぱい。

 大型観光バスが続々やってきて、旗を持ったガイド女性の後ろにツアー客がゾロゾロゾロというのを久しぶりに見て、コロナの影響はもうすっかり失せた感が濃厚。

 神門通りの食べ物屋さんも、どこも行列。

 

 それでチョイと時間をずらし、行列のなくなった店に入って定番の出雲そばを食べる。

 

 こたび出雲では、あえて「ぜんざい」を食べる気でいた。

 由来起源の1つとして、出雲大社の「神在祭(かみありさい)」、日本津々浦々の神々全員が旧暦10月に出雲大社にやって来るというビッグ・イベントのさいに振る舞われる「神在餅(じんざいもち)」が京都の公家界隈で「ぜんざい」と口伝えらえ、以後は定着というのがある。

 それで夕刻前、1軒の店にはいる。

 日常、甘いモン食べないんだけど、

 熱々の小豆と餅のふくよかさに舌が悦び、

「ぁらま~、美味しいわぁ」

 圧倒の甘味に歩きくたびれた足まで喜んで、6人ベチャクチャおしゃべりなし。寡黙となってほぼ夢中、全員ぜんざいに向き合った。

 運ばれてきた椀の1つでは、2つの餅が合体して膨れ、さらに膨れてお子が出来たようなアンバイ。コレはなかなか、縁結びの地にふさわしいカタチとなりにけり。