さかおり ~岡山神社社報~


わずか7〜8ページのものじゃあるけど、同社での祭事情報やら、新たな巫女さんの情報(^_^;なども載って、岡山神社の社報、判りよい。
その最新号に、明治時代の『亜公園』のコトを載せている。
紙面スペースの関係上、用意した原稿の1/4をカットしたけど、明治時代の、日本最初のテーマパークについて書かせてもらった。

興味をお持ちの方は、岡山神社社務所にどうぞ。部数限定ですが、まだ在庫があるようです。


社報タイトルの『さかおり』というのは、岡山神社明治14年頃まで「酒折宮」という名だったから。
宇喜多秀家も小早川秀明も代々の池田家でも、その昔は岡山神社とはいわず、「さかおりのみや」といった。それが正式な社号だった。
なので明治14年以前にタイムマシンで出向かれたさいにゃ、
岡山神社はどこですか?」
と人に聞いても判らない。
「サカオリノミヤはどこ?」
と云わなきゃ通じないから気をつけよ〜。


はるかに遡れば、甲斐の「酒折宮」(山梨県甲府市)と関係があるらしいが、確定的証拠はない。
宇喜多直家(秀家のパパ)が最初に岡山城を築いたさい、そこにあった小さなお宮・坂下明神を現在の場所に移したとも、いう。
そこにあった… と今書いたけど、直家が築城のさいにそれを設けた可能性も、また高い。
城から現在の場所に移動した時期も、今となっては曖昧な霧の中。築城後を描いた古地図には場内に坂下宮の名があったりも、する。
坂下はサカオリと読む。
確定的に神社成立の由来や時期を証明するすべはない。なぜなら、岡山神社にあったそれを知る手がかりとなる古文献いっさいが、昭和20年の空襲で消失したから…。
空襲というか、戦争がもたらす災禍はヒドイ。地域の歴史をも戦争は奪う。


けどまた一方、消失をまぬがれた池田文庫の古地図などを仔細に眺めると、かつて酒折宮の宮司宅として広い敷地があり、そこに武田の性がみられ、甲斐の武田家と何らか、やはり関係があったようには推測はできる。
それは今の岡山県立美術館と旧後楽館高校を隔てる道路あたり…。そこはまた明治のかの「亜公園」の、その中にあって亜公園の密かな核となる施設「天満宮」の位置とも一致する。


なんだか不思議。
亜公園とも関係した岡山神社…、奥が深い。



いま、幾つもの神さんが岡山神社には祀られているけど、古くから日本武尊ヤマトタケル)も祀られている。
意外や、ヤマトタケルを祀った神社は岡山ではとても少ない。その数わずか6社。縁が少ない。市内に限っていえば、同社と建部の七社八幡宮のみ。
甲斐の「酒折宮」はヤマトタケルが東征のさい立ち寄った地として「古事記」にも載る。
はるか遠きな甲斐と岡山神社(酒折宮)が、ヤマトタケルで結ばれる…。
諏訪大社出雲大社がやはり距離を隔てながらも奇妙にも結ばれているように、諸星大二郎に、そこらあたりの関連性を空想的に描いてもらいたいもんだ。


ごくごくの近未来、かつて亜公園があり、今は旧後楽館高校で、何だかワケわかんないアート展に使われてたりしてる家屋は取り壊され、やがてそこはRSK山陽放送の本社地となって、また景観がコロリと変わる予感…。


ともあれ、社報。
お手にするなら、岡山神社社務所窓口にゴ〜!
喜んで1部をくださるでしょう (^_^;