フライト

 過日、夢で空を飛んだけど、これが喝采したくなるホド見事な飛びっぷりだったんで、目覚めてもしばしボンヤリ追想に耽るようなアンバイだった。

 仙境めいたのどかな庭先に希林さんみたいなニコヤカな老女がいて、お手伝いさんがいて、2人と会話した後、「それじゃ~チョット行ってきますわ」てな感じで庭の境界から眼下へとパ~ッと飛び降り、しばし両手を飛行機の翼みたいにマッスグ伸ばし滑空、ついでそれをユルリ羽ばたかせ、速度を落として今度は旋回……

 極めて自在に飛んでるんだった。

 夢見つつ、その自在っぷりに大いに喜んで、左右にシャキ~ンと両手を伸ばした金属モードと、ユルユル羽ばたかせる生物ハトポッポなモード切り替えを堪能しつつなフライトなのだった。

 息子がグレて家出しちゃい、今は1人住まいの老人宅が崖の上にある。

 そこにちょっと降り立って安否を気遣ってあげたけど、老人の姿はない。

 灯りがついてるから、ま~いいか、とまた飛んでく。

 

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 はるか眼下に肌色と朱色に塗り分けられた昔風味な2両編成のディーゼル車輌が鉄路を駆けてるのが見えるが、それは実物でなくって9ミリゲージの模型ディオラマだと、夢の中ではそう理解し、

「うまく造ってるなぁ」

 笑みて感心するのだった。

 でもって自在に飛べるもんだから、崖のさなかにトンネルがあるのを見つけるや、そこに滑りこんでくのだった。

 トンネルは長い廊下に変じ、奥の方でジャズフェスの司会をやってくれてる早ちゃんが、メガネの太った人物と話してる。

 そばに寄って聞くに、『シンドバッドの航海パート3』という映画とのタイアップ企画となるイベント司会を依頼されたけども、今年サイコ~の出来栄えと映画を褒めちぎるように主催側から云われ、

「そんなんやってられませんよ」

 断ったというようなハナシで、ひとしきり彼の口から映画のウンチクがこぼれ、ただのヨイショはしないぞな気概にあふれ、これまた頼もしくって笑みてくる。

 

 と、以上のような楽しくってしゃ~ない夢を見るのは久しぶり

 あんまりナイことなので書いておく。

 しかし、ヒトの夢の話ほどくだらないものもないだろう。そこに参加できるワケでなし。

 

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 幾つかあった年始パーティのほぼファイナルな席。

 同席の中に3人、昨年11月末の講演を聴いてくれた方々あって、方々ともに、

二宮金次郎のハナシがオモロカッた~」

「いっそ特集でやればイイのに」

 など、告げてくれる。

 実は年始の他会の席でも同じコトを云われた。

 木材史を語り、そのテーマに沿って里山に話題を運び、その里山で焚き木拾いつつ本を読んでる、明治期に全国の小学校に登場した金次郎の像に触れたワケだけど、大ヒット祈願で売り出したシングル盤としての『岡山木材史』が、フタをあけるとB面『金次郎-今昔像』に人気が集中しちゃって、あれ~? みたいな想定外。おもしろいな~。

 

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 パーティ翌日、毎年新春になれば会合してるK夫妻との茶話会。

 今年も我が自室にて。

 週末となればどこぞの高原だか山中で星を覗く天文家のハナシは、聞くたびに興味深い。

 遠方の星を観察するというのは、時間旅行に出かけてるようなものだ。星は過去の光、ライブで眺めつつもその光点は遠い過去の光景だから、自ずと過去へのフライトというワケだ。

 日々の恩恵がビッグな太陽とて、その姿は8分ホド前のもの。肌が感じる暖かさは8分前の熱……。

 どうにもボクにはそこが気になってしかたない。もどっかしいような妙ながつきまとってしかたない。

 以前にも書いたことだけど、今見てる星、例えばオリオン座のベテルギウスで例すると、ベテルギウスはひょっとしてもう存在しないかもしれない。阿鼻叫喚の断末魔の叫びをあげつつ崩壊し、超高温でもって分解しきって元素と化し塵となって宇宙空間に巻き散らかされてるかもしれない。

 地球で金(Gold)が価値あるのは、それが太古の昔の星が炸裂して超々高温になって生じた元素が、たまさか成形中の地球内部に閉じ込められ堆積したものだからで、地球産まれのモノじゃ~ないからだ……。

 だのに、地球上では終焉を迎えた星の顛末はまだ知れず、輝く光点として見えている、同時ながら同時でないその不思議……。

 ライブを見てるはずなのに実は記録映像をみているという奇妙に興をひかれてるわけだ。

 

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 天体望遠鏡を抱え持ったヒトは、たぶんその辺りの消息に1番に通じてるヒトのはず。それゆえ余計、K氏の話を聞きたがるボク。

 とはいえ毎度ながら、ベチャ~っとした話もオモチロイ。足が夜中に攣るとか、両足攣ったとか、でっかいゴジラ模型をどう収納してるとか……、楽しくも同情相憐れむな時間はいつもながら「あっ」という間に過ぎちゃう。

 

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 一方じゃ、ほぼ日刊なグダグダな楽しくないニュースの連打。

 グッタリするねっ。

 ニュースの発信元がグッチャラケなのが、さらによろしくない。

 首相の「辺野古のサンゴ移設」を真意の検証なく放映した事に関し、

「番組内での政治家の発言について、NHKとしてお答えする立場にありません。また、他社の報道についてはコメントいたしません」

 との公式コメントは、

『当方は報道機関じゃございません』

 と公言したに等しくはないか。

 けどもっとも尋常でないのは、NHK以外のマスコミ機関がこの重大事をさほど大きく扱わないという点だろか……

 ぅ~~ん。こういうのが束の間の風みたいに通り過ぎてってイイのかぁ?

 

 それでせめて夢の中じゃ自由でありたい……、みたいなことで空を飛んだのかしら?

 昔、モンキーズに「I Wanna Be Free 」ってのがあったなぁ。

 かの「モンキーズ・ショー」はベトナム戦が泥沼化してるさなかでの放映。

 ティーンエイジ向けなアッ軽い~番組で戦争もなくタバコも出てこないけど、彼らのデビュー曲「恋の終列車」はベトナム徴兵の忌避の歌だったし、総じてこのバンドの楽曲はラブソングに託しての、当時の若者の鎮痛な声の代弁だったかも、あるいは不安の焦燥をつかの間まぎらわすものだったのかも、と今は思えたりもする。

 


Davy Jones: In Memory "I Wanna Be Free"


恋の終列車 / Last Train to Clarksville  

 

 藤田淑子さん。天地総子さん。市原悦子さん。梅原猛さん……。訃報が続く。

 この前、12月31日には、小学校の同級生も1人。残念。

 

年始のお寺

 君来訪。

 お正月を実家のある福井で過ごし ての土産をば届けてくれる。こういう不意打ちはメチャ嬉しい。

 岡山と福井は縁あるようで意外と希薄。こういう機会に福井を知るのはイイことだ。

 ついぞ今まで知らなかったけど、「とろろ昆布」と「おぼろ昆布」の違いなども知らされて、

「あらま~」

 知恵をつけられお利口さんになったような気も。

 

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 年が明けて今日で、10日……。

 神社の賑わいはまだ継続して、駐車場も車で埋まっている。

 護国神社では拝殿の脇にて、ふるまい酒が施されてたりもしたけど、さて、お寺さんはどうかしら?

 

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 概ねで正月近辺のお寺は閑散。中には三箇日が過ぎるや、ニット帽をかぶり、趣味のゴルフに出向いちゃうようなオチャラケな住職もいるけど、一方では、凛としたお寺さんなんぞもある。

 数日前に曹源寺に行ってみたけど、このお寺さんなんぞは凛たるの代表。

 駐車場はほぼ空っぽでこの時期訪れる人はいないようじゃあるけれど、見事に掃き清められた境内が清々しい。

 枯葉1つ見いだせない圧倒的な清掃。実に清々しい。

 

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 高名な禅寺でもあるから、ひょっとしてと思ってたら、あんのじょう、ひょっとしてだった。

 およそ10名ほどの僧が揃って座しし、禅行のさなかだった。

 この日はいささか冷気が濃くって、シミシミと冷えるようなアンバイだったけど、窓は全部が開かれて外気と変わらない道場にて、身じろぐことなく座しての沈思黙考が行われているのだった。

 だから静まりかえってる。

 

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 広すぎるほどの境内を箒ではいたのも、この僧たちであろうことは間違いなく、それも夜明け前からの清掃であったはず。

 一般来訪者は朝9時から夕刻7時までと門限があって、それ以外の時間は門をくぐれないけど、僧侶たちはその眼にはとまらない時間も研鑽をつんでらっしゃるのは自明。

 (ほとんどが海外から来てる修行僧のようだけど、詳細は知らない)

 浮世の流れにのっかるワケでなく、付和雷同の気配もみせず、冷気の中での禅座の姿を見ると、ハッとしてグッな佇まいの良さにいささか頭が下がるというか、ただもううたれるようなアンバイなのだった。

 ボクにそのような精進は、ない。ないから余計に新鮮をおぼえるし、そも、禅行が自身のためなのか他者のためなのかも……、よくは解っちゃいない。マラソンランナーやボクサーの孤独な日々の精進と、禅僧の精進はどう違うのか……、解っちゃいない。

 

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                 鐘楼のそばで蝋梅が花をつけていた。

 

 久しく愛用した椅子が壊れちまった。

 ギシギシ音をたて支柱が折れかけている。

 しかたない。新調でグレードアップ。

 佇まいがチョット変化でこれはコレで新鮮ながら、まだ馴染んでいないから座ってるというより座らさせられてるみたいな感もチロリ。

 椅子がコチラに馴染むのか、コチラが椅子に馴染むのか? たぶん双方の歩み寄り。

 

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 中区円山の曹源寺を訪ねた晩に、新たな椅子に座って『禅 ZEN』を観る。

 高橋伴明監督の2009年作品。

 巻頭部は今1つながら、中国に渡れば言葉はちゃんと中国語だし、総じて前半は小気味よい。

 町のカタチ、人の往来、貧寒の度合い、僧兵もどきの跋扈など、鎌倉時代初期の世情が映され、あんがい良かった。

 けど後半でダウン。よろしくない。CG活用での悟りの境地への運びが噴飯もの。

 監督高橋がイメージした禅というのはこの程度かい……、大いにガッカリさせられた。

 

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 けどもま~、道元に扮した中村勘九郎と売春でかろうじて生活をつないで一児を育てるおりんに扮した内田有紀が、全般を通じて好演だったのが救い。

 丸坊主中村勘九郎には凛々とした気配があって、自身を律することで欲から遠ざかるその哲学の求道者にふさわしい演技と思えたし、それゆえの道元のエゴイズムのようなものすら垣間見せてくれたような所もある。ま~、それだからこそ監督の力量不足にガッカリしたワケだけど。

 

 いまだ「これだ!」と云える仏教映画、僧侶の伝記的な映画ってないねぇ。数も少ないけど……、惜しいなぁ。実に面白い題材と思うんだけどね。

 

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             曹源寺本堂にて。コインを置きたがりますね〜。

スタート点描

 元旦。朝5時44分に起き出し。コーヒーとシガレットで新年迎え。

 7時頃より熱燗。8時頃より雑煮

 年間通じてテレビ放送は見ないけど、元旦のみ餅を食べつつ眺める。

 群馬での「ニューイヤー駅伝」。

 何を見てるかといえば、沿道。

 ローソン、セブンイレブンファミリーマート……、コンビニが映らないよう努めてるカメラワークの努力をば見る。

 提供がヤマザキ。ディリーストアも展開だからね、競合店は画面に出さない意気込みが素晴らしい。ダンコ映さないのは変に偏って映っちゃうと、バランスが悪いからでもあるんだろう。ヤマザキのパンはいずれのコンビニでも扱ってるし、ならばいっそとの判断かしら?

 要は、テレビ画面の中では、あるべきはずの店々がいっさい消去されてるワケで、いわば『不都合な真実の隠蔽』を眺めるのが、ま~、密かなお楽しみだと……。

 とはいえ、食事が終わる頃合いまで、せいぜい3区あたりまでを見るだけ。勝敗はどうでもヨロシイ。^^;

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※ マイマザ〜、アインシュタインの真似?

 午後。九州より若い友来訪。若いたって~もうよいトシになってるけど、中学生の頃からボクの所で模型をいじくって、大学出てからは九州でイタリア車を扱う店にいる一徹で心優しき好漢。成人近い2人のお子のパパ。

「や~や~、久しぶり」

 うまいワインが置き土産。

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 2日。前日同様に朝から燗酒数本と雑煮。

 午後。岡山神社

 参詣の列には加わらず社務所に直行、笑顔で挨拶。

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 ついで甚九郎稲荷へ。こちらは列などないけど、静かで穏やか。本殿背部の白い板壁は今年限りの仕切り板。この秋口には板の向こうにRSK山陽放送の新社屋ビルの建造を見ることになろう。

 この板壁部分には江戸時代からの石垣(岡山城郭の一部分)があったのだけど、現在の建築基準ではその上に家屋を建てられない。それで取り壊し、コンクリで固めて新たな土台を設け、それに石材を再度貼りつけるみたいな方向でもって工事が進むらしい。

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 14時頃より某BARでミニな新年会。馴染んだ顔ぶれながらオチャケと珍味各種で大いに親和。

 お正月モードで便数が減ってる宇野バスで帰宅。

 夜。弟家族がやって来て、いささか賑やか。24時間呑みっぱなしな1日。

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 3日。朝7時に起き出し。熱く濃い緑茶を数杯。

 昼前に燗酒と雑煮。

 三箇日の朝の日本酒と餅はいいなぁ。

 餅は毎回8~10ケを平らげる。

 極意は簡単。お汁は飲まず、カエダマとして餅を追加してく。イクラの粒を複数のっけ、これはま~、かつて大昔に味わったクジラ脂肪の代替え的な気分。

 で、最後にお汁も全部味わってシメ〆シメ。

 ちなみに、重箱のおせち料理セットは買ったりしない。

 午後。本をめくってる内にトロリンと甘睡。これ至福。

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 4日本日。早朝3時半。「しぶんぎ座流星群」を見ようと室外へ。

 北東界隈の夜空を眺めること数分。月がないから北斗七星もよく見えてたけど、極細で薄いのを眼の端にとらえたような、そうでないような、思ったホドの成果なし。

 仮眠し、7時起床。

 雑煮なし。ちょっと淋しい、いや、かなり淋しい。正月もう終わりかァ、感傷が先にたつ。

 けど三箇日はあくまで3日間のみスペシャルなお餅3days。流星群ご同様に1年周期の会合。平成ラストの正月は高速で過ぎていく。

 

 午後。明日土曜の某幹事会打ち合わせを電話確認。「新年会」名目な集いがこれから数件。飲み過ぎを戒めなくっては……、とは思うけどなかなか。

 

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 前日についで『聊斎志異』と『千夜一夜物語』の一部をめくる。

 後者は魔神が出で大暴れとか、一見奔放なようだけど、一切はアラーの元での物語。いわば統括管制下でのシャーラザット嬢の語り。修辞は多いが速度は遅い。それに四季がない。

 一方の『聊斎志異』は奔放の上に意表、かつ展開速度が高速、四季もあり、かつ言葉を飾らなくタブーもなし。

 こたび読んだ掌編「幽鬼の子」岩波文庫版・上巻)では、狐が化けた女と死んじゃって霊になった女性との三角関係になった”ふたなり”青年の話。男性機能が未熟でナニがあるようでナイこのコンプレックスの塊のような人物が如何に男性としての機能をリニューアルし、それを駆使し振る舞えていくかの話。

 こういうヤヤコシイのは『千夜一夜』では語られない。

 といって『千夜一夜物語』が劣るかといえば、そうでない。季節なく速度遅くでアラーの思し召しながら、亜細亜の端で読むに十分の異境風土の擾乱に眼を瞠る。

 こたび読んだのは「パッソーラの恋人」(バートン版・ちくま文庫・第8巻-第693話)

千夜一夜』の中ではやや珍しいレスビアンの物語ながら、情愛描写で終わらない所がクセモノ。打算にシッペ返しに居直りと……、人間の欲深きな物語。織りなされる情話がいささか我らの感覚と違う。

 男を独占すること、女を”専有”すること、そのあたりの心情に加えて一夫多妻の世界だから、男女の合間に「駆け引き」もあって単純に括れない。LOVEのカタチがどうも違う……。

 恋と愛の端境にある小さな窪みみたいなものが幾つもあって、読むに要注意でオモシロイ。

年の瀬 〆鯖

 1年の流れが、やたら早く感じるようになって早や数年。ついこの前に雑煮食べたぞ~、みたいな感がなくはない。

 この短縮感覚は55歳くらいから萌芽するんかしら?

 IT系の私企業を営みつつ忙しない中で同窓会の幹事をやってくれてる小学校の同級生HORI君は、

「眼の前の事に追われることが少なくなり、自分用の時間がもてるようになったからでしょう」

 そう解釈してみせた。

 自分用の時間が増えると、逆に感覚時間は短くなる。愉しくプラモデル造ってる時って、アッという間に時間がすぎるじゃないか、いっそ時間を忘れてるじゃ~ないか。

「なるほどっ」

 そういう事かいな、とチョット納得させられる。

 つまんない仕事は忙殺されてそれで時間が刻印されるだけだけど、愉しくやってる時にゃ没頭でTIMEを忘れるって~コトだろう。

 と云うことでマトメちゃえば、ボクのこの1年はケッコ~な没頭時間があって、結果、それは充実の1年でしたァ、ということにもなるんかしら。

 ま~、そこは危うい。

 没頭イコール充実とは、いいきれない。

 没頭したものの成就しきっていない諸々もまたケッコ~あるわけで、「成果的」にみれば、積み残したアレやコレがいっぱいだ。

 

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 その積み残しの量と質を計るチャンスとしての年の瀬は、だからアンガイ好もしい。

 句読点として1つ、ここでマルを打って行を強制改行、仕分けるんだ。

 実体は何も変わらないワケだけども、2018が終わって次は否応もなく2019という流れの規則性に運ばれるのを、ここであえて喜ぶわけだ。

 なのでベチャリといえば、1月1日の元旦よりも、12月30日・31日のファイナルな時間を過ごしてる感覚が、ボクは好き。

 急流流しの船に乗せられ、そのツアーの最後あたりでの、

「おっ! 急峻な処に差しかかったぞっ」

 瀬を越えるさいにおぼえる情動を援用していえば、反省と希望の揺蕩(たゆた)いのユラユラ感が好きなんだ、ナ。

 

 むろん、それもアッという内にすぎる。

 たちまち2019年がやってくる。まちがっても2020年は来ない。これに関しては誰も疑問に思わないのも可笑しいね。

 我が家は、我が会社は、我が国家は、2019年はやめて2020年といきましょう! とはならない法則下で蠢いているワケで、こと時間に関しちゃ~自由なんてナイんだから、お・も・し・ろ・い。

 

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 昨晩、馴染んだBARの小鉢にのった鯖寿司。

 アレ嬉しや、と思ったらそうでない。

 〆鯖蒲鉾、というものだった。

 熊本は天草市で作られた、本物の鯖と練物を合体させた逸品。

 アラ珍しや。年度末ファイナルのこの一文のとす。

 

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 では皆さん、2019年にまたお会いしましょう。

 お・つ・か・れ・さ・ま・で・し・た・あ・り・が・と・う

クジラが入った雑煮

 年末年始、正月を海外ですごすという方も多い。結構な事だけど、何やら寂しい感じがしないでもない。

 お雑煮食べないのか? 

 素朴にそう思うのは自分が三箇日をお雑煮食べてすごすから……。

 ま~、もっとも、日本人むけにハワイのホテルなどは雑煮セットみたいなのを用意してるようじゃあるけど、べつだん、それを有り難いとも思えない。

 どんな味付けなんだか判らないし、何より、モチの数量が決まってるだろう……。

 産まれてこのかた、正月は幾つモチを食べたかが重要と思い決めてるボクとしては、三箇日の朝は確実に雑煮、モチは数量限定ナシじゃないと……、正月でないのだった。

 

 小学5年で岡山市に転居するまで山間の地・津山で育ったが、父方の雑煮には、クジラが入っていた。

 黒い皮の部分とそれに連なる白い脂身のやや大きめの塊りが、必ずや入っているのだった。

 父と母が結婚すると、それを踏襲することになる。

 母は町に育った人で雑煮は京風、当初はそのクジラ入りに、とても作れない、とても食べられないと抵抗したようである。

 けどもその子であるボクは産まれてからずっと、そのクジラ入りを食べてるんだから、抵抗なんかありゃしない。

 雑煮といえば、クジラが入ってなきゃ~雑煮じゃないよ~、というくらいに刷り込まれたものだった。

 赤身の肉ではなく背部分の黒皮のある脂肪層。当然に脂分が多い。多いなんて~ものじゃない、西洋人はそれ欲しさに、灯り用の油としてクジラを追い廻してたホドで……、その脂が雑煮の汁を濃厚にさせる。食感はコリコリし、けど決して硬くない。黒い皮ごと食べる。

 それが天上的にうまいんだから、子供のボクはお代わりを重ねるのだった。1年を通じての最大の御馳走が雑煮だったと云って過言でない。

 ま~、だから今も雑煮が食べられる3日間の正月を大事に思う……。

(この3日を保持するために逆にその他362日はモチを食べないという妙なヘキも生じてるけど)

 

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写真:八戸南郷の郷土食「くじら雑煮」。お雑煮研究所より

ボクが子供時代に食べていたのに近いが、ネギなんぞは入ってなかったし、このようにまとまってなかったような。クジラはもっと分厚かったけど、クジラと餅と削り節だけのシンプルだったような……。

 

 父方のルーツを辿ると、小豆島とつながる。

 小豆島は天保八年(1838)から明治の廃藩置県まで33年間、津山藩領だった。地理的には遠方だが、いわゆる飛び領、飛び地だ。点と点は吉井川という線たる水路で結ばれていた。

 その時期頃に父の先祖は小豆島の波打ち際から県北の雪深い津山に移住したと思われる。

 海彦が山彦にと転じたわけだけど、クジラ肉を用いる雑煮は海彦時代の継承、小豆島がスタートだったろう。

 

 けども時代が代わり、居住地が津山から岡山になった我が宅ではクジラ雑煮をやめた。

 良好というか、脂分タップリの皮部分の入手が難しくなったようだ。

 赤身の肉は廉価で手に入り、それでカレーライスもクジラ肉ではあったけど、皮部分はコロと呼ばれる日干したモノしか、どうも手に入れられなかったようなのだ。あったとしても価格が見合わなかったのだろう。

 かねてよりクジラの脂身に好感を持っていない我が母としては、この不都合は好都合であったろうさ。たぶん、積極的に探そうともしなかったろう、さ。

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写真:お雑煮研究所より

 以後は鶏肉を代用として今に至る。

 だから、もう何十年も食べていないクジラ雑煮がいささか懐かしく、食べてみたいとも思う。毎年この年末時には必ずや思い出す。

 とはいえ、当時味わったうまいと感じた舌をボクはもう維持出来ていないとも感じる。

 タンパク質摂取を必要とする子供時代、クジラ雑煮の脂のうまさに悩殺されたものの、はたして今それを平らげられるかどうか、自信はない。

 雪深く凍えた津山ゆえに正月のその脂いっぱいの雑煮はうまかったワケで、今はそんな環境でもないし、こちらも脂を必要とする年齢でない。

 

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 日本政府は、IWC-国際捕鯨委員会から脱退すると表明した。

 自民党の二階幹事長いわく、

「断固とした決意で脱退する。どうして他国の食文化に文句を言ったり、高圧的な態度に出るのか」

 IWCに向け、そう不満をぶちまけた。(21日付 産経新聞

 

 いささか唐突でケッタイな感じが拭えない。

「調査捕鯨」というマヤカシ論法では歯がたたず、卓袱台ひっくり返しとなったワケだろうが……、残念な表明だ。

 なるほど、牛肉が高値で潤沢にあるワケでなかった昭和30年代~40年代は、クジラ需要は大きかったろう。けども、もはやその時代は遠い。

 むしろ、クジラなんか喰ったこともない若者の方が今は多いはず。

 油分摂取のために幼稚園で肝油の粒を配給され、自宅ではクジラ雑煮で脂分というかタンパク質しっかり補給の時代と、今はまったく違う。

 

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平戸市生月町博物館の展示模型

 水産庁の「平成28年度食料需給表」でのクジラ肉は、国内生産3千トン、ノルウエーからの輸入1千トン、あわせて4千トン

 でもって国内の消費量は3千トン、だ。

 おや~? 

 1千トンが余ってるワケだ。

 ちなみに平成27年度(2015年)での日本の豚肉消費総量150万トン。鶏肉は240万トン! クジラと比較するのもアホらしいデスが、実体はもはや1千トンが余るほどにクジラ消費は劇的に落っこちてる次第だ。

 

 二階幹事長はコメントで「食文化」という単語を入れ混ぜてるけど、はたしてどこまで理解した「文化」なのか、そこはかなり怪しい。

 1029日の衆院本会議で安倍首相は、「1日も早い商業捕鯨再開のため、あらゆる可能性を追求していく」と云い、これがIWC脱退表明につながる。

 二階や安倍が妙に躍起になってるのは、彼らの選挙地盤に関係しているからだ。

 安倍の地盤は捕鯨の拠点たる山口県下関市。二階は和歌山県太地町、あのイルカの追い込み漁の地。

 彼らが云う「食文化」とは「商業捕鯨」での利潤だけ……、といったら云い過ぎか。安倍も二階も日常にクジラ喰ってるのか? な疑問も浮く。

 

 一方で、かつては確かに商業捕鯨をやってたマルハニチロ日本水産極洋の大手3社は、「商業捕鯨が解禁されても再参入しない」と方針を打ち出してる。

 現在の日本人の食慣習では利益が出るようなクジラ消費は望めず、大型船を出すメリットはないと、絶滅危惧な動物愛護の観点でなく厳密な商業活動としてもはや成立しない、と断言する。

 今現在の「調査捕鯨」は、国が支出し運営の国策会社がやってるだけのことで、特殊法人化された同社は山口市、安倍の選挙地盤にある。

 

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クリア樹脂でつくられた山田勇魚氏のアート作品

 おそらく今や、クジラ肉の事を云う人は、ボク同様な世代のいわば『懐かしい味』の事を云ってるに過ぎなくって、商業捕鯨を再開したとて毎日食いたいものかというと、まったくそ~でないだろう。

 クジラ肉といえば竜田揚げが頭に浮くけど、肉のしわさに難儀したのもまた確か。

 クジラカレーの独特な地味は地味としてあるけれど、ゴハンも他の具類も既に喉を通過したのに、筋多きクジラ肉だけがいつまでも口の中にあって、しばしモグモグ、無味となった硬い肉を噛みに噛んで呑み込まなきゃいけない悲哀もまたしっかり知っているはず。

 そのような次第の上でなお『懐かしい味』を求め、「商業捕鯨」に固執する不可思議……。安倍や二階がいさましく言い立ててみても、それはノスタル爺イの喧騒、ボクちゃんを見て頂戴な選挙的言質でしか、ないでしょう……

 

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写真:鯨の前でポーズを取る芸妓たち。『日本財団海と日本PROJECT in 佐賀』より

 

「文化」という面で日本の捕鯨を眺めると、なるほど相当に大昔からクジラを捕っている。

 縄文時代の遺跡にもクジラの骨が散見する。

 江戸時代では、太地町のそれや、青森県八戸の南郷地域などに捕鯨で生計をたてている村があったし、湾岸各地には「捕鯨組」という組織もあった。

 高野長英シーボルトに渡した資料文献で、日本では年間に300頭前後を捕っていると記した。

 むろん、あくまでも近海だ。

 凍てついた南氷洋での、昭和50年代頃の何万頭という数字とは比較にならない頭数だ。

 小さな背丈の日本人にとって巨大なクジラ1頭は文字通りに大きな存在でもあったろう。

「鯨一頭、七浦潤う」

 と云われるほどで、その300頭は皮から肉から骨までが捨てられることなく、肉は保存食になり、灯かりの油となり、骨は工芸品に用い、ヒゲ(板状繊維)はたとえば浄瑠璃人形に使われたりで重宝された。屠った末には神社を建てて祀り、拝礼もした。屠ったものへの畏怖と神聖への運びこそが「日本の独自文化」だろう。

 

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写真:鯨を祀った長崎県の海童神社

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写真:浄瑠璃人形の内部。頭部を動かすバネとしてクジラのヒゲ(板状繊維)が使われていた。動物性タンパク質成分ゆえに虫がくる……。なので永くでも40〜50年で交換が必要。

 

 クジラ捕獲はゼロとは望まない。けども、いささか悲哀もあるけど、「文化」は新たな環境で変わるものだ。

 IWCを脱退するという事は、数量限定で捕鯨をやってるIWC加盟国ノルウエーやアイスランドは非加盟となる日本にはクジラ肉を輸出出来なくなる可能性もあるだろう。何がナンでも断固反対の頑強なオーストラリアなんぞの圧力がいっそう昂ぶって、輸出国を責める新たな抗争の元手となる可能性もある。

 な~んのコトはない、脱退表明は自分で自分の首を絞めちゃったに等しい。よその捕鯨国に迷惑かけ放題になるやもしれない。

 二階幹事長は日本の「食文化」に言及して吠えホエ~ルしたけど、結局はその号砲咆哮が「クジラ文化」をワヤクチャなジ・エンドにするスタートとなるんじゃなかろうか。リスタート気分で勇ましく電源をオフしたつもりが、スイッチじゃなく電源の線をプッツン切っちまったような。

 

 江戸時代の記録を眺めると、捕鯨とは関係がなかった湾にクジラがさ迷い込んで、それはたいがいは死期を迎えての個体らしきだけど、湾周辺の漁民やらが総出でそれを捕獲、解体してアレコレに用いると、以後数年をニコヤカに過ごせる4千両もの大金に転じたというような実話が幾つもあり、それはそれで当然のようにその1頭のクジラにたむける神社を造って祀った。

 

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 写真は品川の利田神社鯨塚。寛政十年(1798)、暴風雨で迷い込んだ体長九間一尺(16.5m)の鯨を近場の漁師たちが捕獲。陸揚げ後、11代将軍家斉も見学に来るなど大騒ぎとなる。肉を採った後、骨を埋めて供養したのがこの鯨塚。

 屠れば供養するなり神に祀るなりしていた、この辺りの日本人の風土的文化をば世界にアピールすべきだったと思うなぁ。IWCに加盟している多くが一神教の国ゆえ判りにくい感覚であっても。

 そもアピールという点でも、こたびの脱退表明はおかしいよ。国内で十分に話し合った末での決定という次第じゃないもの。町内会のレベルとてこんな不意打ち的決定はしないぞ。

 

 今も毎年、どこかの湾にクジラは迷い込んでるし、住民は総出で救出しようとするけど、たいがいは徒労に終わってるね……

 亡くなって砂浜に打ち上げられたクジラはその後はどうされているんだろ? あんがいとそこはニュースになっていない。事後は焼却のような「処分」だけじゃあまりに悲しいね。

アイヒマンを追え 〜アラジン新たな冒険〜

 Prime VideoNetflixなんぞで気軽に映画に接することが出来るようになって恩恵も大きいけど、逆に、映画への付き合いが軽くなった。

 利便甚大だけど、それに比例して映画の映画としての価値が、無料動画に類した所にまで下がってるような……、感触がなくはなく、映画を特別なモノと思ってきたから、妙な寂しさを憶えないでもない。

 きっとそれは古い固定観念から生じる気分とも思うが、お気軽ゆえに、なんだか映画を大事にしなくなっちゃってる自分があって、観る気構えからしてもはや違ってることは意識できる。

 1対1の真剣交際じゃ~なくって、とりあえずなグループ交際みたいな、距離の間合いがヘンテコだ。

 ま~、それでも拾いものがあったりもして、視聴後にDVD買おうかしら……、と思う作品に遭遇したりも出来る利点は利点として大いに甘受する。

 最近だとフランス映画『アラジン新たなる冒険』が、意外なほどに面白かった。

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  現在のデパートでのクリスマスのシーンと『千夜一夜物語』のファンタジー部分とがうまく結合され、かつフランス的饒舌な際どいお笑いが随所にまぶされていて、しかもあくまでもどこまでも明るい青春グラフィティー

 こういうアッ軽~い映画、好きだなぁ。

 なので、これは買おうかしら……、そう思った次第ながら、どうもTSUTAYAなどのレンタル落ちしか入手出来ないみたいだぞ。市販品としてプレスされていないんだ

 

 ああ、しかし近頃じゃ、ネット経由で観られるんだから別にDVD買わなくってイイじゃん、という見解もあるようだ。

 けど、それはイカン。気にいった映画は無線で飛んでくるデータじゃなくって手元にある1枚のDVDである方が、イイ。

 買うことで1対1の交際が意識できる。彼女のナマ写真よりも彼女の実の肌のぬくもりがヤッパ1番よ……、っての同じ。

 ん? こういう感覚ももはや古いのかしらん?

 まッ、いいや。わが道を行く、だ。

 

 やはりPrime Videoだったけど、『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』は、予想外の収穫だったりもした。

 アウシュビッツに絡む裁判や、ユダヤ人殲滅のホロコーストを先導し遂行していたアドルフ・アイヒマンを追い続けた西ドイツのフランクフルト州検事局総長フリッツ・バウアーの物語。

 邦題とキャッチ・デザインの陳腐さが尋常でない腐臭もので、それが観る気力を奪ってたけど、いざ観るや、教わるところが大な映画だった。

(原題『Der Staat gegen Fritz Bauer』 直訳では「国家とフリッツ・バウアー」)

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男 [DVD]

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 映画1本を観て、それでナチズムやその裁判の行方を知ったつもりになるのはとても危なっかしいけども、興を抱く手がかりとしての1本の映画の存在というのは絶大に大きい。

 Prime Videoでは『検事フリッツ・バウアー』という別映画もあって、これも併せ観た。いずれにせよ基本は商業映画、ドキュメンタリーではないのだから登場人物の描写や史実に基づきつつもあくまで脚色が加わり、一切を事実として鵜呑みにしてはダメだし、実際この2本でも同じコースを辿りつつも部下のカタチがかなり違う。

 とはいえ、1つの入口としてこれら作品の存在はありがたい。

 ナチスの非道行為は、娯楽という枠組みには適さないけども、戦争終結とその後の裁判を含む諸々な動きをあらためて知る手がかりにはなってくれる。

 相互理解的に、何年か前にシネマクレールで観た『ハンナ・アーレント』を再見しなきゃ~とも思うし、『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』は並列で考察すべし映画だとも薄々に感じる。

 アイヒマン裁判をイスラエルで直に傍聴したハンナが、

 彼は愚かではなかった。完全な無思想性―――これは愚かさとは決して同じではない―――、それが彼をあの時代の最大の犯罪者の一人にした素因だったのだ。このことが〈陳腐〉であり、それのみか滑稽であるとしても、またいかに努力してもアイヒマンから悪魔的な底の知れなさを引き出すことは不可能だとしても、これは決してありふれたことではない。

 と記したことで同じユダヤ人たちから何故に激しく非難されたか、同じく、フリッツ・バウアーが戦後のドイツでもってドイツ人から如何に手ひどく責められ脅迫を受けつつも奮闘したか(非道行為を指図した将校クラスのナチ党員は戦後のドイツ社会に多数いて、社会の中枢を担ってる。この映画ではメルセデス・ベンツ本社の人事部のとある人物に焦点をあてる)……、知らなさ過ぎた現実の厚みを知る手がかりを、映画は提示してくれる。

 たまさかゴーン氏の勾留をめぐっての検察と裁判所の対峙がニュースに流れている今、1人の人間を裁くという事についての見解を自分のコトバとして編んでおかねば……、ともストレートに思うし。

ハンナ・アーレント [DVD]
 

 が、意外というか、2本のフリッツ・バウアー映画には影の主題が置かれているのにも、気づく。

 いずれにも、今やほぼ死滅した一語「誼み」を彷彿するヒトの繋がりが描かれているよう感じる。

 誼み、と書いてヨシミと読む。

 好(ヨシ)み、ではチョット違う。

「あいつとは、同郷のヨシミでね~」

 みたいな使い方をかつてはしていたハズ。

「昔のヨシミじゃん、そこんとこ何とかしてよっ」

 みたいにも使った。

 簡単にいえば親しい間柄に生じた情なり好意を意味する。友情の厚いのを「友誼(ゆうぎ)」とはるか昔には云ってた。

 その「誼み」な絶妙な感触が、2本の映画では根底の厚い層としてコーティングされていると思える。

 友情、友愛、信頼……、とは絶妙に異質の情としての、「誼み」。

 実はこれ、コトバの意味合いとしては、なかなか云い表せない。安易に使えるけども語の意味合いとしてはかなり細く、かつ深く、ホントは容易な単語でない。

 けど映像はその絶妙感が像としてうまく定着する稀有な存在だ……、とこたび2作品を眺め、そう感じ入った。強いて云えば、誼みとは意識せずに働いてしまう共振あるいは共鳴がもたらす相手への似通う嗜好による処の交愛だ。

 この感覚の存在と幅と深みがこたびの映画に含まれてるんだ。『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』では、それがタータンチェックの靴下で象徴的に出てくる。これは是非味わってもらいたいオモシロイ感覚であり、得点だ。

 

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※ 『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』より

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※ 『検事フリッツ・バウアー』より

 あと、これも意外な得点というか、戦後ドイツのアート感覚もこれら映画ではチラリと味わえる。

 

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※ オペルのレコルト、あるいはカピテーンらしき当時の車両。戦後のバウハウス・デザインを見るのも一興か……。室内調度を含めビジュアルが素晴らしい『アイヒマンを追え!……』

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※ こちら『検事フリッツ・バウアー』より。これは1957年のオペル・レコルト。どちらの映画もフリッツ・バウアーの運転手付きの車として登場で、当時の雰囲気造りにかなりチカラを入れてらっしゃるのが見てとれる。『アイヒマンを追え!……』ではこの運転手兼執事みたいな方がとてもヨロシかった。

 

 という次第で、ネット配信の映画というカタチに危惧を憶えつつも、拾うようにして得られた作品もあるワケで、それを新たにDVDを買っても少し深く接したいという気分が出てくるから、ネット配信はなかなか捨てがたい。映画は配信作品を観ただけで完結させちゃ~、あまりに惜しい。

 

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映画のアート。ドイツのオリジナルと日本版のえらい……、。右はもはやデザインとは言わない。

学芸会みたいに

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 この前の土曜、ダブルブッキング。

 城下公会堂での太田徹哉トリオのライブと、我が講演がらみの打ち上げケン忘年会が重なっちまった。

 身体が1つしかないのは不便なり。

 という次第で、ライブ会場の椅子並べやらの下拵えのヘルプをし、リハーサルをば眺める。

  やがて陽が暮れ、ドアの向こうではチラチラと開場待ちの人の姿。

 本来なら方々を迎える役なのじゃ~あるけれど、刻限になって場を辞し、別場所へとスッ飛んでった。

 

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 で、その打ち上げケン忘年会は、「学芸会仕様」。

 某居酒屋借り切って、楽器を抱え、全員でチャカポコ唄ってしまお~、というお楽しみモード全開な催し。

 いわば内輪のライブ。シークレット・ギグというほどではないけど、ま~そんなカタチ。

 なが~い付き合いながら、共に唄ったり歌声を聴いたコトもなかった方々との、それゆえの「学芸会仕様」。

「え? あのヒトが、その歌を? へぇ~!」

 学習発表会的なノリやらサップライズも含め、意外なほどに楽しいコトになってった。

 途中より、誰も知らないオッチャンが混ざったりもして、これには大いに弛緩したけど笑って受け入れた。

 

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 この1年というか、近来、チ~~とも楽しい世の中でないのはご承知の通り。

 今年の漢字に選ばれた『災』を拡大解釈すれば、政治も経済もヒトの心も……、保守を通り越した無様な保身やら強圧やらやら、『災』はまことに適切なチョイスとも思えるけど、良いコトと悪しきコトのバランスがとっくに崩れちゃって、さっぱりわやのしんチャンなのだから、

「たのち~ねぇ」

 なんて浮かれてる場合でもない。

 かといって暗い顔でブツクサ不満たれてるだけじゃ余計マッ暗け。喜怒哀楽4文字の、最初と最後の漢字2文字をば、喰える時にむさぼっておこう。

 などと書くと、何だか1920年代の、いわゆる大正デモクラシーとしての若者文化の勃興と溌剌と、その後の真っ暗ケな時代の到来みたいで好ましくないけど……、悠々闊歩したモダンボーイズにモダンガールズが、流されるまま、ハタと気がつくと軍服にモンペにと姿を変えてった怖さは忘れずにおこう。

 

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 1927年(昭和2年)のモガ・スタイル。右の女史の着物と髪型最高。歩幅が大きく見えるのも好もしい。たぶん、この時、彼女は急いでたんだろう。この女史とお付き合いするなら男子とて相当に覚悟したスタイリッシュ・ボーイズでないとイケネ〜。

 でも、この超絶にカッコいい彼女—— 20歳代半ばなら間違いなく明治の後年に産まれた人だ ——とて否応もない時代の流れのさなか、やがておよそ10年ほど後には、モンペ姿となって駅や街頭に招集され、徴兵された男子を見送り、「お国のため」とか連呼していたハズ……。

 気がついたらもう手遅れ、というのが怖いんだ。

 

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 1930年(昭和5年)のバスクリンの広告。イラストは高畠華宵。極度な欧化じゃあるけれど、個々人の自我や自由がまだこの時点では謳われていたという証し。

 大正中期から昭和初期にかけての1920年代、その10年ほどの間は、爛熟の、いわば、“楽しい学芸会“の時代だったような感がする。

 

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 その時期のオモチャ屋さんで売ってたのが、写真の石膏製のフェース像。

 およそ40年ほど前、熊谷信夫氏と丹波篠山とか草津とか近畿圏外周の田舎町の玩具屋を周り、倉庫に眠ってた古いオモチャを買い集めてた時に見出したもの。

 氏はその数年後に、『ブリキのおもちゃ』を刊行し、ノスタルジックなTOYSに脚光を浴びせる導火線とした。

 この小像がどういう用途であったか不明ながら、たとえば理髪店あたりの飾りとして売られ、壁なんぞに吊ってたんだろうとは思われるが、さほどに売れなかったんじゃないかしら? とも思って早や40年。伝統的な枠にとらわれない感覚としてのモダニズムが、オモチャ屋さんの店頭にまで風俗を映す鏡として伸びてたワケだ、かつてイットキは。

 でもま~、売れなかったことが幸い。これは我が部屋でひっそり生息し、永劫のスマイルを続けてる。

 

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