坊っちゃん

 先週から今週にかけて幾つか連続で会合。

 ま~、いずれも意義ありな、それぞれ来年度の諸々な話。

 うち1つは、興がのって3次会までイッちゃって朝日きらきら。タクシーで帰宅したら、隣家のご主人が出社されるのと鉢合わせ。かなりみっともネ~ネ~な朝帰り。

 

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 うち1つは、初めてのシーズンに初めての場所での初めてな方達との企画打ち合わせ。我が持ち時間を提示され、長いのか短いのか、ちょいと整理が必要……、ワクワクしちゃうねぇ。

 

 うち1つは会合後の居酒屋が大いに楽しくってギャラギャラ笑い、けどもハメを外さず60年代の英国紳士みたいにすました顔して店から出たら寒風がピュ~、

「寒っびぃ~ッ」

 上着着てくりゃよかったと反省しきり。

 

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 先週あたりから、模型写真にCG加工する作業。何枚も。

 今までこれは禁じ手と思い決めていたけど、某氏との会合の席、「模型を見せたいのか、それとも模型を通じて何を見せたいのか」との問いにハッとさせられ、グッと来た。

 ならば挑んでみようかと……、ヤッてみたら、これがオモチロイ。

 いや、正しくはかなり面倒な作業じゃ~あるし、メダマがすぐにくたびれて、作業20分+メダマ休憩10分って~な緩急繰り返しのアンバイで進行速度がカメの歩みじゃ~あるけれど、面白い効果が出るもんだニャ~とは内心喜んでいたりは、する。        

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 数年前に片方の眼を白内障手術し、クリアですっきりしたけども、いけませんなぁ、もう片方の眼が最近とってもヨロシクない。

 春から夏にかけ、手術をと考えはしたものの、前回かかった眼科の様子を思うと術前-術後の通院が実にまったくメンド~だったもんだから、ついついついと日延べしちゃって気づくともうこんなシーズン。

 日帰り手術を眼科は謳うけど、結局は通院で術後経過を診るというワケで、日々数時間、10日間ほどは拘束されるし、その後はメガネ屋でメガネ新調で、その出来上がりにまた数日だろうから……、などとクネクネ思ってる内、こりゃ治療は来春だにゃ~と今はそう諦観ぎみ。

 

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 次12月15日の講演用に、漱石の若い頃の書簡を拾い読み、一部を書き写す。正岡子規宛に岡山滞在中だった彼(当時は金之助)が書いたもの。

 古い文体の中に立ち上がる若い頃の漱石のカタチ……。

「やはりこのヒト、ちょっと変……」

 そんな感想が浮く。なんとも身勝手、自己中心っぽ~いカタチの輪郭が浮くばかり。

 ま~、それは講演の本題とまったく別なので12月15日には話しませんがぁ~、かの『坊ちゃん』の振る舞いをストレートで彷彿させられのだった。

『坊ちゃん』の主人公は、明らかに変なヒトで人格が破綻してるとしか思えないんだけど、最近あいつぐ教師の不祥事と重ねみれば、何だ~ぁ、明治の頃から……、その手合いはいたのかぁ~ん、とガックリさせられもしつつ、その中に漱石先生そのものも入れていいんじゃなかろうか、などとコッソリ思わないでもないのだった。

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 既に関川夏央が指摘する通り、四国の中学に赴任した主人公ははたして、どれくらい四国にいたか?

 チャラっと読むと、何だか1年超えの話という感があるけど、実は、なぁ~んとヒトツキちょいだよ。

 たった40日ほどの間の出来事を描いたのが小説『坊ちゃん』だ。

 要は9月1日付けで赴任し、たちまち赤シャツとか野ダイコとかを嫌って執拗に追いかけ出し、10月初頭、ロシアに勝った戦捷記念のパーティでケンカし、旅館だかの手伝いの男にチップ5円も渡して、トットと東京に戻るんだ。この主人公は23歳で、当時の5円は今でいえば7万~10万円だよ……。

 そんな大金チップを若造から手渡されたほうが、ビビると思うよ普通。むしろ、気味が悪い。

 でもって、東京に戻って、

「キヨさ~ん、帰ってきたよ~、や~、懐っつかしいなぁ」

 なんてね、明るく爽やかに笑ってんだよ、たった40日後に。

 やっぱり、かなり壊れちゃってるんだわね~、明るい熱血漢のお話じゃ~ない。だから、おっかない(苦笑)。そのおっかなさが作家・漱石とだぶってくるんだ。ぁへへへぇ。

 

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 漱石は、岡山の水害から脱出して松山の正岡子規のところへ出向いたさい、2人で散歩中だかに、田んぼに植わった稲をそれが何だったか知らんかった……、とたしか子規の日記だか何かに書いてあったはずで、いわゆる通常な常識とは違う常識でもって活きてたヒトだったんなぁ、と思い返して、その記述を探してみたけど、すぐには出て来ないねぇ、突発の調べ物じゃぁ。

 むろん、漱石とその作品をボクは大事に思う。漱石と作品には常に、

”正直な気配”

 が出入りしていて、そこが魅力の放射点だと勝手に思ってる。

 なるほど坊ちゃんは壊れてるけど、少なくとも正直であろうとする処が危ういバランスながらあって、昨今の崩壊君とは違う気がする。明治も今も共通は、要は生きにくいということで、漱石はそこいらを描こうとしたと思って読み直すのもイイかもん。

 ま~ま~ともあれ、そういうコトを云い出すときりがない。次講演では、若い漱石先生が岡山で水害に遭ったコトのみは、触れてみましょうぞ。

パッションフルーツ室内へ

 実は自然に落ちるのが良い。その時が味わいの旬という。

 けども今年は落ちなかった。ツルが伸び、1Fの窓を覆って2Fのベランダの足下まで葉が茂っていたというに、幾つも実って、落下(落花じゃないよ)を待ったけど、1つも落ちないままに気温急降下。

 急冷な夜の連続で、早やたちまち、葉が黄ばんでる。

 

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 結局なんだろ? この植物のサイクルと気候サイクルが合致しないんだ。

 実が落ちないままながら、しかたない。昨年より10日ばかり早いけど、2本のパッションフルーツをアウトドアからインドアへの移動作業。

 南洋の植物、寒さにゃ弱い。ひどい暑さも嫌うけど、防寒力は皆無。凍死させるワケにはいかない。

 

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 大きく刈り込み、枝も短くし、土中の根ッコを掘り出す。

 といっても、毎度、鉢のままに土中に埋めるので、掘り出しはあんがいと楽。

 なぜに鉢ごと埋めるのかといえば、この植物は細い細い繊毛を張り巡らせるんで、他の植物に干渉するんだ。白く細い毛細血管みたいなのがクモの巣状に伸び散らされるんで、これは困る。茶の木もこんな根を張るらしいけど、茶は育てたことがないんで、よくは判らない。でも、ともあれ、四方八方に根は拡がる。

 なので鉢底の穴からのみ、やや深い所でもって根を拡げなさい……、との育成方法。気の毒な感じもありはするけど、しかたない。

 

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 その土中に拡散した根を引き抜き、カットし、今期のアウトドア生活に別れを告げさせる。

 20ケ近く実ってたのは伐採時に取り集めてやった。

 鉢底の根もカットし、受け皿を敷いて、これから来春過ぎまで、また部屋で休眠だ。

 

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 室内ではケッコ~過保護に扱う。夜中にゃ、暖房も入れてやる。入れてやらなきゃ、室内でも冬を越さない。

 なんでそうまでして、これを大事にするかといえば、庭で陽光浴びてスコスコ育ってる時の葉が、いいのだ。

 葉っぱが大き過ぎず小さ過ぎずで形良く、緑が濃く滑らかで艶があり、硬すぎず柔らか過ぎずで、それが密茂した見た目が良いし、触った感触も我が好み。なのでホントは実はどうでもいいのだ。まったく関心ないワケではないけど、食べられなかったぁ~と口惜しむ気にはならない。

 ともあれ冬支度。アウトからインへのこの作業で季節の変わりを意識(かくご)する。

 

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 実はみずから落ちずで熟しきっていないけども、半分に割って、真綿でくるんだような中央部の中身をグラスに注ぐというか、かき出し、麦焼酎とあわせると濃い酸味にくるまれた酒になる。さほど美味いワケでもないし、小粒な種までがグラス入りだけども、ま〜、その独特な風味、南洋的酸味がちな滋味を我が舌がおぼえるというのは、悪くない。クリクリッと指でかき混ぜてゴックンしちゃえば、イイ。

ボルヘス

 その昔、大の大人が土地転がしに奔走してバブリ~な頃、知りあいの県職員が書類一枚携えて、朝一の飛行機で岡山空港から千歳だか札幌に飛び、ロビーで先方の職員と待ち合わせ、書類を渡すと次の岡山行きで飛んで帰り、昼ご飯は岡山で職場の同僚らと食べたけど、北海道へ行ってスグ帰ってきた事は彼の上司しか知らないという、まこと忙しなく、はなはだ税金無駄遣いな実話があって本人からそれ聞いてめんくらったコトがあったけど……、なんかその記憶に触発されたのかどうかは知らないけど、夢の中、やはり飛行機で北海道に行き、模型の工作道具が入ったバッグを提げてタラップを降りて、誰かと会ったら、

「誰でも出来る仕事なんですけど、いや~はるばるお越しいただき、ありがとうございます」

 そういうもんだったから、カチ~ンと来て、踵を返し、タラップをあがって飛行機に戻り、ちょうど客席に出てきたパイロットに、

「運転手さん、岡山にやってよ」

 また機上のヒトになるんだった。

 夢はそのあと、さらにオモチロク展開し、機内で祈とう師みたいな格好の老婆に声がけられ、特別室のような所に連れてかれて、

「先生っ、よろしくお願いします」

 なにやら特殊な弾丸の中に黄色い毒薬を詰める作業をして、老婆を喜ばせて感謝されるのだった……。

 夢とはいえ、金属の治具が実にリアルで、溶けた黄色い液からあがる煙とかの充満っぷりも良く描写され、窓には換気扇が廻ってるんだった、飛行機なのに。

 

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 こういう夢を見るのは、タ・ノ・シ・イ。

 ホントはエロっぽいのを見たいけど、たいがい見せてくれないのは、ボクが真面目なヒトだからだろう。

 

 てなコトもあって、ボルヘスの『夢本』をチラッと、読む。

 ケッタイな展開が載ってる。でも、さほど面白いとは思わない。

 ヒトさまの紡ぐ夢より、自分の夢の方が面白いからかも知れない。

 けども、自分の夢はいつだって未完だし、すべてを憶えてるワケもなく、あくまで断片。

 ボルヘスのは断片といえば断片だけども、「物語」のカタチに向かって収束してる。あるいは収斂してる。不完全でない。

 ま~、そのあたりが本の本たるポイント、夢みたままじゃ~”作品”にならない。

 映画同様、そこに編集がなきゃダメだろうし、あるいは模型同様、ただ貼ってくだけじゃダメだろう。

 そういう事を読み取れたら、良し。

 

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 やはりその昔、模型イベントで東京出張し、帰りの新幹線の中で甘い泥のような眠りに落ちてケッタイな夢を食み、フト目覚めて数秒、自分が新幹線の中にいるコトを見失い、

「えっ? あれ?」

 むしろ、その現実が夢の中みたいな思いになったコトがあって、そのさいの夢なんぞはもう忘れちまったけど、目覚めた途端の、

「あれ? ここどこ?」

 迷妄した感触は今も忘れない。むしろ、その瞬時の混乱こそが面白いし、ボルヘスもそこを咄の芯に入れてる。

 

 本日は夕刻より某委員会の会合だけど、同時刻はちょっと用あって出席出来ず。

 でもガンバッて、会合後の奉還町の飲み会にゃ~参加しようと調整中。馴染んだ店でチャカポコなごむのはメッポウ好き。そういう席でのハナシは常にアッチャやコッチャにヨタヨタ飛ぶんだけど、断片のその飛びっぷりも好き。ま〜、ヨタバナシっていうくらいだもんニャ。

悠々として急げ

 6~7年前、ちょうどこんなシーズンの頃には手作業ワークを中断し、自転車に乗って1時間か2時間、スポーツというほどではない運動をやって軽度に汗をかき、自転車に乗らない日が生じると、何やら身体に悪いよ~な気がしたもんだけど、今はそんな気配もない。

 自転車に乗らなくなって久しく、自転車を愛でる感じも薄い。

 かなりの頻度で、龍丿口山の外周をめぐり、環太平洋大学のキャンバスのある山の東端から北上し、坂道にヒ~ヒ~喘いで登りきって下り、大原橋で旭川を渡り、玉柏方面から南下してまた旭川を渡って旭川荘界隈に出て、そこから自宅方面に戻ってくというようなコトをやってたのだけども、今はもう遠い。

 だから当然に身体もナマッてるんだけど、しかたない。

 

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 その自転車道であった近所の用水路脇の家に人がいなくなり、荒れるままに、だけど庭木だけは伸び放題。柿がおごって道をふさいでた。

 その色合いに静かな秋を感じても、むろん、取って喰うわけもない。

 

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 近ごろはイットキほどにモノが食べられない。

 カップ麺なんぞは、ほぼ完食できずでたいがい1/3くらい、残る。

 10年前なら、カップ麺にさらに食パン2枚バター(ホントはマーガリンですけど)たっぷりね~、が常態であったのに。

 なので、食が細くなってることに衝撃し、ホンマかいなとちょっと野蛮を起こして、チーズたっぷりのと、ツナとポテトチップをマヨネーズで和えたのを焼いたパンに加えて、シーフードなカップ麺(ただし小さいサイズ)にトライしてみたりするんだった。

 むろん、ビールだか発泡酒は必需ね。

 

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 結果はシーフード麺のみが残り、食が細くなったんじゃなくカップ麺を好もしく感じられなくなってるんかな……、とニワカに結論するんだったけど、ま~、これもしかたない。

 いつまでも若くないのを自覚するのみ。

 

 次講演にからんで、昔の災害のコトを記した資料にあたってたら、ファイルの中から新聞の切り抜きが出てきた。

 16年前の記事。

「あれ? こんな所に」

 ってなアンバイでメンくらったものの、ちょっと懐かしくもある。

 

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「なんで、劇団員でもないおまえさんが背後に写ってるんだぁ?」

 仲間内からヒナンされて、内心大いに笑った写真じゃ~あった。

 

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 そっか、まだこの頃は短髪だったか……、と自分の容貌の変化っぷりを今は思うけど、ボクがチョイスした写真であるワケもない。記者が何10枚も撮った写真の中これが選ばれたというに過ぎない。

 では、なんでボクは芝居の稽古場にその時、いたのか?

 そこを思い返そうとしたけど、不思議と記憶がない。

 

 福子さんとは先週だかにバーで飲み、ちょっとした仕事を頼まれた。

 車椅子生活になった今も彼女は果敢。

 だから、良いタイミングでこの記事の切り抜きが出てきたもんだ……、符合めいた感触もおぼえるんだったけど、今月来月は自分のワークで手いっぱい。彼女へのヘルプワークは次年度かなぁ。

 急ぎ協力したい気も山々じゃ~あるけど、しかたない。

 

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 開高健はそのあたりの心情を、

『悠々として急げ』

 うまく云い顕わしてたなぁ。

 “悠々”と”急ぎ”は矛盾するのだけど、矛盾は矛盾のままに悠々とし、かつ、急げや……、のアンバイの勾配指数が高くって、この一語、ずいぶんに好き。

 

 

秋の日差し

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 連打みたに大雨やら暴風の被害だらけだった近ごろとはいえ、それでも気づくと、秋だ。

 夜ともなればもう寒いし、朝の3時頃には南天に冬の星座のオリオンが静かにのぼって「冬来りなば」の気配ありありだけど、でも日中は、青い空が広がり暑すぎず寒すぎず、湿度も快適、ごく柔らかな風と陽光が心地よい日もある。

 さすがにこれは気持ちいい。

 近所のスーパーのベンチにすわり、日差しを浴びてると、そのまま昼寝しちゃいたいような淡い気分になれる。

 

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 ランチにチキンライス。どこぞのメーカーの冷凍食品。グリンピースが妙に無味だし、全体の食感がベチャ~なのが残念ながら、熱々のパンプキンスープで流し込むとそれなり至福。

 チキンライスは2年ぶりくらいか? とても好みというワケでもないけど、生まれて初めての外食として記憶に残る。小学1年くらいか? 母方の実家のそばの洋食屋さんで食べ、グリンピースが何だか特別な宝石のような気がしたのを憶えてる。

 舌は記憶をまさぐり、その再現をば求める。なので緑色の豆粒が念頭に浮き、かつて知覚したであろう味覚とのギャップを残念がらせる。

 

 至福の〆めはお昼寝だ。午後の甘睡ほどイイものはない。これを怠惰と云っちゃ~いけない。ベッドに潜り込み、フトンに我が体温を移してヌクヌクするやトロトロ弛緩、たちまちグ~ス~ピ~。

 

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 夕食にサンマ。秋だもん。サンマ漁獲量は記録的に減ってるらしいし、事実この日買った北海道産も痩せているとは云えないけども肥えてはいなくって、海の異変を心配はするけれど、サンマはサンマだ、ご飯がうまい。

 焼けた頃合いでパチリしたけど、あんまり旨そうに撮れないね。

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 しかし、秋刀魚と書いてサンマと読ませた昔の人の感覚のとんがりが眩いね~。

 当然にこれは刀の輝きを被せてるワケだけど、刀の煌めきは陽光に照り返ったものであったはず。ロウソクの炎の元で眺める輝きじゃ~ない。部分でなく刀身そのものが光ってるわけだ。

 ベチャっといえばただの相似だけど、太陽光を意識した上に季語たるを頭にのっけたことで、この魚イメージの背筋をシャキ~ンと伸ばせてらぁ。

 季語をふくめ今は昔のように季節の変わりに応じたケジメが薄れ、10月1日で一斉に衣替えしちゃって町ゆく人の景観が夏の白から黒に変わるというコトもなく、この11月になってもまだ短パンにTシャツの人もいれば、早やもう厚着っぽい人もいて多様。べつだんイケナイことでもないけど、衣替えみたいな慣習とケジメの両極での揺れが感じられて、ま~、おもしろいといえばオモシロイ。

 

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 面白いといえば……、夕食後に明治期の古写真を何枚かみつくろい、とある作業に使えそうなのを物色してスキャニングしたのだけど、明治20年代頃の街路ではパラソルさした人物がやたら写りこむようになる。

 それがオモシロイ。

 ちょうどその時期に岡山に出来つつあった表町商店街の、当時の店舗別の一覧が現存してるんだけど、傘を扱う店がやたら多いんだ。それとピッタリ符合するからオモシロイ。

 傘というのは洋傘だ。雨天用もあれば日差しをさえぎる日中用もある。その日傘が明治期の大きなブームだ。あちゃらの模倣とはいえ新たなファッション・スタイルだにゃ。鯔背(いなせ)や粋(いき)を好む日本的特質に日傘という小道具は、ケッコ~共振できる数寄であったんだな……

 なので、いい若い男が日傘持ってたりしてるワケだ。微笑ましいといえば微笑ましい。

次の講演ご案内

 前回に吾妻ひでおの事を書いて数日後、某所某BAR にてEっちゃんから、

「『失踪日記』、おまいさんに貸した本じゃん」

 そう云われたんだった。

「へっ?」

「マジ?」

「うっそ~」

「ぇぇえええっ?!」

 困惑4連打。というかコンニャク踏んで滑ったというか、またまたまた……、彼女からの借り物だったんかぁァ~ん。

 記憶の自信がひっくり返る自身に直面させられたんだった。

 けど、ど~もそうらしい。借りて読んだ末に借りたコタ~忘れ、いつのまにやら自分で勝った本と思うてたらしい。

 だから、ノ~ノ~とこの『月のひつじ』に記してたんだけど……。

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 それで、なにやら、孫悟空を思い出すのだった。

 放蕩の末、觔斗雲にのって何万キロも移動して、もうココまではお釈迦さんも追送してこないだろうとニッタリ笑ったら、雲間から釈迦の手がニュッと出てきて鷲掴まれてギョッ。

 逃走したと思いきや何ぁ~んのコタァない、釈迦の手の中にいる自身を知らされるという、あの悟空陥落談……。

『阿房列車』の件といい、こたびといい、まるでそれでは読んだ本は皆な、Eっちゃん経由、あたかも彼女のテノヒラの中の出来事みたいではあるまいか。自身に向けて懐疑な情がわく。

 

 ともあれやむなしヤム茶にナンで胃がもたれてしかたなし。

「まいった、まいった」

 借りてたとわかった以上、お返しするのがマナ~というもんだわい。ほとぼり冷めて、Eっちゃん老いぼれ歯抜けに腑抜けになった頃合いにリボンをつけて返してあげて、

「え、これって私の本?」

 そう云わせてみようと、真剣に思った某日のBAR。

 

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 次講演のフライヤーがあがって来た。

 タイトルは『岡山木材史 part.2』。

 前回の続きという位置づけで、前回と同じく岡山中央図書館前館長の大塚利昭氏との共演。

 また面白い話が出来ると思う。

 

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 ぼくは例によって、明治の娯楽施設『亜公園』を話す。

 同園は明治25年の3月に開業するが、オープンと同時に押すな押すなの大盛況。

 当時、中四国最大かつ独自な施設でもあって、前年に開通したばかりの山陽鐵道(現山陽本線で姫路方面からも客がワンサカ来た。

 山陽鐵道はさらに西へ西へと、『亜公園』が開業した頃は尾道-三原間の工事が進み、鉄路はドンドン延びていた。なので『亜公園』へは福山方面からも人がやって来た。

 話題が話題を呼んでの人だかり。岡山市民は愛を込めて、『あほう園』と呼んだりもした。

 

 けども、その開業の年、オープンして4ヶ月め、岡山市は大水害に見舞われた。

 台風だよ。それも大型。

 県内河川はいずれも増水。

 足守川(あしもりがわ)が決壊。足守地区では10数名が溺死。

 県内の2大河川たる旭川・吉井川は6mも増水した。

 旭川の増水時に水を逃がす仕組みとして江戸時代にでき上がってた百間川も4m増水。これが砂川と合流するあたりで決壊。現在の可知(かち・地名)あたりや幡多地域、東岡山から上道(じょうどう)(当時)にかけて一面が浸水し、死者が11名でた。

 岡山市内を流れる旭川は、百間川への水迂回で何とかしのいでいたものの、風強まり雨やまずで遂に、亜公園近くの石関町と下出石町の堤防が相次いで決壊。ついで、上手の南方(みなみがた・地名)と北方(きたがた・地名)の3ヶ所が決壊。

 一挙に濁流が市内を襲った。

 も~、ひっちゃかめっちゃか……。深い場所で1階の軒の上あたり、浅くても床上1mという状況。

 市内95戸が流壊。半壊140戸。床上浸水6千余戸。当時の市内は非常に狭く、津高や御野(みの)、牧山あたりは市内に入らないから、この被害数にカウントされてない。

(県下木全域での全壊3188戸・半壊2221戸・死者74名。御野や牧山界隈では25名が亡くなった)

 えらいコトになったぞというワケで、亜公園見学どころじゃ~ない。

 

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 こたびの講演では、水害が「亜公園」にもたらした影響をば、話す予定。

 知ってる人は知ってようが、実はこの大災害時、コトもあろうにあの夏目金之助岡山市内にいて、これまたエライ目ぇ~に遭ってるんだ。後の漱石先生ですな。

 一歩間違えば彼とて存命していなかったホドの危機。そのコトにも、講演では触れる(かもしれない)

 いうまでもなく暗ぁ〜い話をしたいワケじゃない。”木材史”という括りの中、かつて川は重要な”道路”であって、川がもたらした恩恵もタップリ話すことにもなるでしょう。ちなみに『亜公園』を創ったのは木材商。明治の木材商にとって川はチョ〜大事な、いわば血管でもあって……。

 

 期日は12月15日の日曜。午後2時から(開場は1時半)。場所は岡山シティミュージアム4F。

 詳報告知は、また後日に。フライヤーは公民館を含めて岡山市内の公共施設などで入手可。

 

吾妻ひでおとモスラ饅頭

先日夕刻、Eっちゃんから吾妻ひでおが亡くなったという速報を聞いて、

「えっ!」

 絶句したのだった。

 けどしかし、打ちのめされるようでも、悲嘆の激情が沸きあがってくるようなものでもなかった。

 数分後には、妙に淡々とし、亡くなった事実は事実として受け入れつつも、アタマの中の吾妻ひでおは永遠に消失しないであろうと確信して、なんだか納得したりもして合掌した。

 

 久しぶりに彼の『失踪日記』を引っ張り出し、巻頭のあたりを再読。

 失踪していた頃の詳細、あのホームレス生活を、こうも明るく描ける才能の方向性にあらてめて感心するのだったけど、吾妻ひでおの絵は吾妻ひでお自身を救済し続けたという感想が始終湧いて離れない。

 

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 その昔、ぼくが模型業界入りしてちょっと経った頃、東宝映像から限定版権とって、『モスラ饅頭』というのを販売した。イベント用に造った白餡の饅頭で、総社の◎◎◎屋という和菓子屋さんで製造してもらった。

 表面に薄く餅があり、これでカタチを成型していた。

 1986年7月号の『S-Fマガジン』で吾妻ひでお野阿梓が、『モスラ饅頭』を取り上げてくれたことがある。

 吾妻と我が接点は唯一、その記事とイラストでしかないのだけども、それだけのコトゆえに逆にいつまでも糸が切れないんだった。彼の絵に足はないけど、饅頭にはチョボチョボっと複数の足が造形されていた。そこは餡が入らず餅だけだからモチモチしてた。

 

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 記事ゆえにか、しばらくは通販で饅頭を求める人が続き、郵便為替や現金書留でもって代金が送られてきたりした。仕方ない……。そのたびに総社の和菓子屋さんに連絡し、ごく少量を造ってもらい、バイクに乗れるスタッフにわざわざ取りに出向いてもらったりした。

 たしか、8ケ単位で造ってもらい、それを1パックにして、ケッタイな”取り扱い説明書”付きで販売したと思う。

 和菓子屋さんは手で捏ねて造る。だから1つ1つ顔が違い、眼の位置や足の位置が変わり、愛嬌があって、正直を申せばモスラには遠いカタチなのだったけど、ぼくが関係した模したカタチとしての”模型”の中、唯一、あま~~い作品だったから、接着剤はいらないけどお茶は必需だった。写真を撮ってるハズだけど、もう容易に探せない。

 昭和36年公開の『モスラ』第1作めを製作中の東宝撮影所で、「モスラ幕の内」だか「モスラ弁当」というのが撮影スタッフに配布されたという事実があって、それなら饅頭も有りじゃな、という単純な発想でのものじゃ~あったけど、今となっては懐かしい。モスラ幼虫はこの作品以外の登場では茶色なコロネって感じになりさがったけど、第1作めモスラのみは蚕(かいこ)がイメージされて典雅にして神々しく、これは白餡と餅でヒョ〜ゲンするっきゃ〜なかった。

 

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 吾妻ひでおの絵は、温度がいつも一定で、顧みりみるに、熱すぎず、醒めすぎずで、そこが良かったんだと気づかされる。ちょっと独特にぬくもるんだね。

 いま、うちの庭ではパッションフルーツに幾つも実がなって成長してるけど、意外やこの植物、南洋産のクセに、熱さを嫌う。植物の本にも30度を越えると高温障害をおこすとある。

 なるほど盛夏の頃、パッションフルーツは期待を裏切ってさほどに成長せずでグリーン・カーテンの役割をはたしてくれないのだけども、10月半ば頃からグイグイ育ってツルを伸ばし、葉を繁らせ、でもって気づくと幾つも丸っこい実をつけてるというアンバイ……。

 

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 そこいらに、なにやら吾妻ひでおの絵の熱量が思いかえされるような気がしないでもない。ちょいと外しつつも、おのが道・おのがスタイルをば維持するというワケだ。

 パッションフルーツの実は意外と大きいけど、重さはない。呆気にとらるほど軽い。

 けども果肉というかお汁は独特で他にない妙味。

 吾妻ひでおが自身で置いたポジションと似ていなくも、ない。