「水戸黄門(60)」やら「火天の城」やら

 昨日15日の講演は無事終了。

 予想していたけど、やはりパート2というタイトルをつけると、映画でもそうだけど……、観客動員数が減りますなぁ(苦笑)。

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 第2部トーク中の大塚氏をステージ側よりパチリ。

 かつて道路も鉄路も整備されてない明治以前の時代、岡山県北の勝山からは同じ県北の津山方面に木材を運送できず、筏に組んで旭川をくだり、瀬戸内海に出て、今度は吉井川を登ってやっと津山に運び入れ、それで津山城を造ったという、実に信じ難いような実話など……、メチャに面白かったですニャ。

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              打ち上げで喰って呑んで……

 映画のパート2と書いたんで、備忘としてついでに書いとくが……、講演の前夜を含め数日どっぷり、日本映画をば続けて観てた。

 かねてより好感持ってた1960年の『水戸黄門』がamazon primeでまた観られるようになってるもんだから、この機会を逃しちゃいけね~、前半部で木材商の仕事場が出てくるのを再見したかった。

 なぜかこの映画はDVDで市販されてない。だからと……、見ちゃったら、ちょっとブリがついた。講演前ではあるし、講演題目の木材がらみでの目線を意識的に働かせての観賞じゃ~あったけど、感ずるところ大なりだった。

 ちょいと感想をば羅列しておこう。

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         上4枚、『水戸黄門』の巨大セットと多数の役者での能。ただもう圧巻。
 

水戸黄門1960

 とにかく圧倒される名品。時代劇を1本選べといわれたら、黒澤の『七人の侍』かこれのどちらか。黒澤のリアリズムではない別次元なリアリズムに充ち満ちてアッケにとられる。

 役者がいい。セットがすごい。セリフはすべて古風な言い回しでヒアリングするに難しい。この3要素がからんで別次元リアルが生じてる。

 なによりこの黄門さんは印籠出したりしない。最後まで身元を証さないのがヨロシイ。

 若い中村錦之助扮する火消しの四郎吉が月形竜之介の黄門さんを、

「てめ~この爺いッ」

 殴りつけるところなんぞも明るく笑えて素晴らしいし、熊本方面(?)のローカル言語の大友柳太郎がまたすごい。悠々、豪快、爽快、天晴、絢爛……、そういう単語が常に点滅明滅して飽きるところがないんだから、すごすぎ。

 画面上では数分のシーンなのに、巻頭での町が燃えるシーン、木材商の職場のセット、江戸城内での能舞台のセット、などなど圧巻に次ぐ圧巻。「マジかよ?」と感嘆のため息がこぼれ続ける。

 ブルーレイなりDVDなりで、なぜに販売しないんだろ東映は?

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         カメラはパンしてさらに多数の木材と職人が映る

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    水路の筏、橋向こうの干されている木材……、素晴らしい描写の連打に見惚れる

 

火天の城』 2009

 安土城築城のハナシというので既に原作はだいぶんと前に読んでたけど、映画はさて? とこれまたamazon prime

 西田敏行の主人公や良し。椎名桔平の信長も悪くない。今やれいわ新撰組でしっかり時のヒトである山本太郎の鍛えあげられた上半身も素晴らしい。CGでの安土の山が次第に城郭になっていく様相も良い。エキストラもけっこう使い、重厚さもある。

 けど反対に、ダメ部分もいっぱい。

 戦国さなかの時代というに、信長配下の武士どもが江戸時代後半のサラリーマン化した役所仕事の連中にしか思えない描写にはガックリ。信長という希有な個性の配下の者どもがサラリーマンであろうハズがない。

 秀吉役の河本準一はまったく意味ないミスキャスト。

 主人公の娘(原作では男子だ)の描写にはゲッソリ。福田沙紀扮するこの娘だけが宙に浮き、登場シーンごとに映画が壊れてく。福田沙紀が悪いんじゃなく、この娘のキャラクター造りがひどすぎ。方言活用なし。今どきの髪形でオマケに付け睫毛。「男子に産まれりゃよかった」と嘆かせつつも着物は映画内イチバンにかわゆく女っぽく着させ、さらに糊がきいたみたいに綺麗過ぎ。これはたぶん、映画出資にイオン化粧品が入ってる関係上とは思われるけど、綺麗キレイが逆効果の噴飯腐臭もの……。

 この娘が好いていた死んだはずの若者がクライマックスに突如現れる脚本のエエ加減さには、怒りを越えてただ失笑。

 原作は原作、映画は映画。あくまで別なものだし、原作から何を引っ張り、何を

捨てるかで映画の厚み加減が知れるけれど、この映画脚本はひどく浅くすごく醜い。

 下のスチールみたいに良いシーンも散見するけれど、別脚本家+別監督で是非に再映画化してもらいたいねッ、題材が面白いんだから。

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関ヶ原』 2017

 原田眞人作品。映画館で観たさいにはストーリーを追っかけるのに懸命で、味わうというには遠かった。DVD購入後も観ずに過ごしてたけど、今回チラリ前半のみ。

 原田は観客に媚を売らない。特にセリフは極力に天然に聴かせようとする。一言一句すべては聞き取れない。だから良い。実際の我々の生活だって、しゃべってる相手の言葉すべてを聞き取っちゃ~いないんだ。ましてや東軍西軍いりまじり全国からヒトが集結なんだから国言葉、方言がとっ散らかって当然。

 木材にからむ題材じゃ~ないけど、関ヶ原の戦の混乱、その判りにくさを映像に定着させた稀な作品とボクは解釈する。要は観終えて、「判りにくい」と思えたらいいのだ。

 チラッと登場の、キムラ緑子扮するネネ(北政所)の早口方言が秀逸。そのわめくような高速な流れに、原田流のネネ像を見、愉しんじゃえばいい。座してジャジャジャっとしゃべくるだけに見せる彼女がある意味で関ヶ原の勝者……。

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梟の城』 1999

 今年の4月だかに福山に出向いたさい、「みろくの里」で久しぶりにこの映画のミニチュア・セットの城を再見。けっこう壊れてたんで哀愁をおぼえたけど……、こたび映画もついでダ~とDVDで再見。

 ケッタイな効果音を大袈裟に用いる篠田監督の老いっぷりが痛々しいが、忍者が大阪城の屋根で対峙するシーンのCGは、いいなぁ。CGのくせに屋根瓦の1枚1枚に躍動感がある。

 しかし、フフフ。やはり、何を演じても中井貴一。役になりきっていようが、いまいが、どこまで追っても中井貴一でしかないこの特異な役者が、あんがいボクは好きな方。中井貴一こちらでも言及

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 『壬生義士伝』2003 

 amazon prime で観る。新撰組のハナシ。主役は中井貴一だからフフフ。あんのじょう、中井貴一中井貴一。この中井扮する主人公を嫌いつつもその人格にうたれる佐藤浩市がすこぶる良い。木材とはまったく関係ない映画だし、個人的には新撰組って好みじゃないけども、京の都で暗躍した組の1部のヒトは明治になっても生きていて、その過去を引きずりながら晩年を過ごしている様相が佐藤浩市を通じて描かれ、けっこ~感慨深い。お江戸の時代から明治への大転換の悲哀が佐藤浩市の眼と肩のあたりで舞っていて、そこを感ずるとちょっと批判できない良性の何かが観終えても残る。

 ぁあ、でも主人公(中井)の死に至るシーンはひっぱり過ぎでダレダレ。

 あぁ、けど夏川結衣が2役演じてもいて、そこは文句なし。このヒトのふっくら笑顔には批判の余地なし。

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写真が反転してるワケじゃない。佐藤演じるのは左ききという設定ゆえに刀の位置が反対なだけ。

 

 って~~な次第で、講演の直前まで時代劇特集で眼を養っていたのでありんしたァ。

日曜は講演です

 さぁ~て、次の日曜は岡山シティミュージアムで講演です。

 聴きに来て下さいね。(苦笑)

 

◎ 『明治大正昭和  岡山木材史 part.2』

◎ 12月15日(日曜) 午後14時~16時 (開場13時半)

◎ 岡山シティミュージアム 4F

◎ 入場無料   

  主催:岡山シティミュージアム/古写真DB委員会

  後援:山陽新聞社 / RSK山陽放送

 

 

 2部構成。その第1部を受け持ちます。

 明治時代半ばに岡山に登場した複合娯楽施設「亜公園」の魅力をお話すると同時に、その開業年、オープンして4ケ月めの7月に襲来したでっかい台風がもたらした影響をばを、見てきたかのように語ります。

 ま~、その”見てきたような”、というのが大事なポイントでオモシロイところなんです。

 かつて司馬遼太郎は『見るということ』で、資料を読み込み、実際に現地に出向き、昔とまったく景観が変わった現地で受ける感慨の中から考察するという手順を通じての、”作品としてへの昇華”を語ってましたが、要は、歴史というのは誰かが何らかのカタチで語らない事には「歴史」にはならないのですね。

 1892年(明治25) 岡山で水害

 これだけじゃ~、歴史とは云えず、ただの史実です。が、誰かがそれを具体に語って初めて「歴史」のその「ひとこま」というのが生じるんですなぁ。

 もちろんそこには、語るヒトの気分が反映し、一歩間違えると”捏造”という、語るヒトの都合良い嘘が入り込む危険があるのですけども……、ま~、「亜公園」については嘘を塗りこめなきゃいけないような政治的思惑は入りません。明治の娯楽施設だった同園のことを嘘で固める必然も何もあったもんじゃ~ない(苦笑)。

 

 けどもま~、話すにあたっては当然に考察したコトも交えなきゃいけません。開業後の数ヶ月めに大きな台風が来て、さぁ、そのさなかは? その後どうした? どうなった? という処での若干の想像は許されてしかるべきなことだろうと思います。

 その想像の補いとして、今回は初めて、模型写真にCG加工するという手法もまみえさせます。

 学術として亜公園をお話したいのではなく、リアルな感触としての明治時代のひとこまを味わってもらいたいがための手法です。

 どのように皆さんのお眼に映えるか、そこが興味シンシンでありまして、講演後にお声がけ下されば大いに幸いに思います。

 

 今月5日にマドリードで「国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議(COP25)」が開催され、日本が災害の大きい国第1位(2位はフィリピン)という嬉しくないお墨付きを頂戴しましたけど、さかのぼること明治の時代もまた今同様、てんでわやな災害が立て続いてようで……、ナンギですなぁ。

 

 第2部では元岡山市中央図書館館長の大塚氏が、かつて「道路」でもあった旭川のことを話されます。何度か打ち合わせてるさなかに聴きましたが、イカダでの物流は実にまったく大変であったようで、聴いて、「うっそ~、マジ~?!」ってな事も多々で、こりゃ~とっても面白いですよぅん。

 

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コメット後談

 だいたい、たいがい、おおむね、この世の中、自分が思った通りにゃコトが進まない。

 中にはカッカッと大笑いな快勝楽勝快進撃もあるけれど、「やったぁ!」と「あじゃぱ~」の分量を天秤にかけると、「あじゃぱ~」が多い。

 5日前に記した「コメットを室内へ」もそうさ。

 

1 庭池の水漏れを治そうとしてセメント塗り塗り

結果 - まだ漏れてまする……。思ってた場所と違う所に穴ありか?

 

2 イジメたコメットといじめられたコメットを1つ水槽に入れ、どうせまたヒドイことになろうかと、水槽内を二分する仕切り板みたいなのを密かに手作りしていたものの……

結果 - 過去のイジメ・イジメられはなかったように仲良く混泳してごじゃる

 

 2の場合は、結果オ~ライでいえば申し分ないコトなんじゃあろうし、仲よきことは良きことかなハッハッハ~、でハッピー安堵したけど、むしろ拍子抜けたというか、セパレーターを準備するなどしたこちらの気構えが、なにやら空中消失させられたみたいな、不満に近い、妙な心持ちになるんだった。

 

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 1の場合は、パンクした自転車のタイヤ・チューブをお水につけて、プクプクが生じた箇所をばヤッツケりゃ済むというワケでない。穴空き箇所が特定できないんだから、これは気分よくない……、思った通りにコトが進んでないワケなんで。

 ま~、そこをポジティブに考え、少なくとも、穴空き候補の1つは埋めたワケだから~、また後日に別穴をば探しゃ~イイやん、どうせ来年春までは池に魚はいないんだからヨ~。気分を転換するっきゃ~ない。

 しかしまた同時に、そうやって気分換えしなきゃ~イカンところが、いかん。

 気分換えにもそれなりのエネルギーというかカロリーというかが、消費されるわけで。

 わずらわしい、ねぇ~。

 ぁあ、でも、そのわずらわしい気分やらが堆積してニンゲンの骨格を造ってるんだろうし、やはり明るい方向に向いてソレを思えば、こういうのを含めて「人生は愉しきかな」なんて一語で括った方が結果は得じゃろね。ヘッ。

 

 で、今ヒョイっと、流れ星の煌めきみたいに1つ、思いが飛んでったんで書いておくけど、庭池を構成してる石というか岩のどれかが……、実は劣化してる可能性もナイことはないんじゃなかろうか。

 砂岩に泥岩、礫岩、花崗岩玄武岩と、石も色々。

 うちの庭池は拾ってきたり貰ったものやらで寄せ集めた石で構成しただけの代物だ。どれが砂岩だか花崗岩だかよく判じないけども、その内のどれかが骨密度が低くなった老人みたいに、もろくなってるんじゃなかろうか?

 それが水を吸うというか、水を逃がしてるというか……、いや、もしそうであるなら、答えを得たようで何やら喜ばしいじゃないか。水位が下る現象を説明出来るワケだ。

 が~、そうであれば、どうすりゃイイのよ、という新たなモンダイも出てきちゃう。どの岩が老化していて水を喰ってるんだか特定できない。いっそ全部まとめてセメント塗ったくってしまえ~、というような乱暴なことになるし、セメントの池なんてツマランし。

 

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 ま~、現状で困るわけもなし。減った水は足せばいいだけの、ハ・ナ・シ。

 むしろいっそ、こういう事になると、池の囲いとなって50年ほど経った岩の数々の、その生誕から現在までのなが~~い時間を考えたりもする。

 いずれの石も数千年数万年あるいは数億年をかけて塊ったものだろうと思えば、石というのはとんでもなく長寿な存在とあらためて知れる。

 なので。その余生として庭池の一部と化して過ごしているのは、はたして幸か不幸か、

「思い通りにゃイカンもんだわい」

 と、石とて呟いてる気がしないでもないけど、はたして今が石にとっての余生なのかどうかは、疑問あるところだろう。なるほど今はコンクリートとセメントで固定されて逃げ出せないけど、

「いやいや、まだまだこれから……」

 いずれまた自由を勝ち取って1000年先のどこかの地表で日差しを浴びる意思を、石は持ってるかも知れないしぃ。

 

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 余談次いでだけど、庭池で1年過ごしたコメットと水槽内でヌクヌク良い環境で育ったコメットは当然に水槽内でのヤツがでっかくなってると思ってたけど、違ってた。

 庭池の自然環境に生息してたヤツらの方が2倍、でっけ~の。

 エサ量も水槽の方が多かったはずだけど……、これはどうしたこっちゃ?

 遊泳出来る空間が大きい方が、すなわち運動量を発揮できる場所の方が、背丈を伸ばせるに都合良いというコトかしらん。ちょいと意外。

 

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 ならば、岡山・後楽園の鯉を全部クビにして、金魚をあの広大な空間に放してやりゃ~、数年で全長40cm越えな超デッケ~のになるんかしら?

 いや確かね、NHKだかのネコの番組でオランダかどこかの池に金魚がいて、やたらデッカイの。マジかよってくらいに。それをネコが狙ってるというのを観たような気がする。

 日本庭園といえば鯉が相場じゃあるけど、巨大金魚が何千匹もいるお庭って~のも、ま~、悪くないな

 

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コメットを室内に

 明日より12月。「やっと12月か」と思うヒトと、「もう12月かよ~」と思うヒトに二分されるはずだけど、ぼくは後者。

 

 庭池のコメットはここ3週間ほどのうちに、動きが緩慢、エサの食いつきも悪くなり、まったく浮上せずで、池底にうずくまって姿を見せない。

 かじかんだ指先にフ~フ~息を吐きかけるコトも出来ずで、冷水に耐えるしかない。

 元より金魚という種族は冬の寒さに耐えるだけのチカラはあるし、事実、過去何10年の庭池の経過をみると、氷がはっても死んじゃったヤツはいない。

 知ってるヒトは知ってようが金魚は状況に応じて冬眠出来る特性を備える。

 とはいえ、当方が知るそれは和金の話。金魚すくいですくう程度な安い金魚ほど、あんがい耐寒性あり。一方コメットという種類はどこまでガンバレるのか、まったく未知数……。

 

 どういう背景がある魚なのかと、古い金魚飼育の本を探ってみると、昭和38年の『金魚』という本に、新しい種類として記載があるから、ま~、その頃1960年代に登場してきたのだろう。

 日本から輸出されたヒラヒラとして愛らしいリュウキンが米国で繁殖されていく中、”強壮”なのが選別されていき、やや先祖返りしたフナのカタチに長い尾ひれという個体が出てきて、なぜか米国人はこれを好いた。

 で、コメットという名がついて、飼育種として今度は米国から日本に輸入させたという経緯があるようだ。

 そういう”選別”の中をかいくぐって来たからか、気性は強い。強いというより荒い。仲間蹴散らし、弱いヤツは徹底的にイジメ抜く。

 

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         イジメにあってミニ水槽で育つ1匹。カメラ目線。

 

 外見の優美さと裏腹、なにやらいかにもな「アメリカンな仕様」が根ッコに潜んでるワケだ。

 その頃の脆弱な英国の車や日本の車でなく、燃費無視でバカ強いパワーを発揮のフォードやムスタングご同様に、米国の金魚ワールドもその嗜好が知れてオモシロイ。

 そんなヤツらだけども、リュウキンや和金同様に庭池で越冬出来るかどうかが、わからない。

 放置してこの冬をのりきるかどうかを見極めてもいいけど、どうも気がひける……。

 それで、パッションフルーツみたいに越冬のため室内に入れてやることにした。

 こういうのを軟弱というのか、気兼ねというか、優しさというか、思いやりというかは、よく判らんけど、ま~、イイのだ。そういう心情が萌えるのが「アメリカン仕様でないボク」を立証する手がかりだったりすればイイのだ。

 

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 で、注文していた水槽が届いたので、数日費やし、庭池の金魚コメットを屋外から室内に入れてやる作業をば、黙々と。

 

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 作業にはもう1つ理由があって、庭池は石組みなのだけど、石と石の狭間のコンクリートで固めた部分が、近年あいついだ地震やらで接着面にヒビが入り、そこに植物の根が浸透し、この夏、ついに突き破って根を池の中に伸ばしてら。

 植物の強靭さを勉強できる良い機会になったけど、庭池に穴が開いたワケでもあり、よってそこからお水が出てっちゃう。

 

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 底の方でなく、やや上側あたりだから、流出しきるようなコトではないけども、こりゃヨロシクない。

 そこでいったん水を全部抜いて、穴あき部分にセメントを詰めて補習という次第。セメントやコンクリートを用いたら1~2週間ほどは害あって魚は生息できないから、その補習チャンスが今という、いわば一石二鳥の工作……。

 

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      セメントで固めて外作業完了。今冬は魚なしの池と化す

 

 さて室内。コメットは18度が快適水温ということだから、ヒーターもセット。熱帯魚の26度に比べりゃズイブン低いが、庭池0度環境に比べりゃメッチャ、ぬっくい。

 水槽サイズに見合った底砂も新たに買ってきて、いささかの過保護仕様。

 ま~、このさいだから試しにと、イジメられてたコメットと庭池居残り組をば一緒にすることにした。

 

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 しかし、プラン通りにコトは進まない。

 セットしたものの、水の濁りが2晩経っても消えない。

 霞がかって、クリアでない。

 濾過フィルターとモーターの力が弱いんかしら……。

 生き物を育む水は、”作る”ものだ。H2Oでありゃイイってもんじゃない。

 極く微細なバクテリアが生じ、それが水を研いでくれるのを待つしかない。

 それなり、時間がかかる。その目安が濁りだろう。洗米同様に濁りは、まだ水にトゲがあるよ~ん、という警告と解釈してもいい。

 

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 という次第で、池のコメットと小水槽にいたコメット4匹は、ポリバケツの中で待機中。

 さぁはたして、かつてイジメた連中とイジメられた両者は1つの水槽内で投合するのか? 驚愕の最終話をお楽しみに! ……って~ワケもないね。

 

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 4日めの早朝。だいぶんとクリアになった水。ボチボチね……。

 朝の9時に4匹を水槽に移動。

 

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 4匹しばしは状況変化に馴染まない。チョットした怯えと困惑に、イジメどころでない……。

 要は、このあとだ。環境に馴染んでくれば気分が内から外に出てくる。

 

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 という次第で、本日はチョクチョク水槽をば覗き見て……、家内安全祈願。

坊っちゃん

 先週から今週にかけて幾つか連続で会合。

 ま~、いずれも意義ありな、それぞれ来年度の諸々な話。

 うち1つは、興がのって3次会までイッちゃって朝日きらきら。タクシーで帰宅したら、隣家のご主人が出社されるのと鉢合わせ。かなりみっともネ~ネ~な朝帰り。

 

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 うち1つは、初めてのシーズンに初めての場所での初めてな方達との企画打ち合わせ。我が持ち時間を提示され、長いのか短いのか、ちょいと整理が必要……、ワクワクしちゃうねぇ。

 

 うち1つは会合後の居酒屋が大いに楽しくってギャラギャラ笑い、けどもハメを外さず60年代の英国紳士みたいにすました顔して店から出たら寒風がピュ~、

「寒っびぃ~ッ」

 上着着てくりゃよかったと反省しきり。

 

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 先週あたりから、模型写真にCG加工する作業。何枚も。

 今までこれは禁じ手と思い決めていたけど、某氏との会合の席、「模型を見せたいのか、それとも模型を通じて何を見せたいのか」との問いにハッとさせられ、グッと来た。

 ならば挑んでみようかと……、ヤッてみたら、これがオモチロイ。

 いや、正しくはかなり面倒な作業じゃ~あるし、メダマがすぐにくたびれて、作業20分+メダマ休憩10分って~な緩急繰り返しのアンバイで進行速度がカメの歩みじゃ~あるけれど、面白い効果が出るもんだニャ~とは内心喜んでいたりは、する。        

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 数年前に片方の眼を白内障手術し、クリアですっきりしたけども、いけませんなぁ、もう片方の眼が最近とってもヨロシクない。

 春から夏にかけ、手術をと考えはしたものの、前回かかった眼科の様子を思うと術前-術後の通院が実にまったくメンド~だったもんだから、ついついついと日延べしちゃって気づくともうこんなシーズン。

 日帰り手術を眼科は謳うけど、結局は通院で術後経過を診るというワケで、日々数時間、10日間ほどは拘束されるし、その後はメガネ屋でメガネ新調で、その出来上がりにまた数日だろうから……、などとクネクネ思ってる内、こりゃ治療は来春だにゃ~と今はそう諦観ぎみ。

 

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 次12月15日の講演用に、漱石の若い頃の書簡を拾い読み、一部を書き写す。正岡子規宛に岡山滞在中だった彼(当時は金之助)が書いたもの。

 古い文体の中に立ち上がる若い頃の漱石のカタチ……。

「やはりこのヒト、ちょっと変……」

 そんな感想が浮く。なんとも身勝手、自己中心っぽ~いカタチの輪郭が浮くばかり。

 ま~、それは講演の本題とまったく別なので12月15日には話しませんがぁ~、かの『坊ちゃん』の振る舞いをストレートで彷彿させられのだった。

『坊ちゃん』の主人公は、明らかに変なヒトで人格が破綻してるとしか思えないんだけど、最近あいつぐ教師の不祥事と重ねみれば、何だ~ぁ、明治の頃から……、その手合いはいたのかぁ~ん、とガックリさせられもしつつ、その中に漱石先生そのものも入れていいんじゃなかろうか、などとコッソリ思わないでもないのだった。

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 既に関川夏央が指摘する通り、四国の中学に赴任した主人公ははたして、どれくらい四国にいたか?

 チャラっと読むと、何だか1年超えの話という感があるけど、実は、なぁ~んとヒトツキちょいだよ。

 たった40日ほどの間の出来事を描いたのが小説『坊ちゃん』だ。

 要は9月1日付けで赴任し、たちまち赤シャツとか野ダイコとかを嫌って執拗に追いかけ出し、10月初頭、ロシアに勝った戦捷記念のパーティでケンカし、旅館だかの手伝いの男にチップ5円も渡して、トットと東京に戻るんだ。この主人公は23歳で、当時の5円は今でいえば7万~10万円だよ……。

 そんな大金チップを若造から手渡されたほうが、ビビると思うよ普通。むしろ、気味が悪い。

 でもって、東京に戻って、

「キヨさ~ん、帰ってきたよ~、や~、懐っつかしいなぁ」

 なんてね、明るく爽やかに笑ってんだよ、たった40日後に。

 やっぱり、かなり壊れちゃってるんだわね~、明るい熱血漢のお話じゃ~ない。だから、おっかない(苦笑)。そのおっかなさが作家・漱石とだぶってくるんだ。ぁへへへぇ。

 

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 漱石は、岡山の水害から脱出して松山の正岡子規のところへ出向いたさい、2人で散歩中だかに、田んぼに植わった稲をそれが何だったか知らんかった……、とたしか子規の日記だか何かに書いてあったはずで、いわゆる通常な常識とは違う常識でもって活きてたヒトだったんなぁ、と思い返して、その記述を探してみたけど、すぐには出て来ないねぇ、突発の調べ物じゃぁ。

 むろん、漱石とその作品をボクは大事に思う。漱石と作品には常に、

”正直な気配”

 が出入りしていて、そこが魅力の放射点だと勝手に思ってる。

 なるほど坊ちゃんは壊れてるけど、少なくとも正直であろうとする処が危ういバランスながらあって、昨今の崩壊君とは違う気がする。明治も今も共通は、要は生きにくいということで、漱石はそこいらを描こうとしたと思って読み直すのもイイかもん。

 ま~ま~ともあれ、そういうコトを云い出すときりがない。次講演では、若い漱石先生が岡山で水害に遭ったコトのみは、触れてみましょうぞ。

パッションフルーツ室内へ

 実は自然に落ちるのが良い。その時が味わいの旬という。

 けども今年は落ちなかった。ツルが伸び、1Fの窓を覆って2Fのベランダの足下まで葉が茂っていたというに、幾つも実って、落下(落花じゃないよ)を待ったけど、1つも落ちないままに気温急降下。

 急冷な夜の連続で、早やたちまち、葉が黄ばんでる。

 

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 結局なんだろ? この植物のサイクルと気候サイクルが合致しないんだ。

 実が落ちないままながら、しかたない。昨年より10日ばかり早いけど、2本のパッションフルーツをアウトドアからインドアへの移動作業。

 南洋の植物、寒さにゃ弱い。ひどい暑さも嫌うけど、防寒力は皆無。凍死させるワケにはいかない。

 

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 大きく刈り込み、枝も短くし、土中の根ッコを掘り出す。

 といっても、毎度、鉢のままに土中に埋めるので、掘り出しはあんがいと楽。

 なぜに鉢ごと埋めるのかといえば、この植物は細い細い繊毛を張り巡らせるんで、他の植物に干渉するんだ。白く細い毛細血管みたいなのがクモの巣状に伸び散らされるんで、これは困る。茶の木もこんな根を張るらしいけど、茶は育てたことがないんで、よくは判らない。でも、ともあれ、四方八方に根は拡がる。

 なので鉢底の穴からのみ、やや深い所でもって根を拡げなさい……、との育成方法。気の毒な感じもありはするけど、しかたない。

 

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 その土中に拡散した根を引き抜き、カットし、今期のアウトドア生活に別れを告げさせる。

 20ケ近く実ってたのは伐採時に取り集めてやった。

 鉢底の根もカットし、受け皿を敷いて、これから来春過ぎまで、また部屋で休眠だ。

 

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 室内ではケッコ~過保護に扱う。夜中にゃ、暖房も入れてやる。入れてやらなきゃ、室内でも冬を越さない。

 なんでそうまでして、これを大事にするかといえば、庭で陽光浴びてスコスコ育ってる時の葉が、いいのだ。

 葉っぱが大き過ぎず小さ過ぎずで形良く、緑が濃く滑らかで艶があり、硬すぎず柔らか過ぎずで、それが密茂した見た目が良いし、触った感触も我が好み。なのでホントは実はどうでもいいのだ。まったく関心ないワケではないけど、食べられなかったぁ~と口惜しむ気にはならない。

 ともあれ冬支度。アウトからインへのこの作業で季節の変わりを意識(かくご)する。

 

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 実はみずから落ちずで熟しきっていないけども、半分に割って、真綿でくるんだような中央部の中身をグラスに注ぐというか、かき出し、麦焼酎とあわせると濃い酸味にくるまれた酒になる。さほど美味いワケでもないし、小粒な種までがグラス入りだけども、ま〜、その独特な風味、南洋的酸味がちな滋味を我が舌がおぼえるというのは、悪くない。クリクリッと指でかき混ぜてゴックンしちゃえば、イイ。

ボルヘス

 その昔、大の大人が土地転がしに奔走してバブリ~な頃、知りあいの県職員が書類一枚携えて、朝一の飛行機で岡山空港から千歳だか札幌に飛び、ロビーで先方の職員と待ち合わせ、書類を渡すと次の岡山行きで飛んで帰り、昼ご飯は岡山で職場の同僚らと食べたけど、北海道へ行ってスグ帰ってきた事は彼の上司しか知らないという、まこと忙しなく、はなはだ税金無駄遣いな実話があって本人からそれ聞いてめんくらったコトがあったけど……、なんかその記憶に触発されたのかどうかは知らないけど、夢の中、やはり飛行機で北海道に行き、模型の工作道具が入ったバッグを提げてタラップを降りて、誰かと会ったら、

「誰でも出来る仕事なんですけど、いや~はるばるお越しいただき、ありがとうございます」

 そういうもんだったから、カチ~ンと来て、踵を返し、タラップをあがって飛行機に戻り、ちょうど客席に出てきたパイロットに、

「運転手さん、岡山にやってよ」

 また機上のヒトになるんだった。

 夢はそのあと、さらにオモチロク展開し、機内で祈とう師みたいな格好の老婆に声がけられ、特別室のような所に連れてかれて、

「先生っ、よろしくお願いします」

 なにやら特殊な弾丸の中に黄色い毒薬を詰める作業をして、老婆を喜ばせて感謝されるのだった……。

 夢とはいえ、金属の治具が実にリアルで、溶けた黄色い液からあがる煙とかの充満っぷりも良く描写され、窓には換気扇が廻ってるんだった、飛行機なのに。

 

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 こういう夢を見るのは、タ・ノ・シ・イ。

 ホントはエロっぽいのを見たいけど、たいがい見せてくれないのは、ボクが真面目なヒトだからだろう。

 

 てなコトもあって、ボルヘスの『夢本』をチラッと、読む。

 ケッタイな展開が載ってる。でも、さほど面白いとは思わない。

 ヒトさまの紡ぐ夢より、自分の夢の方が面白いからかも知れない。

 けども、自分の夢はいつだって未完だし、すべてを憶えてるワケもなく、あくまで断片。

 ボルヘスのは断片といえば断片だけども、「物語」のカタチに向かって収束してる。あるいは収斂してる。不完全でない。

 ま~、そのあたりが本の本たるポイント、夢みたままじゃ~”作品”にならない。

 映画同様、そこに編集がなきゃダメだろうし、あるいは模型同様、ただ貼ってくだけじゃダメだろう。

 そういう事を読み取れたら、良し。

 

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 やはりその昔、模型イベントで東京出張し、帰りの新幹線の中で甘い泥のような眠りに落ちてケッタイな夢を食み、フト目覚めて数秒、自分が新幹線の中にいるコトを見失い、

「えっ? あれ?」

 むしろ、その現実が夢の中みたいな思いになったコトがあって、そのさいの夢なんぞはもう忘れちまったけど、目覚めた途端の、

「あれ? ここどこ?」

 迷妄した感触は今も忘れない。むしろ、その瞬時の混乱こそが面白いし、ボルヘスもそこを咄の芯に入れてる。

 

 本日は夕刻より某委員会の会合だけど、同時刻はちょっと用あって出席出来ず。

 でもガンバッて、会合後の奉還町の飲み会にゃ~参加しようと調整中。馴染んだ店でチャカポコなごむのはメッポウ好き。そういう席でのハナシは常にアッチャやコッチャにヨタヨタ飛ぶんだけど、断片のその飛びっぷりも好き。ま〜、ヨタバナシっていうくらいだもんニャ。