ウィルスとアポロ時代の隔離室

 過日、自転車で眼科通院中、左ふくらぎがゲキに痛たたた……。

 複数個所の微細な筋肉断裂らしきで、この数日、今度は眼じゃなく足で難儀してる今日この頃。いわゆる「肉ばなれ」のヤヤひどいやつ。

 メチャにペダルを廻したワケでもなく、何ででしょ?

 眼の安静に次いで今度はアンヨかよ〜〜。でも週末にゃ呑みに出るっ気ジュウブン。

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 以下の記事はもうだいぶんと前に一度書いたというか、とある製品のための解説文の一部として使ったものだけど、中国発の新たなウィルスでテンヤワンヤの今日このごろ、「感染」やら「隔離」という単語がヒンパンに登場で、ちょっと連想され思いおこされ、再録するコトにした。

 とはいえ再録じゃ~つまんないから、アレンジを加えるけど。

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 まず最初に、アポロ計画だ。

 アポロ計画では、11号から14号までの4回は、地球に戻ってきた宇宙飛行士は隔離された。

(アポロ13号は着陸せず戻ってきたので隔離なし)

 当時、月がどのようなアンバイなものかさっぱり判ってなかった。ヘンテコな菌とかがいて、それを持って帰ってきたら、えらいこっちゃ……

 というわけでアポロ計画では大規模な予算投じて、大がかりな隔離医療施設(LRL:Lunar Receiving Laboratory)を造った。

 

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1968年。建造中のLRL

 

 飛行士も月の石も、そこに隔離し、テッテ的に調べあげて、オッケ~なら地球の空気に触れさせましょうというプランだった。

 月から帰った3人の飛行士はそこで21日間、隔離検疫され、いわば潜伏期間と発症の状況をチェックされる。

 ただ、そこはアメリカ。狭っ苦しくない。

 最近の映画『アポロ11』でLRL内のガラス越しの面会室が描写された通り、ラウンジとか食堂とか、隔離される人は居間くらい広い個室とか、「閉じこめ感」はまったくない。

 部屋という単位でなくビルという単位での弩弓な隔離施設だった。

 

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 アポロ11号の時は、彼らの写真やインタビューを得ようとしてNASAの制止をふりきって接近しちゃったマスコミ関連者10数名と、NASAの関連者若干名も汚染が疑われ、同施設に強制隔離された。(全部で16名が隔離)

 たとえばNASAの写真技術者だったテリー・スレザークさんなどは、アームストロング船長が月面で使ったハスブロー・カメラからフイルムを出すさい、付着した謎の黒い物質(月面の塵)に触れたようだという事で、隔離されちまった。

 

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 一番気の毒だったのは、そのテリーさんの作業のためにLRLにカメラ機材を運び入れた人たち。テリーさんと一緒に隔離され、このアクシデントは当時の米国でわりと大きなニュースになってた。3週間の隔離を言い渡され、写真の通り表情さえない……。上の右写真は機材ともども、取り合えず隔離された直後のもの。

 

 そうやって14号までは隔離前提、検査漬けだったけど、何ら伝染する事がなかった。高熱出す人もなかった。

 それで、概ねダイジョウブという事で15号からは飛行士たちの隔離は廃止。

 

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 ただ、持ち帰った月の石や使った小道具なんぞは、その後のアポロでもこの施設で継続的に検査・研究され続けて今に至る。数年前、アポロ計画で持ち帰った月の岩石内から水分が発見されて大きな話題になったのも、この施設。

(来年2021年にLRLは、初期目的はすべて達成という事で取り壊し予定)

 

 アポロ司令船は海に着水した後、乗組員と持ち帰り物は上記施設に入るまでは「移動隔離室」に収用された。

 Mobile Quarantine Facilities.

 通称、MQFという。

 

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MQFのペーパモデル。

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帰還後、MQFの窓越しでワイフたちと面会のアポロ11のクルー

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模型。回収直後の隔離の情景イメージ。いったんMQFに入った宇宙飛行士は防護服に防護マスクに着替え、横付けされたアポロ機内から、月で使った宇宙服を含め諸々の持ち帰り物を取り出してMQFに移す

 

 MQFは米国人には馴染みの大型キャンピング・カーのボディ2台分をつなぎ合わせ、大改造したもの。

 タイヤは外され床下部分も大改造。自走しない。内部はやや減圧された密閉空間になっており、頑丈な基盤にそえられ、外部には諸々の装置が取りついてる。

 

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元は豪華なキャンピングカー。仕様違いで何種類も市販されてた。

 

 MQF-移動隔離室は4台造られた。

 内部は2段ベッドの4人分寝室(医師1人も同乗)、リビング、キッチン、トイレとシャワー室に判れ、移動中の食事は専用の遮蔽ボックスから内部に運び入れる。

 ボディにはダクト管や電話船を含むケーブルが取り付き、乗ってる飛行士の排泄物や呼吸した空気は外部に漏れないようなっている。

 

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右は模型再現の内装。

 

 当時新進気鋭の医者でSF作家のマイケル・クライトンなんかは、「それじゃ充分でない」と批難ゴ~ゴ~し、結果、彼は『アンドロメダ病原体』という未知のウィルスと隔離施設をテーマにした小説書いて大ヒットさせ、その映画『アンドロメダ』も秀逸な傑作としてヒットする。

 

 さて、ここからハナシが転換する。

 アポロ11号の月着陸と時同じくしての1969年。ナイジェリアのラッサ村で出血を伴う熱疾患患者が発生。治療にあたった医師も死亡した。

 たちまち隣国のギニアシエラレオネ共和国やガーナでも発病例が出た。

 それで米国は1970年、エボラ出血熱に匹敵する凶悪なウィルスと疑念し、医師団をシエラレオネ共和国に派遣した。

 医師をウィルスから防御するためにNASAから「移動隔離室」を1台借り出した。

 前年11月のアポロ12号で、ピート・コンラッド船長、アラン・ビーン・ディック・ゴードンの3人を隔離するという歴史的な重務をはたした車輌が、今度は外部から医師を保護するという逆転でもっての急遽の使用だった。

 

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19691124日。空母ヨークタウンに回収されMQFに入った12号の飛行士3人に海軍大将がねぎらいの声をかけるの図

 この車輌(車じゃないけど)は、MFQ-002という名で呼ばれてた。

 ちょうどその時、これは博物館展示を目的に海軍の整備基地に運び込まれた直後だったので都合が良かった。

 シエラレオネに空輸されたMFQ-002は現地で米国医師たちの防御ルームとして活用され、貢献した。そこでの研究で、ウィルス性感染症である事が確認され、ラッサ・ウィルスという名が決まった。

(今も毎年発症者が出るけどワクチンが開発されてるんで、もうさほど怖くない)

 

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ラッサウイルス

 

 大任はたして、医療チームの引き揚げと共にMFQ-002も米国に帰ってきた。

 でも、未知の悪しき菌がウヨウヨいる地域に持ってっちゃったので、すぐにミュージアム用にというワケに行かず、空輸されたアトランタの倉庫にひっそり置かれた。アトランタジョージア州北西部に位置した州都)

 そういう経緯があるんでビニール袋にくるまれたまま、誰も近寄らない……。ま~、気持ちは判る。

 

 そうこうする内、年数が経ってく。

 70年代は過ぎ、80年代も過ぎていく。

 当時の役人さんや担当者は部署が変わったり、退職したりで、どういう次第かチャンと引き継ぎが出来ていないまま、90年代アタマになってやっと、

12号の移動隔離室って、どうなってんの?」

 という声がNASAで、出る。

 

 アトランタの倉庫に入った事は判ってた。

 それでアトランタ市に連絡したら、

「そね~な古い記録、ありゃ~せんで」

 という答えで、事実、倉庫にない。

 

 その後の調査で、ジョージア州内で森林火災発生、同州の荒野消防士のための「移動司令室」として、流用された事がわかった。

「おいおい、勝手に使うなよ、それ政府の持ち物やで」

 初めて聞き知って、NASAの担当者は憮然とした。

 

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アトランタでは1996年にオリンピックが開催されてる

 

 けど追跡はそのあたりまで。そっから先、判んない。消防関係で「使い勝手が良くて司令室に最適」という事で、他州に貸し出したという話も出るが、追跡できない。

 物品管理の所轄が州をまたぎ、所轄が変わり物品入庫と抹消が書類上で繰り返され、担当者が変遷のたびに、このMFQ-002の所在は忘れられていく。

 これは行政の怠慢か? あるいは悪しき偶然か?

 NASAも途方にくれた。

 で、また10数年ほどが過ぎてく。謎は謎のまま、謎そのものが忘れかけられつつあった。

 

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 今からたった13年前の事……

 2007年の3月に、アラバマのスペース&ロケットセンターに、

「ペレー郡の西アラバマ魚卵孵化場にある建物は、ひょっとしてMQFでは?」

 とのメールが届く。

アラバマ州ジョージア州の隣り。河川面積は米国第1位で自然の植物・動物の多様性でも第1位)

 半信半疑でスペース&ロケットセンターのスタッフが、樹木覆い繁った小さな村に調査に出向くと、ビックリ仰天。上の写真ね ↑ 

 まさしく本物のそれだった。当時の内装も残り、製造当時のオリジナル・プレートも残ってる。

 スタッフは顔みあわせ、

「何でやねん?」

「何でこないなトコにあるねん」

 英語で言うた。

 

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 魚卵孵化場の人も、まさかそんな出自のモノとは知らなかった。

 行政の払い下げ品とかで、実に安いネダンで購入したらしい。

 作業の休憩用にとそこの従業員が内装なんかを手作りしちゃって、ちょっと居心地良い環境になるべく工夫されてたりもする。

 転々とさせられたという意味では、Mobile Quarantine Facilities……、モバイル・移動という所とファシリティ・施設という所だけは活かされ続けてたワケだけど、不遇というか、奇妙で数奇、よく見つかったもんだ……

 

 という次第で今は、レストアされ、ちゃんとミュージアム(通報を受けたアラバマのスペース&ロケットセンター)に展示されて余生をおくってる。

 このロケットセンターの土産店ではいっとき、うちのアポロの模型MQFを含む)を売ってたようだ。ようだ、というのは発注者が別名だったんで、そのときはよく判らなかったんだ、妙にたくさん買い付けてくれたなぁとは思ったけど。スーベニア・ショップの出入り業者が仕入れたんかしら? これまた、もはや追跡できない。

 

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アラバマのスペース&ロケットセンター内のミュージアム


 ちなみに他のMQFスミソニアンをはじめに、いずれも博物館に入ってるよ。(アポロ13号で未使用になったものは未展示)

 

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これは空母ヨークタウン・ミュージアム内に展示のアポロ14号で使ったMQF

 

 以上、かつての顛末を長々と紹介。

 新しいウィルスが出てくるたび、ヒトはドタバタしちゃう。ま~、それはしかたない事としても、アレコレ巻き込んでく内に、副次的に妙な事も起こしちゃうんだね。

 そんな昔話を持ち出しつつ、今の騒動……。

 対応の混迷も深刻のようで、バイオとモラルの2重のハザード。ウィルスの伝染速度と人間側の速度。

 その上に種々アレコレな情報の錯綜で、真実に価いするものがサッパリ見えないワケで、せっかく眼を手術したというに……、うまく直視できない難儀というか、やたらもどかしいですなッ。

 

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アラジンの魔法のランプ

 左メダマの手術から、早や10日ほど経過。……いや、まだ10日って感じかなっ。

 次は4日後の午前中に診察。これで一応は術後診察から開放される。

 通院って、面倒で、き・ら・い。

 

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 アクリル製水晶体レンズは保険適用のものは2種あって、右眼の時と同様に「遠くがよく見えるレンズ」を装着してもらってる。

 なので0.1以下のさっぱりワヤな状態から、今は裸眼で1.0~1.1というところまで回復しちゃってる。

 けど大喜びというわけでもない。

 逆にそれで、今度は近いものが見えにくい。今までは0.1以下であれど小さい文字の識別はかろうじて出来てたんだけど、それがもはや見えない。

 老眼を使用しなくちゃいけない。ま~、すでにしっかり老メガネは使ってるんでベツダン困るワケでもないけど、ちょっとガッカリという感じがしなくもない。

 

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  昨年末にKosakaちゃんに天井によじ登ってもらって(土間構造なので)取っ換えた部屋の照明を、ちょいと前さらに光量のでかいのに換え、文字を見る環境として申し分ない”明るさ”は現出してるから、ひどく困るというコトでもないんだけど、「得したような損したような」絶妙な淡い気分ありあり。いっそ、「近くがよく見えるレンズ」を入れてもらった方が良かったかなぁ、とも思ったり。

 その場合は、右眼側が遠く用で、左眼側が近く用、ということになるのだろうけど、チョイとアンバランスかも知れないと思って結局、「遠くがよく見えるレンズ」にしちゃったわけだ。

 こういうのは装着しなきゃ~感じ感覚がさっぱり判らんので、ま~、悪しくいえば「後の祭り」という次第なのかな?

 遠くも近くもバッチリの遠近両用レンズがあると奨められはしたけど、保険適用外、片目46万円っていうの……。

 46万って……、ビッグマック1200ケ買えるじゃん。1日1ケで3年以上食べ続けだぞ。

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 視界と部屋の明るさ。これは大事なポイントだ。

 たまさか、明治の「亜公園」がらみでアレコレ調べてるんで、灯りについても掌握しなきゃ~いけない。

 赤煉瓦にガス燈が灯った銀座の華麗だけが明治じゃない。

 むしろ、行灯から西洋式ランプ、さらにガス燈やらアーク燈に変わり、さらにまた電球と発電による灯火へと、めまぐるしく変わったのが明治だから、その移行時期としての当時の感覚をば、知覚したいと思ってアレコレ調べてる。

 通り一遍な表層は直ぐに判るけど、ちょっと深く知ろうとすると、もう霧がかかったみたいになって、何冊か本を渡ってやっと、おぼろな輪郭を掴むというようなテイタラク

 

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 たとえば、これは明治の話じゃないけど、「アラジンの魔法のランプ」ってあるでしょ。

 このアラジンのランプは、何を燃してるの?

 あんがい即座にわからない。

 アラビアン・ナイトというくらいだから、きっとあの油だろう。オイル・マネーでおなじみのあの油だろうと……、思いがちだけど実は違う。

 オリーブ油だ。

 地中海界隈の風土はオリーブをよく育ませてる。

 利用法はいっぱいで、食用になるし、肌に塗る美容剤になるし、燃料にもなった。

 ただ、あんまり強くは燃えない。

 アラビアン・ランプの細い指し口の中にはちゃんと灯心が入ってて、これがオリーブ油に沁み、細い先端部に火が灯もる。だから、手元を照らす程度の明るさだ。

 なので、夜の部屋から部屋へ移動することに使うのが前提、大きなトッテがついてるワケなのだった。

 

 一方でヨーロッパの北部方面じゃオリーブは、採れない。

 しゃ~ないんで、牛の脂を燃やし灯りにした。脂(油)にヒモ状の芯を漬け、これに火を灯す。

 けど、牛脂だからすごく匂う。

 やがて鯨の頭の中にある白い脂(鯨蝋)が冷えると固まるのに気づき、これを固めて圧縮して芯を入れ、ロウソクにした。

 アラビアン・ランプに較べずいぶん明るい。

 それで捕鯨が盛んになる。

 乱獲だ。頭の脂部分だけ採って後は海に捨てた……。

 牛脂より匂いはきつくないけど、それでも独特の匂いがあり、カーテンや絨毯や壁紙に匂いが沁みた。

 

 地下に埋まった「燃える水」のことは大昔から知られてるけど、それを燃料として取り出すようになるのは1885年。日本風にいえば嘉永7年。ペリー艦隊再訪で日米和親条約を結ばされた年だよ。

 

 で、明治前期の日本の灯り事情は、江戸時代と同じくロウソクと行灯が全盛だ。

 行灯は廉価な魚油がほとんどで、イワシやサンマの脂分だ。

 武家やちょっとした料亭なんぞは菜種油を使う。

 発生する匂いが随分違う。

 魚脂の悪酔いするような匂いと植物性の匂いとじゃ、当然に菜種の方が居心地がいい。でもま~、値段が違うから一般家庭じゃあんまり使えない。

 でも、石と漆喰で固めて空気の対流がよろしくない家屋じゃない。僅かな木材に紙をはった襖(ふすま)が主なんで、風はス~ス~、使ってるさいはかなり匂うが、匂いが部屋に沁みて籠らない……、のは利点だったかな。

 

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 日本のロウソクはハゼノキやウルシの実を蒸して脂肪分を抽出して造ってた。いわゆる和ろうそく。鯨のそれより蝋が溶ける融点が低い。

 

 明治前期の日本を旅したイザベル・ルーシー・バードの『日本奥地紀行』は、当時のリアルを強烈に伝えてくれる第一級の資料本、その観察力に圧倒される。

 あれこれな人の紀行文を読んできたけどイザベル女史の記述はダントツに素晴らしく、いまだこれを越える”旅の記録”はないようにも思える。

 このブログみたいにグダグダ長々な記述じゃなく、事の本質が好けるように短く文章を刈り込んでらっしゃる。

 その中で、彼女も日本の灯りに言及してる。それがリアルに満ちて、メチャ参考になる。

 

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日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)

 

 聖書の教義を身に沁ませ、宗教的布教活動もやってた女史だから、その史観と私感を最上に置いて、時に上から目線も含まれるが、極力公平に眺め、リアルをリアルのままに伝えようと務めているのが、何より素晴らしい。

 47歳の彼女の眼に映る旅の同伴者、横浜で雇いいれた伊藤という19歳だか20歳の英語が出来る青年、従僕であり通訳でありの真面目で向上心ありながら、旅の道中では事あるごとに金銭的チョロマカシもやってるその姿、彼女の旅券が持つ”威力”をかさに旅先方々で時に偉そうに振る舞うその姿を、批難としてでなく、第三者の眼差しで見詰めてるのも圧巻。

(イザベラ女史の旅券は英国公使経由で’日本政府が発行のほぼ無制限なスペシャルなもので、当然にこれを発行した以上、日本政府は彼女の旅先での安全と保護を保証する義務を担ってた。予約を入れて旅してるわけでなく、辿り着いた町々村々で彼女と伊藤君は宿をとる。そこでこの旅券が圧倒的な力を発揮する)

 伊藤君は旅装束とは別に羽織袴も持参しており、いざという時はそれにサッと着替えて、旅先の地元警官や宿主にちょっとえらそうに接する。

 読み進むうち、イザベラ女史よりも、我が同胞たる日本人・伊藤君に猛烈に興味がわいて来たりもする。

 要は彼のスガタカタチを描くことで、旅先の日本と伊藤君の中の日本とがぶつかったり融解したりの様相を通して、女史は自身の眼とをあわせ、2つのマナコでもって明治日本のリアルをステレオで描いてるんだから、素晴らしいというか、す・ご・い・んだ。

 

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 その彼女が見た当時の日本の灯りは、貧しい家になるほど貧相になっていく。

 彼女はそれを鯨油とも魚の油とも書いていないけど、異臭ありの小さな灯火の中、家族がその灯りの下にうずくまるように身を寄せ合い、けれどそんな乏しい明るさの中で、習字して文字上達に励む子供がいるのを見逃さない。亜公園が岡山に登場するわずか14年前の、洋化が浸透していない日本の姿……。

 そこに彼女は美しいものを感じてる。子供の墨による筆跡の逞しさを当時のパリ画壇の洋画家と較べ、礼賛したりもする。

 

 で、そこを読んだボクはといえば…… そんな暗いところで勉強してちゃ~、メダマ悪くするんでないかしら、視力落ちまくりだろう……、くだらない別次元リアルをおぼえてるという次第。

 生メダマはリニューアルながら、何をどう映してじっくり見るかという点じゃ、まだまだ旧態脱せず。

 

新眼

 メの手術して3日めに、S君やT君のバンド「ザ・リサイクル」のライブ観覧。

 眼帯はずし、保護メガネとマスク着けて出向く。

 5日ほどはジットしていろとのコトゆえ、ホントはよろしくない。事実、眼の左側界隈がときおり揺れる。埋めたレンズがまだ固定しきっていないワケだ。

 しかしライブの方はホントによろしく素晴らしかった。

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photo by Nobuya Kuyama

 

 春の牧場を4頭の馬がトットコ・トッコトと駆けては廻るみたいで、愉しく弾けた。

 後半ステージでキーボードと管楽器が加わり、駆けっこ馬は4頭から7頭になっていよいよ地響きたてた。ええぞエエゾ~。

 

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photo by Nobuya Kuyama 

 

 右端っこの管楽器嬢はリードボーカルにあわせ、唄ってらっしゃった。

 ぁ、そこにマイク欲しかったぁ~。

 眼帯はずして眺める光景は、ポポ~ンと手を打って喜ぶようなアンバイ。

 愉しいライブだったゆえ、余計よく見えた。

 

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photo by Nobuya Kuyama

 

 けどま~、ライブ堪能のあとは、K夫妻の車に乗っけてもらい直ぐに帰宅。

 安静だ。アンセイの大獄だ。

 

 中国でほぼ最初に新型ウィルスの警鐘をならし、そのコトで中国警察にとっちめられたりもした若い眼科医さんが、そのウィルスで死亡したとの報はいささかショック。

 眼科医という点が、ひっかかった。

 死亡に至るのは持病ありの高齢者という風に報じられてたから、

「えっ?」

 まだ元気な若い人でも……、訝しむことしきり。

 そういうハナシをば車中で。

 

 で今日は、術後5日め。

 まだあと2回通院しなきゃいけないのがメンド~だけど、それを過ぎれば保護メガネのない生活に復帰できそうなのは嬉しい。

 祝いにお肉を買い、もちろん祝うからって高いの買わない。霜降ってない赤身でいい。イッチャン安いのから数えて3番目に上等な150gを買い、焼き上げ、おいしくいただく。

 

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 お肉を食べるといつもきまって、登山家の三浦雄一郎の顔が浮く。

 なんかのコマーシャルで、「元気の秘訣は、週に何度か800グラムのステーキを食べる」みたいなコトをいってたのが耳にこびりつき、離れない。

 800グラムという大容量にトライしたことはないけど、一種の羨望があって、だから離れてくれない。

 800グラムの肉という存在と、それを平らげるパワーの、2艘の舟への憧れだ。

 でもトライしようとは思わない。

 全量食べきれなかったさいの、ガックシを味わいたくない。

 早いハナシ、食べきれる自信をもってない。

 だから羨望は羨望として、いつまでも三浦御大の顔としてアタマの中に造型され……、これは始末が悪い。

 

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 ちなみにこたびはステーキ食べつつ、あんパン食べた。

 イイじゃないか。三浦御大とてチャレンジしね~だろッ。

 ひそかに、「やったぁ!」と歓声あげる。もちろんこの場合、勝ち負けじゃ~ない。優位に立とうという気分はすべからずイカン。品位がさがる。

 あくまでもメダマ・リニューアル記念の、あんパンだ。品位が高い。糖度も高い。

 

 とはいえリニューアルは2度目。すでに片目のレンズ交換を3年前にやってるから、眼帯外した直後のえがたくデッカイ感動は、なかったな。奇妙に淡々と、

「ぁ、かなり復帰しましたなぁ」

 くらいの情感がわいただけで、ちょっと醍醐味薄かった。

 それに、従来のメガネがあわなくなってる。逆に度がさがる。

 メダマがほぼ安定するのは1ヶ月以上かかるらしい。事実、通院のたび視力検査で度数が変わってる。

 

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 なワケでメガネ交換まではまだ遠い。またボストン・タイプにするかな、それとも黒縁ぶ厚いのにするかな……。やんわり考えつつ、この前103歳でなくなったカーク・ダグラスをしのぶ。

海底二万里』も捨て難いが、まもなく公開の『1917 命をかけた伝令』(この邦題の陳腐さにウゲ~)を思うと、やはり『突撃』でしょうなぁ、キューブリック監督とダグラスが組んだ凄い映画……。

 

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                突撃 [DVD]

眼の手術 終えて

 本日、O眼科にて手術した。

 3年ほど前に片方を手術し、世の中美しく見えるようになったものの、他方のメダマがジワジワ劣化し、気づくと片眼で車を運転してるような危ないデンジャラス。

 せわしなさを口実に眼科行きを日延べさせ続けたものの、視界半分ボンヤリがひどくなって……、さすがによろしくない。

 というワケで年明けて早速受診。0.1以下の視界不良を言い渡されるも手術予約者でクリニック盛況、順番待ち。月が変わっての本日やっと番がきた。手術台にのっかった。

 

 両手両足縛られ、アゴ押さえられ、目ひんむかれ、程よく真っ赤に焼けた鋭利な火箸で、

「ちょっと激痛だけどガマンしてね~」

 グリグリされて目玉焼きッ。

 というワケはない。

 

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 O眼科は、術中、看護士の一人がソッと手に手をにぎってくれる。メダマ手術ゆえ、誰が触れ合ってくれてんだかサッパリ見えない。

 横たわる前に手術室にいる看護士4~5名の顔をチロリン見渡すものの、皆なマスク着けアタマは頭巾(何ていうのかしら?)で覆ってるんで、ヒフミさんだかミフネさんだか判らない。

 ま~、いずれにしろその内の誰かさんがキュッと指をからめてくれてるんだろう。まこと、嬉しい配慮。こちらの不安がそれで大いに和らぐって~気遣いだ、す・ば・ら・し・い。

 なので術中、こちらもソッと、指うごかせて、先方のテノヒラに愛をこめ、ハート・マークを何度か書いて、最後にテノヒラ全体をパコパコ開いてみせた。

 でも、ひょっとして先方には……、クル・クル・パ~って読めたかもしんない。 

 さらに予感を不吉にして思うに、執刀の院長が片手にメスで片手でオスの手を握ってくれてたのかもしんない。

 

 白内障はレンズたる水晶体が濁ることによる視覚障害。2重に見えたり霞んだり黄ばんでみえたりとアレコレ。モノが経年劣化するのと同じくメダマも劣化する。外して水洗いし磨き直してオッケーというわけにいかない。子供や若い者はあんまり関係ない。加齢性の、老いたる証しみたいなもんだ。

 なのでレンズ交換。

 3年前の我が右眼の手術後を例にすれば、術後は視界激変。しばし見るもの一切がまぶしく、青色が実に綺麗に映えて、まさに、

地球は青かった

 ガガーリン少佐の感嘆に似た、初々しい後光がきらめくような感想でルンルン気分になった。と同時に、白内障が進行しているさなかに仕事していた模型の色付け作業は、暗く黄ばんだ色調で自分はペイントしていた可能性が高いぞ……、とおののいた。

 そうであるなら、ダ・ヴィンチを含め高齢になってもガンバッた画家たちの絵とて、怪しいもんだ。トシがいってから描いた作品でヤヤ黄色が濃ゆいようなら、白内障を疑った方がいい。その画家の眼にはそう映ってたワケで。

 

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 手術そのものは15分とかからないけど、数日前から専用薬点眼やらをし、本日当日も術前の点滴やらアレコレあって院内滞在時間長く、術後は術後で安定の観察やらと何かと行事有り。

 日帰り手術とはいえ結局は、手術後5日間、毎日通院しなきゃ~いかんのがシャク……、明日も朝9時に来いとのこと……、ぅむむ。

 この眼科の待合室はいつもヒトでいっぱい。なので9時に出向いても検診は10時頃……、ぅむむ。

 とはいえクルーズ船から出してもらえず、今日から2週間ほどウィルス潜伏期間が過ぎるまで船内でジッと我慢の方々に較べりゃ楽ぅ~なもんか。

 

 てなコトを今、片眼眼帯の上に金属プレートを張られ、その上に保護メガネを着けさせられた状態で書いてる。

 保護メガネは保険外なので実費で2千数百円。

 

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 前回の時にもこれは買わされたのじゃあるけど、どこへしまい込んだか判らん……。これから白内障になる方は捨てたり、忘れたりしないよう、大事にとっておきなさい、よ。

 白内障にかかって手術するヒトはすごく多いのだから、スタンダード定番な品として100均ショップは、これ、造って売るべきかと……、ひそかに思わないでもない。

 ま~ま~、ともあれ今は片目だ、まっこと書きづらい。

 なので本夕は報告まで。

 まだ21時前じゃあるけど、とっとと寝てしまおう~。

YAMAHAとDENON ライフ オブ ブライアン

 やたらとマスクが売れているようだ。近所のスーパーでもマスク・コーナーがさわやかに品薄だった。たぶん全国的にそんな状況なんだろう。人混みした場所にはチョット行きたくない気分にもなっちまう……。

 

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 10数年使い続けたDENONのAVアンプ。それをK夫妻から贈られたYAMAHAに替え、数週たっぷり堪能したあと、新たなDENONに。

 順次3つを味わうに、音の違いを如実にしらされるやら、日進月歩な機器の進化に眼をはらされるやら。

 もはや形態としてコンピュータに近い。ただ、日進月歩ゆえに切り捨てられるモノもあって、何でもかんでもHDMI端子……。

 AV端子入力からのものをHDMIから出力出来ないというのは、こまったもんだ。アナログなVHSという時代が久しくあったからその頃の”イベント記録”やらがミニDVやVHSという仕様でたくさん残ってるワケで、汎用性の幅を閉じてかれるのはヤヤつらい。

 

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              AV端子全盛期のYAMAHAの背中

 

 古いレコードがある。

 それをMaciTunesに取り込み、新たなDENONで再生してみる。

 ステレオ・サウンドが家庭内でも聴けるようになった1950年代末頃の、音を左右に移動させるコトに力点を置いたレコード。かなりレアだけど、意識的に作られた分、動きが顕著。

 米国人ナレーターが右から左に靴音たてて、「移動したのが判りますか? もし音が反対なら適切にスピーカーを配置替えてみてください」とのスピーチ。

 今聴くと笑うような感もあるけど、50年代末から60年代のアタマの頃はそれが最新、音の移動がとんでもなく斬新でスリリング、ワクワク感たっぷりな技術の披露であったワケだ。

 

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 なのでそれをあえてチョイスし、2チャンネルでなく8本のスピーカーで聴いた。途端、60年前の努力の音作りがいっそうに広がった。

 

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楽器を駆使して馬が疾走するサウンドに音楽がからむという展開では、馬音がみごとにワガハイの周辺を一周二周する。以前のDENONでもその片鱗は味わってたけど、左右移動だけの2ch音が8ケのスピーカーに放たれて駆ける大移動には、大袈裟でなくチョット目眩いをおぼえた。

 AVアンプはナマな音を忠実再現というより元な音を加工して醍醐味を増量させる。なのでコンピュータの仕事に近いわけで、素材をいっそう華あるものにと変じるCG加工のサウンド版と云えなくもない。

 

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 レコードの次にブルーレイ。リニューアル最初の一歩はナニ観ようかと悩むもんだ。

 音がアチャコチャする『ゼロ・グラビティー』あたりが妥当かとも思ったけど、ストレート過ぎかいなぁ、とも思ったりで、結局はさほどに音がど~だこ~だな作品じゃなく……、この前亡くなったテリー・ジョーンズを追悼。モンティ・パイソンの『ライフ・オブ・ブライアン』。

 

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                英国公開1979年 日本公開1981年


 新機器の評価なんぞより、「表現する意思」というような所でこの映画とパイソンの5人がぶれないのがダントツにいい。このディスクには特典でメーキングがついてるけど、必見。

 EMIフィルムズが製作資金を出すことを決めたものの、キリスト教を侮辱するとして撮影直前に親会社のEMI会長が出資撤回を強行。その難航を聞き知って自宅と自身の事務所を抵当に撮影の全資金を捻出したジョージ・ハリスン宗教右派の攻撃とそれに対応するパイソン5人の意気。彼ら自身がこれは差別的と考えカットしたシーン。表現の自由の中の凛とした規範、などなど……。

「キリストを冒涜するシーンなんか1つもない。救世主と間違えられたマジメな男を取り巻く群像劇なんだ。自分自身で考えない人をコメディにした映画だよ」

 という意味のことをテリー・ジョーンズ他パイソン達は言葉を残してる。

 一方でこのメーキングは、それでも差別的あるいは侮辱的と思えるという見解の方にもスポットをあて、かなり公平に作られてる。メーキングを編集したのもパイソン達だ。(コピーライト表記には2008年とあるから、もう12年も前にこのメーキングは編まれてる)

 表現の不自由さとイビツ(他者の発言をただ横流しで拡散して自分が発言してる気分に倒錯も含めて)がはびこりつつなコンニチ、久々に観てあらためて諸々、強く感じいらされた。要は両者を均等に登場させることで、観ているコチラに「さぁ、自分で考えてみようね」とモンティ・パイソンはボールを投げてるわけで、このボールをちゃんと拾って投げ返せるかどうかだな、映画が公開されて39年たった今に。

 

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 ともあれ10数年使ってたDENON と2020年のDENONとは、もうま~るで違う。

 かつて視聴位置とスピーカーの距離を1本づつ巻尺で測ってアンプに入力したのと違い、今は付属の小さなマイクで自動計測セッティング。この仕掛けに、

「アッとおどろく~タメゴロウ~」

 みたいな時代較差な浦島太郎的ビックリで、ただもうカラカラ笑い、計測用マイクのスタンドがペーパークラフトで自分で折って曲げてタワーを作る仕様なのにもカラカラ笑った。

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 笑うということでは、他社の追従を許さぬバカでかいリモコンが無粋なド迫力あって、「あのね~」と腰引けたし、本体の上も左右もが放熱の穴だらけで、

「デススターの床じゃあるまいし」

 ホコリ吸い込み放題じゃん……、旧DENONに劣る点も散見されて、そこはそこでまたピックリ。

 

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 などと不満を申しつつも映像と音の環境が変わり、愉しみ幅は拡がった。導火線役となったK夫妻のYAMAHAに感謝。

ラストサムライ』が公開されたのは2003年の末だから、もう17年近く前になるけど誰かさんと一緒に岡山松竹文化(今はもうない)で観たさい、トム・クルーズ小雪の会話中に子供の声がしたような気がすると同行の誰かさんが云う。

 ボクは聴こえておらず、「じゃ~確認しよう」ということでイオンモールのMOVIX倉敷で再度観て、

「あらま~ッ」

 ホントに子供たちの声がそれも背後からしっかり聴こえ、同じ映画館とはいえ設えた音響環境によってまったく違うじゃ~ん、ビックリを味わった次第を、今ごろになってまた……、味わってる。

 機器を取っ換えるコトで新鮮がやって来るのか、新鮮は機器替えでなきゃ登場しないのか、そこのニュアンスはよく判らないけど、周辺見まわすにアレコレ取っ換えてイイものであふれてるような。とりいそぎは、我がメダマだな……。

 

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ジャガイモ掘り出して

 ジャガイモを掘り出した。

 昨年末に掘り起こしてもよかったけど放置。それをこたび。

 わずか1メートル強四方の区画ゆえ、収穫量はしれている。けども、けっこう大きく育ったのもいて、なんだか慶賀。

(慶賀って、こういう時に使ってもいいのだよん。喜んで祝うという意味なんで)

 これっくらいの量は買ってもたいした金額じゃ~ないけれど、ささやかなガーデンで出来ちゃったのが何よりメデタイわけで、毎年やってるけど、まずは複数を茹でてバターでいただこうかな。(久々バターも買ってきた・苦笑)

 ほいで次はカレーだかに使い、次いでステーキ焼いた(安いお肉で)さいの添え物かな。

 小さな行為だけど、ま~、えがいた夢はでかいわね。

 

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  カゴはパッションフルーツを室内にいれるさい伐採した長い枝を乾燥させて造った手製


 今年にはいって何冊か明治中頃の事を書いた古書を買い、拾い読みしてみるに、食堂車というのは山陽鉄道が初めて導入したもの、というのを知った。

 

山陽鉄道明治21年に起業の私鉄。明治34年までに神戸~下関を結んで営業。しかし明治39年に軍部が日露戦争での経験を踏まえ兵員と軍事物資の円滑な輸送を申し立てる。結果、強制買収みたいな形で国家運営となり今の山陽本線になる。山陽鉄道を含め国営化を申し出られた私鉄17社は大反対だったけど、戦争勝利に沸いてる世論も国を味方し、押し切られるようにして私鉄は統合され国有鉄道となった)

 

 調べてる事とは関係ないけども、そういうコトを知ると、途端に興味が脱線するわね~、だって鉄道だぁなんてニコヤカに笑みつつ、西洋料理が饗されると書いてあるから、きっとお肉のそばにはボイルされたジャガイモがあったろうなぁ……、と想像する。

 

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 1700年代の末には最上徳内(この人の素晴らしさはみなもと太郎の『風雲児たち』で堪能できるよ)が北海道に種イモを持ち込んで栽培しはじめ、明治初期には男爵イモが米国から入って直ぐ北海道で国産化されている。この山陽鉄道の食堂車で使われたのは国産オジャガだったろうか? 煮くずれしやすくないか? 

 煮くずれしにくいメークインは大正時代に国産化だから、食堂車で使われたとすれば神戸港に入った輸入品かもしれない。ま~、献立しだいでイモのチョイスも変わったろうけど……。

 

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 メニュー表が今に残っていて、1等・2等・3等とある。おそらくコース料理として等級が判れていたんだろうが、具体な中身は判らない。

 神戸に自由亭ホテルという煉瓦造り3階建てのホテルがあり明治22年開業・のちにミカドホテルに改名。上写真)、ここが食堂車の運営を請け負った。

 西洋人が宿泊するホテルだから、ま~、食事もちゃんとしていたとは思えるけど、食堂車でどういう料理を出してたかといった”中身の資料”って、あんがいとナイもんだ。

 

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 1等・2等・3等の3等がハンバーグ定食みたいなものだった可能性もあるし、また逆に、そうであるなら、ハンバーグ食の日本での起源を調べておかないと、可能性もあるとはホントは云えない。明治38年の文献に「ハンボーグステーキ」という料理名が紹介されてるけど、ひき肉ではないし、一般に普及しているものでもなかったようだし……。

 

 ともあれ食堂車というカタチは明治32年に私鉄・山陽鉄道鐵道と書く方が雰囲気イイけど)で産声をあげた。

 1等車車輌の半分を使い、中央に長いテーブル1つで座席は10席。これに自由亭ホテルから出張のボーイがつくんだからシャレてるし、ゆとりのゴージャス。

 

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           山陽鉄道食堂車の内部。当時の写真。オシャレだね〜。

天井中央の裸電球にも注目されたい。この電球点灯のために車列には蓄電車という小さな貨車もひいてんだよ、当時は。

 

 価格も興味深い。(上のメニュー写真を見られよ)

 明治8年に登場した銀座・木村屋のあんパンは1ヶ1銭。今の価格でいえば200円。

 明治25年に岡山に出来た亜公園・集成閣の入場料は5銭。およそ1000円なワケだ。

 で、食堂車の値段をみるに、

  • 1等 70銭  ⇒ 14000円
  • 2等 50銭    ⇒ 10000円
  • 3等 35銭    ⇒ 7000円
  • パン(バター付)   5銭 ⇒ 1000円
  • キリンビール(大瓶) 25銭 ⇒ 5000円(!)

 と、ずいぶんに高いのが判り、ボクなんかはちょっと利用できない……。

 ま~、当時ビールが高額だったのは判ってる。

明治34年の麦酒税が原因。軍事予算を増加させるためビールに大幅課税でバカ高くなった。このため弱小のメーカーは全て潰れ、資本力ある大手ビール会社のみが生き残った)

 明治34年での通常価格が19銭(3800円)だから、食堂車はそれに上乗せてのお値段というワケだろうけど、それにしても高ぅございますなぁ。

 

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 明治32年7月1日付けの大阪朝日新聞の連載小説『紫水晶』の挿絵は、山陽鉄道食堂車の光景。

 ボーイが両手に持ってるのはパンだけど、各人の前の皿のクチャっとしたモノ何だろう?

 

 でもさらに逆を思えば、上のような金額でも当時ヘッチャラな方々もまた大勢いたということになるから、明治は必ずしも貧しいばっかりの時代ではないことが、これでしれる。(云い方を替えると格差社会が進んだというコト)

 ちなみにこの頃、お米は高くなりつつあって、明治20(1887)年に1升で5銭(1000円)くらいが、明治31(1898)年には15銭(3000円)にと、ずいぶんに値上がりし、大正7(1918)年にゃ33銭(6600円)を突破で米騒動が全国で起きてる。需要に生産が追いつかず、昭和の時代になって、

「貧乏人はムギを食え」

 という発言が大問題(1950年の衆議院予算委員会での池田勇人蔵相発言)になったけど、明治以来ずっと米の安定供給は出来てなかったわけだ。(人口の増加も原因ですが)

 でも一方で、ライスカレー明治35年頃にはしっかり庶民な味として定着しつつあって、5銭とか7銭で食べられた。1000円~1500円くらいな感じね。

 一皿にどれっくらいのご飯とビーフが入ってたか判らないけど、関東じゃポークかな? 

 漱石の『三四郎』にもライスカレーを食べるシーンがあったね。お肉はほとんど入ってなくって、オジャガがゴロゴロだったように思えるけど、我が宅のささやか極まるガーデンを掘じくってジャガイモを取り出しつつ、以上、明治中期にタイムトリップしてみましたワイね。

 

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          これはポーク仕様のカレー。2粒ほど牡蛎をそえてパチリ。

ライスカレーが、カレーライスとひっくり返ったのは昭和44(1969)年頃。ちまたにザ・タイガースショーケンテンプターズグループ・サウンズの音色が満ちてた時期に、誰かがライスとカレーを別皿に入れるというシャレたことをはじめ、これで主従がひっくり返った。というか、それまで同列に一皿におさまってたのが、カレーが主でライスは従という上下関係をあえて見せるという新形態になったわけだ。

 

 余談ついでながら、食堂車登場の頃の山陽鉄道は1等車・1等車・3等車とあって、食堂車が出来ると、その3等の客が1番安いラム子(ラムネのこと)だけ注文して居座って動かないというモンダイが生じたようで、やむなくも直ぐに、

「3等車の人は利用できません」

 という風にクラス分別が起きちゃってる。ボクなんかはたぶんに、

「切符を拝見……」

 チェックされ、その追い出される方に属してるんだろうね~、当時に生きてたなら。それで……、

「よっしゃ~、今にみとれ~、そのうち食堂車借りきって、愛人5人くらいと一緒に乗っかって、フォークとナイフ器用に使ってみせたるんじゃ!」

 なさけない向上心をメラメラ燃やしたかもしれんねッ。

 ま~、えがく夢だけはでかいわな。

冬の星座 ~メイフィールドの怪人たち~

 慣習上ほぼ毎日、早朝3時半頃に屋外に出る。

 冷気の中、夜空をチラリと見上げる。

 数分後にはもう部屋に戻ってるけど、あんがいと雲が多く、星はあんまりみえない。

 けどこの前の夜中は雲がなく、星がよくみえた。

 よくみえたといっても、昔々の中学生の頃に眺めたようないっぱいの星じゃない。地表が明るいから、名だたる星座が確認できるという程度。1960年代と2020年の今とじゃ星具合が違う。

 

 早朝3時の夜空は冬の星座じゃない。

 急速に明るさを失せさせ、まもなく大爆発するのではないかと話題になってるベテルギウスのオリオン座もいなく、こいぬ座もいなければ、おおいぬ座シリウスもいない。

 頂点付近に北斗七星が出て、南のやや低いところには乙女座が出張ってる。

 冷え冷えして実にまったく真冬なのに、もうしっかり春の星座というか夏のそれに近い。

 天体の運行はニンゲンの感覚よりひと足早いわけなのだ。

 なのでちょっと不思議をおぼえ、

「季節っぽくね~なぁ」

 小さくブ~イングする。20時から22時頃にかけて南天にいるオリオン座がそのまま早朝までいて欲しいなぁ〜とコッソリ思ったりする。

 

 とかいって、熱心に観察しているわけもない。慣習上そうやって見上げてるだけのハナシじゃあるけど、夜中の暗い空と星はヘンな欲望も野望もない無垢だから、魅かれ続ける。

 天体には悪もなければ善もない。けどもその姿にニンゲンは感じちゃい、諸々な情というフィルターを通して見る。

 そこで『星に願いを』やらやらな、「物語」が出てくる。怖がったり、神さんと連座させたり、託したり、侵略したりされたり、地表との同化を図ってアレコレな想像の泡をソーダ水みたいに浮き上がらせる。

 凛とした星……、と書くことで星に感覚をもたらせる。

 そこがま~、お・も・し・ろ・い。

 

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       K殿下撮影のM78星雲が載ってる本年12月のカレンダー。

 

 久々、『メイフィールドの怪人たち』を観る。

 なんど観ても愉しい映画の1本。

 巻頭、星からの視線で地球にカメラが接近し、見事なズームインで小さな町の郊外のさらに小さな”町内”へと寄ってくジョー・ダンテ監督の、

「これは地球の物語だよ~ん」

 っぽい導入がいい。

 

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             トム・ハンクスとリック・ダコマン

 

 マジメだけどヤヤ臆病なトム・ハンクス

 今となってはトランプ大統領を彷彿させられるもする自意識と村意識の高いリック・ダコマン(5年前に亡くなってしまい残念)

 元軍人で年金生活ながら超エロでベッピンのワイフのいるブルース・ダーン

 この3人のスットボケ、排他的村社会の呼吸が、とにかく可笑しい。

 キャリー・フィッシャートム・ハンクスのワイフ役で、ごくごくアメリカンな平凡な女性を演じてるのもチャ~ミングだし、劇中登場の3匹のワンちゃんも個性あって見栄え良し。

 

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      ブルース・ダーン(もう最高!)とウェンディ・シャール扮するエロいワイフ

 堤幸彦監督は『トリック』の第1シーズンあたりで、かなりこの『メイフィールドの怪人たち』のパロディというか、人物の顔に向けてズームを繰り返す撮影と編集部分での物真似コピーをやってたけど、ま~、真似たくなる程にジョー・ダンテはこの手の冗談がジョ~段てにうまかった。

 何度観ても飽きない面白みが維持されるべく創られてる。ドタバタの末にとんでもない事件が最後で飛び出す大展開もすばらしい。

 鬱屈気分が蔓延してる時には、こういう映画がチョイとしたリポビタンD効果を発揮して、ふぁいと~イッパ~ツ! みたいに機能するんじゃなかろうか。『星に願いを』込めずとも、地表はそれなりに面白くもアリという次第も有りかな。この映画の締めくくりは巻頭とは逆に、また視線が宇宙空間にまでズームアウトし、ポッカリ浮いた地球の姿で終わる。

 この映画、星のみえない早朝4時から観るも良し。

      
 ジョー・ダンテはケタケタ笑える映画を造りつつも、内に社会批判を込めているのか、あるいは、この映画の通りに村社会的封鎖性を容認してるのか……、そのあたりを考察するのも一興。