明治の感染症騒動

 

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          ↑ 7月13日新聞休刊日の毎日新聞ネット記事の見出し

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       ↑ 昭和18年日本陸軍省が発行し全国に配布した標語ポスター

 

 イヤな匂いの感じ悪さ……。 

 上記の2つ。雰囲気、似ていなくもない……。

  

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 亜公園のことを調べていくと、芋づる式に、あれこれな当時の姿が立ち上がってくる。

 ま~、それが面白くもあり、同時に、いつまでも調べ続けなきゃいけないというアンバイになって、ゴールが見えなくもなるのだけど。

 とはいえ別にレースに参加しているんじゃないから、あせる事もない。自分の中での区切りをどの辺りに置くか……、という一点のみが問題かな。

 

 亜公園がオープンした明治25年。開園後4ヶ月めの7月、大きな台風が岡山にやって来た話は、前回の岡山シティミュージアムの講演で披露した。

 岡山市全域がほぼ床上浸水という悪しきな事になっちまった。

 亜公園は高台だから、水にやられなかったものの、オーナーの片山儀太郎は京橋のすぐそばに住まっている関係上、レッド・アラートな場所。

 家から出られず、大量に抱え持つ材木の流出や京橋倒壊を心配でやきもきしてた、というような事を話した。

 一方で、この時岡山の親戚宅に滞在していた夏目金之助は、親戚宅が浸水。縁あって知人の光藤亀吉が金之助のところに馳せ参じさせた弟(後に2代目亀吉を名乗り岡山ガスの社長になる)の誘導で、高台たる県庁ないしは亜公園に丸2晩ほど避難していたという事も、話した。

 ま~、その辺り、来月のRSK山陽放送でのトークでは、やや長い話になるから言わないかも知れないけど。

 

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 さ~、その水害の後だ。

 台風後、実は、コレラ赤痢が発生し、かなりの被害が出ているようなのだ。

 明治半ばという事もあり、統計数字としての被害者数など、詳細は判らない。

 けど、死者もかなり出たようである……。

 当時、上水道・下水道ともに未発達というか、水道なんか、ない

 

 誰しもが、飲料は井戸に頼る。

 トイレはすべてくみ取り。

 市内はほぼ全域が床上浸水だ……。

 さて。そうすると、どうなる?

 要は井戸の水もトイレの中身もごっちゃに混ざるわけだ。

 その水をナマで飲む。

 コレラ赤痢は経口感染するから、当然に、てんでワヤな状況になるワケだ。

 グツグツ水を沸騰させて飲むならまだしも、なにぶん夏だ、チメテ~のを飲みたいじゃないか。

 それで井戸の濁りがないのを見てから、

「茶碗いっぱいくれ~ならデェ~ジョウブじゃろう」

 飲んじまう。

 大丈夫なはずがない……。

 菌は彼ないし彼女の小腸に蚕食にかかり、その彼ないし彼女の排泄物が地中からまた井戸水へと移動し、次いで家族が感染し、今でいうクラスターみたいな事となる。

 

 今回の、我々が経験中のウィルス騒動ではオリンピックの前にワクチン開発完了、といった希望的ニュースが耳に届くけど、はたして、そんなお薬、出来るのかしら?

 実は、赤痢コレラも、いまだ特効薬は、ない

 出来ていないんだ。

 昭和の半ばころに両者は日本から急減し、なにやら良く効く薬があるよう思いがちなれど、実態はそうでない。

 要は上下水道が発達して、飲料水とトイレを含む汚水とが分離され、人間にとっての衛生面が大きく向上したのがポイント中のポイントだ。

 コレラ菌赤痢菌も、今もウジャラカ、いる事はいるのだね。

 

 明治の半ば、開業した亜公園はそういう伝染病蔓延をも経験しているワケだ。

 ということは、今とあんまり変わらないじゃないの。

 (亜公園で伝染病が出たという話はない)

 ニュータイプのコロナ・ウィルスは、コレラ菌なんぞよりはるかに微細なものらしいが、そのコレラですら完治薬ができないのに、はたしてウィルスに効く薬が数ヶ月で開発出来るんだろうか……。

 難儀は続くと思った方が気がラクかも、だ。

 だから呼吸器系衛生面の充実が結局は要めって~コトかな……。コレラ達と人間達同様に、このさきは共存するっきゃ~ないのかも、だなぁ。ヤだなぁ。

 

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 ちなみに、岡山での上水道のスタート時を顧みるに……、明治21年に自費でもって上水道を構築して市民に提供しようとした人があったけど、大掛かりで予算も甚大ゆえ断念。

 明治33年には市役所に水道工事課を設けたものの、意外や、市民の半数は水道設置に反対。市議会がそれで二分して、何も進まない。

 明治35年。全国的コレラ蔓延。水道敷設がコレラ赤痢に対抗する手段という知識が広まり、反対の方々も賛成へと意見を変える。

 明治38年岡山市は申し込みのあった7434戸に向け水道給水を開始。以後、徐々に拡大……。

 その拡大と共に赤痢などの発生がカク〜ンと減少する。

 

 上記の通り、かつて、水道なんぞは要らない、というピープルがけっこういたのですなぁ。

 ヘンテコだけど、お・も・し・ろ・い

 水道を整備してやっとコレラ赤痢蔓延をコントロール出来たというのを今に適用すれば、さ~、わたし達はどういう社会整備をやったらいいか?

 今やどの店でもやってる透明ビニールの間仕切りのみが、”効能あり”とは思えない。共存となるなら、生活スタイルの根幹にある何かを変えなきゃいけない。

 けど、決定的となる何かがまだ判ってないというのが、ま~、ペケなところでしょうなぁ。この状態でオリンピック開催なんて、ありえないでしょ。

 それでもヤリタイという人があれば、それは明治時代の、水道施設に反対を唱えたヒトに逆説的に似るなぁ。

 

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 という次第で、次の講演は8月20日

 申し込みはRSK山陽放送へどうぞ。当初は250名様を予定でしたがソーシャルディスタンスにて、50名様限定。

 7月末が締め切りだそうですから、興味ある方はお早めによろしくどうぞ。

 

 

フルーツ少々

 曇天ないしは雨天が続き、いささかにうんざりの日々。

 雨が落ちない束の間に、パッションフルーツを室内から庭へ。

 去年より1ケ月、遅い作業。

 去年夏に金属製のアーチを小庭に置いたから、それにからんでいくよう鉢を置く。

 今年はあえて鉢を土に埋めない。ま~、ちょっと下あたりのみ埋めたけど、鉢底の水抜き穴から土に向けて根は伸びてく。

 

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 根がメチャ広範囲に拡がるのがパッションフルーツの特徴。なので深鉢だと当然に根も深い場所に伸びる。

 そこを今回は、やや浅い部分で根をおろしてもらおうと思ったのけど、さ~、どうなることやら……。

 

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 パッションフルーツの葉は緑が濃く、なにより、柔らかなのが良い。

 外に出されると、環境急変でしばしはぐったりな姿を見せることになるし、ズッと雨でもあるから……、どう育って葉を茂らせるか、しばし静観するしかない。

 

 数日前の雨の夕刻、Kosakaちゃんが小夏を持ってきてくれた。

 高知の土佐町久礼にカツオのたたきを食べに出向いた、その道ばたで売ってたものだそうで。

 店販売用のカタチ整ったものでなく農家の方が直に売っていたものらしい。ウィルス騒動で県外からの来訪も激減、ちょっとでも現金に……、という流れでの販売か、驚く程安かったという。

 カタチが揃わなくていいし、傷もあっていい。

 ありがたい。頂戴して酸味を味わう。

 

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               幾つか食べた後で写真パチリ

 

 小夏は白い毛布のような皮部分ごと食べちゃうという、やや不思議な果物だけど、食べつつ、小庭のレモンに思いを跳ばす。

 周りの植物が派手におごって、チッとも目立たないし、葉もパッションフルーツのように柔らかでない。どっちかといえばゴワっとした感触。

 ゴワゴワ葉っぱはさほど好みじゃないけど、ま~、いいや。今は育って大きくなって周りの植物に負けないくらいのサイズになるのを祈念するのみ。

 

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                    レモンはどこだ?

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      写真の中央、ここだ。周辺の伸びっぷりにヤヤ気後れしてるんじゃ~ないかしら。

 

 年々歳々、温暖化によるらしき、いわゆる激甚災害の厳しさに拍車がかかってる。

 ヒトの作った治水構造を越えて川が氾濫することたびたび。

 それでエライことになっているけど、川に住まう魚たちはどうしているんだろう?

 上流から下流への流れが尋常でない中、同じ場所にとどまっているとは思えず、急激な流れと増水に当然に流されているだろうとは考えられるけど、はたしてどれっくらい流されているのかしら?

 

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 2㎞とか4㎞でなく、数10㎞移動しちゃう場合もあるのかな? ネット配信の川の映像を見る限り、流れに対抗して踏ん張っていられるのは数分って〜ところだろう。

 となれば、土砂の流出と共に、上流部分では魚が一気にいなくなっているんじゃなかろうか?

 やむにやまれぬ流れ旅での故郷喪失……、魚の目線で思ってみるんだけど、さ~、どんなもんでしょう。

 おそらくは魚界でも被害甚大ということなのだろう、な。

 

墓場鬼太郎

 政府指図による、この1日からの「プラスチック製レジ袋有料化」。

 海洋汚染やらの抑圧につながると言われるけど、日本でのこのような製品、いわゆる廃材プラスチックの排出量は年間 900万トン。

 で、そのうちレジ袋は 20万トン。

 えっ? 880万トンはそのまま……。

 レジ袋なんぞよりはるかに多く消費されるプラスチックの容器。スーパーやコンビニの弁当だの惣菜だののそれは 400万トンを越える。

 なるほど食材容器は回収というカタチで浸透しつつだけど、発泡素材系プラスチックはオッケーながら、惣菜弁当やら銀色や金色のトレーやら豆腐の容器などなどなど回収出来ないモノの方がたくさんで、そこの分別が判らないままにスーパーの回収ボックスにどんどん放り入れられるから、処理業者はさらに1ケ1ケをチェックで、

「なんだかな~ぁ」

 処理出来ないゴミとなったモノが右から左へ移動しつつドンドン増加してるってのが、実態。

 大筋のところは何も対策してないの、だね。

 有料化に伴ってエコロジー・バッグが売れてる~、みたいな妙に明るい声でのアナウンスでのニュースは聞くけど、プラスチックという素材の良点と悪点についての話題がほとんどナイのは、いけませんなぁ。

 エコバッグだのマイバッグで環境に貢献してると思い込んじゃうのは、早合点。

 

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 この数週は、ベッドに横たわるたび、『墓場鬼太郎』をば

 かの名作『ゲゲゲの鬼太郎』のスタートとなる、水木御大の貸本時代の作品たち。

 登場キャラクターにしろチャンチャンコにしろ、鬼太郎が日本国籍を持てない生活困窮者であるとか、この時点で基礎が固まり、その上で、自分を社会生活の中にどう置いてよいか判ってない鬼太郎のカタチが、く・す・ぐっ・た・い。

 鬼太郎はまだ正義の妖怪じゃない。気にくわない人間を死に追いやりもする。

 かなりダーク。

 けれど一方で、作品は妙に陽性、陰々滅々に落ちていかないのが不思議。

 

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 しかし毎度のことながら、寝転がって読むと、たいがい途中で寝てしまう。

 作品のせいでなく、読書欲より睡眠欲がいつも勝つんだね。

 ドサッと本を手から落っことした音で毎回、ビクッ。

 それで消灯し、夢の中。

 

 夢は、たいがい、お・も・し・ろ・い。

 と云っても、目覚めた途端に、消失してくの。

 ぁぁ、何だっけ……、懸命に追想しようとするんだけど、ダメね。

 弩弓なストーリーであった筈なのに、いかんせん、プイと眼がさめた途端に消失がはじまるからヤッカイ。

 

 クリストファー・ノーラン監督はベッドサイドにペンとノートを常備し、目覚めるや即行で今観た夢を筆記して、たしか彼の『インセプション』は、見た夢が母体となった話だそうだけど、さもありなん。

 黒澤明の『夢』も、文字通り黒澤御大が見た夢だったそうだし、原田眞人監督も時にブログで夢のコトを記してらっしゃるところをみると、

「あなどれない存在」

 なんだろうねぇ、夢は。

 

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          1920年の映画『カリガリ博士』の眠り男チェザーレ

 

 かく云うぼくも、このまえ、かなりのケッサクを見てる。

 登場人物全員西洋人。どっかの隔離されたような病院的な場所。ぼくは介護者としてそこにいるらしきだけど、介護抱擁してる腕の中で女の患者が男に変わり、逆に男の患者が女に変わる。

 ちょっとセクシャルな描写もあって、裸の女の胸、それに触れるぼく、昂悦の悶えの表情になる女の姿態、その女の顔が我が腕の中で変形し顎が伸びて不精な男の顔にと変わってく、かなりリアルな触感も感知しつつのケッサクだった。

 でも、そんな部分のみが残り、全体像は目覚めた途端に、お・ぼ・ろ。

 女が男に、男が女に変じる連鎖が続き、次第に誰が誰だか判らない個体から全体へと朦朧となってく次第の、その理由も結末も判らないまま……

 いわば、夢の名作が迷作になっていくみたい。実に口惜しい。

 

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            『墓場鬼太郎』角川文庫第2巻「吸血鬼と猫娘」より

 

墓場鬼太郎』では、歌手のトランク永井がネズミ男の仕業で腕にケッタイな吸血木を植樹され、切除出来ないままにこの木に血を与えなきゃ死んでしまうと診断され、輸血までしてみるけど……、樹木化は進行、トランク永井は、

「ぁぁ、これがただの夢ならいいのに」

 と、お嘆きになるけど、読者のこちらはその転換に継ぐ転換の回転力で疾走するようなこの一篇を大いに堪能できて一種の満腹感を味わえる。

 

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 文庫とコミックスとかつての貸本のサイズ比較。(貸本は概ねA5サイズで統一だった。右は鉄腕アトムにあらず。こういうまがい物もあったのが貸本時代の頼もしさ)

 

 ちなみに、漫画は文庫サイズはそぐわないと思って久しい。

 サイズが小さくなるとコマの魅力も減退。「漫画文庫化 - 禁止令」てな法案が提出されたら、喜んで支持するくらい、好みでない。

 なので基本としては文庫の漫画は敬遠だけど、大きな版で読めない場合は、しかたね~。文句たれつつベッドサイドに運んでら。

 とか云って、それほど漫画に接しているわけでもない。市販の99.9パーセントは読んだこともなくって、ま〜、そんなもんでしょ。

 好みを繰り返し眺めている、というのが実相。

 

 ベッドで読むより、何か食べつつの方が時に漫画は似合う。読んで良し・味わいも良し、というアップな相乗効果アリだけども……、話がそれるけど、リニューアルで進出して来た店々の勢いに押されというか、岡山駅でけっこう頑張ってたユアーズが2階から1階に降りての凋落っぷりが痛々しくて気の毒。わけても惣菜がさっぱりワヤ。

 ま~、もっとも、あまりにフードに特化した2階コンコースも、なんだかなぁ。

 とか云いつつ、35分並んでビーフカレー1つ買った私も、なんだかなぁ。

 けどもま~、30分ほどで食べつつの『墓場鬼太郎』、両者ごちそうではありんした。

 

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古いヤツだとお思いでしょうが

 ああぁぁっ……、という間にもう7月。

 この半年の天災と人災。

 さっぱりワヤ。やってられませんなぁ。

 けど、やってかなきゃ~いけないワケで……

 なるほど、こういう状況で鬱屈晴らしなテロ行為が萌芽するというのは、わからなくもなく、といって、ぼくも暴発しちゃうぞ~んな無謀傍若なゾーンの持ち合わせはないんで、要は、ながされるままという、ていたらく。

 

 数週、トヨタのBLADEに乗ってた。

 オイル漏れの原因を探ってもらうべく、懇意なF氏にMINIを預けての代車。

 数年前にG社からC社に彼は職場を換えたけど、氏はず~~っと我がMINIの面倒をみてくれてる。

 BLADEは既に販売されていない。

 トヨタはヨーロッパ市場向けの高級車として開発販売したものの、ベンツやらBMWのそのクラスには劣るということで不人気、アチャラの評価はすぐコチャラに伝搬で国内でも不振。

 わずか数年で撤収を余儀なくされた気の毒な車種。

 

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 映画『BALADE RUNNER』が公開され、やがてこれがカルト的人気となった頃合いで、ブレードという呼称を意匠登録し、数十年後に商品化したわけだけど、期待通りにいかなかった。

 なが~くMINIに乗ってる我が身としては、そのでっかいサイズもさることながら、至れりつくせりのSF未来カー以外の何物でもなく、ライトもエアコンも自動可動だし、シート・ポジションの位置調整なんぞは、

「うっそ~」

 ってな程にコマめ微細な調整がワンタッチで、MINIとはウンデンの差。

 BMWに劣るという評価なれど、良い。

 

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 けど、正直なハナシ、良いけれど……、一向に面白くない

 運転してる気分がかいもく湧かない。

 勝手に運ばれてくようなアンバイ。エンジンは静音きわまりなく、回転してんの? と訝しむほどで、機械としては申し分ないながら……、人馬一体的な醍醐味はさっぱりナイのだった。

 な、次第ゆえMINIが戻って来たさいは、密かに小躍りした。

 

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 MINIはライトも車内灯もメチャに暗いし、いまどきのに較べて加速は劣るし、装備も古い。古いなんて~モノじゃない。ピッピッとドアの施錠が出来るわけもなく、なんせシガーライターさえ、ないのだ〜。ハンドルはゲキ重い。走らせるたびにアチャコチャからギシギシと音がするし、エア~バックなんて安全装備もない。

 けど、これに自分が乗っかって運転するんだぁ、という感じ良さは激烈にして濃厚。

 なかなかコチラの云うことを聞いてくれない、いわば個性が濃くって、だから、運転時と運転後の、

「今日は良く駆けてくれたね〜♥」

 みたいな、親密をおぼえられるのだった。

 

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 MINIはエンジン・オイルとミッション・オイルが別々でなく一緒という他の車にない構造ゆえ、それにくわえ、新車で購入していらい既に27年も乗ってるから、経年劣化もはなはだしい。

 ミッションとリンクしたハンドル・シャフトの根元部分からのオイル漏洩というコトが今回点検してもらって判ったのだったけど……、これの根治はムズカしいという。

 完全分解してのパーツ替えとなり、経費甚大。程度のよいMINIが変えちゃうくらいな金額となりそう。

 な、次第ゆえ、そこは人馬一体、傷ついた馬を養生し~し~に乗る……、というコトにした。

 昔、鶴田浩二が、

「古いヤツだとお思いでしょうが……」

 と、歌った昭和な気分ではないけれども、『愛着』という名のLOVEをこのMINIに感じちゃってるんだから、ま~、それでいいのだ。

 たぶんF氏とてそうなのだろう。ぼくより年若く、それゆえ仕事上のあらたな展開を希求して、斜陽ぎみな英国車専門店から国産者販売の店に移動したものの、いまどきの車は整備士という資格をさほど問わない精妙ゆえ、故障となれば、パーツ全体をどかっと換えるだけの作業。いわば整備士としての腕のみせようがなく、

「ぶっちゃけ、誰にでも出来るんです。張り合いがないというか……」

 とのこと。

 我がMINIに関しては、そこが違い、彼なりのアレンジの上でのエンジン回転やら調整が加わってる。

 なので、

「このMINIとは、まだ付き合わせてよ」

 と、破顔してくれる。

 彼もまた、きっと、

「古いヤツだとお思いでしょうが……」

 な、1人なのだ。

 

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               (ロイター=共同が報じた写真)
 

 ぁぁあ、それにしても、フランスのフォションがウィルス騒動で経営破綻というのはビックリしたな、も~ぅ。

 観光客ほぼゼロゆえに破綻原因となったらしきパリの本店カフェで、はるか大昔、夕刻に、

「こーひー・しるゔぅぷれ」

 とオーダーしたら、ホット・ウィスキーとハムをはさんだバケットが運ばれてきて、けども、

「ちゃうがな、コレ」

 に、相応のフランス語がわからん珍なので、黙って、ホット・ウィスキーを啜ったのを、懐かしむ。

 この珍事は、フォションの年配ウェイターがこちらをジャップと見下してのイタズラだったか、あるいは、こちらのハチュオンが、

Mauvaise prononciation(これじたいカタカナ表記がむず痒い)

 だったからなのか、その時は判らなかったけども、42年経った今は……、生粋パリジャンたるその年配ウェイターには未知な、ケンゾーでもイッセイでもない、東方のダイエー・ブランド装束の、我が方のジャニーズっぽいカッコ良さげにポ~っとしちゃって、ついで嫉妬し、受注の品を間違えちゃったと決めている。

 ダイエーとて今はないのだし、かなり年配であったウェイターとてもう鬼籍のヒトだろう。

 許してあげよう。 

 でもってパリのFAUCHON本店復活を切に願う。この店はね、明治半ばの岡山に突如現れた「亜公園」とほぼ同じ時期FAUCHON開店は1886年、明治19年)に営業をはじめてるんだ。遠くにあって実は近い存在でもあるわけで~~~、これもまた、

「古いヤツだとお思いでしょうが……」

 なのだ。

 

 

 

岡山空襲からまもなく75年

 ミュージアム展示のために作ったものの、使わなかった模型……

 そういうのも、ある。

 何だか模型が気の毒だけど、しかたない。

 1例としてあげるこの模型なんぞは、彩色がはたして正しいのかどうか、確証がもてず、結局、お蔵入りとした。

 

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 戦時中の岡山電気軌道の車輌の1つ。100型といって、1940年代の岡山市街を駆けてたやつだ。

 で、戦争となって雲行き怪しく、岡山もいつ空襲に遭うか判らない。

 それで被害を抑えるため、目立たぬよう車体を暗っぽい色に塗ったらしいのだ。

 その色がどんなものだったかが、判らない。当時を示す写真があるわけでなく、ましてカラー写真なんぞ望めない。憶測でペイントするしかなかった。

 けども基より、この100型という車輌はさほど明るい色が施されたものじゃなかった。

 ハナっから黒っぽい色か濃い茶色なボディだったというのが実像らしく、じゃ~、それをどう塗り替えたか……、確証をもてない。強いていえば、はたして塗り替えるような作業があったかも、今となってはおぼろなのだった。

 そんな次第あって、空襲後の焼け跡でいち早く復旧運転を始めた頃の、かなりやつれた姿……、という状況を空想しての工作となったわけだけど、確定的な証拠のない色ゆえ、展示品として使えなかった。

 

 車内に女性が乗っていてスカートを着けている。

 戦中はモンペ一色だったというに、戦争終結と同時に全国津々浦々でスカートやらカラフルな着物姿が雨後の竹の子みたいにドヒャ~と出てきたのは、敗戦直後の多数の写真を見ればよく判る。

 (ウィルス騒動の規制緩和と同時に町に人が繰り出したのと同じ心理だろう)

 押さえ殺していた諸々な感情を、”抑圧からの開放”としてこのスカートに要約し、ミュージアムで仔細を眺めて頂けたら、カーキ色の国民服を脱いで白いシャツの男性とかも車内にいるのが判るようには作ったのだけど、ま~ま~仕方ない、お蔵入り。

 

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 ただ、この工作でもって、当時の岡山電気軌道の心情は大なり小なり判るような気もした。

 車輌が標的になることは既に承知していたから、いざというさい、どう回避しようかとアレコレ検討されたことは理解できる。

 大本営からの勇ましいニュースと日々の現実は一致せず、けども戦局不利でしょうとも云えない狭隘な空気の中、不安の焦燥を浮かせるまま上空を見上げるような日々であったに、違いない。

 

 だけど大きな俯瞰で眺めると、米軍の空襲は場当たりじゃない。こちらの杞憂を大きく上廻る周到な準備と計画にのっとっている。

 昭和20年6月29日午前2時40分を過ぎた頃からの2時間にわたった空襲にいたる前、5月13日の白昼、米軍は岡山市上空に偵察機を飛ばし、町の全体を写真に収めている。

 どこに何があるかをキチリ掌握して飛んで来ているわけだ。

 その写真を現在は見ることが出来るけど、空の上からだと路面電車をどう塗装しようが、クッキリそれと判るほどに鮮明に写されていて、隠しようがない。

 

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     偵察飛行で撮られた岡山市街。米国国立公文書館蔵にキャプションをいれてます

 

 さほど広くもない岡山市街を焼き払うのに用いられた爆撃機141機。

 途中で故障して引き返したのが3機あって、最終的には138機が岡山に飛来、爆弾を落とした。

 この潤沢な物量作戦を前にしては、車両の塗装なんかは意味もなかったわけだ。

 ちなみにB-29は空調完備な快適仕様、乗員10名で個々人役割分担されているから1人でも欠けてる場合は飛行させないという規定があったそうで、その1機1機にどでかい焼夷弾148発を積んでいる。

 なので岡山上空には1380人の米国の若者がいて、彼らが148×138、2万428ケ(落下中に分離して9万5700発)もの爆弾を降らせたことになる。ほぼ無抵抗と判って高度をどんどん下げてきて、機銃照射もあったとの目撃談もある。

 

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 幸いかな、市街区のほぼ外れに位置して山裾の東山(ひがしやま・地名)の本社と車庫は焼けずに残った。車両被害はその近場に路駐させた3輛にとどまった。でも電力供給の要めである大供(だいく・地名)の変電所が焼け、路線もズタズタになった。

 歪んだり穴のあいた鉄路はそれなりに修復出来るけど、変電所の整流器が大問題。

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 これには水銀が必要(水銀整流器-水銀を陰極とし、黒鉛の円柱を陽極として封じ込み、水銀アーク放電を利用して交流を直流に変換する装置)で、岡山電気軌道では職員が山陽本線の切符を何日も並んで入手、さらに数日、来るあてのない大阪方面行きの列車を待った。

 で、何度か乗り継ぎながら、喰うや喰わずで、かろうじて京都にまで出向き、京都にある水銀販売の業者をたずねて、わけてもらった……、そうである。

 そのあたりの努力が実って空爆から70余日、9月9日には岡山駅~東山本社を結んだ路線を復旧、さらに1020日には番町線を復旧させている。

 

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       大供変電所は後に移動、2005年までは京橋の近くにあった。上写真がそれ。

 

 遠い昔日をさぐるに模型はそれなりに役立つ。全方位から眺めることが出来るのが何よりポイント。あちゃこちゃから眺めつつ、昔に思いを馳せられ、疑似ながらちょっとだけ当時の生活の一部に同化できる。

 

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            昭和11年頃に撮影された岡山電気軌道100型106号車

 空襲での惨劇は今も語られ続けるし、語られ続けなきゃいけない性質を濃くおびているけど、凄惨で酷い悲劇のみが語られがちなのは、ちょっとよろしくない気がする。

 おそらく一番に欠けてるのは、B-29という当時の最新ハイテクニカル・マシンへの理解(褒めるわけでなく)と、それを産んで運営させた”敵国”への理解、空襲時の岡山上空にいた若い米国人らの心情やらと、それでもなお、70日ほどで路面電車を復旧させたヒト達の尽力のでかさ。さらには先に書いた通り、戦争終了と同時に復活のスカートなどなど……、の境界を越えた水平3次元な見方だろう。

 被害者VS加害者の対立する図式でもなく、悲惨体験の神話化でもない。

 直後の被災体験の激痛を語ると共に、そこいらも語り継がれなきゃ~、75年前を均等に俯瞰したとは云いがたい。

 

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            米軍が日本上空からばらまいた爆撃予告のビラ

ただ1枚の写真にハンコのように地名を記しただけだけど、意思表示の明快さがデザインとして秀逸で恐ろしい……。

 

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 上は敗戦して直ぐに岡山に入って来た兵士達(米軍歩兵第24師団の5000人。半年後に英国連邦軍の兵士に交代・昭和22年8月まで進駐)のために米国陸軍が配布した岡山市内マップの一部上記偵察機の写真部分と同じ場所

 この素早い調査と精緻には驚く……。

 占領下の地方小都市だから、進駐してからマップ作くっちゃえば~イイやぁ、でなく、事前に英語マップをこさえちゃってるところに、ただもう時刻通りに列車の発着を行うというのとは別次元の精妙がうかがえて、愕然とさせられ、あわせて、なぜに愕然とするのかの根っこ部分を探ってみたくなる。

 

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 B-29という飛行機は、ターボ・エンジン(高高度飛行で空気が薄くなっても強制的にエンジンに空気を送り付ける)の導入やら、与圧されて窓が開かない構造やら、操縦の分業化やら、60Kgに近い重さの真空管式演算増幅器(アナログコンピュータ - 動く物体に対しての照準を自動化)を5台搭載やら、個々の機体にレーダーがあるやら、桁違いの戦闘マシンだった。

 

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 対するこちらはB-29の飛来を”聞く”ために、九十式大聴音機なる奇っ怪な装置を持ち出した。晴天で空気が安定していれば10Km先の音を感知したという。けど、聞こえた時にはもうB-29はすぐそばにまでやって来ているわけで……。上は昭和天皇が装備を見学している写真。

 

 これら写真を比べ眺めるに、芭蕉の句が思いおこされる。

 小松(石川県)の多太(ただ)神社を訪れた芭蕉は、平家の武将だった斎藤実盛さねもり・源氏だったけど平家に仕え、頼朝側の、かつては友であった木曽義仲に討たれる)の兜に出会い、『おくのほそ道』にしたためる。

 むざんやな 甲のしたの きりぎりす

 


岡山空襲から70年       2015年のTV番組

 

 

「鉄道のまち おかやま」展

 小パーツを2点作りあげ、シティミュージアムへ。

 明治の路面電車の集電ポールと昭和の路面電車パンタグラフ

 工作そのものはさほど面白くもないけど、明治のカタチと昭和のカタチを再び掌握するのは、お・も・し・ろ・い。

 ”進歩”としか云いようのないカタチの変遷が興味深い。

 

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                    新旧のパーツ

 

 とくにパンタグラフは、軽量で伸縮性が高い構造をした岡山電気軌道にしかない独自なもので、当時の社長の名をとって「石津式パンタグラフ」とも云われ、今なお一部の車輌で使われる。チャギントンは使ってないけど)

 パンタグラフはその構造上、バネを用いて電線との接点を維持するけど、このパンタグラフはバネでなく重しが下部にあり、その重みで接点を維持させる。なのでひし形の構造体そのものが軽量でなくてはならない。

 

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 だから実際はとても細い線で構成されてる。そこをペーパー・モデルではあえてヤヤ太い線で作った。「石津式」を見せるというより、パンタグラフの普遍的カタチを誇張ぎみに見せるということを前面にディフォルメだ。

 展示室のケースから2つの模型をだしてもらい、バックヤードの一室で談笑しつつ、工作続行。

 既存パーツをヤヤ慎重に取り外し、新たなパーツを取り付けて完了。

 またショーケースへ。

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 こたびの岡山シティミュージアムでの『鉄道のまち おかやま』展は、6/9から8/2までの開催だけど、コロナウィルス騒動で規模は半分になっている。

 大きなモノ、派手で見栄えあるモノ。そういう展示はない。9割方は古い書類や写真での構成。

 ウィルス騒動で他者との接触を避けるということになっちまったから、展示予定だった諸々をもってこれなくなったわけだ。

 よって、同じ市が運営の図書館が収蔵している紙モノをメインにせざるを得なくなった。

 図書館という場所はミュージアム同様、一般の眼に触れないアレコレを収蔵していて、たいがいは「死蔵」に等しい状態……。もちろん図書館が怠慢なわけじゃない。

 今回展示はそのほとんどヒトの眼に触れられないモノモノなのだけど、驚くべきものだった。

「あっりゃ~!」

 実はショーケースの前で幾度か感嘆させられた。

 

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 ○ 岡山における「弾丸列車」構想の具体的線路配置図。

 ○ 明治期の鉄道線路施工に伴う用地買収のための精緻な図面。

 ○ 空襲で焼けた後の岡山に昭和天皇が来られたさい、市の復興計画を具体に図化した屏風絵。

  

 などなど……、眼を見開かされ、ワクワクさせられた。

 ま~、悪しくいえば、

「かなり興味を持ってるヒトでないと、さほど面白くはない」

 かも知れないのだけども、展示価値充分なボリュームと内容のマニアックさが素晴らしくよいのが、こたびの「鉄道のまち おかやま」展なのだった。

 マニアックという表現はよろしくない。

 ツボを押さえ、何を見せたいかが明白なのだ。

 こういう仕業は、担当の学芸員の力量次第でGoodにもなるしBadにもなる。

 

 派手な展示ではないが、ちょっと興味をそよがせれば、

「へ~、こんなのあったのねぇ」

 きっと誰しもが感嘆を風船玉みたいに膨らませるに、違いない。

 ミュージアムも図書館もあるもの全てを展示してるわけじゃない。見えているのは氷山の一角。こたびはその見えていない部分を見せてくれてもいるわけだ。

 

 ま~、そのような企画展の末席に当方の模型が置かれているのは相当にくすぐったくもあるけど、あえて見学を勧めるならば、上記した、明治期の用地買収のための図面だな。

 明治40年代、宇野線敷設のために土地所有者に見せて、

「ここをこのように買い取りたい……」

 という請願(?)やらに使ったもののようであるけど、手描きの地図上に米粒ほどのサイズで描き込まれた文字の精妙と懸命さには、

「マジかよ、これっ!」

 コチラの脳天ガ~ンな、明治のヒトの真摯っぷりに眼もクラクラさせられるんだった。

 この長大な図にはかなりの面積というか地所が文字情報と共に描き込まれているんだけど、もし、一文字でも失敗したら、全部最初っからやり直しだぜ……。

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上の部分写真は5〜6センチのサイズでしかない。筆者が指さす通り、絵巻みたいに、その細かいのが連なってる。

 コンピュータ的カット&ペーストもない時代の、手作業、極細な筆による一発勝負の筆跡と魂魄をば、目の当たりにするがいい。アートな作品じゃない。用地買収の過程における図画面ながら、近頃なアートなんぞは軽る~く吹っ飛んじゃうエネルギーがそこにあって、ただもう驚くこと確実なり。

 規模の大幅縮小と展示物の再選択を強いられた結果ながら、その結果は意外や、

「災いが福を招いた」

 ような良いアンバイ。

 

 全国津々浦々で以上のような小さな福もあれば、それを上廻る不幸も多々。

 騒動収束でもなく、首相本人いわく「100年に1度の事態」であるに関わらず、さっさっと国会を閉会して店じまい。会期延長をしない理由として、「新型コロナウィルス感染症対策に注力する」ためという怪奇な理由付け。

 100年と持たない嘘を上塗って、ちっとも真摯でない。

 

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 毎日新聞は18日にこのような見出しでニュースしてたけど、マスクとて遺産にも価いしないのは明白……。

 ま~、もっとも、100年先ミュージアムにて、そのマスク2枚入りが展示され、

「こんな愚策を本気でやったリーダーと時代があったのかぁ」

 薄寒い暗い笑いを得るには値いするかも、でしょう。

 

耳なし芳一のはなし

 

 展示中の模型に不具合ありとの連絡で、補修のためシティミュージアムへ。

 ウィルス騒動で客足はまだまだ戻っていない。人影とってもまばら。ならば都合良し、大きなショーケースの側面ドアを開け、展示室でそのまま作業。

 しかし、一部分は修復より作り直しの方が良いな、と判断。新たにパーツを作って後日またミュージアムで作業ということに。

 そのあと、ちょい打ち合わせ。

 平常復帰後、だからま〜、来年かしら……、新たな企画話を少々。

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 ○○-■■-○○ 耳なし芳一のはなし ○○-■■-○○

 

 ちょっと間違って記憶してた……。

 そういうコトって誰にもあろうけど、間違いに気づいて、

「あれまっ」

 と驚くのは、戸がフイにあいて風が入ってくるような新鮮があって、ときに、なかなか気持ちいい。

 

 amazon primeで1965年の『怪談』が観られるようになってたから、時間みつくろって、このオムニバス大作をば視聴。

 当時の日本映画としては超大作。出演者が豪奢なうえにほぼ全シーンがセット。東宝撮影所じゃサイズが足りないということで、どこだっけかデッカい格納庫を借りて撮ったらしい。

 当然にその効果や甚大、背景のビジュアルが圧巻。1980年の黒沢映画『影武者』や1990年の『夢』のホリゾントの使い方と効果はこの小林正樹監督作品に近似たものがあって興味深いけど……、ともあれ世界各国で賞を撮ったものの、日本国内じゃ不入りで大赤字、小林のプロダクションはそれで倒産しちゃうという痛いめにあってる作品。

 

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芳一役の中村嘉葎雄は当時27歳。いうまでもなく一度も眼をあけない。琵琶との一体感が素晴らしく名演!


 それをば久々に観て、「耳無芳一の話」で、なにやら間違いに気づかされた。子供の頃よりず~~っと、芳一は見習いの坊さんと思い込んでたんだ。

 ところが映画じゃ袈裟つけてない。寺での居場所も僧侶とは違う……。

 さて?

 

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 という次第で原作たるラフカディオ・ハーンの『怪談』を書棚からひっぱり出し、「耳なし芳一のはなし」をば、これまた久々じっくり読んでみるに、

「あら、びっくり」

 芳一は阿弥陀寺(現在の赤間神宮の僧侶じゃないのね。

 琵琶の名手ゆえ、寺の住職が、いわば、彼をかこい、衣食住をあたえる換わりに、琵琶を弾かせ語らせて、”愉しんで”いたんだねっ。

 ちょいと男色っぽい空気がなくもないけど、ま~、ハーンはそんなこたぁ書いてない。映画もそんな風には描いちゃいない。

 

 と、いう次第で何10年も思い込んでた「芳一は若いお坊さん」はブッ飛んだ。

 でだよ……、それで長~いこと疑問だったある一点も氷解したわけなのだ。

 それが何かと申しますれば、原作にもあるし、映画もそうなのだけど、耳を盗られちゃった芳一の顛末だ。

 原作ではこうなる。平井呈一訳の岩波文庫版より引用。

 

 芳一の傷は、まもなく良医の手によって本復した。ふしぎな危難のうわさは、おちこちに広まりつたえられ、やがて芳一の名は、一時に世に高くなった。多くの貴人たちが芳一の琵琶をききに、はるばる赤間が関まで足をはこんでくる。おびただしい黄白が贈られて、芳一はそのために、たちまちのうちに裕福になった。

 

 黄白(おうびゃく)は金と銀を指す。転じて金銭のことだから……、お坊さんが裕福になってめでたしメデタシというのは、どうかねぇ。俗っぽいじゃん。そう不審に思ってたわけだわさ。

 映画もそうで、耳を失った芳一のいる阿弥陀寺に、噂をきいて、ぞくぞくと貴人が詰め寄せ、贈り物を並べた上で芳一に琵琶の演奏をさせる。

 

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       映画のスチール:今度は源氏側だろうね。むろん生きた人間の。

 

 仲代達矢のナレーションも、

「やがてこの寺には多額な金や贈り物が、御礼に方々から届けられて、耳なし芳一は大変な金持ちになった」

 で、終わる。

 しかし、芳一はあくまで坊さんではなく琵琶演奏家としてのミュージシャンであるなら、多額のお金を得ようが構いはしない。当然の報酬でしょう。

 

 という次第で、以上2点ばかりの謎が氷解、誤解も解けてメデタシめでたしなのだった。

 ぁあ~、もちろん、解けない謎も残ってる。

 

 平家の霊たちは、6日間夜ごと秘密裏に通いつめて演奏してくれるなら充分な礼物を下げ渡すと芳一に約束してる。

 映画では安徳天皇そのものも登場して芳一の演奏を聴いてもいる。

 この霊魂たちは、はたして悪霊か?

 

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 なるるほど耳を引っぺがしたのは残忍なれども、途中で阿弥陀寺が芳一の振るまいに気づき、6日間の約束が反故されたわけで、これは霊たちにはまったく納得できないでしょう。

 ひょっとしたら、6日め終了でホントにたっぷりな御礼をしようとしていたのじゃなかろうか……、と同情ぎみに思ったりもする。

 そも、耳の持ち帰りとて、これは芳一を迎えに来た下級武士の個人的判断。そうでもしなければお待ちかねの貴人たちに言い訳が出来ないとの個人判断。原作も映画も彼がその旨をはっきりとセリフで告げている。

 芳一が焦燥しきっていると寺側は見るけど、その焦燥は演奏に集中しきったゆえの満足のそれではなかったか?

 事実、ハーンは霊たちを前にしての演奏ぶりを、

 

 ひときわ新しい気負いのこころがぽつねんと湧きおこってきて、さらにいっそうよく弾じ、よく語った。 

 

 と、記す。

 芳一は高い集中で演奏し、昂揚し、燃え尽きるようなアンバイの名演を残す。当然に疲労もする。

 一方の霊たちはその見事な奏でに泣きに泣いて共鳴し、芳一にエールをおくる……。

 ミュージシャンとオーディエンスの眩むような交流。

 はたして彼らは、悪しきな怨霊だったか?

 物語の巻頭で、赤間の関の船幽霊が語られるが、はたしてその悪霊と芳一を取り囲んだ霊たちは、一緒のものだったか?

 

 そこの分別をハーンは、実は描いていない。

 あえてなのか? あえてだろう。

 そのことがこの作品に奥行きをもたせてもいようが、ガチでマジな話だとして思えば、やはり平家の霊たちは芳一を取り殺そうとしたワケでなく、やはり何がしか、海の産物なり宝物をば芳一に与えるつもりだったと……、思いたい。

 ラフカディオ・ハーンの罠はなかなか巧妙。ぼくは見事はまってるわけなのだ。

 

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 数年前、チャ~ミ~な仲間達と赤間神宮を訪ねたけど、神宮の左横手で今は居住まいを小さくしている阿弥陀寺跡(明治の廃仏毀釈で寺は廃され広大な地所は神社に変わったのだよ)に佇んだ時には、不思議なほどに異界の向こうを意識させられた。

 あそこには14の供養塔(七盛塚とも)があるそうだけど、木々の梢の陰にうずくまって全部は見えない。

 その全部見えない所が、奇妙な味わいとしていつまでも残ってる。

 味わいといえば、神宮近くで食べた海鮮丼は不思議なほど、まずかった。ま~、正しく云えば自分好みのしつらえじゃ~なかったというだけで、「メチャ旨いやぁ!」というヒトもきっと3万人くらいはいるだろう。

 

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 平知盛(たいらのとものり)入水をテーマにした謡曲「碇潜(いかりかつぎ)」を想起させる赤間神宮参道口の錨。神宮はここが基点。入水した幼い天皇や平家の一門はここからあがり、本殿前に設えられた大きな池で禊払いする。映画『怪談』での、復帰した芳一が身分高き女性らの前で演奏してる(上に掲載のスチール)のは、その禊の池がモチーフだろう……。