月は東に日は西へ

 18日、水曜の午後8時よりの、山陽放送の番組『メッセージ』をお見逃しなく。

 なんてね……。

 まっ、これは番組に自分が出るんで……、自分宛の備忘的-記述。ローカルな話。

 長時間取材され録画され、10日ほど前も追加の録音取材があったたけど、おそらく4分ほどに縮められているだろうとの予測があたっているかどうかが、ま~、愉しみというか、同じ出てくるなら10秒でも長いほ~が良かないかぁ……、とか。

 番組詳細は下記へ

www.rsk.co.jp

 

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 ほぼ定期的に、模型を作りたい気分になる。

 お腹がすいて何ぞ欲しい、という感じに似てる。

 模型屋さんだから習癖としてそうなるのかどうか知らないけど、こういう時はたいがい、仕事モードの模型製作じゃなくって、市販のプラスチック・モデルが念頭に浮いている。

 かといって、作るわけでない。

 いざ作業に入れば本気になっちまって、他の諸々が出来なくなる。

 それは困るので、なのでいつも回避……、ボックスアートを眺めるだけに留めて自分をうっちゃる。

 

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 X-15のプラスチック・モデル。

 子供の頃に横山光輝の『少年ロケット部隊』に遭遇し、一気に魅了され、この機体が大好きになって、いまだ自分の中にあってはカッコいい飛行機の代名詞なのじゃあるけど、漫画と違い、これは飛行機は飛行機でも、地上から発進は出来ない実験機……。

 ほぼ、弾丸に近い。

 この弾丸ロケット機を人間が操縦し、大気圏と宇宙の端境付近まで一気に駆け上がって燃料を使いきり、後は滑空して降りてくるだけの飛行体だ。

 それゆえパイロットは宇宙服(スペーススーツの開発初期なので不格好。着座を前提にしてデザインされたようだ)とその維持装置を身につける。

 X-15はマッハ7に近い速度記録を持つ。

 

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                      photo:NASA

 

 音速の7倍というのはどういうことかしら? 

 音は1秒でおよそ340m進むから、たとえば椎名林檎が「あ~」と声を出した瞬間にはマイクは2.38 ㎞ 先に飛んでってる事になる。いくら彼女が頑張ってもマイクは声を拾わない……、という感じ悪さ。

 快適な乗り物であろうはずがなく、危なっかしいモノの代名詞になりうるのがX-15だった。

 アポロ11号のアームストロングがなぜ船長に指名されたかといえば、このX-15の操縦に長けて見事に危機を回避したという事があげられる。

 いったん宇宙空間まで飛び出したものの、戻ろうとするや空気の層に阻まれて、いわゆる進入角度が取れない状況に追いこくられたのを、途方もない速度のさなか、自力での再突入に成功したのが、彼だった。

 同氏はジェミニ計画でも超ヤバの危機回避に成功。映画『ファースト・マン』ではこの両エピソードも描写されているけど、ちょいと判りにくいのが難だったな。

 

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           アームストロングとX-15 photo:NASA

 

 宇宙空間ぎりぎりまで一気に駆け上がるさい、X-15は空気摩擦で機体が焼ける。鍛冶の炉の中で灼熱した刀みたいに、先端部付近はオレンジ色にまで燃焼する。

 無事に戻って来たX-15はボロボロといってよいくらい焼け焦げ、部分が剥離しているが、その損傷を軽減させていくのも実験研究の1つであったろう。

 飛行回数を増すたびに改良され、X-15は全部で3機が作られた。2号機は損傷激しく修復不能、3号機は空中分解しパイロットのアダムズが殉職し、現存する1号機は今はスミソニアンに展示されている。

 操縦したのはアームストロングを含めた12名のエキスパートだけだったが、200回近い実験飛行がもたらしたデータの積み重ねは大きかった。

 X-15の翼はやたら小さい。滑空にまったく適していない。降下時には激しくグラグラする。その抑止に翼の両端に噴射装置があって、滑空降下時、パイロットは不安定な機体をその噴射によってコントロールし、向きを変えたり姿勢を制御したりした。

 アポロ司令船はこれを応用している。大気圏突入から着水までの間、宇宙飛行士はジッと座ってたわけじゃない、着水予定地に降りるべく噴射装置を駆使し、実は「運転」していたわけなのだ。

 これはスペースシャトルの滑空で大々的に使われたし、ISS国際宇宙ステーションにも似た機能装置がある。

 シャトルはX-15が産んだでっかい実の子供といっていい。

 

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                降下中のX-15 photo:NASA

 

 というような史実を踏まえ、模型工作するなら、飛行した後での、アチャコチャ焼け焦げたカタチでのX-15をば、壊れた2号機のそれを作ってみたいにゃ~、などと空想の羽をパタパタ羽ばたかせるのだった。

 でも、工作には突入しない。

 現状、その空想で模型を作った気持ちになって小さく満足するわけだ。

 しかしたぶん、いずれ、いつか、こういう状態は破綻するわいね~。フラストレーションがたまって貯まってマイ・レージ、我を忘れて工作に突き進むやもしれない。

 けどまた一方で、結局は作らず終いで、作る想像だけを膨らませ、それがすなわち、“愉しみ”という次第で決着するのかも知れない。

 プラスチック模型は夢をはぐくむ装置。トリッキーなマジシャンの帽子みたいなところが、ある。

 

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  MONOGRAM社製X-15のパッケージやらパーツを眺めつつ、で、なぜかこの句が浮くのだった。

 

 菜の花や月は東に日は西に

 

 蕪村は神戸は六甲、摩耶山でそう俳句しちゃったけど、月に太陽に地球に自分……、ずいぶん雄大だ。

 彼は眼下に菜の花を見つつ、沈む太陽と登る月を同時に味わっているわけだ。これを絵に描くなら、遠近180度全開光景の、その中心に存在としての自分を置くという構図。天体と地上と自分、三方位を17文字で結んでる。

 ま~、その雄大に1機の黒い機体を飛ばして、句にロケット時代の速度的アクセントを加えちゃいたいような感じかしらん。

 

 

仏壇返し

 

 いま、大事な友が入院している。

 我が車の面倒いっさいを診ているFくん。

 けどもご承知の通りで、見舞いに行けない。

 こちらはまだしも、入院しても誰も来てくれないというのは、心もとなかろう。とりわけ大きな手術の乗り越えでは……。

 が、どうしようもない。

 また、こういう時にかぎってじゃないけども、車の調子が悪くなる。MINIのエンジンがおかしい。

 が、どうしようもない。Fくん退院を待つしかなく、乗らず放置っきゃ~ない。

 

 コロナ感染が止まんない。

 いつ、どこで、だれが……、何てことはさっぱり判らない。

 宝くじは買ってはじめて当たる可能性を与えられるけど、コロナウィルスは買わずとも感染確率の俎上に乗っけられ、あたる人はあたる。ある意味で平等。

 平等は人類が求めてやまない理念だけど、この平等、有り難くない。

 

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 某日。トランプ落選の“朗報”を耳にしつつ、不特定多数を回避、ごく懇意とごく近しい店2軒をハシゴ。

 と、それにしても、まだこんなトロい事をヘッドラインに置く報道……。

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 当選者の糖質嗜好なんぞより、混迷の難局を高齢のこの方が4年にわたって乗り切れるかどうかの資質の有無……、あたりを検証し先の指針の1つとなるような報道に接したいなぁ。揺らぐ時代の中での新たな1本の梁として期待もしているわけだけど、負けを認証できないトランプの老人性固執を眺めるに、総じていえば、高齢の大統領誕生というところが気がかり。

 

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 仏壇の、吊灯籠の電球ソケット部分が劣化し、壊れてしまった。

 配線ごと換えなきゃ直らない。

 なワケでamazonで仏壇用を探して購入、自分で取っ換えた。

 左右用に対になったLED2本セット、けども僅か2000円ほど。

 仏壇屋に願うと工賃含みで1万円くらいかかりそうだから、amazonという存在は助かる。

 amazonが独占的存在として近頃は問題視されているけれど、その重宝さと社会性を背反するものとして見るか見ないか……、絶妙に難しい。

 既得権が破壊されてamazonという新たな既得者が出たというに過ぎず、マネーの流れの卑小な問題かもしれないし、そうでないのかもしれないし、しかし、廉価でモノを得られるという仕組みは悪くない。

 少なくとも、仏壇用という限られた使用目的の電気装置は仏壇屋でなきゃ入手が難しく、それはそれで独占的に販売されていたともいえるわけだし。

 

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 LEDの時代。小指の爪の1/4程度の小さな光源と、それまでのフィラメント電球を較べると、サイズといい仕様といい、隔絶感ありありでケッタイな笑いが浮くようじゃあるし、仏壇というカタチにLEDというのも何やら過去と未来のごった煮みたいな感じもなくはないのだけど、電球に比して5倍は長寿のLEDなのだから、仏壇というカタチ上そうそう点灯させるものでもない。ヘタするとこの先、50~60年、使えるかもしれない。

 ま~、たいがい、そうはならず、10年も経たないうち、ブ~ブ~悪態をつくような事になる可能性の方が高いとも思うけど、LEDに換えた事で、仏壇というケッタイな装置そのものに、

「必要ありや?」

 懐疑がわかなくはない……。

 

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 60年代での科学の粋を極めたアポロ11号でもって月に降り立ったニール・アームストロングとバズ・オルドリン。

 着陸船のドア開けて月の大地に立つ直前に、オルドリンは個人的に持ち込んだコンパクトな宗教セット聖餐式用のパン・ワイン・ミニ聖杯)で祈りの儀式をやって、アームストロングを困惑させるという小さな“事件”があったけど、何かそんな事も想起させられる「信仰と科学」。

 

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 何ぞや仏壇、されど仏壇……。

「しがらみ」という一語も明滅する。

「しがらむ」は、まといつける、からみからませる、とかいったニュアンスだけど、といって仏壇に悪しきモノという感覚をおぼえる次第もなく、損得勘定上のモノでもない。

 むしろ一個人と一家族の過去と現在を結べる数少ないタイムマシン的装置として有効とも思えるし、だからこそ仏壇というのはケッタイな装置なのだった。

 

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 amazon primeで 『サザエさん』を眺めるに、カツオくんの家族に対する異様な関心に眼がとまって、この子はやがてとんでもない青年になるんじゃなかろ~か……、と案じるのだったけど、イソノ家には先祖仏壇がある。

 江戸時代のご先祖(ぼた餅が大好き)が霊として登場してくる回も複数、ある。

「あれっ?」

 資料を見るに、イソノ家の出自設定は福岡藩藩士で、波平の双子兄弟である兄・海平は福岡在住とある。

 なれば、その兄のところに先祖を祀る仏壇があるハズなのだけど、なぜか東京の波平宅にあり、墓も都内にある。

 先祖墓の移動はなくはないし、代々が江戸詰めというコトにしているのかもしれないが、これでは本籍の兄の方がわざわざ東京の弟宅にお参りにというコトになる。どうなってんだろ? とても変……。これもまた『サザエさん』という枠組みの中にあって、ケッタイな装置には違いない。

 

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 仏壇の中にカメラ入れて天井側を撮る。

 タイトルの「仏壇返し」は多くの場合ナニの体位の1つとして、お江戸の時代よりヒソヒソ語られたり実践されたりのものじゃ~あるけんど……、ここじゃ~、体位、あ・つ・か・わ・な・い。

 

 

プロジェクト ブルーブック

 ショーン・コネリーに初めて接したのは『史上最大の作戦』で、以後アレコレの作品。たえずそばにいるような感じ。

 亡くなってもそこは変わらない。だから思い出という箱に収まらない。ベストな1本を選ぶというようなことはチョット難しい。

 繰り返し観ることが多いものとしては『薔薇の名前』、『ネバーセイ・ネバーアゲイン』、『小説家を見つけたら』あたり……。

 

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 Amazon prime で『プロジェクトブルーブック』の第1シーズン全10話を観る。

 実写とCGのうまい合体映像で50年代~60年代前半頃の米国が、かなり良く再現されている。わけても50年代後半辺りの米国女性のファッションやら家庭内の様相やらは、たびたび、

「ほほ~」

 リアルさに眼をはるようなトコロがあって、時代再現に感心させられた。

 

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 主人公ハイネック博士のワイフ(後方)が勇気を出して入店し、買い物をする高級化粧品店の様子

 

 かといって、UFOやら宇宙人は実在かも……、何ていうコトには、興味が向かなかった。

 なるほどこの番組は、実在したアレン・ハイネック博士を主人公に、これまた実在した未確認飛行物体の調査機関プロジェクト ブルーブックが取り上げられ、いかにも怪しいシーンが頻繁に出て来もするけれど、宇宙人はいるのかいないのか……、というようなコトはおそらくは、番組の作り手も二の次・三の次だったのじゃ~あるまいか?

 何を描こうとしたかといえば、おそらくは、米国人特有とも思われる「侵略される恐怖」とそこから生じた「不安心理」、その不安を操って都合よき社会を構成しようとする勢力の存在……、そのあたりの空気の感触なのじゃなかろうか。

 

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 製作年度は去年の2019年。トランプ政権下でもって国内諸般に懐疑と分断が生じ、歪みが大きく重くなって不安な心持ちが常態化している時期……。

 トランプ政権の登場はこの政権を支持しないヒトを不安にさせたが、同時に、政権支持者をも違う色合いで不安にさせ、妙な陰謀論も横行し、だからこたびの大統領選は前向きなものじゃなく不安と不安がぶつかって せめぎ合うみたいな、足下が二分し断裂していく様相を示すものとして見てもいいとは思うけど……、そんな分断感触をば、過去の一時代にリンクさせて投影しているというのが、このTVシリーズの根底にあるのじゃなかろうか。

 

 50年代から60年代前半にかけての時代、ソビエトとの不穏はピークに達し、核シェルターが飛ぶように売れ(ほとんどが地下シェルターじゃない。庭に設置の木製で自分で組み立てるタイプのもの。これは劇中にも登場する)、学校では授業の合間に原子爆弾対応の避難訓練が頻繁にあり、赤狩りにみられるコミュニズムに対する恐怖、その猜疑によるスパイ活動の顕在化、スプートニクの飛行……、などなどの追い詰められるような不安な情勢から、

「何んか、変なのが飛んでるぜっ」

 という正体不明の飛行体が一気に話題化し、目撃例あいついでヒステリーめいたパニックが増幅させられた時代。

 ソ連の新兵器かも? いや宇宙からやって来た異星人かも? わけがわかんないから余計に不安の焦燥が募る。

 1951年のロバート・ワイズ監督『地球の静止する日』を皮切りに、空飛ぶ円盤を題材にした娯楽映画の相次ぐ公開と、追い打つように虚実ゴッチャ煮で扇動するタブロイド新聞や雑誌の販売。

 

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               空飛ぶ円盤を伝える当時の新聞

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                   新聞記事の数々……

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              雑誌「ライフ」も円盤を取り上げてた…… 

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              事態を煽るタブロイド雑誌など……
 
 

 いよいよ米国人は怯えちゃって、結果、護身として銃を買ったり、デマを信じ込んでしまう妙な連鎖があった頃、米軍のプロジェクト ブルーブックは実際に活動を開始して当時の「ライフ」とかまでが取り上げる……、という史実もあり、その史実としての空気感と今の空気が、実はかなり似通うというトコロを描いたのがこの番組なのだろう。

 劇中、主人公ハイネック博士のワイフも夫に内緒で銃を買う。不安いっぱいで挑んだ森での試射で彼女は銃所持による安心感にめざめる。

 

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        劇中のシーン。買ったのがワルサーppkというのも時代イメージに符合
 

 ともあれ、

UFOって、やっぱ宇宙人の?」

 みたいな、『未知との遭遇』っぽい眼でこの番組を観てしまうと、見誤る。

「恐怖の不安心理」が個人や社会をどう歪めていくか、あるいは正当化されていくのかといった辺りでの情報伝達のなせるワザが見所のポイントかと、思えた。

 不安な気持ちを煽られ、結果、不安に操られて自発的な隷従が生じる危うい感じ悪さが、描き込まれているようには思える。どの「情報」に乗っかって行動を決めていくか……、というようなこともチラチラ考えさせられる。

 

 とま〜、米国大統領選挙の報道の、その拮抗した票の流れを片耳にしつつ、このドラマを深読みした。

 最初に記した通り、Fifty Graphics、住宅のカタチなどを含めての50年代文化をシゲシゲ眺められるというところはポイントが高いとも思う。意外なほど造り込まれていて、この点、好感だった。

 

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  劇中シーンより。この平たい50年代モダニズム家屋と丸っこいボディの車のビジュアルは最高

 

 ごくごく個人的には、博士を演じたエイダン・ギレンの眼鏡の風貌が、あれこれお世話になってるYK先生にそっくりで、ま~、それでついつい、あたかもYK先生が主役をやってるみたいで面白くもあり……(苦笑)

 

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 ギレンは『ボヘミアン・ラプソディー』では、クイーンを出世させたEMIの理解ある重役ジョン・リードを好演していたけど、実物のリードに似せるべく特殊メイクしていて彼本来の顔とはちょっと違う。でもこの『プロジェクト ブルーブック』ではやや素顔かな。YK先生に似て、いい顔だ。

 

松茸

 

 29日付けの山陽新聞夕刊で亜公園を取り上げてくれている。

 夕刊をとってる方は少ないだろうが、それでも3万部近い数が出てるようだから、ローカル情報を伝える媒体として、あ・り・が・た・い。

山陽新聞夕刊は11月末をもって休刊となる。惜しいけど仕方ないか……)

    

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               画像データを送ってくれたsunaちゃんに感謝

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 さてと、11月直前。

 いよいよ秋深まってアッという間に冬がやってくるわけだけど、この9月から10月半ば、今期は数回、松茸を味わえた。

 やや異例。

 買ったわけじゃない……。親戚のお山で採れるんだ。

 この数年は不作が続いてさっぱりだったけども、今期はよく採れたようで、あ・り・が・た・い。

 お裾分けしてもらっては、ニッコリ笑顔で遠慮もなくいただくのだった。

 

 不思議な植物だ。

 噛んで美味いかといえば、美味くはない。いっそ無味に近い。

 なんちゅ~てもダントツは香り。

 品なきカタチに、その香り。

 嗅覚と味覚の端境を行き来する不思議食べ物……。

『日本書記』には香木沈香・じんこう)の「香」を重宝する描写があって、既にそんな大昔から香りへの感心があるのは判るけど、松茸はそんな嗜好に近い。むしろ食べられるという点では香木より“愉しみ範囲”がでかい。

「松茸? わたし、嫌いです」

 という人に会ったことがない。

 

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 気づくに、マツタケと発音することは少ない。

 マッタケ、といってる。

「まっ、高けぇ~」

 が連想されるけど、マツタケというよりマッタケという方がいいやすい。

 しかしあらたまって、マツタケといい直してみると、高雅にきこえる。

 たたずまいが凜とし、背筋がシャキンとする。

 

 難儀な植物だ。

 山であれば育つというわけにいかない。松茸は山を選ぶ。

 かといって、荒れ放題の山では採れず、手入れし過ぎた山でも採れない。

 ニンゲン同様、虫の類いもその香りに惹かれる。

 頃合いをみてニンゲンはそれを採るけど、虫も旨味のマックスを狙ってる。

 夜明け頃に採取に出るニンゲンは、

「もう一晩置いておくか……

 採りたいのを我慢して翌朝へ期待を繫ぐ(一夜で大きくなる)けど、虫たちも同じだ。

 やはり味わいのマックスを狙い、ニンゲンより一足早く、囓っていたりするコト多々。

 採るタイミングがやたら難しい。

 毎年毎年のお山での採取経験がないと良好なのは採れない。我が良き親戚は基本の生活ベースは都心なのじゃあるけれど、生まれ育った山里を放置せず、定期で戻って来ては山を管理し、秋の収穫をみる。

 ま~、こちとら、味わうだけなのでその辺りの苦労はないけど……、ともあれ、ありがたいに変わりなし。

 すき焼き、吸い物、焼いたやつ……、堪能の芯メラメラなのだった。

 しかし欧米人には、この松茸の香りは不快な部類に入るモノらしい。

 その感覚差も、ふ・し・ぎ。

 

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 聞くところによれば、猪は松茸をとらないそうだ。何でもかんでも貪るように掘って喰い、山里のニンゲンを困らせているヤツなのに、意外や、匂いが苦手なのだろう。あるいは、猪の嗅覚では美味いものと知覚しないんだろう。

 ならば山里での農作物の畑に、擬似的に松茸の匂いをスプレー出来たら良くないか?

 けど近年は、猪に加えて猿も出没するようで……、アジャパ~。モンキーズはまだ松茸の美味を知らないようじゃあるけど、いざや知っちまうと、さぁさぁ~、いよいよニンゲンは困るわなぁ。

 今シーズンも終わり、来年は、さて?

 実のところ松茸は、この7月、国際自然保護連合(IUCN)が絶滅のおそれがある植物の1つとして指定したばかりだ。

 それで採ってはいけないというコトにはなってはいないけども、日本を含めて近年、大幅に減少しつつはあるようだ。

 先に書いた通り、虫にひと囓りされる前にと焦り、傘が開いていないのを採ることも多いから菌が飛ばず、次の松茸が生える機会が減ってもいる。

 10年20年先となると、さてさてさて。

 

 

 

10月下旬の秋の空

 過日。

 自宅にてRSK山陽放送さんから取材を受ける。大型カメラが入り、胸にピンマイクをつけさせられ、およそ1時間、問いに答える。

 過日。

 RSK山陽放送さん新社屋と甚九郎稲荷にて、VTRカメラを前に若干の解説。

 演出として拝殿で手をあわせるというポーズを取ったけど、拝殿そばの金木犀によく花がつき、いい香りをばらまいてる。こっそりそれを愉しんだ。

 放送は11月18日の水曜。

 夜8時からの「メッセージ」というドキュメンタリー1時間番組。

 プチこけら落としの講演をやった能楽堂では、野村萬斎の公演があり(ウィルス騒動中ゆえ同局関係者だけ)、さらに市民会館の新建造という「文化的流れ」をくんで、カルチャー・ゾーンとしての岡山市という括りで番組は構成されるらしい。

(タイトルはまだ仮題とかでこれから決まるようだ)

 こちらは明治時代の亜公園というカルチャー施設の先駆け話……、1時間という番組の中、メインとなるのは当然に現在の話だから、岡山という地方都市での演劇の最前線にいるアートファーム・大森氏やら市長へのインタビューというシーンもあるようで……、こちらはあくまで昔話、たぶん5分ほどの登場か?

 

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 明治から昭和初期にかけて県庁坂といわれた通りから新社屋南端の塔を見上げる。

 かつて亜公園があった頃、やはり多くの人がこうやって同園の塔・集成閣を見上げていたろう。似通う高さと位置だから……、感慨深い。

 やや乱れ気味ないわし雲と、無粋な電柱と電線も印象的。

 

 過日。

 雨天。

 傘さして、またまたRSK山陽放送へ。

 

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 取材されるワケでなく、今度は1聴講者として能楽堂の客席に、おすわり。

 2人の先生が順次に登壇し、明治の時代の藤田傳三朗のことを話す。 

 聴きたかったのは山陽鉄道の工事のこと。亜公園の片山儀太郎ともエンがある。

 といって、藤田と片山が直接に会ったという次第は、ない。

 けども山陽鉄道の開設事業という大枠で、「Who’s who」 としては結ばれる。

 ま~、そのあたりが興味の中心だったのだけど、残念、鉄道の話は出ず。

 

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 自分が講演したさいはまったく気づいていなかったけど、講演といった催事では、能舞台の柱の1本を取り外すんだね。多目的用途を考慮して設計してあるわけだ。

 最前列の端っこで拝聴しつつ、その辺りの空間設計の妙味もしばし味わった。

 

 聴講後、かなり降ってる雨の中、県庁前に出向いて倉敷ぎょうざを買う。

 この餃子にはまって早や6~7年。ビールとの相性ダントツ。まったく飽きない。

 

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 日本での餃子の普及は、敗戦で中国大陸から戻って来た日本兵がアチャラの味を懐かしみ、それで宇都宮で再現したのがスタートという説があるけど、ま~、そんなもんかなぁ。

 明治の人は水餃子であれ焼餃子であれ、接する機会は少なかったろう。生涯その存在を知らずという人もイッパイいたろうね。

 けど一部地域、たとえば長崎は、江戸時代、鎖国中とはいえ中国とオランダの窓口だったから、いわゆる唐人も住んで、蒸した餃子や水餃子には馴染みがあったはず。

 ギョウザという名でなくジャオスとかチャオズと呼ばれていたんだろうけど、この岡山では味わえない食の光景があったはず。

 岡山で餃子を出す店の第一号は、いつだろう、どこだろう?

 餃子があったかどうかは判らないけど、大正14年頃に、今の銀ビル近くに「廣珍軒」(現在は表町3丁目で営業)が営業をはじめ、もう1軒、栄町界隈に「百万元」という中華そばの店があったというから、その辺りがスタートなんだろう。

 ま~、それはどうでもヨロシイ。

 月に一度くらいの頻度で倉敷ぎょうざを買い、おうちで焼いてビールだか発泡酒と一緒に、

「うっま~」

 てな喜悦を沸かせられる、”今そこにあるプチ・ハッピ~”がポイント。外気が冷たくなるに連れ、逆に焼餃子は美味くなる。

 倉敷ぎょうざは別売のタレもいい。味の秘訣の大きな要素がこのタレ。量たっぷりでたいがい半分以上残っちゃうけど、残っちゃう事で何か得したような気も増量するのがいい。

 

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     おいしそうに見えない写真……。白く泡立って見えるのは薄々の皮部分ざ〜ます

 

加喜屋

 

 18日の日曜、過日の講演に基づいた記事を山陽新聞朝刊が載っけてくれた。

 カラーページに出来なかったと編集委員のI氏は詫びるけど、とんでもねっ、掲載こそが有り難い。なんせ40万部に近い発行数。しかも多くの方が一番にゆったり新聞を読む日曜版だ。実に有り難かった。

 

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           新聞紙面。送付してくれたsunaちゃんに感謝

 

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 かねてより調べている明治時代のホテル事情……

 何を知りたいかといえば、当時の料理だ。

 それであれこれ関連本をば見繕い、ページめくってる。

 

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 幕末頃から明治32年に至るまで日本には「外国人居留地」があって、そこは日本であって日本ではない 治外法権 の場。

 今は、現存のそれら西洋館が「明治ロマン」っぽく扱われて久しいけど、当時はそうじゃない。そこで日本人が働くとか恩恵もあれど、独立国家でありながら自国の法律が適用できない場所。ある種の物品に関税をかけられるだけで、ほぼ無償で貸し出した広大な場所は外国そのもの。西洋人による消防団もあれば警察もある。

 居留地に出入りする若い日本女性を娼婦と勘違いした日本の警察が逮捕し、けども実は商館に務める女性で、これに商館の雇用者が激怒し、日本側がとっちめられるという事件なんぞも起きる。

 この事件は日本警察(神戸署)の勇み足だけども、ともあれ国の中に別国があるという状況はよろしくない。不平等な条約を結んでしまったコトに後悔しきりの場所でもあった。

 

 ま~、それはそれとして置いといて……、居留地には、西洋人経営の西洋人のためのホテルが多々、営まれている。

 ホテルにはレストランが必ず、ある。

 それはホテルの顔でもあって、格を位置づける最も重要な設備だった。

 基本はフランス料理。

 当然、コックは西洋人。

 そのフランス料理を食材乏しい日本で、どのようにフランス料理として提供していたかという一件を、亜公園がらみで調べている。

 

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 写真は、明治15年頃に撮影の海岸通りの神戸オリエンタルホテル。

 明治3年にプロシア(ドイツ)のG・V・デル・フェリエスが建造。ビリヤードにとどまらず何とボーリング場もある豪奢なホテルだった。横浜グランドホテルで初代料理長を務めたルイ・ベギューがこれを買収し、彼が同じ神戸で運営したオテル・ド・コロニーと合併して神戸オリエンタルホテルという名になる。

 

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 明治40年頃の神戸オリエンタルホテル。新館が建って規模拡大。

 ラドヤード・キップリングノーベル文学賞の作家・『ジャングル・ブック』など執筆)は来日のたびにこのホテルに滞在、ベギューの料理を「キッチンの魔術師」と随筆で絶賛している。

 ベギューは明治20年前後、アルヌーF Arnoux - アイノスともいわれた?)というフランスで評判だったコックを呼び寄せて料理長にし、日本人コックの指導にあたらせたという。

 その指導が神戸の西洋食文化の大きな礎となったと、『司厨士技監』(1979)は記している。

 

 このアルヌーだかアイノス氏が岡山に来たと思われ、それで諸々、調べてる。

 上之町の 加喜屋 という和菓子屋に西洋菓子の造り方を説くべく、西洋人が来岡したらしきはほぼ確か。まだ鉄道がないから、神戸港から三蟠港へやって来たはず。

 加喜屋 は江戸時代の備前岡山藩池田家の 御用菓子司(おんかしつかさ)という老舗中の老舗。

 御後園(後楽園)で殿様出席のもと、数多催された茶会やら踊りの会(城内勤務の女中達の総踊りみたい演芸会)などいっさい、加喜屋の御菓子が使われた。

 明治になって、「御用」としてのステータスは失ったけど、老舗は老舗。当主・林藤吉は甚九郎稲荷(初期)の建立者の1人となり、やがて亜公園とも関わりあう人物。後に岡山市会議員になる。

 

 そのアルヌー(アイノス)かもしれない西洋人から講習を受けた菓子職人の1人は、マシュマロの製法を教わって衝撃を受ける。こんなフワフワ見たこともない。

 で、閃くところあり……、さらにがんばって独自研究、マシュマロと和菓子の融合に成功。加喜屋から独立して下山松壽堂(つるの玉子本舗)を開業する。

 

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                    同社のHPより転載

 

 明治の日本では、ヨーロッパでは通常の野菜、タマネギ・ニンジン・トマト・キャベツ・ジャガイモ・ニンニクなどなど、入手が容易でない。やむなく代用をあてるか缶詰めを輸送して調理するということで、しのぐしかない。

 

 彼らコックが一番に困ったのは、鮮度のいい肉の入手だ。

 わけても牛の肉。

 それを食べる習慣がなく、まして農家にとってはとても大きな労働力である牛を、人が喰うために手放すというような事は「非常識極まりない罰当たり」な事だったから、難儀にナンギした。

 けどもだ……、フランス料理というのはバリエーションの幅がでっかいのだ。

 古くより、ジビエがある。

 Gibierと書く。フランス語だ。

(地元の美味を得るという略語と思ってるヒトがあるけど違う~)

 要は野生の鳥獣、その料理。

 牛肉の入手は大変だったけど、日本にも多々の野鳥がいる。

 岡山から一番に近い外国人居留地は神戸。神戸居留地のホテルでは、鴨やらウズラやらキジを使ったようだけど、コック達が大いに喜んだのが ヤマシギ だ。

 ヨーロッパのと同じのが日本にいる。

 

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                   鳥ペディアより転載
 

 ヤマシギ料理は当時も今も、フランスでは高級なものとして最上位に位置する。

 プロスペル・モンタニエが1938(昭和13に刊行し、今もって驚くべき密な情報量の『ラルース料理百科事典』で、Bêcasse(ベカス。ヤマシギの仏名)を引けば、鳥の仔細な特徴から調理法やウンチクが7ページにも渡って記載がある。

 

Bêcasse â l’armagnac ベガス・ア・ラルマニャック やましぎのアルマニャック風味

Bêcasse au calvados ベガス・オ・カルヴァドス カルヴァドス・ブランデー風味

Bêcasse en casserole ou cocotte ベガス・アン・キャスロール・ウ・ココット キャスロール煮

Bêcasse au chambertin ベガス・オ・シャンベルタン やましぎのシャンベルタン・ワイン煮込み

…………

 

 あるはあるは、調理法は全33種。人気のほどがうかがえる。

 専門店も当時は幾つもあり、パリのル・ベルチェ通りのカフェ・リッシュなどは予約必需の有名店だったようだ。

 そのヤマシギの肉料理を東洋の端っこの島国のホテルで食べられる、というのは有り難い。当時の旅人(西洋人ね)にとってはスノッブ感うずくヨダレものの料理なのだった。

 そも、当時の彼らは観光に来るわけじゃない。物を売りに来たり生糸の仕入れに来て、次いでに浮世絵やら仏教美術品を安値で大量に買い取って母国で高額で売っ払うという商人が大半。何も味噌汁やらハモの淡麗を味わいに来たんじゃない。滞在中も母国同様に、極上な味覚を堪能したいワケで、

「郷に入っては郷に従う」

 なんて~の、しない。

 

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 日本の場合、ヤマシギはその名の通りやや奥深い森や林に生息し、昼は寝て夜に動く。関西方面では京都や丹波篠山界隈で捕れる。渡ってくるのがほとんどだけど定住しちゃってるのも、いる。鳩くらいのサイズ。

 とはいっても、安定した供給が望めるわけもない。

 数量にもばらつきがある。ゆえにジビエなわけで、その料理も当然に高額となる。 (京都界隈では個体数が減少しているので、平成20年より捕獲禁止)

 

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         Oimari「ガストロノミー料理の美味しい記録」より転載

 

 ヤマシギ料理の特徴は、肉だけじゃなく内臓まで使うこと。獲った後に数週、寝かせておくと内蔵はその内容物と共に濃厚な風味になる。肉は赤身で独特な香りと旨味を有する(私、食べたことないけど本にはそうある)。

 西洋人のホテルのレストランで食事出来る日本人は政府や県の高官程度でとても少なかったろうが、内臓込みの調理ゆえ、おそらく当時の日本人には馴染めなかったろうし、今もポピュラーとは言いがたい。

 

 ま~、そんなことやらをチョイチョイ調べ、明治岡山の亜公園とその周辺の食の光景を探索しているわけだ。

 和菓子の加喜屋とヤマシギ料理は直接関係ないけど、大きな円では括れる。

 亜公園という大型複合娯楽施設があった頃、どれくらい西洋の影響が浸透していたか……、ま~、そんな所をば、そういうエンがらみで調べてる。

 

 

 

しじみ汁

 

 終日部屋にたれ込めて書棚のあちゃこちゃから資料本を引っ張りだし、目的な箇所を探してチェックするというような作業を繰り返すだけであっても、お腹はへってくる。

 

 午後。このごろ、しじみ汁を飲むこと多し。

 焼きそばなんぞと一緒に、インスタントなやつを。

 

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 味噌の塩分か、しじみのそれによるのか、しょっぱい感濃厚。

 ホンマに身体にいいのか?

 ま~、そこはどうでもイイ。

 本日はピザとしじみ汁。どちらも手軽なインスタント。湯とオーブンのみで気軽。

 

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 いささか面白みに欠けるのは、「しじみ汁」という名。

 いかにもストレート。語感良いとは、思えない。

 感じ方ゆえ個人差濃厚だから、 きっと、しじみ汁と聞いたり発音のたび、

「ぁあ、いいなぁ」

 と思う人もあろうけど。

 

 いわゆる汁物というのは、多くが名が単調。

 青汁とか……、いいのか、そんな名で。

(ま〜、これは狭義では汁じゃなくジュースの類いだろうけど)

 しかし一方で、「すまし汁」なんて~のはちょっとヒネりがあって気がきいているような気がなくはない。

 が、子供の頃は食卓にすまし汁があがると、たいそうガッカリしたもんだ。

 透明なのがつまらない。何が入ってるか即座にわかり、味噌汁みたいに箸で探り当てる「愉しみ」がないのがいかん。

 ま~、子供はそんなもんだ。

 それがちょっと大きくなって、すまし汁は、かつてその昔は「(あつもの)」と総称され、酒の肴だったというような事を知ると、

「ほ~っ」 

 すまし顔になって感心したりした。

 まだ日本酒が透明でなくって白濁色だった、いわゆる濁り酒の頃のハナシながら、酒が透明でないぶん、その肴としての透明はなかなか気がきいた対比的アクセントだったようには、思える。

 信長が勇躍していた頃の最高の日本酒は、紹興酒みたいな茶色がかったものだった。

 室町時代前後のセレブ階級は舌と共に、その対比を眼でも味わい、やがて懐石やら会席というカテゴリーを産んで、汁物と吸い物、茶席における茶をひきたてる食事と、酒を愉しむためのそれへと、同じ発音ながら2つに区分けしたルール化にも、感心した。

 

 島根の宍道湖界隈のしじみ汁は、かつおのだし汁に醤油が少量というから……、だいぶんと透明かな? 

 味わったことがないんでよくは判らないけど、室町の時代にその調理法があるなら、やはりそれも酒の肴だったわけだろう、ご飯と一緒に食べてたんじゃないのね。

 面倒といえば面倒だけど、即席ではない面倒をチョイスしていた時代っていうのは、まずは自分を律してルールの中に身を置くみたいな所が前面にあって、そこ、おもしろい。自ら鋳型の中に入ってくわけだから。

 

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 早朝4時の小庭の金木犀。花が咲きかけ、辺りに良い匂いをまいている。ちょいと風雅な気分。

 しばし木の下に佇んで、息を吸ったりはいたりで芳香を愉しむ。

 ぁ、関係ないけど、「恋のフーガ」って曲、あったな。筒美京平だっけ。

 ぉ、違う。すぎやまこうへいだ。