2月の映画よもやま

 

『あの夜、マイアミで』 2020 Amazon prime

f:id:yoshibey0219:20210216053810j:plain


 黒人差別の問題を描く。舞台は1964年。カシアス・クレイフットボールの有名選手ジム・ブラウン、マルコムX、ゴスペル歌手サム・クックが、クレイのボクシング試合後に一同に介し、ケンケンガクガク話し合う。『Ray/レイ』やらアレコレの映画に出てた女優のレジーナ・キングの初監督作品。

 現実にこの4人の有名人たちが会ったという記録はないけど、あえて4人を会合させての話。ずいぶんブッ飛んだ設定だなぁと思ったら、脚本は『スタートレックディスカバリー』を手がけた人だった。

 コロナ渦の今、直に人と人が接して深く語りあう姿が、妙に御馳走にみえた。何より劇中の4人がちゃんと相手の話を「聞く耳」を持っているのが良かアンバイ。

 

『ブラック・クランズマン』 2018 Amazon prime

f:id:yoshibey0219:20210216053847j:plain


 去年に2度ばかり観て、また観る。この映画のリズムとテンポが好み。ジョン・デヴィッド・ワシントンのカリフラワー頭とヒゲもこの映画じゃ悪くない。アダム・ドライバーの飄々とした感じもいい。

 スパイク・リー監督は『モ’・ベター・ブルース』やら『マルコムX』やら『インサイド・マン』でデンゼル・ワシントンを起用し、この作品では息子を起用で器用だね~。その『インサイド・マン』のDVD、探して見つからん。あれ?、と思ったら、福山在住のノビ~に貸し出したまんま観~やだ。しゃ~ない、Blu-rayに買い換えようかしら。

 

TIGERLAND』 2000  Amazon prime

f:id:yoshibey0219:20210215201559j:plain

 

 徴兵され、ベトナムに送り出される前に訓練される兵士達の話。

 主演のコリン・ファレルの唇の傷が妙に痛々しいのが印象に残るも、さほど感じるところなし。

 

ハンターキラー潜航せよ』 2018 Amazon prime

f:id:yoshibey0219:20210215201530j:plain


 潜水艦好きなら、ついつい、観てしまうんだろうけど、内容は無イヨ~で、せっかくのゲイリー・オールドマンなんか出てる意味がなく、主役ジェラルド・バトラーがかっこよくふるまっているだけ。けども、こういう映画は嫌いじゃ~! とは言い切れないタチで、魚雷発射とその結果をばメダマが追う追うオ~OH。

 

スパイ・ゾル』 2003 DVD

f:id:yoshibey0219:20210207023926j:plain

 

 篠田正浩監督の引退作品。

 夏川結衣が出てるんで観たものの、3時間に近い長さ。それを長いと感じさせない映画と、そうでない映画があるけど、この作品は残念なことに、う~ん……。そも何で「イマジン」が流れる? 

 

梟の城』 1999 DVD

f:id:yoshibey0219:20210207023949j:plain

  

 篠田正浩作品で中井貴一主演。大仰な音作りに鼻白むし、「それってどうなの?」な点もあるけど何故か時々観たくなる。3年にイッペンは見返してる。要は嫌いじゃないんだろう。じゃ、好きか? といえばそうでもなく……、その好き嫌いの中間辺りでのモヤ~っとした所に「愛嬌」のようなものがあるような。

 で、その「愛嬌」って~のがどういうものかと考えるに、篠田御大は懸命に風船に息を吹き入れてらっしゃるのだけど、風船そのものに穴があいていて、どこまで吹いても大きくならないのを、実は御大は知りつつ、なおも吹いてるような感じで、『スパイ・ゾルゲ』も同じ。

 氏は「かぶき者」とか「かわら者」研究の第一人者で数々の秀逸な著述があるけど、ご自身の映画作品にその「かぶき者テースト」を混ぜ混ぜさせて、

「どう? ついてこれないでしょ」

 と、ワザとやってるような感じがしないでもない。この映画のケッタイな音作りにしろ、『スパイ・ゾルゲ』の「イマジン」にしろ……。

 

サリュート』 2018 Amazon prime

f:id:yoshibey0219:20210216053723j:plain

 

 ロシア映画。1980年代の、サリュート7の軌道逸脱事故と宇宙ステーション・ミールの落下事故を、1つの話にまとめたストーリー。だから史実を追った映画じゃなくって、部分に史実を含むという感じの映画。

 米国産映画の特殊効果と遜色ないSFX。当時のロシアの宇宙船内の様子とか、なかなか興味深い。

 意外にも体制批判が根底にあって、最近のロシアの変化が覗えるような感もある。

 ニヤッと笑えたのは宇宙船内での喫煙。なんだかロシアっぽい。危ないぞ~って感じと共に、たぶん当時、ホンマにタバコ持ちこんで、無重力の中で吸ったんだろうなぁともリアルに思えた。逆に思えば、当時のロシア軍部の飛行士への管理が甘いというか、タバコ1箱持ち込んでるのも気づかないという辺りの組織力の硬直と脆さの垣間見えが、面白い。もちろん無重力だから煙は上にあがっていかない。

 

宇宙戦争』 1954 2005  DVDで2本立て

f:id:yoshibey0219:20210202173722j:plain
 1月のはじめ、英国でH・G・ウェルズの没後75年を記念する硬貨が出たものの、図柄がメチャだと大ブーイング。ウェルズの描いた火星人の戦闘マシン・トライポッドの足は3本でなきゃ~駄目だし、硬い金属足じゃなく、もっとしなやかで柔軟なものでないとイカンじゃ~んのクレームに、硬貨のデザインを担当したデザイナーが懸命に自己弁護したりで、何かと話題になったようだけど……。

 

f:id:yoshibey0219:20210218181124j:plain

 ま~、それに触発されて、20年っぷりくらいか、原作をば読んで、

「うん、うん。やっぱ、今回のコイン、めっちゃ駄目だわさ~」

 他国の硬貨に内政干渉ぎみに感想したのだったけど、あわせて次いで、2本の『宇宙戦争』をば鑑賞。

 

f:id:yoshibey0219:20210219082201j:plain

 1954年のは名作中の名作。1954年当時に時代設定をかえ、さらにトライポッドなんぞもクールでエレガントなデザインとして描いてるけど、3という数にこだわって、火星人とその機器類の特徴づけに大成功している。ウェルズの原作でも3単位の火星人が描かれているけど、この映画ほどそこは際立たせていなかった。その辺りの原作の延長と拡大と強化が、だから見事。あっぱれ。何度観ても素晴らしい。

 圧倒的パワーに蹂躙されるだけの人類が暴徒と化したり神さんに祈ることしか出来ないという無力の膨大、その描き方も実によろしかった。

 

f:id:yoshibey0219:20210219175743j:plain

 2005年のはウェルズの原作に近いトライポッドが出てきてコンニチワ~。これはこれでとても良いし、原作をうまく踏襲しつつ現代の話に置き換えて、さらに1954年版映画へのオマージュまでが含まれて、そこもさすがなれど、家族愛、子供親父の大人への脱皮みたいな……、スピルバーグ的なファミリー主題が前面に出てしまって、せっかくのウェルズ・テーストが後退。観るたび、

「惜しいなぁ」

 と思ってたけど、今回も同じ感想。

 お・し・い。

  f:id:yoshibey0219:20210212201658j:plain

 

 希望を申せば、ウェルズが描いた19世紀末(1898年)を舞台にしての『宇宙戦争』をば観てみたいな。原作は回想談として話が進む。そこもそのままでの映画版を希望っす。

      f:id:yoshibey0219:20210212195852j:plain

 

 こたび久々に読んで、今の政治不信やらコロナ渦での状況にとても近似する人の動向が描かれていて、「あらまっ」とおどろいた。第7章の「パトニー・ヒルズの男」のくだりでは、陰謀論をかたくなに信じるトランプ熱烈支持者に似る元兵士が出てきたりもして、その動向の活写はさすがウェルズ、本作品モチーフの硬貨が出るのもアタリマエ……、と思ったりした。むろん、何よりも凄みあるのは、人類が既に持っているウィルスへの抗体、抵抗力を火星人らが持ってなかったという顛末だ。『宇宙戦争』はおそらく唯一、ウィルスが人類側に立ってる(結果としてだけど)ドラマ。

 

イントウ・ザ・スカイ ~気球で未来を変えたふたり~』 

 2019 Amazon primeのオリジナル映画

f:id:yoshibey0219:20210212200650j:plain


 原題は「THE AERONAUTS」。

 直訳では、「気球乗り達」か。

 それをわざわざに、「イントウ・ザ・スカイ ~気球で未来を変えたふたり~」との邦題づけ。Amazonの日本法人よ、お前もか……、とガッカリしないではない。タイトルでもって説明しないで欲しい。

 ま~、しかしこの映画、足が竦むことタビタビ。こちら観覧車でさえ苦手なんで、高さをありありと示す秀逸な描写の連打にお尻あたりから両足まで竦むこと竦むこと。

f:id:yoshibey0219:20210212200714j:plain

 フェリシティ・ジョーンズは『ROGUE ONE /  STAR WARS』で充分にハラハラさせてくれたけど、この作品はそこをはるかに凌駕。いきおい彼女の代表作に躍り出た感ありありの高度10㎞での痛々しげな両手の凍傷。

 

バベットの晩餐会』1989 Amazon primeBlu-ray

 

 デンマーク映画。2月に観た映画中、ナンバーワンのダントツ。

 実に静かな映画。料理を基底部に置いた素晴らしいドラマと云ったが良いか。

 舞台は19世紀末のデンマーク。海辺の小さい村。

 出演の方々、とりわけ老いた方々が素晴らしい。最高に近い。

 Amazon primeで観た後にちょいと調べてみるに、この作品、最近、Blu-rayが出てた。

 手元に置いときたくなった。

f:id:yoshibey0219:20210207023842j:plain

 なので買った。

 いや~、この映画はね、Blu-ray画質で観るのがいいよ。家のカタチ、干された魚(ヒラメかな?)、小さな商店、暗い台所、食卓の様子、テーブルクロス、アイロン……、わけても後半の晩餐シーンの老人たちの頬。食事が進みワインのグラスが干される内に白い顔がピンク色にと変わってく微笑ましい様相。ここはBlu-rayでの再現が望ましい。

 日本映画にみられるベタな感情移入に導くようなつまらん造りでないのが良く、淡々の中に清廉と熱が存在していて、ちゃんとした感動が味わえる。それもね、映画の進行と共にジワジワ、ジワジワ~っとくる。こういうのは希有だし、まして主題となるベースが料理だよ。

 屠られた鶏の首、羽毛をむしられていくウズラ、いずれもが赤裸に描写される。美と残酷とがあたりまえに同居し、隠されないのがいい。

 

f:id:yoshibey0219:20210220201026j:plain

         バベットが石炭オーブンから焼き菓子を出してるシーン

 

 前半部の描写は、この映画が何を主題にしてるのか皆目わかんないのだけど、ま~、そこが日本の即興的お刺身文化じゃない、ヨーロピアンのコトコト煮込み料理文化なのであって、概ねで西洋の古典文学もそうでしょ……、出だしのギアはあくまでロー、流れてく時間の速度の違いもまた味わえるって~もんだ。

 

f:id:yoshibey0219:20210220201102j:plain

f:id:yoshibey0219:20210220201142j:plain

 その上で、19世紀末デンマークでの質素極まりない食の光景(古いパンを湯に溶いてお粥みたいにして食べたり)と、後半でのフランス料理との対比も激烈に素晴らしい。劇中の1人の老人の口癖になってる「ハレルヤ~」を、そのままに復唱したくもなるんだハレル~ヤ。

 ま~、なによりもバベットと二人の老女だなぁ、魅力は。

 などと書いてる内、また観たくなって来ましたよ~。というか、この映画をまた「味わい」たくなった。 

 食える映画があるんだぜ、この世界にゃ。

         この予告編は作りがまずく本編の魅力を伝えてないけど……。

 

   f:id:yoshibey0219:20210219175152j:plain

 フランス料理というカテゴリーでは『大統領の料理人』(2013)というこれまた秀逸な作品もあるし、料理を前面に描くという点でもこちらの方がたっぷり感ありなんだけど、手元に置きたい度合いは『バベットの晩餐会』が上にくる。抽象化への粘度が高いんだ。

『ラスト・サムライ』が現実の幕末ではない描写の連打ながらも、日本の数多の映画が描こうとしたサムライのカタチ、日本というカタチをより上手く抽出していたように、『バベットの晩餐会』は料理がもたらすかもしれない良きポイントを極上なファンタジィ~にまで昇華させていると思え、ま~、そこにBlu-rayを買うだけの価値ありと。

 

 

 

 

レンジが

 

 マックのハードディスクが復旧した翌朝、電子レンジが、

ポンッ!

 乾いた音たてて、ウンともスンともいわなくなった。

 もう何年も使ってたもの。ポンッ!はおそらく電源部が逝った音なんだろう。「壊れ連鎖」にガックリさせられるけど、コンピュータのように修復とはいかない。

 やむなく新たなのを買った。

 しかしね~、電子レンジが壊れると、たちまち、ミルク1つあっためるにも、面倒なことになるんだなぁ。小さい鍋にコンロ、使うたび鍋は洗わなきゃ~いけね。

 いかにレンジが重宝してたか、失ってよ~く判る。

 

f:id:yoshibey0219:20210215182820j:plain

 

 山下和美の漫画『天才柳沢教授の生活』で、主人公がミルクをコンロで沸かすシーンがあって、沸騰寸前に火を落とそうとする教授のカタチが、好もしい。

 この漫画が描かれた1980年頃はIH製品はないけれどレンジでチンが全盛時代。

 けども67歳の教授はレンジ使わずコンロと対峙してるワケで、そこでの、機械にお任せしない、火加減のこだわりが好もしい。

 

   f:id:yoshibey0219:20210215182503j:plain


 当方チョイスでベスト10映画の1本『リスボンに誘われて』では、ジェレミー・アイアンズ扮する国語教授が朝の紅茶を沸かそうとして、キッチンにティーパックの在庫がないのに気づく。

 季節は真冬。それでゴミ箱をあけ、イチバン上にのってる、おそらく前日朝に使ったと思われるティーパックを回収し、実に無造作にカップに浸けて一杯のティーを作り出すというのが巻頭にあって、教授の生活の一端を垣間見せるという仕掛けになっていたけど、ここでもレンジは使われない。

 前日朝食時のゴミがゴミ箱の最上部にあるのは、彼が夕食を外食で済ませている事を物語る。

 調理しないから、いわゆる生ゴミがなく、孤独なシングル・ライフを送っているのが、この巻頭でアリアリ判るわけだ。

 

f:id:yoshibey0219:20210215183902j:plain

 本に囲まれたアパートの中、寝起きでまずは、1人、チェスの駒を動かして、アタマの体操というか、これが彼の趣味であろうコトが判る描写。

 

f:id:yoshibey0219:20210215183951j:plain

 時計のアラームが鳴って着替え、学校へ出向く準備をし、朝食を用意する。ゴミ箱に入った空のパッケージがほんの僅かに映って、その図柄から想像するに、それはトワイニングのじゃなく、ドイツのロンネフェルト紅茶のダージリン徳用パッケージと思われけど、いかんせんBlu-ray画質じゃないんで、わかんない。(この徳用は日本では売ってないのかな?)

             f:id:yoshibey0219:20210215183740j:plain

f:id:yoshibey0219:20210215184218j:plain
 当日の授業の書類を見つつ小さなテーブルで朝食をとる。冬のスイス(ベルン市)の朝はまだまだ暗い。

 当然に紅茶はデガラシだが、仔細を眺めるに、教授はチェス用の小テーブルと朝食用のテーブル、2つを使い分けて、そこはそこでチャンとしてこだわりを持ってる生活だというのも、わかる……。

 山下和美の漫画もそうだけど、良い作品はたいがい、細部のディティール描写に妙味あり。

 

 我が宅には、さて? いつ電子レンジが入ったかしら?

 いつ初めてコーヒーをチンしたかしら?

 今は2~3万円で買えちゃうけど、その昔は10倍ほどの値段だったような気がする……。

 レンジは床が回転するのと、しないのと、2種類があるけど、どっちがイイのだろ? 判らんまんま、「ポンッ!」で昇天したのと同じく、回転しないのを買った。

 コンビニ弁当をあっためるに、回転式は弁当のサイズにもよるけど、フチが庫内の壁にあたってモーターに負荷をかけるゆえ、ペケね。

 

 ペケといえば、『リスボンに誘われて』、DVDどまりで、なんでBlu-ray化しないんだろ、焦れったいな……。

 

f:id:yoshibey0219:20210217125515j:plain

 

 

梅のさく 門は茶屋なり

 地震はホントに怖いね……。

 

          ●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●

 

f:id:yoshibey0219:20210211192233j:plain

     なんか妙な、よこしまな視線っぽいのを感じたのだけど……

 

f:id:yoshibey0219:20210209100618j:plain
               ペコちゃんだった

 

 ペコちゃんといえば不二家。1973年にバレンタインデーの仕返しじゃ~なくって、お返しとして「リターン・バレンタイン」というキャンペーンをやって、これが今のホワイトデーになったという説があるらしい……、などとウィキペディアに書いてあるのを読みつつ、ご近所のタケちゃんより頂戴のチョコをばかじる。

 

  f:id:yoshibey0219:20210213161641j:plain

 

     ●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●

 

 なぜか、外付けHDD(ハードディスク)2つからデータ完全消失。そのくせハード的にはちゃんと活きているっぽい。

 

 一つ家に 遊女もねたり 萩と月

 

 ではないけれど、1ケースに2つ入ったHDD。

 熱暴走? 急電圧? フリースなどのポリエステル素材の服を近場で脱ぐコトありだけど、そのさいの静電気? まさかね? 

 我が輩の不始末? 

 原因不明。

 ともあれ中身が全てゼロ。別の外付けHDDにそのバックアップがあるきり。

 遭難直前の心細さは芭蕉の描く遊女に等しい。(この遊女は友達と2人旅の途中で別れてしまい、1人旅でメチャに心もとないというコトが『奥の細道』で紹介され、そう書いた後にこの有名な句が添えられる)

 こちらとて心もとない。容量のでっかいHDDを買いたし、月のような坊主アタマになったChikaちゃんに来てもらい、おはぎ食べつつ取り付けとデータの移動作業。

 

f:id:yoshibey0219:20210213203138j:plain


 あれこれ眺めるに、近頃やたらにこの国、タソガレて悲哀色、「後進」という感じが明滅していけない……、というような話を交えつつの作業。

 MacのTime Machine機能で遭難回避。バックアップ1つじゃ~イカンという次第明白で、こたびの復旧を機会にバックアップは2つ取ることに。

 

     ●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●-●

 

 ついこの前、お雑煮食べていたような感じがあるけど、もう2月も半ば。

 

 梅のさく 門は茶屋なり よきやすみ

 

 正岡子規の句。

 18~19歳の時の作品という。

 梅が咲いた角っこの茶店で休んだらいい気分になった……、と、それだけのコトなんだけど、それだけのコトの中に大きな安泰が横たわっていて、若い子規の才能に驚く。

 19歳なら、1886年(明治19)頃だ。松山から東京に出て既に3年、東大予備門に通っていた頃だろう。この学校で漱石と出会っているから、ひょっとして2月の梅が咲く、あるいは梅が咲いた頃の角っこの茶店に同席していたのは漱石かも……、というような想像も許される。

 メチャに友達が多い人だったから別に漱石でなくともよいけど、ともあれ梅が背景にあって春の句だ。冬ではない日差しの心地よさが「よきやすみ」の5語に集約されてるわけだ。

 

   f:id:yoshibey0219:20210214010052j:plain

 

 一方その頃、岡山では……、船着町に片山木材店が登場。店主は30歳の片山儀太郎。

 奈良から吉野杉を仕入れ、樽材として売り出している。

 (樽そのものを仕入れたとも思えるが)

 この頃は、雄町米を使った酒が全国に知られ出し、岡山市内や近隣の酒蔵家は大忙し。

 高級の代名詞たる吉野杉を使った樽は、雄町米の酒の品格をいっそう引き上げる役を担う。

 吉野からの杉では足りず、片山木材では、土州(高知方面)の杉も仕入れていく。

 

            f:id:yoshibey0219:20210213200906j:plain

 

 儀太郎さんが酒を好むヒトだったかどうかは、わからない。

 わからないけど、嗜むヒトではあったろうとは思う。晩酌に1合徳利を2つばかり。

 

 

 子規には『酒』という作品がある。

 原稿用紙1枚に満たない小品だから、全文を載せる。

 

 一つ橋外の学校の寄宿舎に居る時に、明日は三角術の試験だというので、ノートを広げてサイン、アルファ、タン、スィータスィータと読んで居るけれど少しも分らぬ。困って居ると友達が酒飲みに行かんかというから、直に一処いっしょ)に飛び出した。いつも行く神保町の洋酒屋へ往って、ラッキョを肴で正宗を飲んだ。自分は五勺しゃく)飲むのがきまりであるが、この日は一合傾けた。この勢いで帰って三角を勉強しようという意気込であった。

 ところが学校の門を這入る頃から、足が土地へつかぬようになって、自分の室に帰って来た時は最早酔がまわって苦しくてたまらぬ。試験の用意などは思いもつかぬので、その晩はそれきり寐てしまった。すると翌日の試験には満点百のものをようよう十四点だけもらった。十四点とは余り例のない事だ。酒も悪いが先生もひどいや。

                     明治32年『ホトトギス』第2巻第9号 所載

 

 子規は1合でダウンした。酒を嫌いじゃなかったろうけど、体質的に呑めないタチだったんだろう。

 そこを本人が苦(?)にしているらしきは、後年の作品の中、けっこう酒のことを書いていることで概ね察しがつく。

 彼の父・常尚は酒豪中の酒豪で、ほぼ毎日1升呑んでいたというし、明治の2年には酔って寝入ったか、正岡家を全焼させた不始末もある……。その時に一緒に呑んでたのが常尚の父すなわち子規のお爺さん。この人も一升クラスのようで、そんな呑めるはずの家系ながら自分が下戸であるのを、子規が気にしないワケがない。

 

f:id:yoshibey0219:20210214010505j:plain

 

 上記の『酒』に出てくる正宗はどこの酒蔵か知れないし、使われた米のブランドとても判んないけど、かまや~しない。正岡式の子規失敗談を愉しめるというもんだ。

 この頃はまだ一升瓶は存在しない。子規が入った店の奥にはサイズは判らないけど幾つか樽が並んでいたはずで、店員がその栓を抜いて冷ややら燗の用意をしたのだろう。

 子規はどっちを呑んだろう? 部屋に戻った頃に酔いの頂点があるようだから、遅延気味に酔いがやって来る冷やだったような感もある。

 ラッキョウが肴か……。1合あけるために、5つも6つも口に運んだか?

 そこを考えると、おもしろいや。

 

 

ふりだしにもどる ~亜公園~

 20日に開催予定の西大寺の裸祭り。今年は関係者以外の境内立ち入りを禁じ、宝木は投下するけど参加者は過去に福男になった人のみで、競り合うことはさせず、住職がフダをひいて本年度の福男を選ぶそうな。

 裸祭りがはじまって500年以上が経つけど、初のことらしい。

 ま~、しゃ~ない。

 ちなみに、高齢で1月に亡くなった我が親族は、若い頃に裸祭りに参加し、争奪戦が開始されて揉み合いに翻弄される中、たまたま飛んで来た宝木が手にあたり、すかさずマワシのタマタマの近くに隠し入れ、両手を上にあげて、

「ボクちゃんも探してるよ〜」

 なフリをしつつ裸衆から離れるべく、徐々にその外周へと移動し、たまたまに社務所前付近に押し流されたので、ここぞとばかりに駆け込んで、その年の福男になったラッキ~マンだった。

 けどもその事をけっして自慢せず、実に謙虚に言葉少なめに、

「いや〜」

 と頭をかいて、

「たまたま」

 と申されたグッドマンだった。

 

     ●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○-●○

 

 さてと、また亜公園のことを。

 亜公園には街路灯があった。

 4燈あった。

 ガス燈か、西洋燈か、アーク燈か?

 

f:id:yoshibey0219:20210208034235j:plain
          『岡山亜公園之図』(岡山中央図書館蔵)の街路灯部分

 

 その街路灯それぞれのそばに小さな八角形の塔屋がある。

 これも4つ、ある。

 そこで、この塔屋はアーク燈のための動力源、蓄電池を置く“小屋”ではなかったかしら?

 そう思って当時の電気事情を記した本やらで諸々を精査し、

「おそらく、そうだろな」

 ほぼ見解を固めたのだった。

 

f:id:yoshibey0219:20210208034117j:plain

                『岡山亜公園之図』の小さな塔屋。

f:id:yoshibey0219:20210208035850j:plain

                    部分のアップ

 

 で、最後の一押し、フィニッシュのイチバン搾りとして、やはり当時の事情を知る手がかりになる関連本を何冊か仕入れ、確認がてらにめくってると……、すると照明の話じゃない所で、

「おやっ?

 立ち止まるべきな記述があるじゃ~ないの。

 予期しないカタチで想定外な形のモノが出てきてしまった。

 

    ––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 江戸時代末期から明治になった頃、横浜港界隈での話。

 日本にやって来て横浜に滞在した外国人たちが、

「ワッ! 何てこったい!」

 おどろき、あきれ、声高に非難し、日本政府にクレームを入れたのが、日本人男性の「立ち小便」だ。

 道ばたシ~シ~、壁にシャ~シャ~。平気の平左。

「何とかせ~よっ!」

 英語やオランダ語やドイツ語でブ~垂れた。

 日本は当時、公衆衛生の概念が希薄だったわけだ。

 

 そこで明治政府はあわて、いわゆる外圧に押され、邏卒(らそつ。警察官の前身)に取り締まりさせた。

 明治4年1871に発足した邏卒の仕事は、ほぼ、立ち小便の取り締まりが主務という有様だった。

 それと同時に政府は、横浜の町の辻々に「路傍便所」というのも設置した。

 四斗樽を地面に埋めてだなぁ、その廻りを板で囲っただけのチープなものだけど、一応、これトイレはトイレだ。

 けどま~、ブッサイクだわさ。

 そこで明治12。外国人多数なオシャレ横浜にふさわしいのを考案したヒトが出てくる。

 

f:id:yoshibey0219:20210208041201j:plain
                  横浜「公同便所」の図。

      鹿島建設が運営する鹿島出版会の本『ものの建築史 便所のはなし』より転載

 

 それが、この図面だ。

 六角形だ。西洋っぽいね。市内63カ所に設置され「公同便所」と呼ばれた。

 総予算は2千円だというから、今でいえば10億円くらいかかってる……。

 この建物、あんがいと大きい。六角のカタチを活かし、男性用6ケ、女性用途も含むであろう大用3ケを上手にまとめてる。トンガリ屋根は臭気抜きだ。

 

f:id:yoshibey0219:20210208041335j:plain

              伊奈製陶の『厠まんだら』より転載


 となればだよ……明治25年オープンの亜公園の小さな塔屋も、トイレじゃないのか、いや、トイレそのものだよ~! という考えに急転直下するのだった。

 

f:id:yoshibey0219:20210208035849j:plain

                 『岡山亜公園之図』部分

 

 なんのことはない。『岡山亜公園之図』を最初に見たさいの、

「トイレかしら?」

 の素朴でストレートな感想が、実は正解だった……、ということになってきた。

 数が多すぎると疑念し、早々にトイレ説は捨てていたのだけど、後述するけど、その数もキーポイントだった。

 ともあれ、あれこれ考えた末に、ふりだしに戻ったワケだ。

 

 しかしま~、これはこれでマッコト面白いのだ。

 実のところ、明治4年まで、日本には公衆トイレがなかったワケだ。

 外圧によって横浜にそれが出来、ついで政府は、明治5年に「違式註違条例」という、軽犯罪法を作って全国発令、街中での立ち小便を禁じた。

 条文に、

「市中往来筋に於いて、便所にあらざる場所へ小便するもの」

「店先に於いて往来に向ひ、幼児に大小便せしむるもの」

 罰則対象を小まめに明記した。

 

 岡山でも、このために「公同便所」が出来た。

 しかし、明治23年(亜公園オープンの2年前)の山陽新報によれば、屋根付きの「公同便所」は、わずか8カ所で、屋根のない坪(瓶?)を埋め込んだだけのもの41カ所……

 これが、岡山市の実態。

 およそ、今の公衆衛生とはかけ離れてる。

 となれば、亜公園の登場で、その4つの塔屋がトイレであるなら、岡山での屋根付きトイレは12カ所と、ぐっと数が増えたことになる。

 

f:id:yoshibey0219:20210207111143j:plain

 

 亜公園は、岡山の公衆衛生面・美観面に大きく寄与したという事に、なりもする。

 考察するなら、『岡山亜公園之図』は、その辺の事情も含め、あえてトイレを描き入れていたのかも……、知れないのだ。

 

 サイズはそう大きくないよう、思える。

 集成閣に準じて八角形なのだろうが、このサイズであるなら床面積はしれている。はたして内部に大用・小用をどれくらい設置出来たろう?

 男女は別としたろうか?

 あれこれ新たに考えることになっちまった。

 が、ともあれ、お江戸の時代から明治にかけて、トイレがないから立ち小便したのか? 立ち小便で済ませちゃえるからトイレがなかったのか?

 どっちでしょ、ねっ?

 これケッコ〜大きな問題、だよ。

 

f:id:yoshibey0219:20210207010706j:plain

 

エルムの鉛筆削り

 森喜朗翁の老害っぷりが、痛々しい。

 けど一人、彼のみがおぞましい存在という次第ではなく、たぶん、私をも含め、日本人男性の体内にある「閉じきった感覚」がもたらす弊害のような気がしないではない。

 未だ、女性に慟哭させて物語りの情感極まったりだと思い込んでる日本のTVドラマなんぞのクライマックス作りと、表裏なような……。

 ぁあ、それにしても滑稽。翁の周辺含め、痛々しさ増量のオリンピック狂騒。

 

   ××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××-××

 

 ゲラが届いて、ただいま赤ペン入れの作業中。

 8月の山陽放送新社屋での講演録。その詰め作業、2度目の校正という次第で、手が抜けない。

 1時間、絶え間なく山のように喋ったはずだけど、テキストに起こしてもらうと、意外や、分量としては少なく、

「おや、おやっ」

 トーキングとライティングの違いに唖然とさせられる。

 講演後に新たに判明した事実もあって、それらをどこまで混ぜてくか悩みもする。

 ともあれ一言一句を追いかけつつ赤鉛筆……。

 

f:id:yoshibey0219:20210202171334j:plain
 

 我が鉛筆削り。

 これ、小学生の時より使ってる。

 入学したさいに買ってもらったのだと思う。

 ハンドルグリップと削りかす箱以外はオール金属。

 だからずっしり重い。

 この重さ感は、今も、子供の頃に感じたそれと何ら変わらない。

 1度たりとも手入れせず、手垢にまみれちゃいるけど、常にそばにある。

 なんと60年……、使ってるワケだ。

 

f:id:yoshibey0219:20210128230338j:plain

 

 子供のボクはこれを輸入品と思い決め、自分の所有物の中、唯一の外国製と北叟笑んでもいた。

 ボディ横のロゴがすべてローマ字だ。

 横文字がイコール、ボクには外国への通路だった。

 そんなのを自分が持ってるのが、嬉しかったワケなんだけど……、実はまったくそうでない。

 これは、国産品。

 東京は板橋のエルムという会社のものだ。

 エルムは1935年(昭和10)に金属文具の工場として起業した。

 戦後は鉛筆削り機といえばエルムという時代もあったようだし、国内ではじめて電動の鉛筆削りを創ったのもこの会社。

 

f:id:yoshibey0219:20210128230437j:plain

 

 すべて英語表記なのは、これが盛大に輸出もされていたコトを示す。

 ま~、そこを子供のボクは舶来と取り違えたワケだけど、半世紀経っても使えるのは有り難い。

 だから、ボクは電動式鉛筆削り機が出たさいも、欲しくもカユクもなかった。

 ハンドルをクルクル廻せば、これ1つで鉛筆のいっさいが賄われ、しかも、その手加減1つで芯を尖らせも出来れば、やや甘く……、も出来るんだから買い換えの必要がないんだった。

 

f:id:yoshibey0219:20210130045511j:plain

 

 今の眼でみると、質実の剛健っぷりが際立つ。

 鉛筆をセットすると、ガッツリ、歯形をつけるんだ。

 ゼッタイに放さないぞ……、の意志がこの歯形だ。

 なので、鉛筆にはそれを使い切るまで無数の歯形がつくコトになる。

 かつて誰かが唄ってた、

「あなたが〜噛んだ小指がぁ痛い~♪」

 をもじれば、

「あなたがたが〜噛んだぁ~♪」

 って~な感じの傷を鉛筆は、ボディにうける。

 

 けど、それがイイのだ。

 鉛筆は何事かを紙に刻みしるすものだけど、その鉛筆自体がそうやって毎度刻印めく傷をつけられヒストリーを更新してく様子を、ボクは好きなんだ。

 

f:id:yoshibey0219:20210130045134j:plain

 

 しかしエルムは平成時代になって、売り上げ低迷。

 ボールペン全盛。シャープペンシルとかの躍進も斜陽に拍車をかけていた。

 収入より出費が大きくなってった。

 それで2015年、負債が10億円を超えた時点で、延命策はあえて取らず、会社を閉じた。

 事業継続は困難と、撤退していった。

 残念な話じゃあるけど、そのいさぎよさは良かった。

 こちら、そんな会社の良品をいまだ使い、赤鉛筆を研いでもらってる。

 本来、モノというのは容易に壊れるようなモンじゃ~駄目なんだ。

 エルムという会社はもうないけれど、その良き製品はこうして卓上で活き続け、当方を助けてくれる。

 あ・り・が・た・や・あ・り・が・た・や

 

f:id:yoshibey0219:20210203095222j:plain

 

 子供の頃からのヘキだけど……、削りかすを捨てる時、いつも躊躇する。

 このフンワリ柔らかな感触と微かな木の匂いを好く方で、なんかもったいない気がしていけない。

 といって何かに使えるかというと、アイデアはない。自分が極く極く小さきヒトであるなら、この中に入り込んでスヤスヤあったかく眠れるかも……、みたいな空想しか沸いてこないのだけど、まっ、はやい話、貧乏性なんだろう。

史料が届く

 

 1月最終の昨日の金曜、またzoom呑み会。

 今回は県外、兵庫県在住氏も加わっての5人の会。

「や~、ども~、ごぶさた~」

 隣県への移動も不自由な今、ま~、こういう呑み会も容認しなきゃ、やってらんない。

 ただ、これは、ピッチが速くなるというか、呑むペースが速くなっちまう。

 BARだと、黙ってボ~~ッとしてる時間もあるし、カウンター内の綺麗さんや口うるさい小っこいのがチョコマカ大きく働くのを眺めて変化を愉しめるけど、画面見ぃ~見ぃ~だけの変化なしなんで、つい、手が動いてグラスを口に運んでしまうんだ、ねっ。

 間、をどう取ってくか、まだ要領をえない。

f:id:yoshibey0219:20210129220607j:plain

 あと、この5人の間でも話題になったけど、去年や今年に大学に入ったものの、zoomなどのバーチャルでの授業や会合でしか人と接することが出来なくなっている若い世代にとって、これはどうその人の今後に影をおとすのか? あるいはおとさないのか? 実は極めて大きな問題のような……。

 リアルな恋愛が出来なく、画面を通してでないと「萌えない」妙なアンバイになるんではなかろうか、とかとか。人は人との交流が何より大事ポイントなんだけど、そこの根幹がユサユサしているわけで、何かと後々に尾を引きそうな予感。

 

     〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●

 

 某古書店から連絡。「依頼の本、出物あり」との事。

 探してもらって半年ほどが経つ。

 価格を聞いて、メダマ、ウロウロしちゃったけど、クロネコで送ってもらった。

 

f:id:yoshibey0219:20210118165339j:plain

 

 明治時代の岡山の電気事情を知る資料。

 この場合は「史料」と書くのが良いのかな。

 中世史研究の伊藤正俊氏いわく、「歴史を復元する資料を「史料」という」らしい。

 想定外にでっかく、ページ数は1200を越える。重いったらない。

 

 予想はしていたけど、この昭和47年刊行の本であっても、明治期の、それも岡山の事となると50ページに満たない分量。残りの1150ページは概ね戦後の事だらけ。

 けど、いいのだ。

 50ページもの、「史料」記述が有ると思えば、久々、ワクワクだ。

 もとより、探して欲しいと願って数ヶ月経ってたから、やはりダメだろな、だいたい本屋で売られず関係者にのみ配られた「社史」というのが外骨格だからなぁ……、入手はムリだろと諦めてた。

 それが、半ば忘れた頃、年明けて、「入りましたよ~」なんだから、「よ~よ~マァ」とワクワク電圧上昇。

 当事者(社)が書いたものだから第1級史料、メチャにありがたいという次第。

 

f:id:yoshibey0219:20210129191945j:plain

 

 なぁに……、亜公園がらみで、明治の電気について確実な所をば知りたいと思ってたワケなのさ。そうすると電力会社自身が記したものがイチバンではないか。

 いやぁ、おかげで大きな智見を得たノ~ル。

 今月最大のスマイリ~・ポイントになりましたですよ。

 

 とはいえ……、この1冊でいっさいが氷解したかといえば、まったくそ~でない。

 むしろ、ふいに眼前に、よりでっかい氷山が現れ、

「あんりゃ、ま~」

 舵をどちらに切って良いやら、判らんちんタイタニック

 スマイリ~は数分でフリーズし、

「いっそ混沌だぁ~~」

 慨嘆、一筋縄でくくれない明治の裾野の広さに唖然とさせられるんだった。

 

 詳しいことが判れば判るほどに慎重に扱わざるも得なくなる。

 でもまた、これでポイントの絞り込みも出来たわけで、一長一短、けっして後退したワケでない。

 虚実を明快に解いて、「あった事」と「なかった事」を分別し、その上で「ありえる事」を抽出して考察するっきゃ~、ない。

 

  f:id:yoshibey0219:20210123234522j:plain

   亜公園内の謎の八角形のミニハウス。電気がらみの塔屋じゃないかと睨んでるのだが……

 その「なかった事」のさいたるものとしては、ガス燈かしら。

 明治岡山の事を書いた郷土史の本の幾つかには、明治になるや京橋付近にガス燈が灯ったというような記述がある。

 大きなマチガイあるね。

 ガス燈は当然にガスが必要だ。

 けど当時、岡山にガスを供給する会社はない。岡山ガスという会社が創立されるのは明治の終わり頃、1910年(明治43)なのだから、明治初期にも中期にもガス燈があろうハズがないんだ。

 なるほど横浜や銀座ではごく初期にガス燈が灯った。

 

f:id:yoshibey0219:20210129174617j:plain

         明治7~15年の間で撮影されたらしき銀座。手前にガス燈あり

 

 これは当時としては大きな資本でもってガス会社が設立されたから出来たわけで、この新しい照明は錦絵の格好の題材になって、今でも本にまとめられるくらい多数の作品が残るけど……、岡山の実際は、灯油を使う街路灯だった。いわゆる西洋燈だ。

 ガラスケースに入ってるからガラス燈とも呼ばれた。

 岡山文庫の『岡山事物起源』では明治34年に野田屋町に「岡山点燈会社」が設立され、夕方になると若い衆がガス燈に火を点けてまわったとあるけど……、これもその一例、この会社は実際同年の3月に起業しているけど、灯油での灯りを売った会社だ。ガスとガラスを混同されてるんだろね。

f:id:yoshibey0219:20210129180121j:plain
       電気仕掛けの初の灯りとなるアーク放電と直列つなぎの蓄電池たち

         f:id:yoshibey0219:20210129175957j:plain
                 フランスのアーク街灯

 

     〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●

 

 2日ほど前のニュース、部分。

 

f:id:yoshibey0219:20210129175620j:plain

 

 どう呼びあうかなんか、どうでもよくって、肝心なこと話せてもいないなんて……。

 や・く・た・た・ず・め~

 

   〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●

 

 明治半ばの岡山にアンガイと影響を与えていたのは、神戸港とその外国人居留地

 ここでの独自な「文化」がヒタヒタ波のように寄せては返してる。

 

f:id:yoshibey0219:20210129180633j:plain

 

 横浜のそれも影響は大きかったろうけど、神戸は隣県。岡山は近い。輸入のアレコレ、技術のソレやコレの多くは神戸から京橋の港や三蟠の港へやって来た……。

 その辺りを小まめに追跡出来たら、かなり面白い構図が見えて来そう。

 

 

 

1月の映画よもやま 

 大停滞ながら、なぜか高速で過ぎてくようなこの1月。悶々が常態化しちゃって酸欠ぎみ。

 岡山に亜公園が出来た明治25年(1892)、フランスのクーベルタンが近代オリンピックを提唱。国際オリンピック委員会、いわゆるIOCが設立され、4年後、アテネにて第1回目の大会が開かれる。彼が発した言葉としては、

「自己を知り、自己を律し、自己に打ち克つ。これがAthlete(アスリート・抜きんでた人)の義務であり、最も大切なことだぞよ」

 というのがあるそうな。

 この発言をストレートに適用するなら、この状況下、自分達が置かれた位置を知って開催延期か中止かをアスリート的速度で決断する……、ことこそが、もっとも自分達を律し自分達に打ち克つ事になるんじゃないかしら。

 

 さてさて……、新年今月もまた何本か映画をば眺め、感心したり笑ったりしてる。

 

   〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●-〇●

 

『シャドー』The Shadow1994

 10年以上前。福山の友人が贈ってくれたVHSで観て、良い印象が幾重と刻まれた映画だけど、その後なぜか日本では、冷遇されてる作品。

 今は字幕対応のDVDBlu-rayもなく、輸入モノに頼らざるをえない。

 しかしこの前、amazon primeが「販売」しているのを見つけた。

 字幕もついている。映画をネットで買うのは好みでないけど、無料視聴出来ないんだからしゃ~ない、「購入」した。

 

  f:id:yoshibey0219:20210121115610j:plain

 

 こちらのハードディスクに映像が収納されるワケでなく、あくまでもネット上、amazon primeでもって何時でも視聴可能……、というだけの「権利の購入」だから嬉しくもないが、でもま~、久しぶりの再見は、嬉しい。

 

f:id:yoshibey0219:20210116234738j:plain

 

 アレック・ボールドウィン。ジョン・ローン。ファンタジー的SF。1920年代。大都会。上品なシルク。キャバレーでの優雅な食事。気送管での情報伝達。大型イエローなタクシー。シガレット。ギャング。突拍子ない科学者。脇をかためる助演者たちの層の厚みと熱狂の演技。『ヤング・フランケンシュタイン』でモンスターを演じ、ジョン・レノンの友人でもあったピーター・ボイルのクールなタクシー・ドライバーぷり。アレックの『レッド・オクトーバーを追え!』では軍医役としてショーン・コネリーとも共演したティム・カリーの素っ頓狂っぷり。鋭い歯を持って空中を飛び時に噛みつくナイフ…。色々なキーとなるものが明滅するが……

 おばあさんはモンゴルの山へ潮干狩りに出かけて意外にもタクシーで帰宅

 と、こういうようなハチャなフレーズに似るメチャな愉しさがこの映画にはあって、かなり好き。

 

 

『本陣殺人事件』1975

 監督・高林陽一。音楽・大林宣彦金田一耕助中尾彬

 原作を75年当時の現代に移行させての物語。大林が音楽監督というのも味噌ながら、あんがいと、この作品は知られていない。

 けどもなぜかBlu-rayがちゃ~んと、ある。

 

  f:id:yoshibey0219:20210121120055j:plain

 

 1月になって某BARのママ~ンに貸し出したるや、こちらが驚く好反応。

 早や、数回観て、観るたび感心と関心が感震しちゃうというアンバイのよう。

 ま~、その反応はムリもない。というか、こちらとて初見がそうだった。

 田村高廣が圧倒にして圧巻なんだ……

 なのでそこを味わってもらお~と思ったわけだけど、それ以上のアレコレを彼女の方から逆に示唆されて、

「ありゃ~!」

 嬉しさ倍返し、希有なことになっちゃった。

 去年3月、倉敷のギャラリー「十露」に PUGLAND君の焼き物作品を観に出向いたさい、雑談の中、彼が奨める複数の映画があって、その内の1本がコレなのだった。で、ワタシがはまり、こたびママがはまる。

 ということは「感染力が高いんだ」よ、この映画。

 

 田村高廣は随分に真面目な役者だったらしく、出演映画もその指向に準じてマジメなのが多かったようだけど、その代表作たる『天空の甍』も『泥の河』も、今、発売されていない。

 Blu-rayはおろか、DVDも出てないって…… どういうこっちゃ?

 

 

『江戸最後の日』1953

 その田村3兄弟の父・阪東妻三郎作品。amazon primeで観る。勝海舟の役。史実と照らし合わすとやや難があるし、西郷隆盛との丁々発止を描きつつ西郷は画中にいっさい出ないという妙なところもあるけど、息子・高廣もがビビッてた巨大な存在感はこの映画にもよく出ていて、なるほど日本映画のトップ・スターがここに有り……、と感慨するのだった。けど、史実の中の彼はわずか51歳で亡くなっている。そこにあらためて驚かされもした。

 

   f:id:yoshibey0219:20210121121506j:plain

 

ウィキペディアで読むに田村高廣は、父・阪東妻三郎について「ぼくには、怖かったな。直接話したことないですね。食事も奥座敷で母に給仕させ、むずかしい顔をして、一人で食べてました」と語っている。

 

スポットライト 世紀のスクープSPOTLIGHT2015

 amazon primeで日を換え2回観る。

 レイチェル・マクアダムスラッセル・クロウと共演の『消されたヘッドライン』に次ぐ新聞記者の役。これがとてもよろしくって好感。『シャーロック・ホームズ』でのアイリーン・アドラー役も良かったけど、要はこの女優をボクは好きなんだろう。去年の秋頃にもこれは1回観てる。派手なシーンなど皆無だけど淡々とした描写の連続がこの映画の価値をグッギュ~ンと支えてる。

 Abe政権やらトランプ政権のインチキ共々に、劣化はなはだしい報道者の姿勢。この大事ポイントたる職を、映画はこの先どう追っていくか……、そのあたりも興味継続中。『消されたヘッドライン』と本作とが我がアタマの中じゃ~、ツイン・タワーみたいな存在。

   f:id:yoshibey0219:20210121120014j:plain

f:id:yoshibey0219:20210122201050j:plain

         編集長役のマイケル・キートンと記者役のレイチェル

 

ドクター・ストレンジ2017

 Blu-rayで鑑賞。主役ベネディクト・カンバーバッチが随分にヨロシイけど、ここでもレイチェル・マクアダムズがヒロインで、ま~文句ありません。

 

    f:id:yoshibey0219:20210121115833j:plain

中国の資本が入ってるゆえにチベット問題が矮小化されているとの批判がでかいけど、これは本作だけでなく今後も尾をひく大問題だろう。今はなにかと中国は厄介。一党独裁が解体されるのを望むけど、そうなればまた昔のごとく、三国志みたいな覇者競い合いの闘争ばかりになりにけり……

 

イミテーション・ゲーム2014

 DVDで何度目かの鑑賞。ベネディクトは何を演じても上手いけど、これはその最上位かな……。  

 良い映画はみるたびに新たな発見があるものだけど、この作品もそう。以外なところで『ブレードランナー』の影響が濃くあって、人物造詣に深みあり。

 

     f:id:yoshibey0219:20210121115914j:plain

 

 彼が駆けるシーンがあるけど、『スタートレック・イントゥ・ダークネス』でも同様に駆ける所があって、ちゃんと上体を起こしての本格走法の姿勢を見せてるのはさすが。ラッセル・クロウオーソン・ウェルズみたいにブクブク太ってもはやアクションを撮れる体躯じゃないけど、この人はどうだろ? 

 

 ちなみに我らが岡田准一も駆けてる駆けてる。

SP THE MOTION PICTURE 野望篇』で前傾姿勢での高速駆けっこ。これはこれ、なかなか魅せてくれたなぁ。

 

     f:id:yoshibey0219:20210123224753j:plain

 

『バイデン新大統領就任式』2021

 映画じゃないけど21日になった夜中、ネットの中継映像を眺める。マスクを外し、メモも原稿もなく堂々と就任演説してるバイデン氏……。トランプの悪夢から民主主義の大義がどれっくらい復興するかは判らないけど、少なくとも戻ろうとする意思は伝わった。むろん、これからが大変だけど……。

 

f:id:yoshibey0219:20210121022554j:plain

 

 上画面は聖職者のシルベスター・ニーマンの演説。サングラスで精悍、カッコ良さげだったけどスピーチいまひとつ。

 ともあれ演説者以外オール・マスクの異形。4年先の次のセレモニーでは「あの時はね~っ」と笑えることを切望するが、セレモニー参加者の多くが厚着に毛布なんぞも巻いて寒さを辛抱してるのが、氷上のオットセイの群れのようで妙に印象づけられた。日本ではどんな式典でもそんなラフなスタイルって出来ない外見こだわり症があるんで、この点、まだ米国はいいなぁ。

 

風の又三郎1940

 amazon prime81年前の映画。良い画質、良い音声とはいいがたい。しかしこういうのを観られるのは有り難い。1人の先生で1年生から6年生までの全員が1つの学級での複式授業の姿が興味深い。以外なほど丁寧にそこを描いてた。

 

f:id:yoshibey0219:20210122201346j:plain

 

 登場の子供らがひたすら目映く美しい。冗談ぬきで美しい。

 豆腐を買うため鍋を手に、背の高い雑草の中を又三郎くんが進んでくシーン。野球選手らがコーン畑に消えていく『フィールド・オブ・ドリームス』がデジャブみたいに点滅した。

 宮澤賢治はペチャ~っとしたファンタジーでなく子供の成長物語を画策し、その過程においてごく微量の幻想色を混ぜたのだと思われるけど、この81年前の映画はそこをよく汲み取り、だから見終えたあとにスカッとはしない残滓が残る。それはいわば賢治自身が童話に含み入れた後味そのものであって、この一点で本作は「原作に忠実」ということは、いえそう。

         f:id:yoshibey0219:20210121120334j:plain

 今はもう先生と生徒のけじめが曖昧な「総こども時代」っぽいけど、この81年前作品では先生は先生、学童は学童として棲み分けがキッチリしていて、そこは眩しい。その学童どもが少し大人側へと寄っていく姿を映画として創ってるワケで、だから残滓の中の成分として、チャイルド・フード・エンド、日本語で申せば「幼年期の終わり」があって、それが映画作品として良い味わいとなっている。

  

 まっ、今月に観たのは概ね以上の通りね。

 

f:id:yoshibey0219:20210121125029j:plain