謎の樹木

 

 数年前、庭の中央にあったユスラウメが、フクロミ病という桃系の樹木のみが感染するらしいヤッカイなのにかかり、以後、それなりの対応をして様子をみたものの、結局、根治させるコトが出来ず、あきらめて、木を抜いた。

 ユスラウメに申し訳ない気分が逆巻いたけど、どうしようもなく、敗北を味わう以外なかった。

 

 

 で、抜いてるさい気がついたんだけど、いつのまにやら傍らで、何かが勝手に伸びていた……。上写真の赤丸部分の白っぽい棒状がそれ。

 何じゃろな?

 鳥が糞をし、それに混ざった種だか何だかが定着したらしきなのだけど、どんなモノが育つのかチョイっと興味もあって、放置して早や……、2年になる。

 

                  2020年5月14日撮影

             2022年5月の様子。巧みに枝を茂らせ上空に伸びてる

 

 やたら育ちが早いのだ。

 冬場は落葉し、つまんないガイコツ姿になるけど、4月の半ば頃より芽をふき、枝を広げ、たちまち葉を茂らせる。

 幹も太り、樹高も高い。当初の草のような感触は失せて木になりつつある。

 草だと思ったモノが木へと変貌していくのを間近に見たのはコレが初めてかな。草と木の領域違いを初めて知らされた。

 

 

 なんせ小庭のど真ん中という立地。廻りの、苗木で植えてまだ数年のレモンやブルーベリーや、その他なんやかんやが一切、この謎の樹木の傘に入っちゃって、

「陽当たり、悪いよ~」

 お嘆きのようなのである。

 

 それでやっと、この“ふってわいた”樹木の名を知るべく、晩ご飯時に、iPadで「植木ペディア」を開き、落葉樹の項目・ア行から順次順番にしらみつぶし、1つ1つ、名を追ったのだった。

 で、3日だか4日め、

「あっ、コレじゃ~ん!」

 見つけたんだ、正体を。

 

 センダン、だ。

 栴檀、と書く。

 ことわざに、「栴檀は双葉より芳し」というのがあるけど、そのセンダンだ。

 もっとも、これは、良い香りのするビャクダンのことで、ウチの庭に勝手に育ちつつあるのとは違うみたい。

 同じ系列なのだけど、文字通りのダン違い、良い香りなし。

 一昨年あたりから、夏になると、やたらセミが取りついて、ミ~ンミンミン、賑やかになってたけど、そのコトも記されてる。

 セミが好むらしい。

 

 

 で、読みすすめて、たまげた。

 成長が著しく、放っておけば樹高30メートルを越える大木になるという。

 庭木には適さない、とも書いてある。

 

   

                 樹木ペディアに載る写真

 アヘアヘ……。

 30メートルともなれば、幹だってメッチャ太いだろう……。

 小庭が全部、センダン1本に占有されちまう。個人的野望色が強いプーチンウクライナ侵攻に、似ていなくもない。

 しかし、彼と違うのは、これはあくまでも鳥が種子だかを運んで来て、それで定着しようとしているワケなんだから、むげにするのも何だしね……、一気に切り倒し、根を引っこ抜くのも、気がひける。

 どうしたもんかしら。

 庭木に適さないけど、枝葉が涼しげな緑陰をつくるから、西洋式公園では時として使われてもいるらしい。下にベンチなんぞ置いて涼める場所にするらしい。

 なるほど、でっかい公園であるなら、日陰をつくるセンダンは植樹選択の候補じゃあろう。

 けどウチは、チッとそうでない。

 そんな次第あって、上に伸びず横に拡がらずを考慮し、大幅大胆に剪定。

 ノコでゴリゴリ、ハサミでチョキチョキ。

 

  

 

 

 この夏はこの状態で、様子見というコトで、しのいでみよう……。

 結論の先送りとも云えるけど、いきおい抹殺はなかろうとも思って。

 

 

須我神社

 

 木曜の昼下がり、観る予定になかった『シン・ウルトラマン』を観る。

 この映画は、この映画に何を求め、何を見いだしたいのか? で個々の評価が最初っから決まってるような感じ、有り。

 当方の眼には、長澤まさみの演技力は判るものの演出凡庸。おまけに、ウルトラマンの魅力より彼女の太腿の魅惑が勝ってるようじゃ~、イケナイのでは。

 いっそ『シン・ナガサワマサミ』とタイトルした方がスッキリのような気がスペシュ~ム。

 

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 土曜。

 島根県雲南市の須我神社へ、行く。(ついさっき帰ってきてコレ書いている次第)

 かねてより出向きたかった場所。

 なにしろ、日本で最初のお宮だ。

 

 

 八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を

 

 『日本書記』にも『古事記』にも載る高名な歌。

 ヤマタノオロチをやっつけた須佐之男(スサノヲノミコト)稲田姫(別称クシナダヒメ)と一緒になって同地に「須賀宮」という住まいを造り、そこでこの判じ物みたいな和歌を詠んだ、その「須賀宮」が、今の須我神社という。

 

 そこそこ距離もあり、周辺にさほどの見所もなく、何ぞの次いでにチョット行ってきましたぁ~というワケにいかない場所だったから今まで出向けなかったのだけど、Nakatsukasa君とKosakaちゃんが一緒にゴ~しよう、ハンドルは任せろ、というコトで、ようやく実現。

 

                   急斜な階段の上の拝殿

 上記の高名な歌(つまごみは、妻を籠もらすと直訳できるから、共に住まって新生児の誕生を待つというような意味だろう)ゆえに、出雲という国名はここが起源でもあり、また和歌という形式の、日本語活用の起元もココ……、というような、日本のスタート地点の1つ、あるいは、その混沌の幕開けの地かもしれないというような気分をホンワカ浮かせつつ、雲南市の山間の地へ向かったのだった。

 

                       本殿

 むろんスサノヲのヤマタノオロチ退治は、天皇家が生成されるはるか前の大王時代の、その伝承というより、天皇家を装飾する創作バナシだろうから、片目つむって、それを愉しむという感の方が濃ゆいけど……、姉のアマテラスが怒って天の岩戸に引きこもる程に、攻めに攻めた勢いあるスサノヲが新妻のために垣根を造って守りに入ってる、その転向というか落ち着きというか、気分の変わりと立ち位置の変遷、定着しようとする意志が、なかなか印象深い。

 

 同神社から車で40分ほどの所には、天が淵という所があって、お馴染みのヤマタノオロチは、そこに生息していたという。

 8つの頭の怪物はスサノヲに酒を呑まされ、酩酊のさなか、彼にやっつけられてしまい、そのシッポの中から、天皇家に伝わる三種の神器の1つ、天叢雲剣(アメノムラカミノツルギ)が出て来るワケだけど、そんな壮大なファンタジーめいた話が創作された大昔の諸事情が、ここに在ったのか……、などと大真面目に思いはしないんだけど、自分の映画初体験であった『日本誕生』(1959年)の、三船敏郎演じる堂々としたスサノヲの姿とヤマタノオロチのおぞましい姿をば思い出し、

「ぁぁあ、この辺りが舞台だったのね」

 感慨を深めたりもするのだった。

 

     



 同映画には津山東(今はない)で接したけど、なんせ小学生にもなっていない5歳の幼年だ。

 あまりの怖さに泣きだし、結局、マイ・マザ~に抱かれてロビーに出て、「お~、ヨシヨシ」と慰められたりしたようだけど、不思議なもんで、1番に怖かったそのヤマタノオロチと三船スサノヲのシーンはよく覚えてる。

 なのでたぶん、泣き出して外に出されたのは、その直後なのだろう……。切られたシッポの大量の鮮血、その赤色の中から、ピカピカに光る剣が取り出される辺りの描写が、童子にはトラウマ的衝撃なヴィジュアルだったワケだ。

 

 ま~、はるか後年に、盟友のKuyama殿下より同映画のDVDを頂戴して、再見。

「ぁ、あンれ~? こんなもんだったのねぇ」

 トラウマは霧がはれるような勢いで消えちまい、それはそれでチビッと残念な感じもなくはなかったにしろ、ともあれ、ヤマタノオロチとスサノヲとクシナダヒメ……、そのオリジナル舞台の場所をよ~やく訪ねることが出来、当然に嬉しかった。

 

 

 土曜の出雲方面は晴天で、「八雲立つ」ほどの雲はなかったけど、その歌の背景には、近隣の活火山である三瓶山が『古事記』の頃はまだ活動していて、日々、噴煙だか水蒸気があがり、それを「八雲立つ」と詠んだ可能性はどうかしら? などと勝手な空想をしたりもしたのだった。

(三瓶山は3800年前に爆発的大噴火して山体が崩壊し、以後も地震などを繰り返している。『古事記』の頃はどうだったろ? 大噴火後も久しく噴煙があったんじゃなかろうか阿蘇山みたいに)

 

 須我神社から宍道湖松江市は距離にして20Kmほど。岡山からの眼では遠方だけど、須我神社の眼からすれば宍道湖は直近だがや。

 美味いモノ探して日々メンタマをキョロキョロさせてるKosakaちゃんとNakatsukasa君の眼力を信じるまま、某所で食事。

 

 

 旅の愉しみは、イノイチバンに食べ物だね~。ホッホッホ。

 神話の深みより食の旨味だわさ。こたびは宍道湖一望のふじな亭で鯛めし。

 

 

 須我神社で売っていた「御守護」の長寿箸。

 天然木使用で高価かと思ったら、500円。

 物価高の世にあって、これは安すぎ……。

 

 

 

2週連続でライブ

 

 先日の土曜。

 快晴。心地良い風。

 禁酒会館でライブ観覧。

 

 

 ホンワカ楽しく、鋭角と鈍角が混ざりあったまろやか味。ついこの前に城下公会堂で眺めたIZUMI FUZIWARAがやはりカッコ良く眼に映えて、心地良し。

 ま~、もっとも、禁酒会館だ……。

 オチャケの類いは提供されない場所なんで、お腹の底では「我慢」の2文字がうずくまって、

「呑みつつなら、もっと愉しいのにニャァ~」

 小さな不満をゴロゴロ明滅させてもいるのだった。

  けどもイットキ程にコロナだから……、の飲食禁止じゃ〜ない状況になっているから、フード・コーナーもありで、美味しくヤキトリをいただけた。

 ぁぁ、でもやはり呑みたいや。

 なので当然、ライブ終演後は馴染んだBARへ直行。

 

 

 禁酒会館中庭ステージは良い環境ながら、背後石垣の樹木がいささか、気になる。

 とりわけ石垣の上の端っこで大きくなってる樹木。

 かなり危なっかし状況になっているような感、濃厚。いずれこの大木は、養生なくば石垣を壊して中庭に落ちるだろう……。そうならないコトを願う。

 ま~、ともあれ、2週連続で愉しいライブを味わえ、よかったよかった。

 TAKAちゃんやIZUMIちゃん、KUROSE御大に多謝。

 



 

BONSAI

 

 某日の夕刻、谷本玉山氏の盆栽展を見学。

 逞しい作品の数々にご健勝を感じ、何やら安堵混じりの感慨がわく。

 今回は花物が多い。

 開花のコントロールが大変であろう難物が、幾つも並んでいるのを眺めると、どれだけの時間がさかれているのかと、いささかアタマが下がるような気がしないではない。

 私にゃ、と~て~出来ない。

 だから余計、魅せられる。

 いまどきの日本で、

「盆栽やってます~」

 という若い人をボクは知らない。

 でも海外に眼をむけると、メチャに多いというワケではないにしろ、それなりの割合で若い人が興をもち、BONSAI ワールドに足を踏み入れているらしい。

 

 盆栽は、大木のカタチやイメージを極小の鉢の中に生成させるというミニチュアリズムが要め。

 ミニチュア文化が長い英国やベルギーやフランスなどでBONSAIが着目されるのは、多分にそんな「人形の兵隊」やら「ドール・ハウス」などに一脈通じているからだろう。

 けども、盆栽というのは、フィニッシュがないんだね。

「よっしゃ、出来上がりだぁ!」

 というのが、ない。

 製作者本人が納得した翌日には、も~、枝が生長したり、あるいは、萎えたりで、とにもかくにも生きているワケで、そこのフィニッシュ感覚が模型とはゼッタイ的に違ってる

 ま~ま~、だからこそ、盆栽作家は次々続々に新たな鉢で、新たな作品に挑み続けるという宿痾の悦びと苦悩を味わい続けるのだろう……。

 

 海外でBONSAIがブームになったのは、1970年の大阪万国博覧会の日本庭園が発火点だったらしい。

 当時、多くの日本人にとってこの日本庭園はEXPO70の添え物的施設と見ていた感が濃ゆいけど、わざわざ来日した西洋人の眼には、鮮烈おどろきのガーデンであったらしい。

 南北の幅は200mながら、東西長さ1.3Kmというデッカイお庭で、日本における庭園史を見せるべく、上代・中世・近世・現代、という区分に分けて展開し、西洋のガーデン感覚とはまるで違うジャパンのグリーン・ワールドを提示したわけだ。

 

 で、その現代地区にあったのが多数の盆栽と水石たち。

 ここを訪ねた海外の方は、

なんじゃ、こりゃ?!

 一鉢づつの、スモール・ワールドにオッたまげたらしいのだ。

 本物の樹木でもって、その樹木の大木となったスガタを小さな器の中に表現するミクロコスミックなミニチュア感覚に、

「ガッチョ~~ン」

「やられた~ぁ!」

 うたれたらしいのだ。

 

      

 EXPO70の10年後、1980年に梅棹忠夫を中心に編まれた写真集『 日本万国博覧会10周年記念 世界の盆栽・水石』。国内では話題にならなかったけど英国などで販売部数を重ねた本。

 

 万国博覧会の46年後、2016年度の日本貿易振興機構がまとめた数字によると、同年の盆栽輸出額は80億円を超えたという……。

 トヨタやHONDAの輸出額とはケタ違いに小さい数字じゃあるけれど、1つ1つのそのサイズと造られたエネルギーを思えば、80億円という輸出額は額面以上に、おそらくデッカイ数字と思える。

 ヨーロッパ圏や米国で自宅に盆栽を置きたい方がかなりいるワケだ。〔以前にも書いたけど映画『ブレードランナー』の主人公の部屋には大きなBONSAIが置かれ、それが実に効果的だったですねぇ)

 

 いっそ、このBONSAIに、閉塞感漂う日本の秘めた真価、かつて明治になって日本人自身が捨てた浮世絵がゴッホなどヨーロッパの方々に強い刺激をあたえ、「こりゃスゴイ」と感心させたように、もっとアピールしてよい“文化的カタチ”のような気がしないでもなく、

「おじいさんの趣味じゃろ」

 っぽい、つまらん位置づけの払拭にもつながるようにも思うんだけど……、ね。

 ま~、ともあれ、開催尽力に努めた玉山氏のご子息と場を提供のPetit Pineさん(預かって水やりする苦労も含め)、さらには、展示工夫に一味くわえ、リトル・ヘルプを惜しまなかったコ~ヘ~ちゃんに、コ~ベたれて感謝の念ワックワク。

 

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 某日の夜。城下公会堂にて、ライブ。

 PAのバランスに難ありだったけれど、楽しい集い。

 アレあり、コレあり、のミックス・ジュースの旨味。

 時にバナナ味、時にシナモン味、時に爆音レモン味、酸味あり甘味ありで、飽きなかった。

 アートとミュージック……、二艘の舟の合体が何より、ヨシ。

 

 主催KUROSE氏のオリジナル曲の、シュミ的マニアを綴った歌はなかなか意味深で、ご本人もまた何事かについてはマニアだろうし、当方とてその気質の含有量が高いから……、その昂揚ゆえの悲哀が行間に滲んでいて、同氏の密やかな凄みを感じたりもしたが、ま~、今回イチバンに着目したのはピアノのIZUMI FUZIWARAちゃんだったな。

 また聞きたいと、これまたコッソリ思ったわいね。

 

 テルミンとギターとピアノ。ひさしぶりに聴いたテルミンも味わい深かった。テルミンという楽器は奏者の動きの幅が狭くって、写真ではその魅力が伝わらない。やはり動画が最適なのかな? 魅惑いっぱいの楽器であるコトにマチガイはないんだけど。

 

 

 

ガンヘッド

 先日、伯母が死去。

 昨年11月に没したマイ・マザ~の姉。

 あと数ヶ月で101歳になったのだけど、妹の後を追った……。

 マイ・マザ~は5人兄弟だったので、これで全員が鬼籍に入ってしまった。まったく残念というホカないけど、次世代への交代という否応ない新陳代謝、サイクルとしての人生を意識させられた。

 

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 木曜の午後に某書類を投函すべく郵便局に持っていくと、配達は月曜になるという。

 同じ市内なのに、4日後なんて……。

 宅急便が高速な配達に務めているのとまったく反対。土日の配達を止めちゃった弊害だ。時代を逆行しているとしか思えない。

 思えば数ヶ月前、Eっちゃんからのバースディ・カードも4日後に届いたっけ。

 北区と中区の相違はあれど車で20分ほどの距離。江戸時代の飛脚だって……、あ〜た、4日はかからんでしょ。どう転んでもコレって退行なのに、されど、文句を聞かないのも不思議。

 

      ■□-■□-■□-■□-■□-■□-■□-■□-■□-■□ 

 

 ビオラがシーズンの盛り。

 赤っぽいのやムラサキっぽいのやら、色々なカラーがあるけど、青っぽいのは、こんな感じ。

 なんか、ヒゲづらのおじさんの顔に似てる。

 多数が咲くと、多数のおじさんが、コッチを見てるよう。

 そう意識すると、

「あんたらねぇ……」

 あんまり、嬉しくない。

 

      ■□-■□-■□-■□-■□-■□-■□-■□-■□-■□

 

 我が周辺の模型系の知友たちは、こぞって『シン・ウルトラマン』を観に劇場へ出向いてるようだけど、エヴァにもシンにもアンノにも触手が動かない当方としては、置いてかれたような気など毛頭なく、遠い昔には自分も『ウルトラマン』に夢中になったもんだわぁ~、と感慨の気分がわくのをヤヤ悲しいかなと思う程度にまで枯れちゃったようなトコロもなくはないんだけど、卒業という2文字もチビっと点滅してる。

 ま〜、ともあれ夢中になるのは良いことぞ。

 

 ごく最近、『ガンヘッド』がBlu-rayでようやく出ると知って、これは思わず、予約してしまった。

 33年ぶりの再会になる。

 

        ガンヘッド Blu-ray 2枚組

 

 1989年の夏に、この巨大ロボットを主眼にした空想特撮映画を岡山東宝で観たさいは、誰と一緒だったろう? 

 記憶曖昧だけど、劇中巻頭での機内の様子がやたらリアルで、さらには、日本人俳優の英語が実に自然で、そこらあたりに、それまでの日本の空想特撮映画とは一線をかす作品かもと、魅せられた記憶が濃い。

 米国生活が長かった原田眞人監督の采配あってのものだろうけど、でも、なぜか映画のストーリーなんぞは全部忘れてしまってる。

 今はその原田ファンなのじゃ~あるけれど、内容を印象していないってコトは、結局は、ま~、当時の自分の評価が薄かった……、ということになるのかな?

 そこいらを確かめる意味も含めて、Blu-rayを予約した次第だわさ。

 

 たまさか『ガンヘッド』が封切りされた直後に、東宝撮影所に『ゴジラビオランテ』の取材に出向いている。模型誌じゃなく中四国界隈向け就職情報誌の映画コラム記事のため)

 取材当日は、ゴジラ原子力発電所を襲来するシーン撮影で、思った以上に左右幅のある大きなセットに、

「おっほ~」

 と、眼を細めたりし、後日に劇場で本作と接したさいは、実際に見た撮影現場での火薬の炸裂音などとはケタ違いの音響編集の妙味に、

「映画って、編集作業での追加が命だにゃ~」

 などと自明なコトをあらためて思ったりもしたけど、取材時、スタジオそばの巨大なゴミ捨て場には、撮影所が前作で使ったセットの残骸が山積みされていて……、それが『ガンヘッド』の諸々の大道具なのだった。

 

 ま~、そんな回顧と共に、こたびのBlu-ray発売という次第ゆえ資料を見ると、準主役級で円城寺あやさんが出てるじゃないの。

 これにビックリ、たまげたわい。(1989年当時には彼女を意識する術がない)

            左が円城寺あや。後ろの大きな人は主役の高嶋政宏

 

 数年前になるけど、遅~い夜中、某BARで2回ほど、円城寺さんとは席を同じくしている。

 そこでほぼ1対1でおしゃべりしたコトがあるというだけなんだけど、そういうのはチャ~ンと印象されるワケだ。

 なので円城寺さんと判ったとたん、

「こりゃどうも、失礼をば」

 アタマをさげたりしちゃった……、『ガンヘッド』。

 ちなみに「GUN-HEAD」じゃなく、「GUNHED」。

 GUN-HEADじゃ、「銃アタマ」になっちまう。

 

 当時、公開後、米国でのVHS発売にさいして大幅な編集が加えられ、原田は立腹。監督名を外せと米国側に伝えて、なのでそのVHSの監督名はアラン・スミジー。例の『DUNE』の米国TV放映時にやはり大幅変更があってデヴィッド・リンチが怒って偽名扱いにしたのと同姓同名のアラン・スミジー

 米国って、不思議だねぇ。監督さんが怒ってオレの名を出すなぁ、と叫べば、監督組合が機能してアラン・スミジー名義に換えるという仕組みがあるのね……。日本にもそういう仕組みってあるのかなぁ?

 

 こたびのBlu-rayはもちろんそんなペケなもんじゃ~なく、劇場公開時のままのオリジナル。

 発売は6月半ば。チビリ待ち遠しいような、そうでもないような、でも、再見しなきゃ~ハナシにならんもどかさしとか、予約後モロモロに心が揺れる今日この頃。

 

 

見え隠れ太陽の塔

 太陽の塔についての2回目。

 丹下健三のあの大屋根を取り壊してしまったのは、つくづく残念なことだった。

 それがあったゆえに、太陽の塔は見えるようで見えず、けどまた、見えないようで見えてもいるという、もどかしいようなヴィジュアルに置かれ、それがすこぶる効果的で、塔の圧巻を増させ、圧倒を増幅していた……

 

 太陽の塔は、大屋根とその下でのお祭広場を含む空間そのものとのセットであるべきで、今はなんだか孤軍、スッ裸にされ路頭に立たされている感が、濃い。メチャ、濃ゆい。

 塔が自意識を持ち、声を出せるのなら、

「とにもかくにも、恥ずかしい」

 羞恥に恥辱を混ぜマゼしたような悲哀をつぶやくような気がしていけない。

 

 建って既に52年が経ち、このスッポンポン状態しか知らない方々の方がダントツに多いから、スッポンポンがアタリマエで、それ以前の光景なんて知ったこっちゃないわい……、というのが普通っぽくなってしまってるのを、とても残念に思う。

 世代的立ち位置も意識せざるを得ないワケだけど、チョイっと過去の姿を顧みてみよう。

 

 

 大屋根に近づき塔のそばへ行くには、まず、なが~い階段を登らないといけなかった。

 登りきって塔の方に歩むと、塔はすり鉢状の大きな凹みの中にあるのが判る。

 2階建ての民家がすっぽり入いちゃう深さの、すり鉢構造。

 すり鉢の斜面は階段状になっていて、そこにヒトが座れるようになっている。フラットな大地に塔が立っているワケじゃ~ない。

 そのすり鉢の下には地下空間があって、地底の太陽を中心とした展示ゾーンとなる。(現在リニューアルされて公開されている地下スペースは当時の1/3に満たない縮小規模)

 

 

 すり鉢の所に寄っても太陽の塔は全体が見えるワケじゃない。両腕の先は大屋根の中にあり、やはり、見えそうで見えない。

 大屋根と塔は一体化されているワケだ。

 この一体化の妙味、醍醐味は、丹下の未来的メタボリズム建築というカタチと、岡本の反未来的カタチの「衝突」がもたらす軋轢の火花にある。

 相容れない2つのカタチが合体しているコトで、いわば物質と反物質の衝突、粒子と反粒子のぶつかりで巨大なエネルギーが生じて新たな粒子が生じるみたいに、新たな流れとしての星の再構成めいた大転換が起きるぞ〜、とモノ申しているのが太陽の塔で、それが何よりも魅力だった。

 後年に岡本太郎は、「ゲ〜ジュツは爆発だぁ」とコトあれば云ってたけど、要は衝突エネルギーがアートになくっちゃ〜つまらんと彼流なコトバで申していたワケだ。

 当時、彼は、「人類の進歩と調和」というテーマに真っ向から疑義を呈し、ハッキリそれを公言してはばからなかった。

 EXPO70がスゴイところは、そんな反博精神をも含み入れての博覧会だったという事につきる。

 昨今の全体主義的流れではなく、支流でも汚水でも、大河みたいに、ナンボでもナンでも受け入れまっせぇ、みたいな柔軟に富んでいたところ、だな……

 硬直した行政的なイベントじゃなく、前例ないんでソレはいかがなものかみたいな官僚的一律じゃなく、いっそ、そういう制約いっさいが取っ払われた希有なイベントだったと、顧みると、今はそこが目映っくて仕方ない。

 

 1945年の敗戦で否応もなく直面したどん底から這い出た、その復興の証しの頂点としてのイベントが1970年大阪万国博覧会だった……、といっても言い過ぎでないよう思うし、そうであるゆえの、りきんでガムシャラでもあった当時の空気、アレもコレもが1つの良い意味での方向に向けてバッタバタバタと羽ばたいたと、今はそう顧みられる。

 会期中のそのお祭広場(正しくはすぐソバの水上ステージ)で、コンサートがあり、そこで唱われたのが「戦争を知らない子供たち」という曲で、北山修の甘い平和主義な歌詞に、当時も今も疑問というか、「そんなんでイイのかぁ~」な懐疑を持ってはいるけど、ま~、それはそれとして、当時ベトナム戦争の渦中でもあって、そんな反戦歌が反戦歌として万国博覧会というワールドワイドでグローバルなイベントの中で堂々と大合唱されたトコロが、今はもう出来ない性質をたっぷり帯電させた1970年大阪万国博覧会という、希有に価いするイベントなのだった。

 

    

 

 横道にそれたけど、さて、塔の後ろには、お祭り広場の大空間が拡がっている。「戦争を知らない子供たち」もこの広場に音として響いたワケだけど……、その広場を塔の背面の黒い太陽が見下ろしているという構造が、驚くべき凄みだった。

 

 

 明るい色彩の太陽でなく黄泉のクニを示唆するような黒色の太陽が、にぎやかイベントたる諸々の“愉しい催事”が行われる広場を見守っているという戦慄すべきな配置には、「人類の進歩と調和」というテーマを薄っぺらい発想として苦言した岡本らしい「反博」の意志がドデ~ンと座ってた。

 むろん、この「反博」は博覧会反対というような意味じゃなく、明快な皮肉ぶくみのアイロニー。岡本は逆算的に「進歩と調和」って何だろうを懸命に自問したはずで、その答えをカタチにしたのが、今に残る太陽の塔だった。

 

 太陽の塔の視線の先には、丹下健三たち設計チームが考案したシンボル・タワー(EXPO TOWER。EXPO70全体を象徴する塔。太陽の塔より背が高い)があって、それは1970年当時の先鋭的デザイン、未来的な都市の一部を見るようなカタチではあったけど、太陽の塔これはあくまでも大屋根とその下のお祭り広場を含めての「人類の進歩と調和」という博覧会テーマを象徴するものだった)は、それと真っ向から対峙し、

「それでエエのんかい?」

 その進歩性を帯びたシンボル・タワーのカタチに刃向かうという関係にも、置かれてた。

 対峙。

 衝突。

 その峻烈を含んだ上での合体……。それが大屋根と塔と広場空間の、緊張感をはらんだ凄みであり妙味なのだった。

 丹下健三を中心に磯崎新や上田篤など13名の建築家、さらに小松左京粟津潔たちによってシンボルゾーンは設計され、そこに岡本の太陽の塔が加わる……。右の塔がシンボル・タワー。名の通り、これがEXPO70の顔をなすモノであったのだけど、フタを開けるや、太陽の塔にヒトの視線は集中した……。

 

 岡本は太陽の塔以前の10年前、1958年に既に下記の言葉を放っている。

 

 建築と芸術の本質的な協力は、相互の異質の徹底的な自己主張によるディスカッション、問題のぶつけ合いによって、新しい次元を開くことだ。建築にほとんど必要的にそなわった合理性に対し、人間本来の混沌、非合理性を強烈につきつける。それによってかえって本質的な生活空間、居住性が打ち出される。

 

 けれど今はもう、その大屋根がない。お祭広場もなく、シンボル・タワーもない。

 本来、この塔が持っていた主目的は剥がれ、そのエネルギーの方向が失われているワケなのだ。

 素っ裸で立たされているというのは、そういう意味でた。

 そこが鎌倉大仏とはまるで違うワケで、大屋根を奪われたコトで逆に太陽の塔は、その魅力の大半を失ったと云ってイイ。

 塔だけを保存するのでなく、大屋根を含むお祭り広場そのものを残すべきだったのに……、そうしなかったのが大きなペケ。戦後日本のイビツを象徴するような、これはアンバランスな顛末でもあって、今の日本の姿をこれまた象徴するダメな事象だった。

 

 1970年当時まだモノゴコロついていないヒトや、それ以後に生まれた方々にとって、太陽の塔は今あるように、ポツネンと突っ立っているモノとして認識され、それに基づいての塔への思いやら評価なんだろうけど……、あえて云うけど、この姿はやはり、哀れだ。

 塔は屹立し、何事にも揺らがない堂々の姿態ではあるけれど、アンプのないエレキギターを持って駅前に立たされてる、しかも丸裸で……、みたいな恥辱めいた感触が、拭えないのだった。

 

 そこでま~、見えるようで見えず、見えないようで見えてもいるというバランスを模型で再現してみた。

 およそ150m×350mというチョ~巨大だった大屋根全部を造るワケにもいかんので、塔のごく周辺、すり鉢構造とその地階を暗示すべくなカタチで、ちょめちょめ、工作してみた。

       

 海洋堂が製造したこの小スケール模型の、台座はヨロシクない。岡本がもっとも嫌った「民芸的」な匂いが強い。岡本自身の筆跡をうつしたものだけど、こういう風に使っちゃ~いけない。

 これでは園児の胸にくっつけられた名札と変わらない。なので、この台座はクビにする。

 

 実際は、大屋根の丸穴の中心に塔があったワケじゃない。(実物の円の直径は80m)

 ここも魅力のツボで、幾何的な円と塔は正比関係に置かれず、離れているようで離れていないフラフープの真円と身体の関係のようなアンバイだ。

 その再現は断念。円柱形ケースのサイズと模型サイズの制約ゆえに、穴と塔の位置がまるで違うんだけど、ま~、しかたない。見え隠れする太陽の塔、というヴィジュアルを模型化したに過ぎない。

  

 ま~、ついでゆえ、地下空間の地底の太陽もチラリと見えるよう、たのしく工作した。

 

 ぁぁぁ、でも工作を終えても、まだ、ぜんぜん、満足出来んなぁ~。当時を模型的に幻視懐古するには足りない……。

 

 こういう不満足な燃焼不足を代弁するのは、これかなぁ。

 I can't get no satisfaction

 'Cause I try and I try and I try and I try

 I can't get no, I can't get no

 万国博覧会の5年前、1965年に登場のこの曲もまた、太陽の塔と同じく経年にめげず、今もってハイパワーで鬱屈と対峙してる。

 



 

アメリカはいつも夢見ている ~イノセンス~

 

 連休が終わり日常が戻って来たのとほぼ同時に、コロナ感染の数量がアップしているとのニュースがチ~ラチラ。

 若いヒトの重症化は少ないようだけど、こちとら高齢グループに身を置かざるをえない立場ゆえ、いざ感染……、という場合はもはやアウトな確率が高っぽいんで、さぁさぁ、困ったもんだ。

 ウィズコロナとかいった新語とも俗語とも判別できないコトバでもって、コロナウイルスとの共生共存を模索だなんて云うけれど、

「フンっ!」

 けったくそ悪いや。

 

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 連休さなかの某日、ちょうどsunaちゃんが我が宅に遊びにやってきたさいアマゾンから届いた本。

 全ページに眼を通すワケでなく、一昨日、昨日と拾い読み。

 

             

 

 著者の見解に全面賛同でもなく、ところどころ懐疑な情も駆けたけど、他者に寛容でない我が国ニホンの精神構造のイビツさは了解できたような気がチラチララ。

 ま~、そのコトに触れる前に、この筆者がアラン・ビーンと親しくしていたのを本書で知って、少なからず羨望した。

 

 アポロ12号で月に行き、さらにスカイラブ計画でまた宇宙滞在し、50歳で画家に転じたアラン・ビーン

 我が最大のヒーローたる人物といってイイのだけど、晩年の彼と懇意にし、アランいきつけのイタリアンレストランでのミートボール好きの彼のプライベートな側面などを読んで知らされ、羨望気分が2メートルほど深まった。

 著者は、そのアラン・ビーンの生き方に共鳴共振し、そこから本書の主題へと進んでく。

 

 

 上は、アラン・ビーンの1992年作品「The-Fantasy-Conrad-Gordon-and-Bean」。

 月面に3人の飛行士はありえない事実だけど、それをアランはあえてファンタジーとタイトルして、12号で共に月にいったコンラッドと、月に降りられなかったゴードンの3人を月面に置いて描いてらっしゃる。

 この融和でなごやかな精神にたぶんに著者はアラン・ビーンに惹かれたのだろうと思う……。そこを基点に、ニンゲンの幸せ感って何よ? と彼女は本書でもって思考の経緯を綴る。

 

       自宅アトリエのアラン・ビーン彼については10年ホド前にも記事を書いている

 

 同書によれば2019年に国連がまとめた国別の幸福度ランキングでは、日本は58位だという。

 ずいぶん、低い。

「1人あたりの国内総生産

「社会的支援」

「出生時の平均健康寿命

 などの基礎的幸福度ファクターは、幸福度上位の国々と変わらないし、「出生時の平均健康寿命」にいたっては調査された156カ国のうちで2番めというチャンピオン状態なのだったけど……、「他者への寛大さ」という項目において、俄然にダッ・ウ~ン。

 156カ国のうち、ほぼ最低に位置しているらしいのだ。麻薬売買とそれに付随した殺人なんぞが日常茶飯事のコロンビアなんぞより、個々人の思いとしてニホンは幸せ感覚が少ないんだ。

 

 思えば、諸々、心当たりアリ。

 前を走っている車がノロイ煽り運転する心理。レジでモタモタしてるオバチャンに、「さっさとしろや」と非難する心理。チョイっと肩がぶつかっただけで先方にスゴミたくなる心理、などなど。

 実は微細なコトなのに、それを断固許せないと感じてしまうケッタイな苛立ち……。

 議論が出来ず、すぐに喧嘩ごしに硬直してしまうスガタ……。

 本書は、いみじくも、その寛大さを失っているがゆえの日本人のカタチを浮き彫りにし、そこに幸福度が薄い原因を見いだして、これはガッガ~ン、脳に響いた。

 

 著者は米国で米国人と結婚し、ダメな米国を、とりわけトランプ政権になってからの利己的個人主義の跳躍のひどさをしっかり味わいつつ、根っこの部分には“寛大さがまだ活きている”らしき米国の良さを了解し、自身も意識的にそうあるべきと実践されているようで、寛大であるには自身が努力して積んでいくものかも……、とそう、くっきり感想したりもさせられるのだった。

 幸福度の低さは、自分の廻りに原因するのじゃ~なくって、自身の内にあるんじゃなかろうかという視点が大事、なのだ……。

 

 ま~基本的に、本書は人生のハウツー読本というジャンルに置かれるものだろうけど、幾つか示唆され、読んで良かったワイと、表紙をナデナデし、寛大寛容、を改めて意識するのだった。

 

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 昨日、久々に押井守の『イノセンス』を観る。

 押井守は、他人のフンドシ(正しくはマワシだ)で相撲をとらせると名人に価するホドに旨味を発揮する希有な才あるヒトだけど、本作はそれがいささか度が過ぎて、鼻につく。

 リラダン尾崎紅葉、ニコライ・ゴーゴリ斎藤緑雨アシモフウェーバー、ロマン・ロラン、フレィザー、ミルトン、世阿弥孔子プラトン……、あげればきりがないホドの引用の連打。

 

 悪しくとれば、バトーら主人公達は自分自身のコトバをもたないガランドウ~。

 これは如何なもんか? その引用連打に辟易させられる。

 なのだけど再見したのは、麻薬的陶酔めいた味わいある音楽ゆえ、なのだろう。

 この映画を映画として立たせている最大の魅力は、たぶん、川井憲次の音楽なんだろう。

 雰囲気重視で押し進んでるだけのこの映画の空虚を、川井の音楽が隅々まで埋めていて、そこが本作再見の理由となるポイントかもと、眺めつつ再確認させられた。

 押井守には気の毒だけど、川井のそのサウンドの心地よさこそが『イノセンス』一番の光点なんだろうな、ボクには。

 映画そのものの評価は「押井のインテリっぽさが鼻についてペケ」なれど、CD買おうかしら……、と思ってしまえる川井の音楽の深みのみ、いい。要はカワイ音色で救われている映画なんだ、な。

 この評点については、当方、寛大にふるまえない。

 ペケはペケ、マルはマルなんだ。