クラークさん

A・C・クラークさんが亡くなった・・。
三週間ほど前、彼の「2001年宇宙の旅」と「幼年期の終り」を再読したばっかりで、その時、
「まだまだお元気なのだろか。高齢だしな〜」
などと思ってた矢先ゆえ、ガッチョ〜〜〜ンてなショックをおぼえて、ちょっと呆然となる。
ここ半年ばかり、古いSF作品を再読するというのを密かな愉しみとして、夜毎、ベッドに入るや、クラークやアシモフや足穂やウェルズをチビチビ読んでは、いい気持ちになって眠れちゃう・・ ってな感じな日々を送っていたがゆえ、余計に、ガッチョ〜〜ンな気分が大きい。
今もって、A・C・クラークが生きてらっしゃるというのが、一つの励みでもあったし、一つの、同時代の空気を吸っているという意味での感慨があったワケだけど、そのクラークさんがもう呼吸をしていないのだとニュースで知って・・ ションボリではなく、なんだかポッカリと虚ろになったような、おぼろになったような、はっきりとカラー映像として紡がれていたものがフイに色を失っていくような、妙な気分をボクは今あじわっている。
哀しいとか、悲しいとか、いったものではなく、とうとうこの日が来たかという諦めに裏打ちされた空虚・・。
数年前だか、岡山理科大学の学生と話したさい、彼らが、「2001年」を読んでもいなければ、映画も観ていないけれど、
「そのタイトルは知ってますよ〜」
と明るい笑顔で応え返してくれたさいの、暗〜いような気持ちは今も忘れられない・・。
時代はめぐるゆえ、忘れられていくものもあるけれど、
「せめて、クラーク原作の映画くらいは・・」
理科大生なんだから観ていて欲しいよ〜〜、と声にはしなかったけど、思ったもんだ。
これを書きつつ、本棚に眼をやる。
「2001:Filming the future」という洋書がそこにある。
Piers Bizonyという方の著作で、序文がクラークさん。
その二人の直筆サインが入ってる、ボクの宝の一つ・・。
クラークさんはグリーンのボールペンでサインを入れていて、筆圧があるのだろう、次ページにまで、そのサインのシルエットが刻印のように、残っている。
文字通り、彼が生きた証し、彼の痕跡だけど、そのサインよりもはるかに、彼の小説が残してくれたものはでっかい。
ボクは中学生の夏休みだかに「幼年期の終り」を読んだ。
人が人というカタチでない何者かに変容し、地球はその存在を失せる・・
あの時の、読了後の、大きなものにのし掛かられたような、進退を忘れたような茫漠とした衝撃は、今も濃厚な余韻として刻まれたままだと感じる。
"情"、"感"・・ といった人間の領域内での尺度の他にも、善し悪しを越え、より大きな壮大な何事かがこの”宇宙”にはあるんだな・・。
そういった事々をボクは彼のSF小説から学んだ。
ありがとう。
クラークさん。