秋の夜長のフランス

フランスといえば、ボクにとってはツール・ド・フランスジュール・ヴェルヌの国ということになる。
ワインじゃないのか? と問われるさいには、ボクにとってのワインはドイツはシュワルツ村のそれと、チリのピニャ・サンペトロ社のガトー・ネグロを一に挙げるのでフランス・ワインはちょいと後退したところに置かれる。
ランス・アームストロングが驚異の7連覇でもってツールを征した頃に、ボクはオートバイで事故って… 以後、トラウマとしてオートバイに乗れなくなり、代わって自転車に乗るようになった。
当初は難儀したものの、次第に自転車というバイクに身体が馴染んできたら、もうこれ以上に我が身丈にあった乗り物はないと思えるようにもなった。
ロードバイクにこそ乗らないけれど、自転車は最高にいい…。
ランスが引退して以来は、必ずというワケでもなくなったけど、今も毎年のツールのレースには関心を持つ。
今から30年ほど前に、このフランスで2週間ほど過ごした事がある。
その頃にはランスもいなければ、ヴェルヌに濃厚に魅かれてたワケでもなかったけれど、フランスの空気の感触が好ましかった。
地下鉄に乗ると、体臭としてのチーズの匂いがあって、
「あらま〜」
と、乗るたびに感心したものだった。
当時はまだジプシーの子達が繁華な観光地の一筋裏にたむろっていて、カモが来たなと思うとワラワラ出てきては、お金をねだるのだった。
一度、ノートルダム寺院の近くで、この子らに囲まれ、咄嗟にカラテの真似をしてみせると、その子ら全員の肩がビクリと戦慄し、数歩飛び下がり、眼が怯えているのが直ぐに判った。
よく見ると、子達の顔には傷があって、それは大きなケガとしてのそれではなく、きっと誰かに殴られたであろう、あるいは転ばされて擦ったみたいな感じのものだった。
子供の勲章というには痛ましく、また、その怯えた瞳とあいまって、ボクの中のフランスの子供のイメージは、これで定着してしまった。
今はジプシーとは呼ばれず、ノマドという本来の名で呼ばれている彼らは、30年ほど前のあの日は、フランス市民ではなかったろうけれど、セーヌのほとりで見たその眼達は、今になっても、ボクの"フランスの子供たち"なのだった。
クリニャンクールの朝市で、真っ白い宇宙服を売っているのにもオドロイタ。
ロシア製の本物で、なんでこんなモノが? と訝しみながらも、ちょいと欲しいなと思ったもんだ。
ボデイ部分とヘルメット部分が一体になっていて、ヘルメットの透明なバイザー部分が朝の日差しを受けて眩しく光ってた。
地上での訓練用と思われる。
確か、7000フランの値がついていたと思う。
当時の額面でいえば、38万円くらいかしら… とても高くて買えたシロモノではなかったけれど、それが朝市の露天に吊るされているのが面白くもあった。
「ここに宇宙服ありますよ〜!」
な仰々しさもなく、他の、ごくごく普通の古びた背広などと、栄光も誇りも奪われたアンバイで、ただの一着のスーツとして、一緒に吊るされているのが可笑しかった。
その宇宙服の向こう、およそ300mくらい向こうの市場の中に、モデルの山口小夜子さんが歩いているのを目撃して、えらく… 嬉しい気分になったことをよくおぼえている。
その小夜子さんはもうこの世にいない。
ロシア製のスペーススーツがその後にどうなったかも知るよしもない。
この朝市で買ったのは、懐中電灯だ。

角型の電池を用いる方式で、電池の形式といい。日本にはあまりない形だったので魅かれた。
ハロゲンでもなんでもなく、さほどに明るいモノでもないけれど、な〜〜んとなくヴェルヌの「地底旅行」が想起される逸品だったゆえ、買った。
もちろん、かの「地底旅行」にこれが登場しているワケもない。
ワケもないけれど、近似な、何か、こういった雰囲気のカンテラが想起されたんで興を魅かれたのだ。
安かった。
たしか、10フランほど。
550円くらいなもんだ。
いや… も少し高かったかもしれないんだけど、1000円とはしなかった。
ボディカラーが何色かあって、綺麗に見えたし、なんせカタチに惚れたので、茶や緑や黄… 4つほどを買い求めた。
ほとんどを帰国後に友達にギフトしたので、手元に残ったのは一ヶだけになったが、今も部屋の目立つところに置いて、さりげなく愛でている。
ジェームス・メイスンが主演の秀逸な映画「地底旅行」での電燈の描写は、たぶん、ヴェルヌの原作に近いものなんだろう… 手回し式の充電ランプで、ボクがパリで買ったモノとは随分に違う。
随分に違うけれど、場がフランスだったゆえ、ヴェルヌをボクは想起したんだと思う。
ここ最近のボクは、寝間に入るや必ず、ヴェルヌの本を読むというのが習癖になっていて、でもね、数行も読まぬ内に眠さに負けるという日々を送ってる。
ヴェルヌが退屈なワケではなく、ただもう睡眠の欲求が強いというだけのことなんだけど、眠る間際にヴェルヌの本を手にするのは、至福なのだった。
再読を重ねた本達だけれども、読み返すたびに新鮮だ。
「おほ〜っ」
と、溜息をつくような詩的な一説が随所にあるから、御馳走でもある。
「子供のための小説でしょ」
などと、いまだに思っておられる方があれば、是非に、も一度、ヴェルヌに接していただきたい。
ヴェルヌがつむいだ小説は大人が読んで、今もって唸ることが出来る希有な作品だ。
もちろん、当時の挿画がそのまま入っているのが、ボクには望ましい。
以前に、試しにと、各国で出版されてる「海底二万里」の諸々を丸善で取り寄せて見比べてみたことがあるけど、オリジナル版の挿画を越えるものには出会わなかった…。
オリジナルのそれには色もなく、濃淡もない、線だけの描写ながらも、強くて濃い印象を残す絵達なのだった。
ポール・デルヴオーがあの不思議な絵の中に、繰り返し繰り返しして、「地底旅行」の人物挿画を入れ込んでいるけれど、デルヴォーをしてそうさせた磁力に、ボクもまた魅かれるのだった。