耳カキ

長年使い続けてた耳カキがなくなった。
どこへ行ったやら皆目わかんない。
もう、たぶん20年は使った品で、手に馴染み、耳に馴染んだ、いわば愛用品だ。
けっして1度も愛用してるとは思ったことがなかったけど、こうして手元から消えると、やはり、愛用の一語がボボ〜ンと浮いてくる。
いつも作業デスクの中にあって、仕事の手を休めるとボクはそれで耳をホリホリホリ… してた。
いわば、癖である。
ボクの耳は変な耳で、外側は大きくってゾウさんみたいで、そばに子ゾウがいたら耳を動かして風を送れるくらいなもんだけど、耳の穴が小さい。
イヤホンが入らない。
iPodiPhoneにもれなく付いてるイヤホンすら入らない。ちょいと耳の穴の入り口に引っかかるだけで中に入れられないから、すぐにポロリと落っこちる。
そんな小さな耳の穴に20年くらいおつき合い下さった耳カキはといえば、耳の中の薄い皮膚にすっかり馴染んで麿やかこの上なく、けっして痛みをおぼえない。絹の柔らかさと鉱物の硬さとが微妙にバランスよく調和していて、知らず、我が耳の掃除器としてそれは我が身体と一体化したようなアンバイなものになっていた。バー全体も飴色になっていて、ちょっと見ると高級品にも思える。
実際は、100円ほどのどこにでもあるシロモノなのだけど、使い続けた結果として、安心に裏打たれた風格を持ったよう感じる。
それが、あ〜た…。
消え失せちまった。
過去にも何度か、消失したかと思ったことがある。なにしろ、モノの出入りが繁華な作業デスクという、あまり環境がよろしくない場所に置かれているのだから、なくなる可能性は高いのだったけど、なくなったなと思った翌日にはひょっこり引き出しのスミにあったりもした…。
資料として開いて置いてた本の合間にチョコッと鎮座してたこともある。
が、今回は違った。
すでに消失して1週間は経つ。
ここ2週ほどは、小さなラヂオをテーブルに置き、震災の速報を聞きつつ作業をするという異例なコトをやってたし、それゆえに意識の集中もいつも通りではなくってデスクの上も乱雑になってた。
そのドサクサに我が耳カキはお隠れになったワケだ。
おそらく、工作の過程で切り貼りしてたパーツの不要部分と共にゴミ箱に運ばれたのではないかと考える。
なので、仕方ない。
新調した。
真新しい竹。柔らかげな丸いボンボリ。
やはり100円ほどのものだけど、やはりというか、あんのじょうというか、馴染んじゃいないから、今までのサジ加減でホリホリしたら耳が痛い。
だから、日常の中に微少な違和をおぼえる。
左右のゾウの耳が、「これは違うぞ〜」と抗議し、小さな波紋みたいなのを起こして律動しているのを感じる。
そんな次第で… 無自覚に出来ていたことが出来なくなっていることに新調と同時に気づかされ、こたびの震災で家もなにかもをなくした人は本当に本当にメチャに大変だぞと思いを馳せた。たかが1本の耳カキをなくしただけではないのだ…。
無数の"愛用"とその"心"が一瞬に流されてしまったと思うと、うなだれる他ない。
けれどまた、うなだれてるだけじゃダメなわけで、耳カキは新調し、それを使い出さなきゃいけない。それが耳に馴染むには時間がかかろうけれど、仕方がない。馴染めば、また"愛用"の一語も復活すると思わねば。