黄金のスリッパ


小さな集いに出向いて、クローラートランスポーターのことを少しおしゃべりした。
これのことを模型を交えて話すのは、明石天文科学館で解説して以来かしら。
なので、今回はそのクローラートランスポーターの話だ。
ごぞんじ、アポロ計画で作られ、今もスペースシャトルで使われている超絶的にでかいキャタピラ車がクローラートランスポーターだ。
キャタピラ車両といえば、たいがいは荒地を思いだす。デコやらボコなのを平気で乗り越えてく逞しさが浮かんでくる。
けれどもこの大型極まりないトランスポーターは、実際は荒地を走れない。
荒地はおろか、アスファルトの路面もダメなのだ。
クローラートランスポーターはサターン5型ロケットが設計されて実際に作り出されたのと同時に開発された。
野球の内野の全域くらいな大きさの発射台と、53階建てのビルに相当する100mを越える高さの鉄骨ビル(総称としてモバイルランチャーという)と、それにつながったアポロサターンを、組み立て工場から6Km離れた発射場まで運ぶ装置として、これは1964年に作られた。
運搬車であると同時に超絶的にでっかいジャッキでもある。
発射台とアポロを、あるいは発射台とスペースシャトルを、4つのポイントで固定し、水平を保った状態でもって坂道も登る。
2.5cm平米に1.5トンもの重みがかかる。

基本の設計は1962年に描かれ、製造はオハイオ州のマリオン・パワー・ショベル社が担当し、2台作られた。
最終組み立てはケープカネヴェラルで行われ、1964年の7月に最初の走行試験があった。
ケネディが暗殺されて8ヶ月が経った時だ。
が、この走行試験で予期しないコトになる。
コンクリート舗装された真新しい発射場の路上で動かすや、路面を掘って壊した挙げ句に、自身の重みに耐えかねて4本の軸が全部折れてしまったんだ…。
可動する軸は重みで熱が発生し、それで軸そのものが砕けた…。
このため、アポロ計画そのものが頓挫しかける。
あの白と黒のツートーン・カラーでおなじみの、巨大な組み立て場(EVA)から発射場までロケットを運べないというコトになったワケだ。
方策としては、軸部分の構造を変えるか、材質の見直ししかない…。
そんじょそこいらの鉄や合金では、重みに耐えられない。尋常でない硬度が求められるコトになった。
それで、ジルコニウム合金に白羽の矢が向けられた。
当時はまだ大規模には作り出せなかった合金だけど、知られる限り、硬度は類例がない。
今の原子力発電所の原子炉。その燃料棒の皮膜に用いる程に熱に強く硬い合金がジルコニウムだ。
これを使うコトでしか難局は切り抜けられないのだから、仕方ない。
実験室で生成されていた程度のものを、いきなり、実践の場に用いるというワケだから、新たな製造プラントが必要だ。
そんな次第ゆえ、予算はふくらんだ。
当初は630万ドル(当時)の予算だったのが、これで一挙にかかる経費がふくらんだ。
「ざっと… 倍にはなります」
と、いうことになって、なんでそんなバカなことになったのだと、予算を審議する議会でも非難ゴ〜ゴ〜。
でも、アポロ計画をこれで中止には出来ない…。
改良されたのはトランスポータだけではない。道路も見直される。
コンクリート舗装の路面は破棄され、新たに、重みそのものを緩和させるための路面が装備された。
1.2mの厚さで砂が敷かれ、次いでその上に、やはり1.2m厚で均一に砕かれた石灰岩が敷かれ、さらにその上に20cmの厚みで細かい川砂利が敷かれた。
これが重みを吸収すると同時に、キャタピラへの負荷を軽減させる。
さらに、その砂の巻き込みを抑制するためにトランスポーターのキャタピラには可動中たえず粘性の高い油を噴射させる装置もつけられた。
各キャタピラの手前にあるバーのようなものが、その装置だ。(写真の矢印部分)
まったくニュースにもならないけれど、だから、この一件で見直された走行道路は、常に整備が必要だ。
敷設された砂や石灰岩は常に新たなものに変えられているんだ。華やかじゃないけど、そんな道路工事が常に行われているんだ。
で。
結局、1300万ドル(当時の額面で50億円越え)かけて、やっとジルコニウム合金の軸足をもったトランスポーターが再生された。今度は壊れない。
これが2台あるから、マスコミは、
「黄金のスリッパが完成」
と、皮肉った。
けれども、結果として… これでよかったのだ。
1964年から今に至るまでの47年間も、クローラートランスポーターは現役として働き続け、さらに今後の新たな計画でも使われる予定なのだから、長寿で丈夫で長持ちの三拍子。
逆説的な結果として、予算を縮小させているという意味で、文字通りの『黄金のスリッパ』となったワケだ。