あなんじゅぱすnano/ドリトル先生月から帰る


ひらたよーこさんを中心のバンド、あなんじゅぱすnanoのライブに出向いた。
ライブタイトルは「ドリトル先生月から帰る」。
ひらたよーこさんのライブはこの4月にも味わってる。
その時には、矢野誠さんとのデュオでもって、谷川俊太郎の詩を謡う「クレーの天使」というタイトルで… なかなか良かったんだ。
だので、こたび、しかも、かつて読み親しんだ「ドリトル先生」がモチーフなのだから、これは行かねば、聞かねば… なのだった。
予想通り、登場したのは、かの井伏鱒二の名訳。
曲と曲の合間のMCをすべて、この井伏版からのコトバでもって繋いでいくという趣向。
謡われるのは、中原中也萩原朔太郎や郷土岡山の長瀬清子といった、現代詩。
なので、その点では、全編これドリトル先生オンリーではなかったから、ちょっとだけ、ホンのちょっとだけ残念ではあったのだけども、超絶に久しぶりにドリトルの名を聞いて、ひそかに心躍らせた。
彼女の朗読、彼女の歌声は、ドリトル先生物語を紡ぐ語り部として、申し分のない声の質で、何も異和がない。
彼女のピアノも素晴らしく心地良い。
幼い子が母親に読んで聞かせてもらっているような、そのような心地よさがあり、さらには、マリンバの低く染み込んでくるような音色がいい。
そう。マリンバがステージの右に位置していたんだ。
これが随分とでっかいのだけど、演奏している澤口のぞみさんの佇まいが、とてもいい…。
表情がいいし、落ち着いた動作がいい。
この2層の良質がボクの体内にヒタヒタと浸入してきて、ボクは聴きつつ、次第に眠気をおぼえる。
悪しき意味でなく、母親に読み聞かせられている内に眠りに落ちる幼な子みたいな、安堵と平穏に裏打ちされた安らぎめいた感覚…。
もう何10年も、「ドリトル先生」の物語には接していないけども、この大先生が月に行って、アレコレあって、帰還し、またちょっと月とのアレコレがあるという… (むろん、ロフティングの小説の中のことね)それを思い出して、懐かしさと新鮮さをミックスさせられつつ、柔らかで温かい眠りに誘われたのだった。
100パーセント、これはいいコトだった。
忘れていた「ドリトル先生」がボクの中で復活していくのをマザマザ感じもした。

意識して顧みると、ボクの中には、読んだという記憶があるのみで、内容はさっぱり思い出せないのだった。
なので、ひらたよーこさんの調べに耳を傾け、眼はつむって、半ばウトロウトロとしつつ…
「ぁぁああ、再読したい!」
と、心底思ったりしたのだった。
だから、いい時間を過ごせた。
ライブ中に登場した曲と詩をことごとく味わい尽くしたワケじゃないけども、日本語の響き、余韻、力、豊かさ… 実にいいもんだ。
ひらたよーこさんの声と澤口さんのマリンバには、淡く描かれたクレヨン画のような、そのくせ、色彩の明暗がくっきりとした新鮮が縦横にあって、それが日本語というカタチにすごく似合ってた。
……………
チケットをギフトしてくれた黒瀬尚彦氏に、強烈に感謝。