鑑定士と顔のない依頼人

この8月に新たな命を授かる予定の我が愛するカップルを含めた数人で、映画館のシートを暖める。
じつに野暮な邦題なのじゃあるけれど、映画として上物。シネマクレールにこれだけお客が入っているのをボクは… みたことがない。
ただし、若い人には本作はいささか早過ぎるだろう…。
加齢してはじめて判る心境というのが、あるんだ。
この監督のかつての『ニューシネマパラダイス』も実はそうだったけど、こたびのはそこがより深化している。
主人公が味わう悲哀の大きさは、観客の年齢が主人公に近いほど大きく感じられる性質を濃く持っているよう… 思う。


60代半ば(おそらく)を過ぎての恋情。
それも相手は若い。
と、それだけが内容なら… 観る価値も見いだせないけど、そこに主人公の特有性が加味され、さらに大樹にからむ蔦のようなジワジワと昇ってくるミステリーがうまくからんで秀逸。
主人公の孤独、がこの映画の味噌。
絢爛たる世界に住まっていつつ、彼の抱えた孤独の大きさ……。
50代も半ばにさしかからないと皮膚の感覚として判らない、滑稽味すらある暗渠。
いや、はたして… それは暗渠か。

なので、若い人には、この映画の魅力はちょっと伝えにくいかもと、思う。
12歳以下父兄同伴とか18歳未満入場不可といった映画があるのだから、いっそ、50歳未満入場不可としてもイイのでないかな…、あなた方にはまだ早過ぎる映画デスヨ、これは… と。
なるほど、謎解きとしてミステリー展開は若い方々とて参列可能なれど、この映画の主題はそこにはなくって、だから… 若い人、わけても男性は… きっと損してしまうよう、思える。
ならばとどまるトコロ、入場ダメですじゃなくって、"若年割引"がより良いのかも…。

かつてヴィスコンテイは『ベニスに死す』でもって美少年に恋してしまった男の悲痛をダーク・ボガートに演じさせ、衰えを隠す術としての髪染めの存在を映画の最後に置いて、その痛ましさを際立たせていたけど、この『鑑定士…』ではその逆でもって老醜を描く。
老いと若さがこの映画のテーマではないけど、そのギャップがあるゆえ成立する物語… は、やはり普遍なものなんだろうとも、思う。


ロバート・レッドフォードポール・ニューマンの『スティング』。
おなじくレッドフォードの『華麗なるギャッツビー』。
スコセッシ監督の『ヒューゴの不思議な発明』。
そして、『ベニスに死す』

本作を観つつ、この4つの作品をボクは想い出している。
ペテンと友愛。華麗と孤独。知的好奇心。加齢と愛。
そして、たえず永劫のテーマたる男と女。 
この異なる4つと1つが1ケのインク瓶に混ぜられて描かれたのが本作といってしまえば身も蓋もないけど… 巻頭でほぼ一気に紹介される主人公の生活、すなわち豪奢なレストランでの1人の食事にはじまり、邸宅内の秘密の部屋の、あの膨大な肖像画の壁面での"絵の中の女への思い"に至る心象光景は… なにか痛くなるくらい… 中年すら過ぎていくこの年齢になったボクには判るのだ。
よくよく引用するけれど、『海底二万里』のノウチラス号船内のあの壁一面が古今の名画で覆われたサロンと、そこに住まうネモと… この『鑑定士…』の主人公は同じ性質の闇の中の輝きでもって生息している。
いわゆる若い人の引き籠もりとは別種の、閉じた宇宙ながら… 輝ける闇の安穏。
そこが身体的感覚として判るには、やはり、年を取らねばいけない…。

この映画の劇中、未見の方には、ぜひ耳をすましていて欲しい音が1つある。
後半のクライマックスでの、1枚のタブローが床に落ちる衝撃音。
この音にどれくらい戦慄出来るかが、きっとこの映画の評の高低になるだろう。
ほぼ完璧に閉じきった、いわば1つの居心地良きな世界が崩壊する音が… 実にうまく"作られて"いて、実のところ、ボクは… もうそのシーンでもって急に映画が終わってしまってもイイのじゃないかと… そう思えたりもした。
それっくらいに、映画の中の音は大事な要素なんだ。
この映画ではとくにその音の在処がとても重要なのであって、壁1枚隔てた男女の会話における足音がもたらす気配の濃密は、かつてボクが戦慄した『2001年宇宙の旅』以来の、鮮烈かつ凄みある"サウンド"だった。


映画のあと、文化人類学者の西江雅之氏の講演に出向く。
テーマが広域ゆえ、あんのじょう、時間オーバーな講演じゃあったけど、幾つか学ばされることもあって、参加してよかった。
最近のぼくは、時間超過になるライブや講演に寛容である。
ツイッターが象徴するショートな世界にボクは馴染まない。


会場のプチパイン。前回の落語は超特等席の最前列のそれもラッキーストライクゾーンだったけど、今回は最後尾だ。
両方とも最高にいいポジション。♡
今回は観客がどこでどう反応するかを、"文化人類学"的に全部見渡せる位置ゆえ、とても良いお席で、事実、その全体の反応を見遣りつつ聴けたのがとても良かった。


はるかの昔、何かの本で、
「アフリカの上半身裸の女性にブラジャーを着けさせると、そこから羞恥が生まれる」
といった事柄を知って、いささか感心を寄せたものだったけど、こたびの西江氏の話はまさに… その部分での"文化とは何じゃ?"なのだったから余計に面白みをおぼえた。
つまるところ自分が知覚する猥褻と、たとえばそのアフリカ少数民族にある猥褻は違うのであって、それに対してブラジャーを着けさせるというのは、まったくの"文化破壊"なのであるというコトなのだ。
が、また一方で、結局はブラジャーで覆われていく世界のグローバル化もまた抑止出来ないのであって… たとえば西江氏は宗教を背景にした文化圏における割礼を挙げる。
是が非か? 
未開と先進を、誰がどう見極めようというのか?
そんなことを… 300字で要約できる術もない。
講演時間が大幅に超過するのは、結局は、制約としての時間内に"文化という巨大な何か"を収めことが出来ないというコトなのだ。
いや、むろん、そこは制限時間内でもって、話なり演奏を終了させる度量もまた必要とは判っちゃいるけど。

ともあれ久々のアレやコレやの2本立て。
映画も講演もけっこう深い所を刺激してくれた日曜日。
まだ雪は解けきってない。
ペテンではないホンモノの雪。