「輝ける番町線」と「3時10分、決断のとき」

今日3月21日から5月の11日まで、岡山シティミュージアム常設展{岡山の歴史と文化}-「輝ける番町線」の展示公開。
10数枚のパネルと10を越える路面電車のペーパーモデルでもって、かつてあった番町線というラインの事をお伝えしようという企画展。
岡山駅付近にお越しの場合、どうぞ、岡山シティミュージアムへもお立ち寄りを。5階です。
料金や詳細はコチラ


上記の展示準備を終えた昨日の夜、路面電車誕生の最初の頃を思って… DVDで映画『3時10分、決断のとき』を眺める。
ラッセル・クロウクリスチャン・ベイルが主演の西部劇。
なんでこの映画と路面電車が結ばれるかといえば、路面電車というのは馬車の延長上にあるわけで、じっさい、今回展示の岡山電気軌道・番町線を駆けた初期(明治時代だよ)の車輛台車(車輪部分ね)は米国のブリル社のものなのだ。
ブリル社というのは幌馬車の製造をやってた会社で、それが発展して街中を駆ける路面電車の大手製造元になっていく。

ボクらは、日本史と世界史を同時並行の"感覚"として学んでいないので、往々に、
「あれ?」
ってな感想を抱きがちなんだけど、西部劇というのは、大昔の話じゃなくって、例えば、この岡山の番町線の前身たる内山下線と内山下支線というのが、岡山駅から城下まで、城下から後楽園口まで結ばれて大いに賑わった頃、かの高名な保安官ワイアット・アープさんは生きてらっしゃるのだった。
彼が亡くなるのは岡山市内を路面電車が駆けはじめて、実に8年も経ってからの大正時代の事(1929年)なんだ…。
ねっ、なんか、
「あれま〜」
でしょ。

馬車が方々で活躍してるさなかに、より移動幅のでっかい汽車が登場し、次いで町が大きくなって、そこを駆ける路面電車が登場… というのが1つの流れであったワケ。
よって、西部劇映画にみるその当時の馬車は、とくに都市部ではその相当数がブリル社のものだったといってもいい。
『3時10分、決断のとき』には馬車がけっこう出てくる。
貧農でおまけに線路が敷かれるから立ち退きを要求されているクリスチャン・ベイルがひょんなアンバイで、強盗団の首領ラッセルを護送し、3時10分発の囚人用の汽車に乗せなきゃいけない… というのがお話の筋。
背景となる小道具などなどは当時のモノやら史実に基づいて再現されているらしいから、馬車を眺めるにはうってつけの映画なのだ。
3時10分、決断のとき [DVD]
とはいえ、ブリル社のものと解るワケもないんだし、都市的な使われ方でもないんだけど… 路面電車の前身たる馬車が何たるかは多少なりは、わかるんだ。
西部の茫漠とした荒涼にごく小さな小さな集落が出来、それが徐々に町に発展する様子が、この『3時10分、決断のとき』ではうまく描かれている。
主役たちの振る舞いの背景にチラチラと登場するのみではあるけれども、馬車同様に、たとえば測量をやってる、たとえば写真機の前でポーズをとっている、汽車のためのトンネルを穿っている… と、今現在に連なる"科学的"なる諸々が既に西部に浸透しつつあるという雰囲気がうまく出ていて、そこが秀逸なのだった。
懐中時計もまた何本か出てくるけれど、秒針が動いてる。
もちろん、映画の主題はそこじゃないけども、主題を鮮明にさせる装置としての、近代が間近に迫っている"舞台"作りが実にしっかりしているのが、イイのだ。

そのお膳立ての上で、ラッセルやクリスチャンやピーター・フォンダが演じるんだから、馬車だの路面電車だのといった"お勉強感覚"はすぐ失せる。
とにかく、面白い。
善人がいて悪人がいて、善の中に悪もあり、また一方で悪人の中にも自身の規範をしっかり持っているヤツもいて、それが強情につながり、強情な他者の中に自身と同じものを持っていることに気づかされて、やがて善人と悪人の双方の中で友愛が萌芽していく… と、見所満載な西部劇なのが『3時10分、決断のとき』なのだった。
ラッセル・クロウの眼の演技が最高によく、見終えた直後、もう1度… その眼をみたくなるし、存在感たっぷりで怪演のベン・フォスターの最後の眼がまたとてもよろしくって… 極悪な野郎なのに何故か見終えると哀れな愛おしさを濃く感じてしまって、もうボクは馬車のコトは忘れてるね。

ベン・フォスター