ユスラウメの病気

ここ数年、実家の庭に植えたユスラウメから紅い実を収穫してジャムを造るというのが1つの行事となっていたのだけど、この春今日この頃、それに暗雲が立ち籠めて、
「えっ!?」
感嘆符1つを置いて… 眉間に皺寄せているのだった。

成長著しい、ただ1本のユスラウメが病気になったんだ。

気づいてやるのが遅かった…。

クロミ病、という難病だ。

これは桃系の樹木がかかる病いらしく、幹でも枝でも葉でもなく、実そのものが肥大して袋状というかエンドウみたいな形になって、ポタリ… 落ちる。

だから、その形状からフクロミ病と呼ばれているワケだろう。

それにかかってしまったのだ。

ネット上でアレコレ検索してみると、なるほど、この病いに犯されたとお嘆きの諸氏の声がある。

けども、何という菌が、どう作用して、どのように実を犯すのか… という科学的知見を得ることが出来ない。

石灰硫黄合剤というのが、唯一、有効な予防薬ということは判ったけども、これは冬場の葉のない時期に散布するという、あくまでも予防としての性質のもので、春の陽気の中、すでに病魔に犯されているユスラウメには… これといったお薬はないようなのだ。

せいぜいが、セッセと、膨れ上がった実を摘み取る以外に、手立て、手当てはないようなのだ…。

放置すれば、その肥大した実が乾燥し、やがて悪しきな菌(?)が樹木のアチャコチャに飛散して、来年にまた新たに発病というから… それでここ数日は根気を出して1ケ1ケと、悪くなったのを摘み取ってはいるのだけど、なにしろ膨大に実るユスラウメゆえ、はたしてダメな実を全部取り去れたか自信がない。

くわえて、数日もすると… どうも新たに、実が発病しているらしき気配があって、さてとそうなると、忌まわしきな追いかけゴッコのようなアンバイで、フッと、
「こりゃ全滅かも…」

不安がよぎるのだった。

今年はもうダメでも来年には復帰という可能性と同時に、病巣がどこかに潜んで、結局、来年も良からぬ状況… ということになるんじゃないかしら… と、暗澹となるのだった。

けどもまた一方で、病気になってくれたおかげで、いわば逆説に、

ガーデニングって面白いじゃん」

な気分もわいてくるのだった。

自虐的思感ではなく、むしろ去年までのユスラウメの天晴れな生育は、いわゆるビギナーズラックなグローイングであって、やはり本来、そうそう簡単容易に植物を手なずけられるもんじゃない… という逆境離脱な、
「よっしゃ、それならガンバルぞ〜ん」

みたいな、おいらチャレンジャ〜でござるな昂揚だ。

したがってこの気分には、

「来年、ひょっとしたらこのユスラウメの木を切り倒すことになるかも」

の、決意も含むわけで、そうなるのは悲しいけども、そうせざるを得ない決断の勇気もまた必要なのだから… お庭の植物オモシロイ。


園芸を「4次元領域のアート」と喝破したのは、米国からあえて英国に移住して住まってる編集者のチャールズ・エリオット。

城や邸宅は縦と横と高さの3次元構成でもって完了するけど、庭(園芸をふくめ)は植物の生育という時間軸がからんで、いつまでも終わらない…。

彼が1999年に出版した『英国ガーデニング物語』は、いわゆるハウツゥ〜としての園芸書ではなくって、米国と英国の違い際立つ文化史的な色合いが濃いエッセー集で、ひじょうに秀逸。その終わりなきガーディングについてを多方面から検証してくれているのだ。

中世から現代に至る園芸史というワケじゃないけども、その雰囲気もまた充分に勉強させてくれもする良書。

19世紀はじめの英国人J・C・ラウドン(1783〜1843)という人物を紹介した、おそらく最初の本、と思う。

ラウドンは都市にはグリーンが必需でありそれは絵画的美しさをもたねば… と唱え、月刊誌『ガーデナーズ・マガジン』を20年に渡って発行。その著書『エンサイクロペディア・オブ・ガーデニング』は総ページ数1200、1000を越える図版が入って、当時の"園芸"を知る重要な資料らしい。

不幸な事件が相次いで、片腕切断、ついでもう1つの腕もなくすという、普通なら自殺しちまいたい悪運をはねのけて、各種庭園の設計を行いつつ、猛烈な量の文章を起草して、上記の大作に次いで『英国の樹木および果樹』をまとめあげて自費にて出版した人。

たぶん、このラウドンの偉大さを紹介だけでも価値絶大ながら、それにとどまらない。

"趣味の園芸"ではなく、サブカルチャーのそれでなく、庭とその植物とが織りなす時代のカタチと人物たちを実にうまく、しかも卓越なユーモアで綴ってくれて、読み物として醍醐味たっぷり。

彼エリオットはロンドン近郊にささやかな(といっても日本的ささやかじゃないけど)農園を造りつつ、ロンドン図書館で園芸系の古書を狩猟して、今と過去の中の園芸事情を本書でもって実にうまく編み直してくれた。『ジャガイモを憎んだ男』という一篇の、実在した人物紹介の文章の閉じ方には、ちょっと溜息が出たよ。

なのに… エリオットの本が日本では1冊しか翻訳されていないのは如何なもんかしら…。


この『英国ガーデニング物語』を読んでると、クリスティが創造したエルキュール・ポアロというイギリス人になりきれないベルギー人名探偵の、ガーデニングにさいしてのカタチの滑稽さを思わずにはいられない。

土と戯れたい反面、素手では土に触れようとしないおかしみ。原作よりもD・スーシェ演じるTVシリーズがそこは格段にうまく見せてくれてる。日本でもオバケ的大きさのカボチャを造ったりしているのが時にニュースになるけど、本書によれば英国でのそのデカいのに向けての情熱は半端じゃないようで、実際、TVの中のポアロもそれに準じて『アクロイド殺人事件』では、デカくならない冬瓜(とうがん)に腹をたてている。
ボクらの感覚で申せば、そんなデッカイのを造ったとて、ただの観賞用というわけなんだけど、英国じゃそれは、『極上のごちそう』でパーティのメインディッシュらしいのだから、
「えっ??」
って〜なもんだ。

たぶん、その辺りの庭におけるスノッブな消息は、D・キャナディン著作の『英国貴族の衰退と没落』のシシングハート庭園についてのテキストが参考になるんだろうけど、いかんせん、手元にないというか… 翻訳本がないんだからしかたない。


本書の訳者・中野春夫はながらく英国に住まっていたらしいが、英国での"園芸"における1つのクセを、そのあとがきに書いてらっしゃる。

英国人には… 植物への濃い愛情と庭造りの情熱に加えて、
『他人の庭に対する異様な関心』
というのがあるらしいのだ。


なるほど確かにボクらとて、"よそさまのお庭、お隣の花"は気になるもんじゃあるけど… どうも、我々が思っているよりはるかに根深い、"異様"にまで成長した何事かが英国人全般(庭好きな人を指すんだろうけど)に存在しているらしい。

彼の目撃談によれば、上半身タトゥーのロック系青年らしきが自宅の庭の手入れをしつつ、そこから見えている近所の庭の手入れ出来ていない様相に、"異様"な関心を寄せていたという… 今にもくってかかりそうな、「おい、そこを何とかしろよ!」なオセッカイというか、地域愛というか、根の深い凄みがそこに潜んでいるようなのだ。日本の横並びな均等化とは別種な何か…。

アクロイド殺害事件 (創元推理文庫)
良くも悪くもその根っこに階級意識が潜んでいる英国だから… と簡単に云ってしまうのはおこがましい。かの『モンティパイソン』や一連のローアン・アトキンソンのお笑いに繰り返し顕れる辛辣なブラック・ジョークの土壌は、たぶん同じ背景から生じる何かだろうとは思うし、先にボクはエルキュール・ポアロを笑って書いてるけど、タイをキチンと結んで、しかも革靴というイデタチには… 実はモデルとなる人物があったとボクは本書を読んで気づかされた

クリスティが執筆していた時代、ミドルトンに広大な敷地を持つエドワード・オーガスタス・ボウルズという園芸界では著名な貴族がいて、この人は正装のままで庭いじりをしていたようなのだ。(この人物もまた園芸の著作があり、正装で庭作業をやってる写真が載る伝記も幾つかあるようだ)
もちろん、このボウルズとポアロを本書では結んじゃいないけども、ボウルズ家の召使いたちは主人のこの奇癖にいささか弱っていたという話は、当時から可笑しく伝えられていたようだから… ひょっとしてなのだ…。
ともあれ、ユスラウメの病いを気にしつつも、はるか英国の庭園事情をかいつまんで、
「へ〜」
だの、
「ほほ〜」

って、ね。

この春のにっちゅうの庭先に悲喜こもごもみいだせて、オモシロイのだ。