樹木の向こうに


午後。
シティミュージアムで軽く打ち合わせ。とある資料をやや熱心に観察。
久々にいっぱいメモをとる。


その後、国際ホテルに移動。
お茶しつつ、69年前の6月29日未明の燃える岡山の様相を想像する。
この山上のホテルのすぐ近場、岡山電気軌道の本社界隈までが赤々と燃えているわけで…。
それを体感した大人はもういなくって、でも当時に子供だった人達はまだいる。もう70の上、80〜90という年齢。
断じて2度と味わいたくない経験だろう、空襲は。
昨日の夜のNHKのローカルニュースで、80代の老女が就実中学で講演している様子が流れてた。彼女はその時当然に子供だったけど、焼夷弾の油を浴びた妹が眼の前で焼けるのを見ている…。
戦争を仕掛けた当事国とはいえ、その子に何の罪があったろう。


帰宅後にホースをほどいて水まき。
パラダイスガーデン。
と、そう名をつけたワケじゃないし、楽園に相応する広さもラクもないけども、束の間、微風みたいな憩いはおぼえるミニミニ小庭。
パッションフルーツが幾つか大きくなり、カボチャがふくれ、トマトが垂れて赤くなる。
それらをチョット世話してるつもりな時にフッと… そういう単語が浮いたというに過ぎないのだけども、はじめて栽培しているパッションフルーツは今や2m越えの高さになっているのだから、見上げること多し。


しかるに、この楽園の景観を悪しくするモノ1つ。
見上げれば否応なく目にはいる、電柱と電線たち。
電気に電話に光回線。わけても不様な変圧器に中継器… それらがゴッチャと柱に取り付けられ、あっちへこっちへライン伸び放題。
これが頭上にのさばる。
モノ1つ、と書いたけどその伸び放題が引きずる諸々に魑魅をおぼえる。
日本のカタチそのものを象徴するような、見れば見るほどに猥雑な配線の混沌。
規制のないまま、埋設すべくを野ざらし増長して、まこと見苦しい。
世に、マイセツブツ陳列罪あらば、まちがいなくこれは違法な大陳列。

原尾島(岡山の地名)のマンションの4階に住まう我が友なんぞは、その4階ベランダの真ん前に柱があってジャストその4階部、目線の先に変圧ボックスが設置されているとのこと。
「マドをあけるのがイヤになっちゃう」
有り様らしいけども、マンション購入時にそのことを指摘しなかった友の方が部が悪いらしい。
「怒りたいけど、なさけない」
「だから、眼に入っていないつもりで過ごしてる」
らしい。
そこは、たぶんきっと、ボクもそうなんだろう。
見えてるのに、見えてないフリをしてうっちゃってるようなトコロが大。
集団的自衛権のことも、きっとそうだろう。


強硬な憲法解釈という流れの中、思うを語れない時が来るようで、こわい。いわゆる、
"空気読めよ"
の、封殺が政府のレベルではない市井から生じるのが、こわい。
米国鬼畜! と声高に一丸となった自身たちが敗戦後わずか4年には、
「あ〜あ〜、あこがれ〜のハワイ〜航路〜♪」
手の平かえして唄える軽やかさが、こわい。
結局、ボクの中にもそういったところがあって… 見えてる筈なのに見ていないふりをする。
たぶん、そこが1番にペケなところなんだろう。