ナチンさんのモンゴルの写真とおはなし会

モンゴルからナチンさんという学者が岡山大学に来てらっしゃる。
彼の撮ったモンゴルの写真を披露するという企て。あわせて彼の話を聴くという企て。
「ナチンさんのモンゴルの写真とおはなし会」というチャーミングなタイトルは企画運営のBARの一員Yukoちゃんがつけたんだろうか、どこか柔らかみがあっていい感じ。
これを手伝わずしてどうする。
という次第でEちゃんやらYukoちゃんが諸々準備をすすめ、ジャズフェスの友人の黒住ちゃん宅のでっかいスクリーンや投影機を運んでもらって、ナチンさんのノートパソコンから映像を引っ張り出し…、集まった皆の衆にいざや披露なのだった。

知っているようで実はほとんどボクらはモンゴルを知らない。
首都ウランバートルは高層のビルが今や建ち並び、かつて25年ほど前、晩年の開高健アムール川でイトウを釣った頃と違って、NHKを含む世界中の放送が家庭内TVで楽しめるという日本よりも電波事情がオープンという"進みよう"ながら、モンゴル国と、内モンゴルと云われる場所の、その政治的意味合いなんて〜のもほとんど知らない。
内モンゴルという名称はあくまでも中国が発している呼称。モンゴルの人はそこを南モンゴルとホントはよんでるのだけど、そのことをあまり国内では口には出せない… というような事もある。
国土の80%が平坦、その半分はゴビ砂漠(中国と接した内モンゴルが含まれる)、残りすべて牧草地。
人口は僅か350万人。

日本は国土の概ね90%が山で、残りの10%に町も畑も一切がひしめく過密。そこに1億をはるかに越える人がひしめく。その過密の中、部分において高齢化が進んで町が村が過疎に喘ぐ… なんて〜ことが問題になりつつあるけど、それは日本の話。モンゴルじゃそんな概念は通らないメチャな広さに家族単位のゲルがポツリポツリ。
こりゃえらく違う。
えらく違う環境なのに、なぜか親しみをもつ不思議。
ひょっとして、その茫漠たる広がりへの憧れが密かにあるのかしらとも訝しむ。
むろん、行ったことなしだけど、ナチンさんの写真を次々に眺めるに、そんな感想もわいた。

ボクらは時に寂しさをおぼえる。
これだけの人の過密の中に孤独をおぼえる。
モンゴルのゲルを住まいとする遊牧の人達(30万人くらいいるらしい)は、そのあたり、どうなんだろう?
人口密度が低いなんて〜もんじゃない。町から車で10分も進むと、周囲何キロ誰もいないという寂々たる環境。
そこで生きるには、やはり、ある種の強靱さが要なのではあるまいか。
ナチンさんの話によれば、遊牧の子はかなり、彼の日本語で出て来る言葉としては、「なまいき」らしい。
その生意気に含まれているのは、子供の身ながら、何100頭ものヤギやヒツジを時に彼自身がコントロールしなきゃいけない、いわば決断を常にするといった生活のリズムが根底にあるんじゃなかろうか…。
だから、淋しいなんて感傷をおぼえるゆとりもない時間の流れがあって、それが身体に刻まれていて、外見上、生意気に見えてくるのじゃなかろうか。
ボクらにはピンとこないけど、父と母がヤギ数100頭を放牧させている合間に、子供はそこから20Km(!)も離れた場所で牛や駱駝数10頭の世話をするという事が始終あるらしい。
しかも当然その周囲には人はいない。
朝青龍や白鴎などモンゴルの力士によく浴びせられる"我の強さを何とかしろ"は、その辺りを踏まえると、なんとなく、理解してあげたいような気もおきる。
ボクらはどうも… なんでもかんでもを日本的スケールや感性の鋳型に押し込めようとするから。
そういう風土の中で育った白鳳や朝青龍の感性は、やはり我々とはきっと違うのだと、ボクはナチンさんの話を聞いて薄々と承知した。
だから、上記した寂寥の意味合いもまたきっと大いに違うだろう。
寂しさのスケールもまた違うだろうし、それに対処する強さもまた、まったく違うもんだろう。


終了後に片付けでドタバタし、そのあたりをナチンさんに聞けなかったのが、やや残念だったけど、いっそう… モンゴルに親しみをおぼえたのは確かだった。
小学5年生頃の児童をクラスごと、1年ばかし留学させたら、きっと、子らは面白い人に成長するんじゃなかろうかとも空想する。
"その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし"といった地に密着なアニミズムを核にした、西洋的じゃない違う風を起こす子になってもいいじゃないか。
ちなみにモンゴルの宗教はチベット仏教だ。