Blackstar 〜To David Bowie〜


突然のボウイ・ショック。
かつてジョン・レノンが倒れたさいは概ね1年、その歌声を聴けなかった。
加藤和彦が没したさいは、2年聴けなかった。
それがヨロシイ反応だったかどうか、判らない。
それで。
あえて… デヴィット・ボウイは… 聴くこととする。
文字通りの最新かつ遺作となったアルバムを、今、聴きつつ書きはじめてる。



「ボウイの楽曲はスルメ味だ」
そう最初にいったのは、今は昔の40年前、同じ学校にいた堀井君だった。
すなわち、聴けば聴くほどに味が出る… というコトなのだった。
堀井君は卒後にロンドンで久しく遊び、やがて帰国して東京の「STUDIO VOICE」のデザイン部門に入って、その後、お互い連絡をとらずで… だから、彼が今はどうしているかを知らないけれども… ともあれ早や40年だ。
そのような今は昔を思い出す。


音楽というのは、個人的プライベートなヒストリーにすごく密接に沿っている。映画以上にその密接感が高い。
ボクはLPレコードの世代だから、1枚のアルバムを買って、ハリをソッと落とし、ジャケットをつくづく眺めつつ、音にひたる… その感覚の快美を知っている。
時間が経つほどに、その快美には、その当時のつきあった人の顔や、人との光景がくっついていることに気づく。
フッと堀井君を思い出すのも、その作用の1つなのだろう。


ボウイは徹底して変わろうとしつつ、徹底して変わらないスタンスを活きぬいた。
ラストのアルバム『Blackstar』。
まったく見事に、そのスタンスでもってステップを踏んで揺るぎない。


攻めている。
後退しない。
深いところへ潜っていく。
研いでいる。


そうでなくっちゃ〜いけない。


ボウイは、自分に遠慮しない。
そのスタンスをこそ、継承しなくっちゃ〜いけない。