時の声


陽気の到来が…、あくまで感じとしてのコトだけど、2週間ほど早っぽい気がする。
室内で越冬中の2本のパッションフルーツも早や数週前にツルを延ばし、若い葉を作りだし、どっか巻きついて落ち着きたいよ〜、と訴えている。
ま〜、これは四六時中エアコンを廻し、ニンゲン様より暖かい環境に置いたからも原因だけど、皮膚の感じとして春が早い…、ように思えてしかたない。




午後。
眩い陽射しの中、生け垣のベニカナメモチを剪定する。
枝葉がよくおごってる。
英語圏ではレッドロビンというらしいが、この辺りでは紅カナメの名が通る。
今やどこにでも見られる生け垣樹の定番だけど、20年ほど前はあんまり日本じゃ見かけなかったと思う。
急速に増えたのはホームセンターなどの園芸コーナーの販売促進の功あってのものだろう。実際わが宅もそれで導入したわけだし…。
夏場の害虫駆除をのぞけば、廉価で、成長早く、冬夏の寒暖にも強く、なかなか頼もしい樹木だ。なのでレッドロビンというより、ロビンウッドとシャレたい感もチラリンコ。




剪定道具は電動バリカン。
これは俗称でヘッジトリマーが正しいが、ま〜、どうでもよろしい。
剪定バサミでチョキチョキに較べ、ブゥゥ〜ン、バリバリバリ…、いささか樹木には乱暴な感もあるけど、便利じゃ〜ある。
今回は今年初めての剪定。7月とか8月に2度めの散髪ということになるんだろう。



散髪後。整髪剤なし。


早めに作業を終えたので、寝っ転がって久々に、バラードの『時の声』を読む。
この短編集、とりわけブック・タイトルの「時の声」は、何度読み返しても不明がプクプク浮き上がる。
字づらの表層を読むのではなく、感覚で読むべきな作品だ。
だから"読み込もう"とすると拒まれる。
流れるままにイメージを浮かせたがいい。
が、そうであってやはり、そのプクプクが乱反射する。
接するたび、味が違い、微妙に光景が違う。
だから…、繰り返し読んじゃ〜、沁みびたる。



ハッピーな話じゃない。
なにしろ宇宙が破滅しかけている頃の話。
私的解釈で云うなら、膨張宇宙が収縮に転じた世界でのヒトと生物の物語。
事象のいっさいがケッタイなことになっている。
時間が逆流しはじめている。
4時の後に3時が来て、前進でなく後退がやってくる。
時間そのものが眼前のカップ麺(今これを書きつつ食べちゃってるんで)みたいに眼に見える"存在"に可視されて、麺が延び、カップの熱さがさっきより低い…、って〜なアンバイを逆順に味わう。
その退行ゆえか、麻酔性昏睡状態でヒトの睡眠時間はやたらにながくなっている。
そこの描写にバラードの筆致がさえる。
カップ麺は出てきませんので念のため)


お気軽に読もうとすると、イメージの擾乱に困惑する。
いまだ映画化されないのも頷ける。
とても映像化向きな作品でありつつ、映像の技量というか、映像作家のそれが、本作の真髄についていけないようで、『マトリックス』のようなアクション的割り切りが出来ない。単純にはとっかかれない。



※ 原書

光子がざわめいている。周囲にきらめく音のスクリーンを見つめながら、イソギンチャクは着着と膨張を続けた。
――――――中略―――――――
一度知覚した音はすべて無視して、イソギンチャクは天井へと注意を向けた。天井は、蛍光灯からひっきりなしに送り出される音を受けて、それを楯のようにはね返していた。狭い天井から、ある声が、はっきりと、力強く、無数の倍音と織りまざって流れこんでくる。大陽が歌っているのだ…
※ 吉田誠一訳 創元推理文庫


このイソギンチャクの"自意識"は、宮崎駿のあのオームが幾重と伸ばす触角が感じるイメージに似て、きっと宮崎監督もこの『時の声』を読んだろう。肉化したのだろう…、そう空想したりする。


でも時に強硬なまでの割り切りが功を成すことだってある。
みなもと太郎の『風雲児たち』はきっとその1例。
徹底したギャグと画風で歴史を文字通りヒトコマに切り分け見せた手腕は、小説でもなく映画でもなくマンガ表現のエベレスト登頂だったと思える。
なので、そのうち誰かが映画として『時の声』にトライするだろう…、と希求しつつ久々の読了。そのあと甘い午睡。



「再読」と云うね。文字通りで解説不要だ。
ボクの場合で恐縮だけど、頻繁に「再読」する。
1つには、即行で憶えられないというのもあるけど…、もうイッペン、さらにもうイッペン、と味わいなおして消化したいという気分あってのこと。
それで近頃はこれを自分の中では再読とは云わない。
「牛読」と云う。
口をモシャモシャの牛の反芻のようで、適語じゃなかろうか、ギュウドクは。
そも、反芻というのは、1度飲み干した食物を口にもどして噛みかえす動物たちの食性を指す「Rumination」の和訳で、
「先生のコトバをハンスウする」
というのは明治期に生じた流用なんだそうだから、「再読」よりボクには「牛読」がふさわしいのだ、感じとして。
読みつつ寝ちゃうのも、なんだか実の牛には悪いが…、カップ麺喰ったんでまた横になってゴロゴロしちゃおかと…、牛っぽいしィ。



え〜っと、ちなみにカップ麺は、紙フタを全部取っ払わないのがクセなんだってば、モ〜。



でもって、お汁は残こす〜プだけど、今回食べたのがおいしかったんでェ、けっこうオラ〜呑んじまったんだ、モ〜。


ここの近江牛肉…。通販してみたいなぁ。でもサーロイン180gで3888円。買えないなぁ、永遠に〜(苦笑)。