空中庭園〜後楽園〜

すぐそばに住んでいるのに、案外と多くの人が気づいていないか、意識していないコトって…、あるよ。
たとえば、岡山の後楽園だ。旭川の中洲というカタチになっている。
園内の巨大な池と縦横にめぐらされた水路は、訪ねるたび、眼が和む。
けど、それらの水が旭川の水面より4mほど高いところにある…、というコトには眼が向かない。
そう、後楽園は広義な意味での「空中庭園」なんだ。


だのに、後楽園のオフィシャル・ホームページとかじゃそのコトに触れてない。
「歴史・概要」のページでも庭の造りやら家屋のコトだけで、水がどうやって運営されてきたかのヒストリーが、まったく出てこない。
バビロンのそれと同じく、後楽園は実に偉大な工夫が凝らされた『水があっての』庭園なのに…。


今はポンプで毎分6トンもの水を組み上げている。
それが園内の池となり水路の流れとなっている。当然に電気代が半端でない。
夜はモーターを止める。
なので、閉園後の後楽園内の水路は流れていないんだ。
これも知られていない。
しかし、それが結局は淀みを生じさせ、園内水路に敷かれた小石にアオミドロなんぞの緑藻を発生させる原因になっている。
何度か後楽園にホタルを放す試みがあったけど、水が流れないではホタルは育まない。
実は不自然の極み、なのだ。



※ 後楽園内の沢の池にある島茶屋。

※ 園の南端、水が淀みがちな花交(かこう)の池。昨年秋に撮影。近年は改善されつつあるが…。


けども、昭和40年代前半(1965年頃)までは、はるかお江戸の時代よりズ〜〜っと、後楽園内の水は昼夜問わず流れてた。ごく自然に流れてた。
どこから水をひいていたかといえば、園からおよそ6Km離れた龍ノ口山のふもと、そこに旭川からの水を分岐させる取水口を設けて、水路で結んだ。
これは1687年(貞享四年)の後楽園着工時から14年かけての基礎の基礎としての工事だった…。
当初は取水口は5ケ所あったけど、昭和9年の大水害で現在の中区祇園の場所1ヶ所のみに再設定した。
その6Kmのゆるやかな勾配の流れは後楽園の左側、現在の蓬莱橋のやや下手に設けられた「木箱管」に入って、なんと旭川の流れの下をくぐって、サイホンの原理でもって後楽園内に噴出する。
これが旭川より4mも高いところに池を出現させ、かつ園内の水の流れの演出となっていたワケだ。
昼夜問わず、それも電気代ゼロ円で水が循環すれば、後楽園の環境は今よりはるかに天然で、当然にそれに応じた植物なんぞも育っていたことだろう。
素晴らしい。
およそ50年ほど前までは、そうだったんだヨ。



※ サイフォンの原理



※ 上空からみた龍ノ口山麓(中区祇園)の取水口


6Km弱離れた龍ノ口山のふもと、旭川の取水口は今も整備され、なかなか良い環境に置かれてる。
そこで分岐された水は旭川荘(岡山県立支援学校)の裏手を今も綺麗に流れている。これは祇園用水といい、シーズンになるとホタルが舞う。
この水路は少し進むと分岐され、その内の1本が後楽園にまっすぐに向かう。それが後楽園用水だ。
が、それを辿っていくと、アレレレ…、就実女子大学の横から岡山プラザホテル横あたりでは宅地化で邪魔者扱いされ、土中に埋設された土管みたいな扱いになった末、後楽園のところで…、旭川へと結ばれるカタチになって、今、水はまた旭川へ返されてるんだ。
というか、捨てられている。


なんでそんなバカなことになってるかといえば、昭和30年代の後半に龍ノ口山のふもとに、旭川荘関連の養豚場が出来、その汚水が流れて後楽園にやってくるかも…、という懸念が生じてのこと。
それで後楽園のそばに機械施設を設け、ポンプに切り替えた。
後楽園すぐそばの旭川から直に取水することになった。
そうこうする内に後楽園と龍ノ口を結ぶ水路界隈も宅地化がドドンと進み、「どうせ使わないんでしょ」ってな感覚で水路はちぎられたり地下排水口みたいなアンバイにされ、今にいたるというワケだ。



※ 赤いラインが後楽園用水。プラザホテルの真横を通るが、埋設されているから判らない。


しかし、それから50年が過ぎ、旭川荘も綺麗に整備されてもはや汚水は生じないのだから、モーターポンプなんかやめて、水路利用の本来に戻すべきとは思うんだけどね〜。
ポンプの電源を落とせば水が止まっちゃう今の後楽園は、過去の叡智と努力を活かしていないんだ…。
後楽園のオフィシャル・ホームページは、ホントはこの6Km弱の長大な水路があっての「空中庭園」としての後楽園であったというコトをチャンと記すべきと思うんだがなぁ。
ま〜、「幻想庭園」というのも悪くはないですけど、集客がための催事イベントと後楽園造園の根本原理は違うハナシ。
なが〜い眼で後楽園という存在を見直し、100年先200年先の「岡山が誇れる文化遺産」として、やはり、ポンプじゃなくって龍ノ口山のふもととを結ぶ水路の復活に向けて努力すべきと思うんですがなぁ〜。
さらに云えば、その水路もまた観光資源に値いするものなんだ。
旭川・そこから人工で造られた独自の水路・人工の浮き島後楽園。この3つを同列で再考察すべきと、思う。



総社の備中国分寺五重塔が倒壊したさい県の文化課にいて復興に尽力した臼井洋輔も、『岡山の文化財』(吉備人出版)で、
「水こそが後楽園の生命である」
と、高低差を巧みに利用した江戸時代の叡智に感嘆している。
臼井によれば、旭川本流は龍ノ口山付近から後楽園までの間で9m落下しているのに対して、後楽園用水は同じ距離ながら5mしか下がっていないために、この人工的に作った4mという差が、旭川より4m上空へ水を運ぶ…、と記し、現在捨てられているその水量は、ポンプ汲み上げの倍という。
「この量こそが後楽園を最も美しく仕上げる設計時の水量であったはず」
現状を愁いている。
同感だ。