サバ缶 百花繚乱

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 何10年もさほど日の目やら脚光を浴びることなくお過ごしであったサバ缶たちが、いまやメチャな活気ワールド。新缶あいつぎ、乱世繚乱のせめぎあい。

 価格抑制のためか、奇をてらったか、缶オープン部分が紙製になったモノも出て来て、ハチャメチャの賑わい。

 サバ缶風味を提供というコトでビニール袋入りな廉価なモノまで出てきちゃってる。(なのでサバ缶じゃないけど)

 新造は濫造につながり、缶のプルトップ部分が硬すぎて、指で引っ張るだけじゃ開かずで、プライヤーでオープンし申したというテイタラクな新参粗製缶があったりもする。

 

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                      紙製の蓋

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               開けるのに難渋する缶
 

 新発売続々で、サバそのものの漁獲が需要に追いつかずで品不足になってるともいい、必然として原材料の値が上がり、なんだか実に嘆かわしい。

 ついこの前には、こんなのまで、出た。

 

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 ロング缶だ。

 缶ビールじゃあるまいし……。缶詰というカタチは、手のひらサイズが普遍的価値有りとボクは思ってる。

 その大きさをば無視しての、逸脱。

 神戸の巨林ジャパンという会社が販売で、中身は韓国製造。(韓国輸入のサバ缶はこれが唯一と思う)

 ブランド嗜好も国産指向もないけど、ゥムムム。ブームに便乗するには目立つに限るという発想でのロング・サイズかしら?

 ツナ缶みたいなオカズの一部分になりなさいとの……、家族団らん数名の夕食の一品として用いることを想定してのものじゃあろうけど、「売るがための新提案」というだけの代物にみえないコトもない。

 “缶を開けたらそのまま食べる”で50年一筋の原理主義者には、これは困った弱ったなロング缶。

 1人の孤独な缶喰らい、として苦言するなら、

「食べ切れないじゃないか」

 ということになるし、そも、こんなサイズで缶詰めなんて、

「美しくないじゃんか」

 ともブ~たれる。

 特に後者の、「美しくない」のウェィトがでかい。

 このロング缶では、箸を缶内に突っ込まなきゃいけね~。シラサギが長いクチバシで餌を突っつき喰らうようなアンバイになって、この挿入、まことにみっともね~、と思う。

 家族団らんの夕食の一品としてか、缶裏に「さばのキムチチゲ」とかのレシピが書かれてたりもして小さな親切も含まれてるけど、サイズゆえに滑稽で、何やら貧相で貧寒、

月天心 貧しき町を 通りけり』

蕪村が眺めた寂しき情景の中に置いていいような、

「侘びしい夕食じゃなぁ」

な感が拭えない。ならばいっそ、ビニール袋に入ったヤツの方がこの場合、経費はもとより、寒中水泳の我慢の高徳ありっぽくで、いさぎよい。

 

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 なんて~コトを思ってたら、さらにまた出たロング缶……。

 これはニッスイ、国産だ。

 けども、

『コク旨みそ煮』

 は、ま~よいとしても、

「CANから惣菜」

 というような余計ゴトが書かれてるのが、好かん。

 さらに、

「ごはんのおかずに」

 だなんて……、お節介が過ぎるロング缶。

 とにかく売りた~い! の気分が缶周辺20センチ四方に漂ってやしないか。

 

 しかしま~、ブ~ブ~云いつつも、缶詰という存在は大好きでありまして、ヒトの発明品の中では筆頭に置いていいのじゃないかしら? そう思って久しいし、わけてもサバ缶というのは特段にイケてますなっ。水煮のクセある風味、骨までサクサク味わえる歯ごたえの妙味、味噌煮のお汁の旨味……。飽きませんね。

 

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 上写真、福井生まれのS君がついこの前にギフトしてくれた2缶。

 福井県西部の小浜オバマの産、いわゆる北鯖、お江戸の時代にゃイチバン重宝されてたサバどころの缶。

 サイズといい控えなパッケージの色彩といい、こういうのが王道だ。とはいえ今は、需要に供給が追いつかずでノルウェーのサバを原材料としてるようだ。惜しいが、ま~、しかたない。ノルウエーのサバであれ、小浜で味付けた缶というところを感じるべきな逸品だ。

 

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 これまた先夜にKちゃんがくれた逸品。一見は鯖寿司だけど~、実はカマボコの上にホントのサバがのって、絶妙に美味しいというお品。以前にも紹介しましたが、サバ缶ではないけどサバつながりで語るに価いする長崎は天草の特産品。

 

 で、このサバ缶爛熟期にあって、ボクにとっての”良いサバの缶詰”とは何か?

 そこをホントは、掌握しなきゃ~いけないワケなんだ。

 新缶出るたび「おっ!」っと右往左往してたんじゃ~ヨロシクない。ボクらにとってではなく、ボクにとってが肝要だ。

 缶詰に対して、「ボクはあんたが好きだから」の理由付けを申せるだけの、『顧客』としての位置掌握が出来てないとダメだと思ってるんだ。

 たかがサバ缶とあなどっちゃ~いけない。そうでないと、”いいね”ボタンを押しちゃうだけの、欲望社会の波に浮くだけの、『消費者』という名の情けない身の上に落ちちゃうぞ。

 あえてしっかり意識的に偏屈なばかりに、己のが嗜好の指向を思考し、いつナンドキでも、

「あ~だこ~だ」

 と云えなきゃいかんね、サバ缶に。

 コンシューマー(消費者)とカスタマー(顧客)は近似はしてるが、別物だ。

 サバ缶から見たボクは、平均化された群像の中のただの消費者か、サバ缶そのものが恐縮する顧客になりえるかが問われてるんだ……、などと形而上っぽく云ってりゃ、サバ缶の旨味の質具合がミリ単位で測量出来るように思ったりもしているワケで、ま~、そういうコトで云えば、ロング缶は今後2度と買わない立場に立ってサバ缶ラブの旗を振ろうじゃん缶。