前回のブログを書いた頃に、Mac Proがメチャに不調になってた。
修復に時間と経費がかかる公算が大きく、修理は断念。
過去何度かの不具合は本体設置場所(半地下で床置きで湿気含有が高いと思われるコンクリート壁ぎわ)が元凶かもと考察し、床置きでないタイプとしてのチョイス。
あえて、iMacに変更。
嬉しくない……。
登ってもいない山から急に下山させられるような急な展開が落ち着かない。
Mac Proから複数の内蔵ハードディスクを外し、外付けのケースに収納し直し、それらがiMac上で可動すべくChikaちゃんに作業してもらう。
セッティング中のChikaちゃん
「まっ、いいじゃないですか。まもなく国から10万円入るんだから、1/3ほど助成してもらうと思えば」
そんな刻印いらんわい……、交換作業中、ブ~ブ~、ウィルス騒動の不満を口にした。
とはいえ、外出自粛のさなかに駆けつけてくれたChikaちゃんには感謝ビッグ。
迷える老羊と化しかけた当方には有り難い光の存在。
復旧の安堵とリニューアルでのサクサク感とiMacの5Kモニターの鮮明に驚きつつも、慣れるんかしら、既存モニター2つを活かしたトリプル・モニター仕様。
2mに近いテーブル幅いっぱいのコックピット感に威圧されつつ、しかしこれはこれで半日も経つと、利便と操作の容易さに、もう元に戻れないかも……、とも結果オ~ライで思うのだった。
けどもまた一方では、Macが新たになるたび、このパーソナルなコンピュータにかつては感じた”自由っぽい”エッセンスが剥離し、パーソナルを型枠にはめ込むような「おせっかいな仕様」のアレコレの増長に、
「うむむ……」
な感想もまた肥大するのだった。
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
映画を2本、DVDで観る。
どちらも原作がカート・ヴォネガット・ジュニア。
1本はもう何回も観た『スローターハウス5』。
1本は、これはつい最近まで存在を知らなかった『ブレックファースト・オブ・チャンピオンズ』。
え、そんな映画あったのか……、と慌てたらあんのじょうもう絶版になっていて、しゃ~ない、amazonで中古DVDを買った。
1973年のヴォネガットの『チャンピオン達の朝食』が原作で、主役がブルース・ウィルス。『アルマゲドン』を撮った翌年、『シックス・センス』を撮る前、1999年作品。
なんでこの映画をボクは知らなかったんだろう? それに、たしか文庫本を持ってたはずなんだけど、書棚にない。
ま~、それはどうでもいい。
ヴォネガット作品ではお馴染のキャラクター、キルゴア・トラウトをアルバート・フィニーが演じてる。
■ 『スローターハウス5』
これは原作を先に読んだか、TV放映を先に観たか、もう記憶がないけど、呆気にとられたような面持ちで接し、時間と時代と空間が観覧車みたいにクルクル廻ってる展開にずいぶん衝撃させられたもんだった。
いや、観覧車という例えはダメだ。均一に一方に廻ってるのじゃない。主人公が置かれるのは予想できない「痙攣的時間旅行」で、42歳のある時フイに27歳のある時の自分に戻ったり、病院のベッドに横たわってる内フイに時代の違うドイツだかベルギーの雪中に寝そべっていたりするが、その雪中の冷たさは既に主人公が経験している過去でもある。
原作に出てくる、あの有名な”So It Goes,”という言葉はこの映画では出ていないけど、知らず、
「ま~、そんなもんだ」
と、ボクはボクなりに日本語をあてて、しっかりこのフレーズが好きになって随分に久しい。
日々眠るたびにみてる整合性のない夢みたいなアンバイながら、1つ1つのシーンは明確で、なぜならそれは主人公ビリー・ピルグリムの実体験であって、ドレスデン空爆による捕虜体験やらトラルファマドール星でのポルノ女優との動物園での素晴らしい生活やら、そして自分の死がどのようなものでどのように訪れるか、やらやらが、ランダムに突然にめぐって、その一方通行でない時間概念の持ち出しに、かなり驚いたもんだ……。
そも時間そのものが1つの”次元”で、その次元のさなかに個人存在というものが断片のようにあって、生誕も、戦争も、恋も、死も、その時間次元にあっては断片、だから死は最後に来るものではなく恐怖でもなく悲しいものでもない……、というようなアンバイの連輪に若いボクは随分と感化されたもんだ。
生まれ変わる輪廻な仏教世界でもなければ、絶対の神がいるわけでもない。
だから醒めて眺めれば、この映画の1つ1つのシーンはどれが重く、どれが軽いとかいう比重比較は意味がない。
ドレスデン空爆による悲惨も、ラザロという男の執拗さも、太らないようダイエットで頑張るわ~のビリーの滑稽なワイフの息遣いも、皆な均一の体験ということになるし、それを連続の映像として自分は眺めてるだけというような見方も、できる。
その均等っぷりに、ドレスデン体験がトラウマになっている作家ヴォネガットの自身への救済法というか心のバランス法が潜んでいると思われるけど、久々に観た感想は、
「ま~、そんなもんだ」
の1語に要約しておこう。
ただ1点、ドレスデン市街爆撃後のドイツ少年兵の慟哭シーンは、ヴォネガットの主題からそれている。監督のジョージ・ロイ・ヒルが過剰に感情移入し、原作の原作たる主題から外れて浮いている。そこだけが惜しい。
ビリーを演じたマイケル・サックルはこの映画がほぼデビューで、その10年後には映画界から去ってサラリーマンになった変わり種だけど、常にどこか微笑しているような表情が、重い題材なのに軽やか味がたえない造り(原作も映画も)に良くマッチしてポイントが高い。
■ 『ブレックファースト・オブ・チャンピオンズ』
これは、再見してから感想を固めよう。初見では見落としが多すぎる。というか、観賞中に用あって中座。30分後にまた観たんだけど、どうも集中に欠けた。映画に申し訳ない。
ブルース・ウィルスはランニングシャツに銃もって駆けずり廻らずとも、七三ヘアでメガネの普通なヒトを演じてもイケてる。とりわけこのブラック・コメディのような映画では、数多な彼のアクション映画にみる尖った所のいっさいが溶ろけたチーズみたいに丸くなってコミカル味が増幅、なかなかヨロシかった。
あえて乱れたカツラ頭を晒したブルースの覚悟と意気込みが天晴。
初見ではメチャに面白い映画とは感じなかった。
強面のニック・ノルティが女装やら、ヴォネガット作品ではお馴染のローズウォーターさんが原作本の挿絵の通りに出てきたりで、ニヤッとするけど、通して顧みると、さほど印象が残らない。
ブルース演じるドウェン・フーバーとアルバート演じるキルゴア・トラウトの視点の置き所を、再見時では注視しよう……。たぶんそこが要め。ほぼ、そうはみえないけど徹底したSF映画の旨味が隠されてる。
この映画にはカート・ヴォネガット自身が、ある役で出てる。これにはちょっとたまげて北叟笑んだ。実のところ、この作家が動いてる映像を見たのは初めてなので。
メーキング映像ではこの映画についても語ってる
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
昨日、amazonから荷物が届く。
「何だ?」
訝しみつつ開封すると、ぁあ、発売日だったのね。
予約注文してたの忘れてた。