ひさびさ『モスラ』

 

 昨日、四十九日の法要と納骨。

 葬儀以後、仏間の仏壇横に祭壇が設けられていたけど、納骨済んでそれが片付けられ、マザ~はカタチとして今度は仏壇の中へと移動した。

 

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 これで忌中が解除され、今日から1年は喪中というカタチになる。

 むろん、仏式世界観でのハナシであって、チョ~厳密その”規定”に準じたりは、しない……。

 

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 正月にはお雑煮も食べたし、お屠蘇も早朝より味わって、この前はセリにナズナにぺんぺん草……、七草粥もすすった。

 なので毎年とそう変わらない。年末に新見で買った三光正宗の一升瓶ももう空っぽだ。

 

 新年早々、映画にもいった。

 昭和36年(1961)の『モスラ』。

 

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 4KでレストアされたのをTOHO岡南シネマで、観た。

 懐かしい。

 津山駅前の東宝(今はない)で、両親に連れられて観たのが7歳の時だわよ。

 よくおぼえてる。

 座れなかった家族連れは通路に新聞紙を敷いて座ってる。館の左右壁ぎわと背後は立ち見の人がどっちゃり。超満員というのは、こういう状態をいうんだ。満員になることを想定して新聞紙を映画館に持っていくのが一部では常識というような時代なのだ。(信じられないでしょうが本当だよ)

 今のように入れ替え制じゃないんで、席が空くのを待つしかない。

 うまいコト、亡きファ~ザ~が2席を確保し、マザ~とワガハイは着座し、ファ~ザ~は館のどこかで立って観たと記憶する。

  カラーTVなんぞはまだない時代だから、”総天然色”のこの映画に接した津山の7歳男児は、強く感化された……。

 色彩の豊穣と絢爛に眩んだ。

 

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 その『モスラ』に、半世紀の差月を経て、映画館で会う。

 当然に感慨が、で・か・い

 ましてや4Kでの再生だもん。

 フィルムに本来定着している鮮明な映像を当時の映写技術でなく今の技術でもって見せるという企て……、その”総天然色”の極美を61年経って味わえるというのは、いったい、何やろ?

 ま~、感涙したりはしないけど、

「おほ~~I」

 眺めつつ、感嘆符を幾つとなく無音で発してた。

 ザ・ピーナッツが唄って踊るシーンの、その背後のホリゾントに描かれた絵の、筆の運びが判るほどの明瞭さに、4K画質の旨味と極美を知らされた。

 

 もはや、7歳の子供ではないんで、アレコレ当時の様相が多少は判ってる。

 怪獣映画という枠組みの中に時代批判を含ませた、中村真一郎+福永武彦+堀田善衛、3人による原作の醍醐味……。

 その原作をフイルムにまとめた脚本の関沢新一と監督・本多猪四郎の巧妙。

 日本滞在中の米国人に向けては日本警察が主導できず、駐屯のMP(米軍憲兵が動くというあたりの実態を、実にさりげなくも見せて、”占領下状態”の現実をチラリと垣間見せたり……。(云うまでもなく昭和36年当時、沖縄は日本じゃない。郵便切手も「琉球政府」発行の独自なものだった)

 

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                1994年に限定刊行された原作本

 

 むろん、この映画は日米安全保障条約のイビツを訴えるものじゃ~ない。

 ないけれど、日本の置かれたカタチを密かに開示して、ただの子供向け怪獣映画じゃなく、子供を連れて観に来た当時の大人にもインパクトをあたえるべく作られているのがアリアリ判り、そこの奥行き、フトコロのデカサが素晴らしい。

 が、そんなシーンの巧妙な味付け以上に、こたびは、当時のミニチュア・ワークの素晴らしさとその色彩感に、衝撃をうけた。

すっげ~~!

 一言でいえば、ま~、そういうこっちゃ。

 常々にそうだとは思ってたけど、いざや映画館という”特殊環境下”でひっさびさに本作に接してみると、とにもかくにも凄いんだ。

 CGを駆使した昨今の映像じゃなく、ほぼ全てが手造りの凄みと、それがもたらす醍醐味の目映さだ。

 モスラの幼虫も成虫も、壊される町も、かの東京タワーも、すべてが手造り。それを大勢で動かしている撮影現場の深度に震撼させられた。

 わけても、東京タワーに繭を作るまでのモスラ幼虫の、動きの素晴らしさ!

 4Kの鮮度と鮮烈が、その震撼をいっそう揺さぶって、

「いやぁ、まいった。降参だぁ、めっちゃ素ん晴らしいわい」

 目ん玉が、うっろ~~ん、虚ろになるほどだった。

 

 ま~、退屈な部分も、むろん、あった。

 すでに何度となく自宅でDVDを眺めた身、シーンの1つ1つをおぼえきっているゆえ、物語を追わないでイイ状態からくる常習的慣れっこが、タイクツ温度となる。

 その温度があがるたび、手にしたコーヒーをチビチビすすり、自分を戒めたりも……、した。全身全霊でもって『モスラ』に魅入った7歳の子供時代の自分に還ろうとしたワケだ。

 当然……、還れるワケじゃ~ない

 けどイイのだ。

 この映画を子供時代に観たおかげで私はやがて、模型業界に入っていくワケで、何を隠そう、業界でのデビューとなる原型製作が「モスラ誕生」という作品なのだったし、それが起因となってだったかは忘れちゃったけど、やがて、Kuyama殿下という盟友を得て、今に至るも彼の模型技巧と視点に常に嫉妬かつ羨望するというハメに陥って久しいのだっちゃ。(^^)

 

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             80年代前期にキット化された、我が「モスラ誕生」

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  既製品にあらず。Kuyama殿下のオリジナル作品。この写真のみでは迫力とリアルが伝わらない……

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                  別場所、PCモニターの前で撮影

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 こたび当方宅にある殿下のこの作品を写真に撮ろうとして、難易度の高さをつくづく痛感。撮影するには実に難しいのが、タワーと繭とモスラという組み合わせだぁ〜ね。

 折れたタワーの奥行き、羽の幅、焼け焦げた繭のサイズ……、1枚でおさまらないんだよ……。

 この模型が持ってるゲキレツなインパクトと魅力を伝えきれない。

 

 だから東宝作品『モスラ』の撮影は、とりわけ、この成虫が誕生したシーンは、大変だったろうと、いまさら強烈に感心した。撮影用模型はサイズも半端じゃない……。

 縮尺模型がただの模型としてでなく、映像というリアル空間の中で呼吸すべくアングルを考えに考え、最良の撮影を行った円谷英二に……、ブラボ〜〜! 今になって拍手喝采するんだった。

 

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         東京タワーのセットを見上げる原作者3人。右から福永、中村、堀田。

  芥川賞直木賞の作家3名がこの映画の母体というのも凄いけど、この撮影模型のサイズにも驚く……。

 

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モスラ』の1シーン。ずいぶん田舎に見えるが実は渋谷だ。昭和36年当時の渋谷界隈はこんなにローカル。

 このシーンが撮られた3年後には東京オリンピック〔1964-昭和39年)が控えていて、渋谷界隈はその工事がアチャコチャで進行中だったそうで、その辺りもミニチュア・セットとして再現されているのもまた素晴らしい。

 

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 上記のシーンを幅30㎝ほどのサイズで再現した殿下所蔵の模型。当方の稚拙な原型がKuyamaマジックで躍動。模型の台座ベースにあわせて自作されたアクリルケースと背景カラーがマッチして、1つのほぼ完璧な小世界。「アクアリウムモスラ」と名付けちゃいたいほどの出来映え。

 

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              我が宅にある別作品、通称・井上モスラ

 

 まもなく、『サンダーバード55/GOGO』も観に行くことになる。

 これはこれで、ゲキレツ激痛なほどに興味シンシンなワケで……、いささか食滞ぎみなCG映画じゃなく、模型活用を前面に出した映画なのニャ。

 なので『モスラ』に次いでの、連打。

「ミニチュア模型-再元年」

 というような、昂揚ぎみな気分の、2022年の年明け10日め。