あらあら、8月ももう終わり。
日中はともあれ、気づくと、朝夕やたら涼しい空気になって、これはこれで、
「ちょっと早過ぎやしない?」
妙な心配に駆られもするんだった。
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諸星大二郎の『西遊妖猿伝』の最新刊が1年ぶりに出たので、ワクワクしながら読む……、のではなく、まずは、その前編、1年前の「西域編/火焔山の章」第3巻をば書棚からおろし、最初っから読み返す。
ストーリーやらコマ割やら、6割くらいは覚えているけど、4割ほどはやはり忘れてる。
なので、復習だ。
これが、ま~、実に、愉しい。本番前の前戯と云っちゃ~何だけどぅ~、読みたい気持ちチョ~ゼツ・ビッグな新刊を横に置いて、我慢しつつの復習……、というのが……、イケてるわけだ。
1年1冊のペースで進む諸星のこのシリーズは、我が数少ない愉しみコミックス。
愉しむ時間を多く取りたくもあり、なので復習から始めるんだった。
次の5巻は来年か? 読了後の、
「ぁあ、続き読みてぇ~」
な、イジイジさせられる気分は1年後の楽しみだっ。これもまた諸星・時間と思えば、苦でもなんでもないわいな。
こたびも、たっぷり味わった、諸星もたらす漫画愉悦。
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過日のサンデー。ルネスホールでの「スチューデントジャズ」。
馴染みある高砂高校・ジャズバンド部のステージを味わう。
高校生の若さ……。
良いねぇ。自分はもう通過してしまった年齢じゃ~あるけど、16~17歳だった頃の自分とステージ上の彼女彼ら達の演奏と振る舞いを眺めると、懐かしい感慨が湯のように沸く……。
その年齢、ホントは、生意気なホドに良いのだ、ぞ。
なぁ~んも判っちゃいないけど、判ってるような大きな顔が出来る特権ある年齢が、16~17というもんだ。
なのでドンドン、ヤンチャであっていいのだし、ヤンチャであるべきなんだ……、と思う。「萎縮」とかいった単語とは無縁であるべき年齢なのだからな、な。
ま~もっとも、上記のごとく教条っぽい云い方が出来ちゃうのが、こちとらの、老いたる証しでもあるんだけど、けどけど、それはそれで、やはり、老境という境いに分け入って、その未知なワールドを“戸惑いつつも愉しんで放っつき歩いてる”という証しでもあって、16~17歳では味わい知れない領域の醍醐味もまた、あるんだな、これが……。
何のこたぁ~ない、10代とて60代とて、それぞれ特権があら~ね……、というだけのコトなのかもだよ。
ただ……、1年生の時、2年生の時と、コロナ禍ゆえに発表の機会のないまま過ごさざるをえなかった不遇は、とても気の毒だ。
味わうべきを味わえず、経験できたであろう機会を封じられるままに3年生となっているワケで、ようやくステージ上のヒーロー・ヒロインになれたとはいえ……、コロナで損した2年間は、60代の当方のそれよりはるかにでっかい大損だったろう。
ま〜ま〜、だからこそ、もっとヤンチャで弾けてイイのだぞ……、とエールをおくってもいる次第。
もっとも、ジュール・ヴェルヌの『2年間のバカンス』(私が子供のころは『十五少年漂流記』という邦題だったね)では、エリート系の学校の生徒らが漂流し島に流れ着き、以後2年、その逆境の中で通常の学校生活では味わえなかった日々をおくって、逆にググ〜ンと成長する。
そんな“事例”を思うと、高砂高校ジャズバンド部の連中とて、この2年間が「無」であったワケでもないだろうな、逆境がゆえに逆に得たものもまた、あると思う……、きっと。
何人か、この先、グ〜ッと伸びそうな子がいたのも頼もしい。
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明日の朝は粗大ゴミの回収に業者さんがやって来る。
乗らなくなった自転車3台、マザ〜が使っていた座椅子セット、でっかく重いスキャナーなどなどをゴミとして、出す。
(岡山市の場合は自転車1台500円、スキャナーなどは1ケ200円で、1回につき10品まで引き取りに来てくれる)
そのうちの1品。台所の奥にあったサンヨーのトースター。
かつてこれでパン焼いてたんだなぁ……。ほどよく焼けた頃合いに勝手にジョキ~ンって音たててパンを排出するアンバイとか思いだすし、花柄が時代を反映してもいる。真鍋博のパターン・デザインだっけ?
捨てるには惜しいような懐かしみがあるんだけど、ま~、持っていてもしかたない。写真をば撮ってデジタルで残すことにしちゃう。
すでにとっくにサンヨーという会社はないけども、いつでもどこでも、パンの焼ける良い匂いがあれば、このスガタカタチを思いだすのだろう、な。