赤磐市の熊山遺跡に初めて出向く。
ず~っと以前よりイッペン行ってみるべし……、とは思ってたのだけど、常に忘れていた場所。
過日、柔道家と電話で話してるさなか、彼のクチから、
「でぇ~れ~山ん中にあるらしいな」
フッとこの遺跡のコトが出て、
「ぁぁ、またぞろ忘れてたなぁ。ならば、行こうやっ」
という次第で、彼の車で細い山道を駆け登る。
チョイっと不安になるくらいの、細道が延々。
山頂付近に駐車場。
ガラ~ンとした駐車場から徒歩トホとほ。
樹木に覆われヒンヤリした坂道を登ること、およそ20分。
ようやく遺跡に到着。
熊山全域が登山コースなので、それなりの格好をした方々も、来ていらっしゃる。その方々は当然、麓の駐車場なんぞに車を置き、自らの足動かして登ってきたんだろう。
右端に柔道家。写真を撮ってる
日本では希有なピラミッド的構造の遺跡というけど、実際に眺めると、さほどピラミッドを意識させられるワケでもなかった。
仏塔、だ。
ピラミッドうんたらかんたらよりも、こんな山中に、奈良時代、石組みというか石積みの仏教施設が作られて、今はその一部が遺跡として残っているという事実に、感心しきり。
3層構造の塔の周辺にも石組があって、かつては極めて大規模な施設だったんだろう……。
奈良時代とは和銅3年(710年)から延歴3年(784年)までの、僅か74年間を指すらしいが、奈良・平城京から遠く離れた地で、仏教活動の1つとしてこれだけのモノを作ったのだから、たいしたもんだ。
もちろん奈良の大仏もこの時代に造られたワケだけど、奈良から遠い辺鄙な山中に大勢の人が入り、標高508mの山頂に石を運び、石のサイズを吟味しつつ、正確に積み上げてった。
自ら造ったこの仏塔に向けて手をあわせたり、景色を眺めたりしたのはマチガイないだろう。
景観は圧倒的。
吉井川の蛇行、瀬戸内海、四国もクッキリ見え、雄大な空間の拡がりが眼下にあってかなり感動させられたが、仏教というカタチが地方のこんな山の奥にまで浸透しているというか、浸透させるべく、野火のように拡がっている証しがここに有りと思うと、感動の輪がさらに拡大する。
木造でなく石積みというのが謎で、そこがま~、熊山遺跡を高名にしているんだけど、当時、石積みでなきゃ~いけない何からの理由か必然があったんだろう。
しかも、周辺には大小32基もの類似な遺構(ほぼ崩れている)があるそうだから、相応というより、相当なヒトが毎日、この熊山界隈を訪ねていた時があったんだろう……。
室町時代頃までは山中に霊山寺という寺もあったそうだから、山道には、茶店みたいな休憩所っぽいのも複数はあったろうと想像もするんだけど……、ぁあ、しかし、いわゆる茶って~のは平安時代の初期、805年あたりに日本に入って来たというのが定説だから、熊山の仏塔建立の頃には、老いた夫婦が細々とお茶を売ってるワケがない。
登頂するヒトは、石清水でノド潤し、そこいらにペタッと座って、
「ありゃま、天気いいのに雨降ってきたぁ」
なんて~呟いたコトもあったんだろな、たぶん。
今のように車で山頂付近まで登れるワケじゃない。弁当めいた食い物も持参必需だったかも……、しれない。
普段は写真を撮らない柔道家がしきりにシャッターをきってるが、100kg級の彼を手前に置くと遺跡が小さく見えるのは困ったもんだ。
この場所の夜中をフッと想像する。
山中の途方もない闇と静寂。数多の天体。幾つかのタイマツの灯り。その深閑に身を置けば、自ずと霊験的情感が増大もしたろう。山岳信仰と仏教とが合体し、ここ独自のカタチが凝固したのかもしれない。
既に痕跡もないけれど、おそらくは、夜をここで過ごした人もあったハズ……。雨露をしのぐ木造家屋もきっと設置されていたろう……、などと空想するが、今こうしてピラミッド的構築物が残っているきりなのを、ただ見学しているだけのお気軽さと、その昔の人の感触の違いにはえらく距離がある。
仏教という新たな概念を迎えて、熊山山頂にこういった施設を設け、あえてその環境に自身を置いて感動を得るという、いわばバーチャル的体験がための環境造りが行われたような感触もなくはなく、そう思うと、これは演劇的なニュアンスが含まれるような「気分高揚の増幅装置としての劇場空間」だったのかもとも想像できるけど、むろん、真相不明。
1200年経過? 1300年経過?
精緻な時計を持っていても造られた日時はもう判らない。その判らないというトコロが見学のツボかもですな。不明を埋め合わせようと空想やら妄想が羽ばたくワケで。
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お腹がすいた。下山し、およそ1時間弱、柳原方面に駆けて、ジンギスカン料理の「友家」へ。
友家と書いて、「ゆうや」と読むのがイイな。
着座し、おきまりのラム焼き肉。
カルビにハラミにロース。いずれも羊のそれ。
初めて、タン、レバーを味わう。
タンは2100円のと850円のと、2つあるのだけど、さすがに2100円は……。というワケで850円の皿。
うん。充分うまい。
となれば、2100円のはその2.5倍ほど、うまいハズ。次の機会に2100円……、柔道家に捻出してもらお~と勝手にこっそり決めた。
レバーもうまかった。
モンゴル出身の店のオーナーおすすめが「ラム肉ラーメン」。
けどもう、お肉だけでお腹いっぱいぎみ。
そこで、柔道家の眼の前にこれを運んでもらい……、
「わしゃ、毒味係か?」
苦笑しつつ箸を動かしている彼の表情見極め、少量を小皿に分けてもらう。
ほほ~。悪くはないぞよ。
優雅かつ風雅に麵をすすりあげ、ラムの旨味たっぷりなスープも吸う。
中で食事が出来るゲル。パオという方もいるが、パオは中国語なので、この場合、モンゴル語のゲルとよぶのがヨロシイようで。
天の高みと地の拡がり両方を味わったような1日。チラッと、司馬遼太郎の『モンゴル紀行』と『草原の記』を思い出す。どちらも書棚のどっかにあるハズだけど、文庫本1冊を探し出すのは大変だから、探すのはよしてこれを書く。