久々だらけ

 小庭で赤く熟れたイチゴ。今年の初収穫。これが第イチゴ〜なんちゃって……、虫が囓るまえに摘まみ取って食べたけど……、ほぼ甘くなかった。

 直後より雨シトシト。

 

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 恥ずかしながら……、近頃は映画館での鑑賞ではホボ確実に、1本の映画で2度ほどトイレに駆けなきゃ~いけないという悲しい状況。

 40代の頃は直前にビール3本吞んじゃっても平気で過ごせたもんだけど、よもやそれは遠い過去のヒンニョ~1直線……

 とても落ち着かない。

 な次第で、映画館に出向くのが億劫になっている。

 その点で自室なら、映像を途中で停め、チョイっと用足しできるワケで、ラク楽。

 数年ぶりやら数10年ぶりに過去に観た映画複数を、みなおす。

  

     

 

 最近、トリュフォーの力作『定本 ヒッチコック映画術』を拾い読みし、感化され、

「おや? そうだったかいなぁ」

 Blu-rayで再確認と再発見をすべく『裏窓』と『泥棒成金』やらを見直し、

「おほ~っ」

 その良さをば、味わいなおして悦にいった。

 ただま~、いざ観始めると、両作品でのグレース・ケリーにやはりメ~ロメロになって、おベンキョ~・モードは影が薄くなってしまったんだけど、いいのだ。

 トリュフォーは指摘していないけど、こたびの再見で当方は当方なりに、

ヒッチコックは女性の求愛行動の描き方がゼッタイテキにうまい!」

 と、気づいたりするんだった。

     

 それは『』も共通で、いやむしろ、『鳥』での女性の能動的描写の冴えこそが極上と思ったりもした。

 ヒロインに母親をからませ、さらに対立構造点に別女性を置いて、ヒロインの立ち位置を明快に見せる隠し味の巧妙が、素晴らしい。

 そこは『泥棒成金』でも同構造で、ヒーローとヒロインのバックヤードに芯が入り、ぐらつかない厚みとして加味され、実に頼もしいのだった。

 ただ一点、『鳥』でのヒロインのライバルだった女教師アニーを無残な被害者にしてしまった点は、惜しいような気がしないではない。

                                         教師アニーを演じるスザンヌ・プレシェント

 

 彼女を生かしたままに映画がエンドを迎えたなら、なんだかその後の展開に深みが増し、鳥パニックだけでない、別ベクトルな男女間の危うさが示唆されたろうに……、と惜しいような感をも膨らませるんだった。

 

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シッピング・ニュース』も観る。たぶん10年ぶりくらい?

 ひとつきほど前だったかバイデン大統領が先祖の地アイルランドを訪れて当地で大歓迎というニュースがあったけど、この映画は移住移民の末裔としてのケヴィン・スペイシー扮する頼りない男の成長物語。

 主人公はひょんなコトで先祖の地ニューファンドランド島(カナダ北端の島)に住まうコトになり、村の小さな新聞社の記者になる。

 近親相姦を含む諸々な重い題材が織り込まれ、けども、その重さを重さとして提示するでなく、寓話的に柔らかにくるんで物語を回転させたワザの巧みが素晴らしい。

 主題の根本をなす祖先の家(海ぎわの岩壁にワイヤーで固定されている)の存在と、最終シーンでの台風による家の消失で映画は大団円を迎えるんだけど、複雑なタペストリーのように諸々な色や太さの糸が編み込まれて、まったく見飽きない。

 かつて10年ほど前に再見したさいは、主人公たちが食べるゲソバーカーに魅了され、真似て、スーパーでゲソのフライを買って食パンにはさんで食べてみたりもしたけど、こたびはそれはそれとして、別角度から諸々眺めみて、やはり名作だなと確信した。

 

 E・アニー・プルーの詩情豊かな原作を活かしに活かした役者たちが、イイ。

 監督のコメントを聴くに、複数の役者がアニー女史の原作を読み込んでいて、集団シーンなんぞでは、原作内でのセリフをそれぞれがアドリブで引用したりで、監督ほか制作陣は撮影のたびに嬉々となったそうな。

 主人公クオィルのケヴィン・スペイシーを筆頭に、下品下劣な元妻ペタルのケイト・ブランシェットの怪演、託児所を運営しつつ障害のある子を育てるジュリアン・ムーアの絶妙の立ち位置、小さな新聞社の社主で漁師のスコット・グレンのゆるがないチャ~ミングさ、その部下の3人の記者らの佇まい、クオィルの連れ子(映画では3つ子の女の子が1人の女の子を演じる)、そして近親相姦による被害者ゆえに同性愛に慰安を求めたジュディ・リンチのその強さと弱さの絶妙な演じ分け……、などなど、久しぶりに堪能。

「も1回、観ようかな」

 という次第でこたびは2回観て、さらに監督たちのコメント入りで観て、

「フムフム……」

 感心の波紋を大きくさせた。

 

 E・アニー・プルーの原作では厳しい環境のニューファンドランド島界隈では、霊感というか予知能力というか、見えないものを視る能力高きな人がいることを強調し、それをストーリーの要めに置いているけど、映画では超常的要素にはさほど触れず、抑制している。

 スコット・グレン演じる新聞社社主もその特殊能力を持ったヒトで、それゆえ一見さえないクオィルに光るものを見いだして記者として雇用するワケなんだけど、そこらあたりの消息を抑えているから、ほんのチョットだけ、説明不足を感じないワケでもない。けども、この1時間半ほどの映画にはとても良いものがいっぱい詰まってる。

 

 映画はやはり1回こっきり観て、みた気になっちゃ~いけないなぁ、と痛感。

 繰り返し観て、ようやく何かを掴めたり、掴めそうになったり、する。

 映画館から遠ざかれども、映画というカタチは特別だね。