日本のアチャラコチャラに残る前方後円墳は今でこそ緑に覆われているけど、ご承知の通り、造った当初、表面は石で覆われている。
壮大な石山だ。墳墓が大きければ大きいほど石もたくさん必要だから、石の収集だけでも大変だ。
石置き作業に従事した縄文末期から弥生時代中期にかけての人々の汗の総量を思うと、アヘ~っと溜息がこぼれる。
ま~、もっとも日本の場合、盛り土の上に河原から運んだ丸石という構成ゆえ、管理がおろそかになるや石と石の合間から植物がニョッキリ顔を出しちまう。
マヤやエジプトのそれは全て石。四角く成形して密着度合いもまったく違うから、植物が侵入出来るスキがないんで、数千年後の今もカタチをカタチのままに観るコトが出来るワケなんだけど……、日本の場合は墳墓の管理が手薄になるや、石と石の狭間から緑がニョキニョキ。
たぶん、造られてノチ、100年も経った頃には緑の山と化していたろうと思う。
世代が変われば埋葬者への関心も薄れ、それが例え大王であったにしろ栄華は100年も前の話なワケで、厳重に管理するにはもう遠い昔……、草が茂るのは当然だ。
当初は小さな植物が繁茂したろうけど、そのせいで石と石の隙間が拡がり、そこに大木になるコト可能な樹木が根をおろして墳墓の表層を壊していく。
ま~ま~、そんなデッカイ事を憶いつつ、我が宅ガレージ手前の石組みの解体作業をやってるんだった。
ただ積み上げているだけだったので、いったん解体し、部分にセメントも使って強度をつけるべく再構築しようと作業をしているのだった。
しかしま~ァ、石の重いこと……。
こちとら筋肉質なナイス・ボディじゃないんで、石1つを動かすのに難渋しきり。
数年前に似通う庭作業で腰をヤッチャって通院したコトもあるんで、嫌が応にも腰を気遣う。
そんなヘッピリ腰に石は応答しない。ビクともしない……。
くわえて、作業中に足が攣っちまい、
「うぎゃ~ぁ」
痛苦の悲鳴。自撮りのため同じ姿勢でポーズをとるコト数回という不自然も原因の1つなのじゃ〜あろうけど、原因なんかどうでもよくって、足が攣った事実のみがヘビ〜なリアルって〜もんだ。
そうでなくとも右手の薬指が痛いんだ。
作業前の午前中にホームセンターに出向いて、造園用のアレコレに眼を這わせてるさなか、ブロックで指を詰めちまった。
チョイっと持ち上げて手放したら、薬指の先っちょにドチャリ……。
骨折こそまぬがれたものの、これがズッキンズッキン。時間が経つといっそうズキンズキンのズッキ〜ニ。
不快。その上で足攣りコムラガエリで不快深度、ゲ・キ・レ・ツ。
「やってられねぇ~」
苦痛の二重奏にまけ、作業中止。
部屋に戻って卓上に足を投げ出し、缶ビールをあけ、憂さ晴らしに『宇宙人ポール』をば観る。
短パンにサンダルばき。卑猥な言動多々で大麻も吸っちゃうポールの軽快な振る舞いが可笑しい。何度みても、同じシーンで笑える。
この映画の存在を教えてくれたのは某ダイニングバーのY子さんだったけど、以後、我がベスト20位内でたえず浮遊している怪作にして名作。『未知との遭遇』を含めたパロディの連打の中に豊かな詩情が醸され、不機嫌を緩和す効能高きで、いいのだ。
しかし、弥生時代の古墳作業に従事した方々は、「やってらんな〜い」の気分が破裂したさいは、どうやってしのいでたんだろ?
アレコレ想像は出来るものの、当時の方々の実際の気分には遠い。
少なくとも『宇宙人ポール』で憂さ晴らしというコトがなかったのは、マチガイないでしょうが……。