今年が終わりかけ

 2019年が終わりかけですね。今日はシド・ミートの訃報……。

 多数の良きビジュアル・イメージを残してくれました。合掌。

 

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 顧みるまでもなく、今年が良い1年であったとは思えません。来たるネズミ年2020年も暗いニュースがチュ~チュ~駆け廻るような悪しき予感もありますな。

 社会世相のみならず我がコトとしても、スムーズにコトを運べたとは云えないし、反省点が多々タッタ〜でありました。

 過日の講演の日の前夜だか前々夜だったか、入浴後に換気入れ替えにと窓を開けたさい迂闊にも指をひっかけて網戸を破いてしまい(経年劣化で脆くにもなってたんだろう)、しばし放置。

 破けた網戸というのは実にだらしない風情ですなぁ。アミ部分が破けて垂れ下がった途端に家ごとボロ屋敷に変じたような寒々しい感じ悪さ。

 

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 それをチョイ前、アミやらなんやら買って自分で修理し、100均SHOPで200円で売ってたのはさすがに買わず、もそっと高いのをホームセンターで買いましたけど、

「なんだ、あんがいと簡単にアミ張り替え出来るじゃ~ん」

 ニッタリ笑ってハッタリと思うに、破けてだらしなく垂れ下がった網戸のスガタは、そのまま今の日本のカタチに通底しているような気が、しましたわい。

 

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 この年末、実に30年ぶりくらいに年賀状を書きましたよ。

 いや、わが輩のではなく、マイ・マザ~の代筆。マザ~殿はかなり耄碌し、日によって度数が違うけどボケが進行中のご様子。ついにこの年末は賀状という存在を忘れてるようで……。

 それで、マザ〜殿が毎年出してた親族関連に数十枚をば造って投函したという次第。 何故に賀状が来ないの? と親族を心配させるのも何なんで……。

 なので自分のじゃ~ないっす。

 ご承知の方はご承知の通りで、ボクは年賀状出さない主義なのでありました。

 書きません・出しません。

 ま~、それもヨロシイがな。別におへそ曲がりでもなく、ただの慣習みたいなのがイヤなだけでごんす。当然の報いとして……、届きません、賀状きません。来るのは保険屋さんとかガソリンスタンドとかな業務的なののみ。

 でもこたびマザ~殿のをこさえ、勝手に文面も造ってみると、なるほど年に1度の近況報告として賀状は機能するんだね……、ちょいと気分を和らげもするのでした。もちろん、マザ~がもう賀状が出せない状態ならば、さらなる翌年の賀状はどうしよう……、難題が肩にのっかったなぁとも感じてるんですが……。

 

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 さぁさぁ、明日は大晦日

 暗い部分に眼を慣らすより、明るい顔で机廻りをかたづけ、2ヶ月前から止まってる腕時計の電池交換オネガイ〜に時計屋さんに行ってきましょう。

 おっとその前にKosakaちゃんがミカン持って来てくれるんだった。ありがたや。

 

 周辺見廻すに少しづつながらも、元旦を休む店、2日までは休む店、明日の大晦日も休む店……、と、売買イチバンの風潮が後退しているようで、これは良いことでしょう。

 正月早々に福袋買うために並んでたりは、すごく貧しい光景にみえます。

 とはいえ、近しい仲間に元旦8時より初売で出勤ですの……、というヒトもいて気の毒ですけど、彼女いわく、「毎年のことなんで、それがワタシのお正月かも」ということでもあるから、一概に正月は休まなきゃイケネ~みたいな全体主義もまた困るワケでもあって。

 ともあれ、悠々と時間をはみたいもんです。

 

 けど一方、昔の落語の、6代目春風亭柳橋だか三遊亭小円馬だかの咄で、

「せめて正月3日間くらいは、酒、よしちゃいましょうよ」

 長屋住まいの八っつあん熊さん両名が互いに監視しあうというのがあって、オチャケを正月最大の愉しみとして朝8時にゃもう熱燗徳利傾けてるコチラとしては、

「禁酒? ぇえっ!」

 小首を左右にフリフリしちゃうのでありますが、これもまた、慣習の悪しきと、思し召されるもまた一興カッモ~ン。

 

 来年、またお会いしましょう。

  Be seeing you.

きよしこの夜 ☆ 時をかける少女

 今更にこの大林作品を取り上げるのは周回遅れのカメの鈍足とも思うけど、イブに、超ひさしぶりに観たもんだから、書いておきたくなった。ウサギの俊足でなくていい。

 ちなみに……、クリスマス・イブをキリスト生誕の前夜、あるいは前日と思ってるヒトが多いけど、実際は、

”クリスマス当日の夜”

 であって、前夜や前日じゃない。

 これはユダヤ暦に起因する。

 ユダヤ暦では日没でもって日付が変わる。1日は陽が落ちて夜がやってきたさいスタートする。なのでキリストが生まれる”直前最初の夜”を指す単語として”イブ”は位置づけられてるわけだ。

 グレゴリオ暦が一般化して、日付変更が夜中の0時になった現在でも欧米人含めキリスト教が主体となってる国々のヒトは、そこをアタマの中で切り替えてらっしゃるようで、

「前夜ですね~」

 と、いったら、

「へっ?」

 と、笑われる可能性あり。なんせ、一夜の出来事 なので……。

 

 チャールトン・ヘストンがマゾっ気たっぷりで演じた1959年の映画『ベン・ハー』の巻頭で、闇の中、多くの人に見守られつつ、1つの星がベツレヘムの小さな羊小屋(馬屋)を指し示して東方の三賢人を導く印象的かつ絵画的な場面があるけど、それがまさに”イブ”、救世主誕生直前の夜というワケだね。

グレゴリオ暦では0時で日付変更だけど、ユダヤ暦では既に日付が変わってるワケです)

 

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             『ベン・ハー』1959年のスチール


 で、三賢人が恐縮しつつ小屋のドアを開けると、マリアとヨゼフがいてマリアの腕に赤子が抱かれてる。ここからクリスマスだ。

 だからイブとクリスマスは、休眠なしの連続した出来事なんだ。

 かの有名な、『きよしこの夜』は、

き~よ~し~ こ~の~夜~ 星はひ~かり~ す~くい~の御子は~♪

 と謳われるけど、”この夜”とは、マリアが出産する直前(イブ時間)をも含んだ祝祭の夜時間なのだった。

 

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             『ベン・ハー』1959年のスチール


 以上はともあれ、筒井康隆が『時をかける少女』を書いたのは1965年から66年にかけて。東京オリンピックが開催された翌年なんだから、ずいぶん古い。

 映画になったのが17年後の1983年。

 筒井の原作は読んではなかったし、映画館で観てもいないけど、1年後くらいにTV放映された時にこれに初めて接し、ラストシーンからエンドスクロールのつなぎのさなかの、理科実験室の床に倒れてた原田知世がムクッと起き上がり、こちらに向かって微笑しつつ彼女の歌声が流れるシーン展開に、強い衝撃をおぼえたもんだった。

 もとより少女趣味なんぞカケラもないし、この手の青春物語は苦手だったけども、ファイナル・シーンの、こちらに向けてのはにかみ笑顔に、

「えっ?」

 奇妙なテーストに困惑しつつ、

「そう来るかよ~ッ!」

 魅了されたもんだった。

 

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 で、それからもう34年だか35年が経過……

 郷愁とも憂愁ともつかない何だか蒼い心持ちが生じ、しばし悩んだ末に、ま~、自分へのクリスマス・プレゼントにと、大林監督の同作ブルーレイを買ってコッソリ観たのだった。

 老いたもんだ……

 それが最初の感想であり感慨だ。むろん、老いたのは自分の感性。幾つかのシーン、例えば岸部一徳根岸季衣の両先生がネクタイのことで言葉を交わすというようなシーン、夜の尾道市街にほとんど当時は街路灯がなくって、だから夜が暗いという事実とか、原田知世演じる芳山和子がプライベートで履くのがSUBUやクロッグみたいなサンダルでなくってゲタであるとか、本筋とは別の脇の辺りで、喉元が熱くなった。

 

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 出資者の角川春樹と監督大林は、原田知世という初々しいミューズのその魅惑にメロメロになって一致団結しての映画作り。これを奇跡と言わずして何ちゅ~んだろう。右も左もなく、ただもう原田知世という希有な存在に大のオトナが夢中になった痕跡がフィルムに定着してる……

 

 ウィキペディアには、知世ちゃんを引き立てるためにあえて共演の高柳良一(深町君の役)にはセリフを棒読みさせヘタに演技させたとあるし、原田知世をこの1作のみで引退させ、まさに永遠のミューズにしようと目論んでいたともある。

 いささか爺ッチャマな今の眼でみれば、ファイナル・シーンの彼女の頬に炭をつけて撮ったのは、角川・大林ご両名の、「この子を自分の手で汚したい」的な、けれど絶対にそれが出来ない悶々な願望をあえてホッペの炭に託したみたいなフロイト的解釈も出来ちゃうのだけども、それはそれ、30数年ぶりに再見、

「ぁぁあ~」 

 ひたすら感嘆しちゃったのだった。感嘆というより感動だ。今となっては技術的に稚拙に見えてしまう特撮シーンも逆に心地よい。シーンことごとくが、懐かしく、かつ、鮮烈にして味わい深い。

 

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          こんなキスするフィギュアって今もあるんかしら?

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 運動場の弓道部のシーンで矢が飛んでく先に帰校する生徒が多数歩くのは危なくってヤバイじゃんかとも眼に映ったけど、はるか昔のそのシーンを今になって非難するにはもう無効。

 眺めつつ、はるかに遠ざかった我が青い春をもシミジミに引き出されるようであって、何だか涙腺大いに緩むのを禁じえないのだった。 

 なぜって、もうこういう味わいを我が身としては体得できない「若い頃」がこの映画には満ちていて、それが悲しく、切なく、懐かしく、あったかく。

 が、この映画の最大の良さは、成長した芳山和子がなが~い廊下を向こうに行くまでを見せることで、青春ファンタジーの甘い円環の中に主人公をとどめなかったことだろう。『モダン・タイムス』と同じ手法ながら、その先には愛もあれば、それに伴う痛苦もまた彼女には去来するであろうとの暗示が示され、それが映画のポイントをいっそう押し上げてる。

 なので、本作もまた時を越えて駆ける名作なんだね……。買ってよかったよブルーレィ。

 という次第なのだった。

 

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この映画はシーンというか時間軸によって画面サイズが変わるんだね、はじめて知ったわい。 

 

 ま~、そんな2019年のメリ~・クリスマス。密やかに買ってたネコ型瓶の白ワインをあけ、小一時間で飲み干して、瓶は新春の花活けにでもしようかと、北叟笑む。

 

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  となれば……、『時をかける少女』でその存在が広く知られるようになったラベンダーを一輪が良いね。アッ、でもラベンダーって開花は6月頃じゃね。

 ま~、それもヨロシイがにゃ。

待てば海路の日和かな

 だよ。

 

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                『時をかける少女』のスチール

スターウォーズ・スカイウォーカーの夜明け

 初日の午後、前作同様、席指定不要のメルパ岡山で観る。

 初日行きだからといって別に気合い入れて出向いたワケもない。例によってこの日が都合良しという次第。

 イオンシネマなど他館はもっと客席は埋まってようが、初日ながらも空席が目立つメルパ岡山を、ボクは好き。館にとって客足少なしはイイことじゃないけど、馴染んだTシャツみたいな他所行きでない雰囲気や良し。その日の気分に応じて前の方でも後ろの方でも真ん中あたりでも左右あたりでも、どこにでも座れるこの自由が何より。

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        実にローカルっぽい映画館の壁面掲示。これもイイね。


 という次第でスクリーンに向けて真ん中の中ぐらいに座して眺めた9部作の最終章。亡きキャリー・フィッシャーを見るファイナルでもあるね。

 観終えた直後の評価は、50

 エレベーターで階下へと降り、外に出て気分が変わって54

 ちょっと、ブレる。

 

 しかしま~、1977年スタートから本作までの年数を思うと、『スターウォーズ』という存在が自分の半生とも重なりあう。なんせ42……

 少なくとも『スターウォーズ』には物語を編もうとするチカラが濃く働いていて、この1点では、『男はつらいよフーテンの寅さん』やTVシリーズとしての『水戸黄門』や『相棒』などの経年しないワンパターン造りとは一線をかし安定したぬるい湯はなく、だからそこに自分の時間を重ねやすい。

 

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               スケール違い……

 

 例えばいま、『帝国の逆襲』の頃の自分を思い出せるけど、『男はつらいよ・虎次郎と殿様』はいつ造られいつ観たのか定かでない。実は同じ年に公開だ……

 そういう比較はさほど意味はないけども、少なくとも自分が通過した年数の中に、『スターウォーズ』シリーズの物語が組み込まれ、それが連動して自分を省みる時間のバロメーターであったのは、感慨深い。というより喜ばしい。我が身に生じたアレコレの出来事や思いとがこのシリーズに連動し、過去が輪郭として浮いてトレースしやすい。

 すでに長い歳月が流れていても気心知れた連中と、かつて観るたびに一喜一憂した気分の上澄みとして、あ~だ~コ~ダ~と語れるのも喜ばしい。

 至極当然のように、ボクは旧3部作を褒め、新3部作をケチョンケチョンにけなしてDVDすら買ってないのを誇り、こたびの続3部作にもヤヤ辛くあたり、スピンオフ作品の『ハン・ソロ』に至っては2度と観る気がないけども、それもフアンがゆえにの心理。ただブ~イングしてるワケもない。

 といって極度のフアンでもない。かといって登場メカの模型の1つも造らないというワケもない。

 

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 手前80年代に工作したMPCモデル。後方一昨年に工作したDeAGOSTINI モデル。プラスチックの金型精度の向上や、どちらも電飾を施して改造してるが、かたや豆球、かたやLEDと発光素材の進捗も感慨深い。共通なのはどちらも壊れやすいコトか。放置してる隙にいずれも電飾の1部が点灯しなくなっている。ま~、それはたぶんに我が方の配線のエエ加減さに起因してるんでしょうけど……

 

 気づくと幾つも模型やTOYSが周辺にありもして、20代後半から今に至るまでの自分時間の中に濃く密接した存在が『スターウォーズ』シリーズという次第で、このタイトルとて、章題というかエピソード・タイトルには常々にワクワクさせられはしても、さほど好きというワケでもないし、いまだに『スターウォーズ』と口に出すさい、一種の羞恥をおぼえるのは……、これもまたフアン心理の裏返しなのだろう。

 

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        DeAGOSTINI モデルのコクピットは大改装した……

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                 本作のコクピット・シーン 

 

 ま~、理屈はいいや。

 ともあれ観終えた。感じた。

 ディジー・リドリー扮するレイは、やはりいいね、このコの険しい顔と愛らしい微笑のギャップが最高だ。

 フアン心理というものの極みは、無量大数のフアンの1人でなく、ただ1人の存在になりたいというヤッカイがあるんで、本作も観たヒトによっては高評価だったりサイテ~というように感想は二分すると思うけども、諸々感じて54点をつけ、ひとまず自身の中にマル1つ、句読点をうった。

 

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 観賞後、メルパ岡山の近くの回転寿司でビール呑みつつ寿司をつまみ、しばし映画を追想

 ディジー・リドリーのレイはもう新たには見ることは出来ないのだろうけど、それもまた良し。我が老春のヒトコマと覚悟し、ハンフリー・ボガードが『カサブランカ』でいみじくも呟いた名セリフをもじっていえば、

「ボクらには砂漠の惑星ジャクーがある」

 みたいな……、いや本作のラスト・シーンを思えば、

「ボクらには砂漠の惑星タトゥイーンがある」

 と、言い換えた方が良いか。哀切に裏打たれた記憶の永劫をば、思うかぎり。

 そう思うと、大甘になり、もう10点加算し、64点としようか。

 なんだか不思議と得点づけがブレ続ける。

 たぶんこれは、スカイウォーカーの物語が本作で終わったという、その動揺ゆえにだろう。はからずもこたび、42年前に見た懐かしい2重太陽のある景観の中、レイが名乗るラストシーンで落涙した。

 

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 ともあれ、あとは行替えての新たな物語がどう編まれ、どう見せてくれるんだか……、まだ付きあいが続くなぁ。

 

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         DeAGOSTINIのミレニアム・ファルコンのハッチ部分

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「水戸黄門(60)」やら「火天の城」やら

 昨日15日の講演は無事終了。

 予想していたけど、やはりパート2というタイトルをつけると、映画でもそうだけど……、観客動員数が減りますなぁ(苦笑)。

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 第2部トーク中の大塚氏をステージ側よりパチリ。

 かつて道路も鉄路も整備されてない明治以前の時代、岡山県北の勝山からは同じ県北の津山方面に木材を運送できず、筏に組んで旭川をくだり、瀬戸内海に出て、今度は吉井川を登ってやっと津山に運び入れ、それで津山城を造ったという、実に信じ難いような実話など……、メチャに面白かったですニャ。

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              打ち上げで喰って呑んで……

 映画のパート2と書いたんで、備忘としてついでに書いとくが……、講演の前夜を含め数日どっぷり、日本映画をば続けて観てた。

 かねてより好感持ってた1960年の『水戸黄門』がamazon primeでまた観られるようになってるもんだから、この機会を逃しちゃいけね~、前半部で木材商の仕事場が出てくるのを再見したかった。

 なぜかこの映画はDVDで市販されてない。だからと……、見ちゃったら、ちょっとブリがついた。講演前ではあるし、講演題目の木材がらみでの目線を意識的に働かせての観賞じゃ~あったけど、感ずるところ大なりだった。

 ちょいと感想をば羅列しておこう。

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         上4枚、『水戸黄門』の巨大セットと多数の役者での能。ただもう圧巻。
 

水戸黄門1960

 とにかく圧倒される名品。時代劇を1本選べといわれたら、黒澤の『七人の侍』かこれのどちらか。黒澤のリアリズムではない別次元なリアリズムに充ち満ちてアッケにとられる。

 役者がいい。セットがすごい。セリフはすべて古風な言い回しでヒアリングするに難しい。この3要素がからんで別次元リアルが生じてる。

 なによりこの黄門さんは印籠出したりしない。最後まで身元を証さないのがヨロシイ。

 若い中村錦之助扮する火消しの四郎吉が月形竜之介の黄門さんを、

「てめ~この爺いッ」

 殴りつけるところなんぞも明るく笑えて素晴らしいし、熊本方面(?)のローカル言語の大友柳太郎がまたすごい。悠々、豪快、爽快、天晴、絢爛……、そういう単語が常に点滅明滅して飽きるところがないんだから、すごすぎ。

 画面上では数分のシーンなのに、巻頭での町が燃えるシーン、木材商の職場のセット、江戸城内での能舞台のセット、などなど圧巻に次ぐ圧巻。「マジかよ?」と感嘆のため息がこぼれ続ける。

 ブルーレイなりDVDなりで、なぜに販売しないんだろ東映は?

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         カメラはパンしてさらに多数の木材と職人が映る

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    水路の筏、橋向こうの干されている木材……、素晴らしい描写の連打に見惚れる

 

火天の城』 2009

 安土城築城のハナシというので既に原作はだいぶんと前に読んでたけど、映画はさて? とこれまたamazon prime

 西田敏行の主人公や良し。椎名桔平の信長も悪くない。今やれいわ新撰組でしっかり時のヒトである山本太郎の鍛えあげられた上半身も素晴らしい。CGでの安土の山が次第に城郭になっていく様相も良い。エキストラもけっこう使い、重厚さもある。

 けど反対に、ダメ部分もいっぱい。

 戦国さなかの時代というに、信長配下の武士どもが江戸時代後半のサラリーマン化した役所仕事の連中にしか思えない描写にはガックリ。信長という希有な個性の配下の者どもがサラリーマンであろうハズがない。

 秀吉役の河本準一はまったく意味ないミスキャスト。

 主人公の娘(原作では男子だ)の描写にはゲッソリ。福田沙紀扮するこの娘だけが宙に浮き、登場シーンごとに映画が壊れてく。福田沙紀が悪いんじゃなく、この娘のキャラクター造りがひどすぎ。方言活用なし。今どきの髪形でオマケに付け睫毛。「男子に産まれりゃよかった」と嘆かせつつも着物は映画内イチバンにかわゆく女っぽく着させ、さらに糊がきいたみたいに綺麗過ぎ。これはたぶん、映画出資にイオン化粧品が入ってる関係上とは思われるけど、綺麗キレイが逆効果の噴飯腐臭もの……。

 この娘が好いていた死んだはずの若者がクライマックスに突如現れる脚本のエエ加減さには、怒りを越えてただ失笑。

 原作は原作、映画は映画。あくまで別なものだし、原作から何を引っ張り、何を

捨てるかで映画の厚み加減が知れるけれど、この映画脚本はひどく浅くすごく醜い。

 下のスチールみたいに良いシーンも散見するけれど、別脚本家+別監督で是非に再映画化してもらいたいねッ、題材が面白いんだから。

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関ヶ原』 2017

 原田眞人作品。映画館で観たさいにはストーリーを追っかけるのに懸命で、味わうというには遠かった。DVD購入後も観ずに過ごしてたけど、今回チラリ前半のみ。

 原田は観客に媚を売らない。特にセリフは極力に天然に聴かせようとする。一言一句すべては聞き取れない。だから良い。実際の我々の生活だって、しゃべってる相手の言葉すべてを聞き取っちゃ~いないんだ。ましてや東軍西軍いりまじり全国からヒトが集結なんだから国言葉、方言がとっ散らかって当然。

 木材にからむ題材じゃ~ないけど、関ヶ原の戦の混乱、その判りにくさを映像に定着させた稀な作品とボクは解釈する。要は観終えて、「判りにくい」と思えたらいいのだ。

 チラッと登場の、キムラ緑子扮するネネ(北政所)の早口方言が秀逸。そのわめくような高速な流れに、原田流のネネ像を見、愉しんじゃえばいい。座してジャジャジャっとしゃべくるだけに見せる彼女がある意味で関ヶ原の勝者……。

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梟の城』 1999

 今年の4月だかに福山に出向いたさい、「みろくの里」で久しぶりにこの映画のミニチュア・セットの城を再見。けっこう壊れてたんで哀愁をおぼえたけど……、こたび映画もついでダ~とDVDで再見。

 ケッタイな効果音を大袈裟に用いる篠田監督の老いっぷりが痛々しいが、忍者が大阪城の屋根で対峙するシーンのCGは、いいなぁ。CGのくせに屋根瓦の1枚1枚に躍動感がある。

 しかし、フフフ。やはり、何を演じても中井貴一。役になりきっていようが、いまいが、どこまで追っても中井貴一でしかないこの特異な役者が、あんがいボクは好きな方。中井貴一こちらでも言及

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 『壬生義士伝』2003 

 amazon prime で観る。新撰組のハナシ。主役は中井貴一だからフフフ。あんのじょう、中井貴一中井貴一。この中井扮する主人公を嫌いつつもその人格にうたれる佐藤浩市がすこぶる良い。木材とはまったく関係ない映画だし、個人的には新撰組って好みじゃないけども、京の都で暗躍した組の1部のヒトは明治になっても生きていて、その過去を引きずりながら晩年を過ごしている様相が佐藤浩市を通じて描かれ、けっこ~感慨深い。お江戸の時代から明治への大転換の悲哀が佐藤浩市の眼と肩のあたりで舞っていて、そこを感ずるとちょっと批判できない良性の何かが観終えても残る。

 ぁあ、でも主人公(中井)の死に至るシーンはひっぱり過ぎでダレダレ。

 あぁ、けど夏川結衣が2役演じてもいて、そこは文句なし。このヒトのふっくら笑顔には批判の余地なし。

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写真が反転してるワケじゃない。佐藤演じるのは左ききという設定ゆえに刀の位置が反対なだけ。

 

 って~~な次第で、講演の直前まで時代劇特集で眼を養っていたのでありんしたァ。

日曜は講演です

 さぁ~て、次の日曜は岡山シティミュージアムで講演です。

 聴きに来て下さいね。(苦笑)

 

◎ 『明治大正昭和  岡山木材史 part.2』

◎ 12月15日(日曜) 午後14時~16時 (開場13時半)

◎ 岡山シティミュージアム 4F

◎ 入場無料   

  主催:岡山シティミュージアム/古写真DB委員会

  後援:山陽新聞社 / RSK山陽放送

 

 

 2部構成。その第1部を受け持ちます。

 明治時代半ばに岡山に登場した複合娯楽施設「亜公園」の魅力をお話すると同時に、その開業年、オープンして4ケ月めの7月に襲来したでっかい台風がもたらした影響をばを、見てきたかのように語ります。

 ま~、その”見てきたような”、というのが大事なポイントでオモシロイところなんです。

 かつて司馬遼太郎は『見るということ』で、資料を読み込み、実際に現地に出向き、昔とまったく景観が変わった現地で受ける感慨の中から考察するという手順を通じての、”作品としてへの昇華”を語ってましたが、要は、歴史というのは誰かが何らかのカタチで語らない事には「歴史」にはならないのですね。

 1892年(明治25) 岡山で水害

 これだけじゃ~、歴史とは云えず、ただの史実です。が、誰かがそれを具体に語って初めて「歴史」のその「ひとこま」というのが生じるんですなぁ。

 もちろんそこには、語るヒトの気分が反映し、一歩間違えると”捏造”という、語るヒトの都合良い嘘が入り込む危険があるのですけども……、ま~、「亜公園」については嘘を塗りこめなきゃいけないような政治的思惑は入りません。明治の娯楽施設だった同園のことを嘘で固める必然も何もあったもんじゃ~ない(苦笑)。

 

 けどもま~、話すにあたっては当然に考察したコトも交えなきゃいけません。開業後の数ヶ月めに大きな台風が来て、さぁ、そのさなかは? その後どうした? どうなった? という処での若干の想像は許されてしかるべきなことだろうと思います。

 その想像の補いとして、今回は初めて、模型写真にCG加工するという手法もまみえさせます。

 学術として亜公園をお話したいのではなく、リアルな感触としての明治時代のひとこまを味わってもらいたいがための手法です。

 どのように皆さんのお眼に映えるか、そこが興味シンシンでありまして、講演後にお声がけ下されば大いに幸いに思います。

 

 今月5日にマドリードで「国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議(COP25)」が開催され、日本が災害の大きい国第1位(2位はフィリピン)という嬉しくないお墨付きを頂戴しましたけど、さかのぼること明治の時代もまた今同様、てんでわやな災害が立て続いてようで……、ナンギですなぁ。

 

 第2部では元岡山市中央図書館館長の大塚氏が、かつて「道路」でもあった旭川のことを話されます。何度か打ち合わせてるさなかに聴きましたが、イカダでの物流は実にまったく大変であったようで、聴いて、「うっそ~、マジ~?!」ってな事も多々で、こりゃ~とっても面白いですよぅん。

 

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コメット後談

 だいたい、たいがい、おおむね、この世の中、自分が思った通りにゃコトが進まない。

 中にはカッカッと大笑いな快勝楽勝快進撃もあるけれど、「やったぁ!」と「あじゃぱ~」の分量を天秤にかけると、「あじゃぱ~」が多い。

 5日前に記した「コメットを室内へ」もそうさ。

 

1 庭池の水漏れを治そうとしてセメント塗り塗り

結果 - まだ漏れてまする……。思ってた場所と違う所に穴ありか?

 

2 イジメたコメットといじめられたコメットを1つ水槽に入れ、どうせまたヒドイことになろうかと、水槽内を二分する仕切り板みたいなのを密かに手作りしていたものの……

結果 - 過去のイジメ・イジメられはなかったように仲良く混泳してごじゃる

 

 2の場合は、結果オ~ライでいえば申し分ないコトなんじゃあろうし、仲よきことは良きことかなハッハッハ~、でハッピー安堵したけど、むしろ拍子抜けたというか、セパレーターを準備するなどしたこちらの気構えが、なにやら空中消失させられたみたいな、不満に近い、妙な心持ちになるんだった。

 

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 1の場合は、パンクした自転車のタイヤ・チューブをお水につけて、プクプクが生じた箇所をばヤッツケりゃ済むというワケでない。穴空き箇所が特定できないんだから、これは気分よくない……、思った通りにコトが進んでないワケなんで。

 ま~、そこをポジティブに考え、少なくとも、穴空き候補の1つは埋めたワケだから~、また後日に別穴をば探しゃ~イイやん、どうせ来年春までは池に魚はいないんだからヨ~。気分を転換するっきゃ~ない。

 しかしまた同時に、そうやって気分換えしなきゃ~イカンところが、いかん。

 気分換えにもそれなりのエネルギーというかカロリーというかが、消費されるわけで。

 わずらわしい、ねぇ~。

 ぁあ、でも、そのわずらわしい気分やらが堆積してニンゲンの骨格を造ってるんだろうし、やはり明るい方向に向いてソレを思えば、こういうのを含めて「人生は愉しきかな」なんて一語で括った方が結果は得じゃろね。ヘッ。

 

 で、今ヒョイっと、流れ星の煌めきみたいに1つ、思いが飛んでったんで書いておくけど、庭池を構成してる石というか岩のどれかが……、実は劣化してる可能性もナイことはないんじゃなかろうか。

 砂岩に泥岩、礫岩、花崗岩玄武岩と、石も色々。

 うちの庭池は拾ってきたり貰ったものやらで寄せ集めた石で構成しただけの代物だ。どれが砂岩だか花崗岩だかよく判じないけども、その内のどれかが骨密度が低くなった老人みたいに、もろくなってるんじゃなかろうか?

 それが水を吸うというか、水を逃がしてるというか……、いや、もしそうであるなら、答えを得たようで何やら喜ばしいじゃないか。水位が下る現象を説明出来るワケだ。

 が~、そうであれば、どうすりゃイイのよ、という新たなモンダイも出てきちゃう。どの岩が老化していて水を喰ってるんだか特定できない。いっそ全部まとめてセメント塗ったくってしまえ~、というような乱暴なことになるし、セメントの池なんてツマランし。

 

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 ま~、現状で困るわけもなし。減った水は足せばいいだけの、ハ・ナ・シ。

 むしろいっそ、こういう事になると、池の囲いとなって50年ほど経った岩の数々の、その生誕から現在までのなが~~い時間を考えたりもする。

 いずれの石も数千年数万年あるいは数億年をかけて塊ったものだろうと思えば、石というのはとんでもなく長寿な存在とあらためて知れる。

 なので。その余生として庭池の一部と化して過ごしているのは、はたして幸か不幸か、

「思い通りにゃイカンもんだわい」

 と、石とて呟いてる気がしないでもないけど、はたして今が石にとっての余生なのかどうかは、疑問あるところだろう。なるほど今はコンクリートとセメントで固定されて逃げ出せないけど、

「いやいや、まだまだこれから……」

 いずれまた自由を勝ち取って1000年先のどこかの地表で日差しを浴びる意思を、石は持ってるかも知れないしぃ。

 

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 余談次いでだけど、庭池で1年過ごしたコメットと水槽内でヌクヌク良い環境で育ったコメットは当然に水槽内でのヤツがでっかくなってると思ってたけど、違ってた。

 庭池の自然環境に生息してたヤツらの方が2倍、でっけ~の。

 エサ量も水槽の方が多かったはずだけど……、これはどうしたこっちゃ?

 遊泳出来る空間が大きい方が、すなわち運動量を発揮できる場所の方が、背丈を伸ばせるに都合良いというコトかしらん。ちょいと意外。

 

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 ならば、岡山・後楽園の鯉を全部クビにして、金魚をあの広大な空間に放してやりゃ~、数年で全長40cm越えな超デッケ~のになるんかしら?

 いや確かね、NHKだかのネコの番組でオランダかどこかの池に金魚がいて、やたらデッカイの。マジかよってくらいに。それをネコが狙ってるというのを観たような気がする。

 日本庭園といえば鯉が相場じゃあるけど、巨大金魚が何千匹もいるお庭って~のも、ま~、悪くないな

 

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コメットを室内に

 明日より12月。「やっと12月か」と思うヒトと、「もう12月かよ~」と思うヒトに二分されるはずだけど、ぼくは後者。

 

 庭池のコメットはここ3週間ほどのうちに、動きが緩慢、エサの食いつきも悪くなり、まったく浮上せずで、池底にうずくまって姿を見せない。

 かじかんだ指先にフ~フ~息を吐きかけるコトも出来ずで、冷水に耐えるしかない。

 元より金魚という種族は冬の寒さに耐えるだけのチカラはあるし、事実、過去何10年の庭池の経過をみると、氷がはっても死んじゃったヤツはいない。

 知ってるヒトは知ってようが金魚は状況に応じて冬眠出来る特性を備える。

 とはいえ、当方が知るそれは和金の話。金魚すくいですくう程度な安い金魚ほど、あんがい耐寒性あり。一方コメットという種類はどこまでガンバレるのか、まったく未知数……。

 

 どういう背景がある魚なのかと、古い金魚飼育の本を探ってみると、昭和38年の『金魚』という本に、新しい種類として記載があるから、ま~、その頃1960年代に登場してきたのだろう。

 日本から輸出されたヒラヒラとして愛らしいリュウキンが米国で繁殖されていく中、”強壮”なのが選別されていき、やや先祖返りしたフナのカタチに長い尾ひれという個体が出てきて、なぜか米国人はこれを好いた。

 で、コメットという名がついて、飼育種として今度は米国から日本に輸入させたという経緯があるようだ。

 そういう”選別”の中をかいくぐって来たからか、気性は強い。強いというより荒い。仲間蹴散らし、弱いヤツは徹底的にイジメ抜く。

 

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         イジメにあってミニ水槽で育つ1匹。カメラ目線。

 

 外見の優美さと裏腹、なにやらいかにもな「アメリカンな仕様」が根ッコに潜んでるワケだ。

 その頃の脆弱な英国の車や日本の車でなく、燃費無視でバカ強いパワーを発揮のフォードやムスタングご同様に、米国の金魚ワールドもその嗜好が知れてオモシロイ。

 そんなヤツらだけども、リュウキンや和金同様に庭池で越冬出来るかどうかが、わからない。

 放置してこの冬をのりきるかどうかを見極めてもいいけど、どうも気がひける……。

 それで、パッションフルーツみたいに越冬のため室内に入れてやることにした。

 こういうのを軟弱というのか、気兼ねというか、優しさというか、思いやりというかは、よく判らんけど、ま~、イイのだ。そういう心情が萌えるのが「アメリカン仕様でないボク」を立証する手がかりだったりすればイイのだ。

 

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 で、注文していた水槽が届いたので、数日費やし、庭池の金魚コメットを屋外から室内に入れてやる作業をば、黙々と。

 

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 作業にはもう1つ理由があって、庭池は石組みなのだけど、石と石の狭間のコンクリートで固めた部分が、近年あいついだ地震やらで接着面にヒビが入り、そこに植物の根が浸透し、この夏、ついに突き破って根を池の中に伸ばしてら。

 植物の強靭さを勉強できる良い機会になったけど、庭池に穴が開いたワケでもあり、よってそこからお水が出てっちゃう。

 

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 底の方でなく、やや上側あたりだから、流出しきるようなコトではないけども、こりゃヨロシクない。

 そこでいったん水を全部抜いて、穴あき部分にセメントを詰めて補習という次第。セメントやコンクリートを用いたら1~2週間ほどは害あって魚は生息できないから、その補習チャンスが今という、いわば一石二鳥の工作……。

 

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      セメントで固めて外作業完了。今冬は魚なしの池と化す

 

 さて室内。コメットは18度が快適水温ということだから、ヒーターもセット。熱帯魚の26度に比べりゃズイブン低いが、庭池0度環境に比べりゃメッチャ、ぬっくい。

 水槽サイズに見合った底砂も新たに買ってきて、いささかの過保護仕様。

 ま~、このさいだから試しにと、イジメられてたコメットと庭池居残り組をば一緒にすることにした。

 

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 しかし、プラン通りにコトは進まない。

 セットしたものの、水の濁りが2晩経っても消えない。

 霞がかって、クリアでない。

 濾過フィルターとモーターの力が弱いんかしら……。

 生き物を育む水は、”作る”ものだ。H2Oでありゃイイってもんじゃない。

 極く微細なバクテリアが生じ、それが水を研いでくれるのを待つしかない。

 それなり、時間がかかる。その目安が濁りだろう。洗米同様に濁りは、まだ水にトゲがあるよ~ん、という警告と解釈してもいい。

 

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 という次第で、池のコメットと小水槽にいたコメット4匹は、ポリバケツの中で待機中。

 さぁはたして、かつてイジメた連中とイジメられた両者は1つの水槽内で投合するのか? 驚愕の最終話をお楽しみに! ……って~ワケもないね。

 

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 4日めの早朝。だいぶんとクリアになった水。ボチボチね……。

 朝の9時に4匹を水槽に移動。

 

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 4匹しばしは状況変化に馴染まない。チョットした怯えと困惑に、イジメどころでない……。

 要は、このあとだ。環境に馴染んでくれば気分が内から外に出てくる。

 

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 という次第で、本日はチョクチョク水槽をば覗き見て……、家内安全祈願。