新聞取材


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 雪印のこれ。なが~く「ロクピー」と思い、そうよんでた。

 けど正しくは、「ロッピー」だそうな。よ〜く見ると、丸いパッケージの側面にも小さな文字で、そう印刷されている。

 あらま~。

 しかも、『6P』は6つの断片としての「ピース」と思い込んでたけど、6分割の「ポーション」だという。

 そうなのかぁ、知らんかったなモ~。

 でも、いいや。

 いまさら改める気、なし。「ロクピー」と呼び続けても味に不具合なし。

 

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 過日また、山陽新聞社の取材。

『表町ものがたり 岡山学ふるさと再発見』という連載が朝刊ではじまり、その3回目のための取材。

 3回目は、新年早々に掲載予定だそうで……、尋ねられるままに明治時代のことをおしゃべりし、記者さんへの予備知識用にと知ってる範疇でさらに口を動かす。

 むろん、知らないことはしゃべれない。当然にハナシを創作してもいけない。

 埋もれつつある史実のみをピックアップ。

 

 明治は、江戸時代に比べて情報伝達も速く広範になり、感染症がどこかで出たとなれば、かなりの速度でニュースが伝わるようになっている。それゆえ逆に、怯えも深まった。

 赤痢コレラスペイン風邪が生活圏の傍らにうずくまり、ニンゲン社会をひっくり返そうと虎視眈々……、今よりはるかに危なかっしい時代でもあった。

 とはいえ、くじけちゃいられませんわいねぇ。

 

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 亜公園があった頃、現在のオランダ通りはストリートじゃなくって、お城の堀に面した土手だった。

 この内堀を「映像」としてイメージするのは、かなり難しい。

 

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 現在の城下交差点付近はすべて水没。エクセルホテルも水の中。シンフォニーホールも半分水没で、強いていえば「水の都」っぽいビジュアルになる。

 なんせ、この内堀部分は城郭最大の規模、シンフォニー・ホールが丸ごと2つ入ってなおスペース有りという面積なんだから、想像が容易でない

 もちろん当時、桃太郎通りという大きな道もない。

 そんな巨大なお堀のすぐそばに、亜公園はあったわけだ。

 

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 なので亜公園南端(現在のオリエント美術館との境界ふきん)から眺めりゃ、旭川と直結しただだっ広い水面が眼前に拡がっていて、そこにサギやら水鳥やらがピョ~ピョ~と飛んできたりするのが否応もなく見えるんだった。

 明治よりはるか昔の宇喜多家がここに城を置いた頃からのもの、城の守りとしてのお堀なんだから、でかく、広く、深い

 きっと、大きく育った亀やら鯉やら鰻やらが潜んでいたろう。

 立地とその流れを思うに、ここは汽水域にあたるので、ひょっとするとハゼやボラ(今でも後楽園付近にいたりする)、カレイやゲタもいたかもしれない。

 むろん、その向こうには城の石垣が幾重と連なって、幾何学っぽい面構成を見せている。水中の石垣にはモクズガニ(モズクガ二が通用しているけどコレまちがい)がたくさん生息していたろう。

 

 埋め立ては、亜公園が営業しているさなか、明治30年から42年にかけてだ。

 なんと12

 ずいぶん年数がかかってるのは、当時の岡山県の財政事情にもよろうけど、あまりの広大に土木工事が難航したというのが実情だったろう。

 重機はない。ひたすらの手作業。土砂を入れても入れても、一向に埋まらない。そも、敵の侵略を拒む装置としての堀なんだから人間が立って歩けるような浅いもんじゃ~ない。溺れる深さと幅がなきゃ、意味もない。

 作業従事者は、来る日も来る日も砂やら土を放り込んでは辟易した気分を募らせ、

「今日の作業終わったら、とりあえず、菅梅楼でイッパイやっか」

 憂さ晴らしに亜公園の料亭「菅梅楼」にしけ込み、芸妓を呼んで、唄わせ踊らせ、まだ物足りなくって、

「やってらんね~ ほ~れほれ♫」

 てめ~達で即興の唄を作っちゃ~、吠たえるように赤ら顔の口から声を絞り出していたかも……、しれないのだ。

 これはもちろん想像だ。確証はない。

 

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亜公園南端にあった料亭「菅梅楼」の想像復元模型。3階の眺望室みたいな部屋からは水をたたえた内堀がよく見えたはず……

 

 以上のようなアンバイを経過して、今の城下(しろした)あたりの景観が出来ている。

 12年にわたる埋め立てで地域のカタチは激変した。

 かつて土手であった箇所は道になり、埋め立てられた場所は分譲され、やがて商店ミッシリ集合な所へと変じて大転換。

 はるか後年になってオランダ通りというストリートになる。

 楠本イネさんにとっては忌まわしい記憶の場所ゆえ、ほぼゼッタイ喜ばないはずだけど……、彼女が没したのは明治36年、埋め立てはまだ途上で、亜公園は営業中でもあった(翌37年に閉園)

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 上之町を含む表町筋の大店は、明治となって商売の基盤を失っている。販売先の池田家と城勤めの武家というのがいなくなったんだからアガッタリ。

武家はその対面を維持するために、盆暮れの贈り物、仲間内の祝儀、上司への配慮、部下への心遣い……、常に出費が収入を上回っているのが実情で表町筋の呉服屋や反物屋などなどへの未払いも多々あったようだ)

 やむなくも看板をおろし、地所を売って出てったり、家屋を小さく間仕切って、貸し出したりもした。

 そこへ新たな商売をはじめようと意気込む若者たちが入居してきて、表町筋も一変していく。

 御用達っぽい澄まし顔の商いは失せ、創意工夫ある若い人による若い町にと変わっていく。例えば笠岡方面からやって来た北村長太郎がそうだ。

 彼は細謹舎という本屋兼出版社を起業し、亜公園事業にも出版というカタチで参加していく。

(上之町、中之町、下之町、栄町など8町を総括りにした『表八ケ町』という名は、明治36年の亜公園での「誓文払いクジ引き会」で登場する)

 

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 細謹舎が亜公園内で販売した本。これを持って集成閣に登れば景観のほとんどを説明してくれる……、いわば観光ガイドのさきがけ本。国会図書館

 

 その転換時を生きてた方々(亜公園経営の片山儀太郎を含め)の、眼に映った情景、そのさいの気分……、なんぞをあらためて味わい知りたい、追体験したいと思ってるんだけど、さ~、さ~、そのあたりの我が気分を若い記者嬢にどこまで伝えられたかは、かなり……、心もとない。

 

 ともあれ年明けて、山陽新聞に、亜公園がらみの記事が載ってたら、

「あ、これだな」

 ニッカリ笑って眼をお通しください。

 

なんだかつまらなくもないが

 過日、飲食伴うごく小さな集い。

 4人までとか、5人までとか、こういうミニ・サイズなイベント出席にまで、気をつかい、気がねし、うしろめたい感触まで付録でくっついてくる現状の悶々……。

 一種の覚悟を含んだ自衛を個々人が常に意識しなきゃ~いけないのが口惜しや。

 

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「はたらけどはたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る」

 

 啄木の『一握りの砂』のこの貧窮は、そのまま今のウィルス騒動で竦まざるをえないわたし達を指しているような感がしなくもない。わけても最前線の医師や看護師や介護職の人達。彼らもまた、ジッと手を見る、グッタリなり……、に違いない。

 いずれ騒動は過去形のものになろうけど、今はウィルスを追いやるどころか、こっちが、ホウキでタンスの隅に追いやられたチリみたいな気がしてくるのを……、ジッとこらえてるのが哀しや。

  

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  自分がほぼ昔人間に属してしまったぞ……、と思ってしまったのは、野口さん搭乗のクルードラゴンのコクピットやら彼らが着けた宇宙服なんぞを、ニュース映像で見たさいだな。

 宇宙船のコクピットというのは、スイッチやら警告灯やらの類いが、搭乗者の前や左右や天井にまで並んで、ランプが赤や青や黄に点滅したりしてるのが、「それっぽく」て良かったのだ。

 そのメカメカっとしたミッシリ凝縮が、なんだか複雑な宇宙船の操縦をそのまま暗示していて、それゆえ妙に落ち着くような感じすら、おぼえていたのだった。

 

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             スペースシャトルコクピット部分

 

 が、クルードラゴンのそれを見るに、およそ宇宙に出て行くとは思えぬ“軽快”さ。

 モニター兼タッチパネルのスクリーンが3つ、宙づりになったきり。アトラクションのシミュレーション装置みたい。

 そりゃもちろん、iPhoneだのiPadだので、やや面倒っぽいゲームなんぞも、指をうごかすだけでかなり自在に操作できるのを判っちゃいるけど……、宇宙船までがそのようなカタチになっているというのは……、どうも、感触として

「つまらんなぁ」

 なのだ。

 

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                 3モニターのみ photo:NASA

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          がらんとした船内。中央の黒い宙づりが上写真の3モニター部分

 

 おまけに、その3つのスクリーンと僅かなボタンスイッチ以外調度品がほとんどなくって、妙にスカ〜としちゃって、いけすかない。

 そりゃもちろん、これが地上基地と宇宙ステーションを結ぶだけの交通運輸であって、月まで行く必要などはない装備とは判っているけれど、献血の待合室みたい感じが、なくはない。

 さらにくわえて、野口さん達が着ている宇宙服がカッコ良くない。

 わけても、園芸用の長靴にしか見えない黒いシューズが野暮っぽさを増長させていて、60年代前期頃に創られた安物のSF映画のビジュアルに遭遇したようで、いただけない。

 

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                   飛行士たちの長靴

 

 むろん、もはや、山ほどのスイッチや警告灯は必要ないだろう。いっさい全て、タッチパネルの中で了解されて操作も完了するという最新、宇宙服と宇宙靴も最先端。必然あってのカタチなのじゃ~あろう。

 けど、いかんせん、こちらの感覚は最新じゃ~ない。

 ビジュアルとして、物足りなさすぎて、逆におちつかないのだった。

 だからま~、昔人間なのだ。感覚を切り替えるコトが出来ない。

 とはいえ、べつだん、それでイイのですがね……。

 

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    『スタートレック』、エンタープライズの司令室。シンプルといえばシンプルか

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     ミレニアム・ファルコン。デアゴスティーニ版模型を大改装したもの

 

 この先のSF映画に出てくる宇宙船なんぞもやはりホンモノのクルードラゴンに準じて、簡易シンプル、スクリーンっぽいのが主人公らの前にポツンとあるきり……、というコトになるんかしら?

 そうであるなら、おもしろくないなぁ。アポロ世代の悲哀と括ってしまうワケにはいかない、これは“見た目からくる感覚”の問題なので、容易にゃ親和できないのだ。

 要は、宇宙船の船内とても、既に「特別な場所」ではなくなって、日常の延長程度な「普通にある場所」みたいなカタチへと進んでるという次第なんだろう。

 イーロン・マスク率いる新興ベンチャー企業が、NASA御用達といった感もあったロッキードボーイングなど巨大企業に打ち勝ったのは、そのあたりの感覚の違いによるモノ創りへの視線なのだろう。“抵抗感”があるくらい視点なり視線を変えることが、飛翔をもたらすポイントなのかも、ですな。

 

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 ま〜、そういったニュアンスで巻頭の話に戻ると……、「旅にでよう」や「メシ食いにいこう」キャンペーンに固執しちゃった揚げ句にコース外れの迷走やってる政治リーダー達は、タコ焼きの回転みたいに目の玉ヒックリ返して世間見直した方がいいねぇ。ようやく腰あげてキャンペーン休止は決めたようだけど、実施は2週間も先。その間は無策? さらに、その次の一手があるのやらないのやらも判らんし〜で 不安継続中。頼りにならんというコトだけが明白じゃ〜いかんのですがっ。

ボイジャー・ヴィジャー・遠い声

 先日の、はやぶさ2の分離カプセルを地球に導いたJAXAの仕事は、襟を正して一礼したいような快挙はやぶさ2はまだ継続運用中だよ)だったけど、その背景には電波信号という確実かつ堅実な存在があってのコトだったろうねぇ。

 電波は光の速度でもって伝搬するから遠方とを結んでくれる……。

 20世紀の直前まで電波(電磁波)のことは誰も知らなくて、発見以後じわじわとアレにコレにと活用できるようになったわけだけど、もはやスマートフォンをふくめ、これがないとヤッていけない所にまで来ちゃってる現在の姿というのは、20世紀より前のピープルには摩訶不思議な“未来”なんだろねぇ。タイムマシンで「今」に連れてきても、たぶん、

「昔の方がいい。帰してちょ〜だいよ」

 と云われるような気がする。

 

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 1979年の映画『スタートレック』は、承知の方はご承知の通り、ヴィジャーという謎の存在とエンタープライズ号乗員の遭遇が物語。

 当時、その発想にはそれほどに斬新を感じなかったし、タイト過ぎな乗組員のジャンプスーツっぽい制服が陳腐というか滑稽で、「あっちゃ~」と哀しみもしたものの(だから次の映画化では衣装はガラリ変わったね)、飛んでくる宇宙船をカメラが360度回転してとらえ続ける巻頭のビジュアルは、衝撃だった。

 今はない岡山グランド劇場で公開初日だかに観たよう記憶するけど、勇壮野蛮っぽい“クリンゴンのテーマ曲”みたいなサウンドにのってクリンゴン宇宙戦艦の大回転を見せつけられ、俄然、興奮させられた。

 しかもカメラはそのクリンゴン艦に遠方から近接へとワンショットで近寄り、艦の細かいディティールまでが一目瞭然なんだから、

「わお~っ」

 身をのりだして喰い入った。当時、米国製のプラモデルの丸と三角で構成されただけの大味なキットでしかこの艦は味わえなかったから、それが一挙超絶にグレードアップなんだから、た・ま・げ・た。

 

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 ピアノ線で模型を吊しただけの撮影じゃ~、そんなシーンは当然に撮れないわけで、すでに『スターウォーズ』は公開されてしっかり鑑賞していたものの、精緻な模型とコンピュータ仕掛けのカメラ・ワークというものを特段に意識させられたのが、この劇場版第1作の『スタートレック』だった。

 太陽系外へ旅していったボイジャーがモチーフ。

 転じてそれがヴィジャーという「謎の何か」の正体というのが物語の核だった。

 (ま~、いまさらネタばらしでもあるまい)

 

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 そのボイジャーがニュースになったのは、ついこの前、11月のアタマ頃だね……。

 オーストラリアのキャンベルにある超どでかいパラボラアンテナ(1969年のアポロ11号との通信中継に使われた)はこの数年修理中だったが、補修完了し、ボイジャー2号に向けて通信を試みた。

 すると、はるか外宇宙、太陽系の外を、さらに遠方へと去りつつある同機より、返信が返ってきた……、というニュースだ。

 

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               修理作業中のキャンベルのアンテナ

 

 なんか、妙に 疼かされた

 ひどく単純にいえば、電波ってスゴイなぁ、みたいな子供っぽい感嘆なのだけど、1977年の8月に打ち上げられ、木星土星天王星海王星の近場に寄って探査し、そのまま旅を続けて、2018年には太陽圏を出て、「恒星間空間」をなお飛び去り続けるボイジャー2号と連絡が取れたというコトは、

「どういう意味があるんだろ?」

 ちょっと哲学させられるのだった。

 感覚としては、科学でない感情もわいてくる。ほぼ霊界通信に近いような……。

 けど、厳密に科学ですわいねぇ。電波の速度と真っ直ぐで広範囲なその指向性の堅実に、いまさらながら感嘆させられたわけだ。

 

 ボイジャー2号の動力源は原子力電池で、プルトニウムのα崩壊を利用。その発熱を電源とし、半減期が長いぶん電池としての活用も長時間になる。

 とはいえ、打ち上げから既に43年だ。

 NASAによれば電池寿命は2030年頃には尽きる……、とのこと。もう10年くらいはキャンベルからの電波をはるか遠方とはいえチャンと受信し、その返信が出来るとの予想だ。

 

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                                                                        photo:NASA

 それで、

「あと、10年ほどか……」

 また新たな感慨もわくのだった。

 プルトニウムが尽きて電池が働かなくなりゃボイジャー2号は死ぬのか……、といえば、そうではないでしょう。

 電気器具は電池がなくなったらもう使えないワケでない。あくまで休眠というのが実像でしょうよ。

 

 さ~、そうすると、巻頭で書いたように、劇場版『スタートレック』が主題としたヴィジャーボイジャーが何かの干渉で復活というのも、あながちただの安物の発想でもないなぁ、とも飛躍的空想として想うのだった。

 その可能性は激烈に低いけども、事実のこととして、ボイジャー2号は何かに衝突でもしない限りは永劫に暗黒空間のただなかを進んでいくわけで、淡い悲哀を含めた感懐がシミみたいに輪をひろげるのだった。

 極小の期待すら持たないその孤立無援に「物」ではなく「者」として、いささか感情移入できる存在だ。

 

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 ま~、そういう次第で久々、ブルーレイで『スタートレック』をば眺める。

 監督ロバート・ワイズ65歳の時の作品。前半部での人物描写の繊細さ、ふくよかさ、キャラクターの活かせ方も素晴らしく、若手監督じゃそのあたりうまくは描けなかったろう。

 エンタープライズ号の魅力を最大限に引き出した点も特筆で、むろん、それは撮影用模型の驚くほどの精緻と精度あってのものだけど、宇宙船をここまで美しくとらえた映画はあんまり、ない。クリンゴン艦の勇壮を巻頭で見せ、物語が終わってのラストシーンでエンタープライズの優雅をこれまたカメラの大移動で見せ、そのまま一気にワープしちゃう閉め方も秀逸だった。

(2001年になってワイズ自身も参加してのCG処理追加やシーンの補強を加えた4分長い、「ディレクターズ・エディション特別完全版」が作られたけど、これはDVDのみ。したがってブルーレイは公開当時の版のみが市販されているというヤヤけったいな状況。ディレクターズ版は4分長くなっただけでなく、再撮影部分や編集が良く、細やかさが随所に加わってシーンのつながりが際立つ。それだけに高画質のブルーレイがないのが惜しい)

 監督をふくめ出演者のかなりが既に没してはいる。でも、この映画もまたボイジャー2号と同じく永劫の時間軸を進む良品だ。

 1960年代のTVシリーズスタートレック』が元祖じゃあるけど、次々とシリーズ化される今の「スタートレック」の興隆っぷりは、親鸞の教えが途絶えつつあったのを、ひ孫の蓮如が発想の切り返しで再起動させたように、劇場版第1作目たるこれは、「中興の祖」として炯々と存在し続ける目映い点だろうし、同様、小さな点たる実際のボイジャー2号との連絡に電波という存在がなくてはならないというカタチの事実、この2点に、何だかあらためて情感しているというアンバイなのだった。

洛中洛外図

 もしも、原寸サイズのポスターがあれば、買ってもよいか……、と思う。山形の米沢市上杉博物館蔵にある『洛中洛外図』。

 ありきたりなアンディ・ウォーホルのポスターなんぞより、はるかにイイと思う。

 とはいえ屏風絵だから、六曲(5つに折れる)で一双(ペアという意味ね)。高さはおよそ1m60㎝、2つ合わせ置くと幅が8mほどだから、そんなスペースの持ち合わせはない。

 でもま~、通常は丸めておいて、見たい時のみ部分を広げちゃうというようなコトは出来そうだ。

 美術館でガラスケース越しにかしこまって眺めるより、自室で原寸ポスターを広げる方がラクチン、見つつビール飲んだってイイぞ。屏風絵の内容にグッと近寄れるワケだ。

 

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        右から左へと眺めていくのが正しい鑑賞法というか順番になっている

 

 見所は、室町時代の京都での一般ピープルの姿が描かれていることだろう。それも半端でない数。

 当時を想像できる大きな手がかり。歴史ウンタラとかじゃなく、姿カタチが覗えて興味が尽きなく、だから余計、美術館でのしゃちほこばった鑑賞じゃ~ダメなような気がする。

 

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       上杉家に伝わる『洛中洛外図』の右隻 国宝 米沢市上杉博物館

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         福岡市博物館蔵の『洛中洛外図』(重要文化財)の部分

 

 屋根瓦がある建物は公家や武家の屋敷と寺社のみ。商家(見世棚)の屋根はいずれも板張りで石を重しにしてる。

 部屋数は2つか3つで畳はなくって板張り。店舗と住居をかねている。

 3つの場合、真ん中が土間で両側が板敷きの店舗になっている。

 礎石の上に家を組んでるわけでなく、あくまで掘っ立て。上の図は、武具(主に皮製品か)を扱っているらしき店。地面に直に柱を建てて礎石がない。なので家は傷みの速度が速かったはずだ。暖簾の下にしゃがんで女房らしいのが魚(たぶん川魚)をみている。

 

 天皇家がこさえ、さらに武家の足利家が将軍として君臨して天皇家や公家と拮抗している場所が洛中なんだから、商いをやる人はあくまで地子(地代)を払っての仮住まい。いつ戦禍となるやら、何ぞで追い出されるやら判らないゆえ、屋根に瓦とか畳敷きなんて贅沢はありえない。

 1975年から82年にかけてロングランとなったアニメーション『一休さん』はこの時代の話じゃあるけれど時代考証がハチャで今みると、赤面するほどにメチャ。

(記事はコチラ

 ま〜、そこが逆にツッコミどころ満載なんで逆説に“おもしろい”けど、ともあれ『洛中洛外図』の京都の商家……、安普請といえばそれまでながら、個々、商うモノによって店に個性があり、その集積として“町”が形作られているのは、おもしろい。

 何の店だろう? と想像をめぐらせていけばアッという間に時間が経つ。

 

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 上図は上杉版『洛中洛外図』。1つ屋根に3軒が入居し、中央は餅屋。

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 そのアップ。右3人は物乞い。アタマにウラジロをつけマスク。

 ウラジロはお正月に今も使うね、お飾りの1つとして。

 マスクはウィルス予防じゃ~ない。「覆顔(おおいかんばせ」といい、自分の立場をへりくだり、対人との「結界」として使い、たいがいが和紙または麻苧で造ったもの。

 わたしはあなたに危害・害悪をもたらす者じゃ〜ございません、という意思表示的なニュアンス。

 複数でもって洛中を練り歩いて金銭やら餅を得たようだが、ウラジロを帽子みたいに頭にのせたこの物乞いスタイルは寺社とか身分制度とかが関係してくる。ながくなるので詳細は触れないが、もらった金や餅の一部は彼らが「属している」寺や神社に奉納されてもいたようだ。

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                      ウラジロ

 

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 上。左の一間の店で隠居らしいのが2人、茶か茶がゆを愉しんでる。手前の黒い着物は炭売りで、その後ろは薪売り。右が判らん……。女性らが興味を抱いてるが2人の男の持っているものは何じゃろか? 箱の上に人形らしい姿があるからひょっとすると、箱を軽くトントン叩いて人形に相撲をとらせたりする……、大道芸の一種かもとも思ったりするが、真相不明。

 

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 上。表立っては依り紐を扱ってるようだが明らかに質屋。着物だか布地を質に預けようとしてる人達。秤で何の目方をはかってるんだろ?

 こういう部分は原寸の絵でないとよく判らない……。

 

 室町時代の京都の店で一番に多いのは意外にも質屋だ。貸上(かしあげ)といった。

 高利貸しを兼ねたこれが物流の原動力に近い存在として機能する。中国から山ほど流入した銅銭(宋銭)が貨幣として定着しつつあって、物々交換より利便が高いから、木綿の一切れでもあればそれを担保に銭に換えられた。

 当然に木綿は質流れとなる。それを求める人も数多ある。木綿の一切れを買って巾着袋に仕立てて、今度はそれを売ることもできる……。(木綿はまだ貴重品。浸透しつつあるものの、綿の栽培が難しかった)

 貸上屋にはそういった諸々が何でも運び込まれ、そのために土倉(どそう)という倉ができる。すでに鎌倉時代末期には洛中(京都)に300を越える土倉があったというし、それは担保流れの物品を販売する店をかねていたろう。

 

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 上は質流れの品を商っているらしき一間の店。当時は女性が店のオーナーというのも多かったらしい。(参考:佐々木銀彌著『室町幕府小学館

 

 次いで多いのが酒屋。北野神社に残る応永22年の『酒屋名簿』には342所が記録され、醸造の技術と酒壺があれば、造り酒屋兼一杯飲み屋を誰でも開業できたというからオチャケ天国めいている。数10m置きに酒屋があったといってイイ。

 この頃は……、酒が必需なのだ。公家や武家ではほぼ毎日ように何かのパーティをやる。休肝日なんてナイ。

 そうすると呑み過ぎて失敗もする。酒席で嘔吐もする。

 今の世ではそんなコトをやっちまえば大恥で大迷惑のヒンシュクでもあるけど、どうも室町の時代はそうでない。

 公卿の大橋兼信や伏見宮貞成親王後花園天皇の実父)が残した日記によれば、酒席の嘔吐は、

 当座会とうざのえ)

 といい、座を大いに盛り上げてくれたというコトになるらしく、中には宴の室礼(しつらい-もてなすための調度品)のために他家から借りていた屏風に嘔吐して喝采された者もあったり、嘔吐した者は罰ゲームみたいに次の酒宴の主催を悦んで担うというような……、今とはえらく違うのだ。(参考:桜井英治著『室町人の精神』講談社

 よって下戸の人にはかなり冗談きつい世が室町時代ということにもなるんでね~の。

 

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                        酒壺

 

 ちなみに、第4代将軍足利義持の日々を記した『満済准后日記』の応永23年12月27日付けの項に、

「義持公、御二日酔気」

 とあり、これが文献として残るもっと古い2日酔いの記録だ。

 ひょっとすると語源そのものかもしれないけど、ともあれ、年末忘年会だかで、

「あっちゃ〜、おもちれ〜」

 と大騒ぎ、将軍が痛飲しちまったコトは明白だ。

 

 洛中に洛外、その明快な領域は今もはっきり判らないらしいが、室町時代の日本は800万人前後が全人口で、京都という狭い一地域には10万人程度がいたという説がある。

 その仮説では奈良に8千人、摂津国天王寺に3万5千人、和泉(堺)で3万人、備後尾道で5千人、などという規模だから、洛中洛外はかなりの人口率ということになり、都市というにふさわしいボリュームとなる。

 当時のこの岡山界隈からノコノコと初めて京都に登れば、家屋の数やら往来の賑わいに、

「でぇれ~町じゃなぁ」

 面食らったには違いないのだ。

 

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 これも質屋流れの品の店か? 暖簾がシャレてる。この場合、左右で1軒ね。女性従業員が2人という次第だから娘と母親かしら? 奥で店主が若い武家くんに反物を売ろうとしている。あるいは若い武家友達2人が、反物を吟味している……、のかもしれない。なんとなく後者のような気がする。呉服屋という専門店は政治が安定して物流規模が拡大する江戸時代からだ。

 

『洛中洛外図』は16世紀のアタマの頃、フィレンツェダ・ヴィンチが飛行装置を考察し、スペインではやがて日本に来るフランシスコ・ザビエルがおぎゃ~と生まれた1506年前後に描かれはじめているようだ。

 幾つもある。

 狩野永徳が描いたのを信長が謙信に贈ったのやら、江戸時代での作品などなどおよそ200点近くが現存し、司馬遼太郎はその内の1つを所有していたらしいが、個人蔵として夜ごと自在に眺めて想像を膨らませていたかと思うと、なかなか羨ましい。

 ま~、それほどに『洛中洛外図』は情報密度が高い絵で、数千人が描き込まれているというから仔細を眺めていればアッという間に時間が経つだろう。

 なので実寸のポスターが身近にあればと思うわけだ。

 信長から自慢っぽく贈られたそれを眼にした上杉謙信にしても、

「わっ、すんげぇ~な」

 日本最大の都市の規模と賑わいに眼をはったに違いなく、屏風の前にアグラをかいてジッとうずくまったんじゃ~ないかしら。部類の酒好きでもあったから、片手に杯を持ち、チビチビやりつつシゲシゲ眼を喰い入らせたと思うと、謙信の疼くようなミヤコ羨望気分の体温が2〜3度あがってくような感がしないでもない。

 

 田舎にいればいるほど、『洛中洛外図』は夢みるような羨望をかきたてるわけでもあって、パリ発エッフェル塔の絵はがきが全国に拡散してパリへの憧れを大きくしたように、「夢の京都旅行」の疑似体験装置として絵は機能したに違いない。

 ともあれ、いまもって、眺めているとあれこれ発見がありそうで、お・も・し・ろ・そ。

 デジタル画像で今は見られます……、なんて~云うけどね、置くと8mの幅を要するようなものの物的存在というのは、例え100インチのスクリーンであっても100インチという制約の中の話、ちょっとペケだよね。インターネット上のデジタル画像も原寸そのもののピクセル数に満たず、拡大しちゃうとネボけてしまうんだから役立たない。

 やっぱりポスターだな……。原寸でじっくりトコトン眺めたいねぇ。

 

 

 

 

大山で背中を丸める

 Kosakaちゃんの車で県北へ出向いたのだ。

 女史も加わるつもりで手配したら、ふられちまった。

 よってオトコ2人、真庭方面、鳥取との県境い、新庄村へと駆けてったのだ。

 しかし岡山市は快晴だったのに、新庄村手前あたりから雨。

 駆けつつ予定を組み直すのだった。

 Go To キャンペーンとは関係ないオール・セルフ・ペイの勝手旅。マスク着用ながら自由度だけはやたら高いのだった。

 

 新庄村には、道の駅「がいせんざくら新庄宿」がある。

 2年ほど前までは「メルヘンの里新庄」という名で、オトコ2人が訪問するにはヤヤ小っ恥ずかしい感じじゃあったけど、呼称が変わって救われた。

 

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 ここは「ひめの餅」が特産筆頭であるから、「牛もち丼」という妙なのもある。

 一見は牛丼だがゴハンでなく餅だ。餅の上にギュ~がのる。

 しゃ~ない、喰ってやろうじゃないか……、というワケにもいかない。

 自分用の土産1つを買うにとどめ、

「倉吉まで駆け、そこでお昼ご飯にしようか」

 移動コースを変更し、蒜山高原経由で鳥取倉吉市へ向かうことにする。

 

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 雨はやまない。

 蒜山高原の道の駅に立ち寄り、蒜山ダイコンのでかいのやら、葉がキュッと締まった白菜やらキャベツやら、いずれも1ヶ100円ほどの安さゆえ主婦のような顔になって買い込み、

「鍋じゃな……」

 1人、ほくそ笑む。

 Kosakaちゃんは「しいたけの唐揚げ」なるものを買う。

 

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 揚げたてを車の中でわけてもらって食べる。

 軸の部分を取り除き、カサの部分のみを揚げたものだけど、なんせ揚げたて、熱っついのなんの。

 これを舌をやきやきハフハフするに、濃厚なバターを頬張ったような感じもあって、なかなかよろしい。

 食通のKosakaちゃんをして、

「なんじゃ、こりゃ美味いじゃないか」 

 2人で6個、ほぼ2分で一気に食べちまった。

 

 高原から倉吉へ向かう。

 雨足強くなり、蒜山三座も見えないけれど、山並みを這う雲の動きが面白く、これはコレで大いに醍醐味あり。

 

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 倉吉で昼食。

 雨天ゆえ散歩も出来ないが、それも面白い。

 雨で動きを封じられる事で、逆に萌え気分が上昇。

 

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 また車中の人になり、米子に向けてしばし日本海沿いを駆け、白波が立つのを見遣り、赤崎町漁協の直売センターで魚や蟹を眺めているうち、また雨足が強くなる。

「いっそ、大山に登ってしまお~か……」

 またぞろ、その場で予定を組み替える。

 まさに行き当たりばったり、臨機応変の面白さ。

 気温もどんどん下がってる。

 

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 大山環状道路沿い。標高562メートルの一息坂峠にて日本海を望む。上写真、左側の眼下およそ10㎞先が境港だけどモヤで見えないのも風情かな……。

 

 で、大山の山中へ入ってく。

 視界不良。

 

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 気温は写真の通り。

 

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 氷雨は雪になり積もりかけている。寒さに身が縮む。

 

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 大山国際スキー場界隈から蒜山に戻った頃は既に夕刻。

 482号線沿いの新田菓子舗……。もしもしで社長氏を呼び出す。

 一廻りほど若いけど古くからの友人。久々に会う。

 観光土産としての洋菓子製造販売が主力ゆえ、コロナ禍、運営がメチャに大変のようだが、

「ま~、苦しい時もあるでしょが、こうして遠方から来てくれる人もおりますがな」

 明るく破顔しチョイっと頼もしい。

 

 そこからおよそ1㎞の場所、やまな食堂で夕食。

 店主は昔からの飲み仲間。

 そのままいれば華麗なポジションとなる職場をあえて辞し、帰省し家業の食堂を引き継いで早や数年。昼時は車の行列が出来る蒜山高原の名店をみごと運営して、さ・す・が。はるか室町の時代、足利家をもおびやかしたこの地域の覇者・山名家の末裔。好人物。

 今年1月2日、岡山市内某BARでの新年会以来の再会。近頃の岡山市情報など伝えつつ、コロナ禍での営業苦労をねぎらう。

 ちなみに人気店ゆえ、昨今のインターネットの食べログ的クチコミでは、褒められもするが誹謗も散見する。

 味噌汁がインスタントだったとかのバカ情報は困ったもんだ。このようなデマ女史だか野郎の、ただの1回こっきり利用して店を制覇したような感想を披露する根拠のない無責任記述を、ぼくは嫌う。披露するならせめて数回通ってチャンと味わってから書きなさい。

 

 高原の揺れるススキ穂くすぐったし

 

 と、意味なく発句し、名物の1つ、ホルモン焼きそばを頂戴する。あわせて注文した豚肉の野菜炒めも絶品。

 Kosakaちゃんが、

「キャベツ! 旨っ!」

 絶句する。

 当方も同意。芯まで柔らか、かつ、食の最初の食感とラスト近くのその食感に劣化がなく、ひたすら、う・ま・い。

 往々にしてキャベツは主旋律たる肉の旨味を引き立てる役割に徹する存在として認識されるけど、やまな食堂のキャベツは脇パートにとどまらない、お皿の中の1つの顔。時に独奏を奏でる。

 み・ご・と です。

 

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 食事を終えると、冷たい雨がやんで月が出ている……。

 Kosakaちゃんはこの前発売された3つレンズのある新型iPhoneを既に持っているが、こちらは1つレンズ、数年前のiPhone 8

 上の構図を新旧iPhoneで眺めるに、看板部分の目映さで旧の方は文字部分が飛んでしまう……。チョイっと悔しいがしゃ〜ない。

 よって上写真は看板部分がシャキっとなるようPhotoShopで部分彩度をあげたもの。

 

 持ち帰りの焼きそばも注文し、岡山市にカムバック。県南は雨が降らなかったようで、ちょっとした不思議感。

 かつて山名君くん達と朝まで呑んだりで入り浸ったBARへ直行。

 店主はただいま入院中。大きな手術。とはいえコロナ禍で見舞いも出来ず。ひたすら回復を念ずる次第。

 店主不在ながら店を開けてるベッピ~ンズに、やまな食堂の滋味をば渡し、オトコ2人旅終了。

 

 コロナウィルス被害はこれからさらに拡大するであろうから、おそらくは小旅行も、もう年内は無理かも……、そう思うと口惜しいけど、ともあれ良かアンバイの自由ツアーでござんした。

盆栽展

「谷本玉山-盆栽展」を見る。谷本氏作品の鑑賞は3回目。

 会場の雰囲気も良しヨシ良しのヨシコさん。

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 盆栽は我が宅には、ない。

 自分で“創作”しようとは思わない。

 手入れが大変だ。放っておくという事が出来ない。

 が、そんなんだから逆に、苦労を苦労と見せず育てた枝っぷりやら佇まいをば、見物したい。

 人の痕跡を消しつつ、人が大きく関与しているカタチの妙味が醍醐味、かつ、おもしろい。

 

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                   腰がすわった松柏盆栽

 活花が時間の静止を見るものなら、盆栽は樹木時間と創作者時間を感じて”愉しむ”ものだろう。

 そこはチョット模型に似ている。

 くわえて、盆栽には流派がない。育成にやや細かいルールがあるらしきだけど、師弟も組織もないのがいい。

 平鉢1つの小世界を人に見せようと決意した途端にそれは作品に昇華し、優劣の判断いっさいは見た者に委ねる。その潔さも、いい。

 谷本氏は鉢も自作。捏ねて焼きあげ、それに土を盛って植樹。小宇宙にかけるエネルギーが半端でない。

 

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              いわゆる実物(みもの)

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             こたび一番に気にいった葉物 色合い絶妙

 

 以前にも書いたよう思うけど、盆栽に接するたび『ブレードランナー』が念頭に浮く。

 主人公デッカードの部屋には大きな盆栽が置かれている。

 ほぼ日当たりしない暗い室内ゆえ現実なら環境はよろしくないけども、映画の中のそれは存分に活きて目立ち、デッカードの置かれた状況を暗示する小道具の1つじゃ~あった。

 酸性雨ふりしきり過度に汚染されたその世界では生物はほぼ死滅し、生物は疑似のレプリカに置き換わっているという設定の元、デッカードの部屋にあるそれははたして本物なのか、あるいは模造レプリカなのか、そういう面も含めて、うまい小道具の使い方だなあ、と初見以来ずっと印象が継続している。

 盆栽はただの背景じゃ~なく、このホンモノとニセモノがからみあう物語が駆けてく線路のいわば枕木の1つと思うてみるも良し。

 

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 本物を憧憬していながら既に本物のない世界に生きているデッカードの、その鬱屈の物証の1つとして、それは偽物であろう事が暗に示されている。例えそれが“期限付きで成長”するモノであろうと。

 その人造物を愛でるしか出来ない世界の中で生きる苦悶が、デッカードの鬱屈の起源なのだろう。

 いささか無機的存在だったレプリカントのレーチェルに暴力的に「性-SEX」を吹き込もうとした行為は、その鬱屈ゆえの暴発だ。

 人形同然のヒューマノイド・レプリカに「性的衝動」をあたえる事で、彼そのものがそこで“創作者”になっているわけだ。

 で、同時に、いみじくもその強いられた、

「Say,Kiss Me……」

 に続く行為で「生-LIFE」を萌芽させたレーチェルに対して彼は、濃い愛情を抱くようになる。彼は彼で強いた結果、偽物ではないラブに目覚めてしまうわけだ。

 Befor-After じゃないけど、このシーンを端境に、映画はコペルニクス的大転換をおこす。

ブレードランナー』は、未来SFの形にのっかったラブ・ストーリー。根っこは、F・ヴェーデキントの古典戯曲「春のめざめ」に通底した作品といってもいい。

 

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 昨今の風潮でとらえれば、この端境シーンの、セクシャルハラスメントかつドメスティックバイオレンスな描写は難しいかもだし、映画公開当時ハリソン・フォードはその描写を含め、演じた役に嫌悪したようだけど、傑出の映画である事は揺るがない。背景の盆栽の存在を含めて。

 おそらくこの映画の小道具担当者は、盆栽がナマの樹木を使いつつも徹底した人造物である事に着目し、ストーリーに沿う背景物としてチョイスしたのだろう。

 良い選択だった。

 

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                 谷本玉山作 葉物と実物の膳仕立て

無残やな……

 18日のTV放送後、お久しぶりな方も含め、あれこれ連絡をたまわる。

 皆さん、けっこう観てるんだね、テレヴィジョン。

 TVメディアはもう古いと云われつつも、影響力ある存在……、と再認識。

 

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 ニンゲン、悲喜こもごもあって、ケケケと笑う時もあればガックリショッボ~ンな時もある。

 10日ほど前に衝撃させられたとある事から、まだ抜けきれない。

 ま~、詳細は語らない。

 

 かの『ひょっこりひょうたん島』のテーマ曲は、当時中学1年生だった前川洋子が、

「苦しいときもあるだろさ 悲しいときもあるだろさ だけどボクらはくじけない~」

 気分乗り越えを軽快に歌いあげて、なるほど、溌剌な歌声に、チョイっとは元気づくよな気になりはするけども、そのチョイっとの数秒後にはまたブルー気分が浸透してきて、

「ぁ、ふ~~」

 重い吐息をこぼしたまま思考停止、

「やってらんないわ~」

 嘆息するのだった。

 

 無残やな兜の下のキリギリス

 

 芭蕉はスケッチとしてこの句を詠んだとは思うけど、取りようによってはえらく深淵、深い憂愁に沈めるようなところもある。

 兜、かぶと、甲……、と媒体によって表記まちまちだけど、石川県小松の多太(さた)神社を訪ねたさい、平家の斎藤実盛の兜を見学して詠んだらしい。

 解釈としては、その古い兜の下にいるキリギリスに実盛という過去の武将を重ね、

「おいたわしや……

 と鎮魂したというのが通説だけど、さ~、そこはどうかな?

 兜の下にキリギリスが実際にいたかどうかは知る由もないけど、情景イメージとしては「絵」になって揺らぎない。けど、芭蕉が「無残やな」と見たキリギリスが、はたして無残な境遇に陥ってるのだかどうかは、わかんない。

 人の気配察して隠れ場として兜の下をチョイスし、自ら入り込んで人に悪さされるのを回避したのかもしれないではないか。

 となれば、

 

 逃げおうし兜の下のキリギリス

 

 と詠んだって不思議なし。

 当然、そうなれば意味もガラ~ッと変わる。

 ただこの場合、情景をそのまま文字に移しただけで、深みなし。無残やな、と切り出したことで味わいが出たわけで。

 芭蕉は大なり小なり、発句した頃合い、ブルーな気分だったんだろう……

 昂揚が“芸術創造”に関与するように、沈潜もまた同様で、たまさか鬱屈な気分だったのを、句にノッけてみたという方が妥当のような気がしないでも、ない。

 

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       「奥の細道行脚之図」 芭蕉(左)と弟子の曾良 (森川許六作)

 芭蕉が見た兜は、今は重要文化財としてガラスケースに入ってる。でも芭蕉の時代は剥き出しで展示されていたはずだ。

 ガラスは透明だけども、「心理的隔て」を産んでくれる。

 その点で芭蕉はよかっなぁ、直に接して。

 昨今は、人と人の合間にビニールやらアクリルの隔たり。

 難儀なこっちゃというか、「無残やな」な情景。感じ取れる諸々までが抑制されてる。

 ま~、これはこれでいっそ、「山椒魚は悲しんだ」ではじまる名作の、”囚われの感”に近いような気もするけど……、いろいろ象徴的ではあるなぁ、芭蕉のそれと井伏鱒二のあれは。