ワクチン3回目

 

 3回目のワクチン接種(今回もファイザーから早や5日。

 ようやく腕の痛みから解放されつつで、やれやれ、ホッ。

 1回目2回目と同じく、左腕の注射された附近が腫れ、痛みがはなはだしかったここ数日……。

 正しく観察するに、腫れあがっているワケでなく、ずいぶん腫れていると強く感じるのが感じ悪い。このワクチン、ちょっとした幻覚作用ももたらすのかしら?

 けど、痛みは幻覚じゃない。

 筋肉痛というか何というか、とにかく痛い。

 腕上がらず。左手で右腕上腕部を掴めない。がんばって動かそうとすると、鈍いような鋭いような妖しい痛みが駆けてナンギこの上なし。

 ベッドで寝返り出来ないのがイチバンに困った。

 

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 5日前、注射された直後に寄ったスーパーの入口で、Wakame Mizumichiとグ~ゼン遭遇。

 かたや買い物終え、かたや今からという、バッタリ偶然。

「あれ? Ayameちゃんは?」

「何いってんすか、学校ですよっ」

「へっ? ぁ、ぁ、そっか、ヘ~ジツだね、小学校開いてるもんな」

 おバカな会話しつつ、で、例のミニチュア山崎パンの最新情報を聴き、彼女の指南通り、定価のまま出品されたランチパック1つをメルカリでゲット。ま~、送料150円が加わるけど、決着。

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 これで、Eっちゃん情報やら柔道家情報やらやらで、全5種類が揃ってコンプリート……、あ・り・が・た・や。 

(入手先:イオン倉敷・イオン岡山・山陽町マルナカ・高屋マルナカ……、アチャラコチャラだが全てイオン系列だな。パスコ敷島製パンのミニチュアは2種をゲットしたけど、ま~、パスコはあんまり馴染みないから、も~コレで充分)

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 水槽のコメット(金魚)は、パン屑もらえるかもと尾をフリフリで大接近。もちろん、あげない、あげられない。なので激憤、「キンギョメ~ワク」と思ったはず。

 

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 またぞろ、「蔓延防止等重点処置」。

 来月20日まで飲食店の営業短縮やら酒販売の自粛や禁止。

 いいのかしら? こんなワンパタ~ン方策で? 

 過去、これで確固とした良い結果が出たというワケでなし……、ナンとかの1つおぼえ……、みたいなコトバが浮いてきそう。

 というより、既にポッカリ浮いて肩先で首をすくめてらッ。焦れったくてしかたない。

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 私の場合、注射されて7時間経った頃より、ジワジワと傷みがやってきた。

「ぁ、きたきたッ」

 って、感じ。

 それで……、さほど腕は使わないだろう、指先だけだからと、Macにコントローラーを接続し、ふだんはやらないゲームをやってみるものの、「Tomb Raider」のようなアクション系はやはりダメだめ。

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 コントローラーを握っている間、常に不穏な痛み有り。

 それで、アクション要素ではなく、海底の光景を楽しめる「サブノーティカ」でしばし眼の保養、コントローラーはデスクトップに置き、右手でチョチョっと操作。

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 結局、片手不自由じゃアレコレ無理ねとゲームに興じるのは諦め、昔の『サンダーバード』の劇場版ブルーレイをプロジェクターでポニャ~っと眺める。

 1966年に造られたこの映画は4:3比率じゃなく、劇場用ワイドなスクリーン幅ゆえ、この前の”新作”よりもはるかに見栄えする。クリフ・リチャードとザ・シャドウズが人形となって登場し、演奏するのも楽しい。

 TV人形劇というカテゴリーとミュージック・シーンとがクロスオーバーした、かなり初期のこれは事例で、リアルな人間を人形に置き換えての演出は高く評価されていいと思うが、あんまり誰も言及しないのが残念。

 

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 66年だか67年に、年長の従兄弟に連れられ、当時あった津山東映の2本立てで観たさいは、魅了されるままワクワクと画面を眺めたもんだったけど、久々に眺めると、前半部の火星でのシーンがいささか退屈ではあった。

 ま~、しかたない。その辺りは時代の流れが風化を促しているワケで、映画そのものの価値とは別物。

 

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 ちなみに同時上映はデビューしてホヤホヤの松方弘樹主演の『伊賀の影丸』で、これは1963年の東映の子供向け映画だから、2本立てのためにリピート活用したんだろう。

 全国的にこの2本立てだったのか、津山東映だけのプログラムだったのか、そこはもう判らないが、安普請の白黒映画で、衣装に穴があくのを避けたのか、敵に投げた手裏剣はすべて衣装に貼り付けで、刺さってないの。ワッペンみたいに貼られてた。

 あまりのつまらなさに子供ながら、「バッカみたい」と思ったもんだが、逆に今、この白黒作品を見て大笑いしたいような気も、チラリ。

     

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 という次第で、腕の痛みが後退するまでのここ数日、いささかゴロゴロ・ごろりん、怠惰に日々をうっちゃった。

 いやしかし、怠惰ダラダラもイイもんで、amazon primeで適当な映画を見繕って眺めつつ、白昼からコッペパンにうどんに発泡酒。翌日のお昼はお肉焼いてレーズンパン。ヘンな組み合わせでお腹飽和。連日、たちまち眠気がウサギ足。

 

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 寝返りうてないけど、お布団に潜り込んで午後の3時にス~ヤスヤ昼寝って~のは、わ・る・く・な・い。

 妙な裕福感が満ちてきて、上流的セレブじゃなく、民話の「三年寝太郎」やら『御伽草紙』の「ものぐさ太郎」っぽいユッタリ、スロ~でいいじゃんか、といったセレブリティ~味わいが、よろしかったです。

 

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 多くの皆さんは、さぁコレから3回目というコトになるんでしょうし、個人差もありましょうが、副作用(副反応)の間の過ごし方って、生活リズムという範疇において、あんがいと大きなポイント。どう、うっちゃるか問題ですねっ。

 

 この記事を書くホンの1時間ほど前まで、4名でおよそ2時間、ZOOMで呑み放題云いたい放題のミーティングをやってたけど、憂さ晴らしにゃチョウドいいタイミングだったっす。

 けどやっぱり、直かに会っておしゃべりしたいわいね。

 

方丈記

 

 本日25日は、かかりつけのI医院に11時に出向き、3回目のワクチン接種を予定。

 英国などの経緯をみると、急激拡大するものの、およそ1ヶ月もすると一転して激減、重傷化確率も減っているから、こたび3回目を摂取しても効能が現れる前に6波のブームが終わるような感じ悪さもチビッと有り……。

 

 たぶん、この先ウィルスは弱体化しつつもしぶとく生息し、対応の飲み薬も出るにしろ、3ヶ月に1回とか4ヶ月に1回、注射とか服用とか、インフルエンザみたいな予防が定期化で,「一応の収束」ってコトになるのじゃないかしら……。

 もしもそうであるなら、ウィルスに勝ったんじゃなく、妥協を余儀なくされての敗北と、云えなくもない。

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 しかし思うに、ごくごく幼少の子供たち、わけても物心がつき始めた子供は、この2年ほど、生まれながらマスク着用というカタチなので……、今後コロナ騒動が決着しても、マスクなしでは出歩けないような体質というか感覚の人に育っていくんじゃなかろうか? 

 マスクがアタリマエ、ノーマルな基本って感じ。

 とどのつまり、着衣同様、必需となるわけだ。露出してるのは眼元だけという、何だか中東あたりの女性の装束が想起されもするけど、5年くらい先には、マスクがなきゃ~息苦しいという逆説な感性、下着なしで街頭に立つような気分になる若~い子が、たくさん出て来るんじゃなかろうか。

 戦前・戦後という2極区分があるように、コロナ前・コロナ後では子供の様相が大きく違うというコトになりそうな感じがチラリ有りん子。

 

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 トンガ王国での1000年に1回規模の海底火山大噴火のニュースを聴いて、どういう次第か、『方丈記』がアタマに浮かんだ。

 たぶん1000年というトコロと、大災害というトコロで反応したんだろうけど、同じくおよそ1000年の昔、鴨長明は、彼の存命中にあいついだ大地震や、数万の死者が出た疫病やら飢餓やら……、それゆえに生じた倒壊家屋の無残やらヒトの悲惨にグッタリし、かつ、自身の出世に絶望して隠棲し、結果として『方丈記』を残すことになる。

 1000年前(正しくは800年ほど前)と似通う今の状況がかなり似てるもんだから、つい……、本を手にし、寝ッ転がって再読。

 で、次第にトンガの災禍のことはアタマから離れ、疫病としてのコロナからも離れ、鴨長明という一個人についてのみに焦点が絞られてった。

 ベッチャリ云えば感触として、うさんくさいん……、だなぁ。

 

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 家族や社会から離脱して山中に小さな家を造って住んだ鴨長明……。

 蝶番でとめただけの3m×3mの板壁。だから方丈。同書によれば、天井というか屋根らしきものの高さは2m弱。

 家ともいえない家を山中にこさえて5年オーバー住まってみたものの、どこかその生活を自身に無理強いしているようでもあり、そこを文章上ではごまかし、自然との交流というカタチの中に“絵画的”に自分を見せているようでもあり……、あれこれ彼の心情やら心象を空想すると、

「うまくいかなかった人生をうまい文章でもってごまかしちゃった」

 ような、自分には甘~い人物というカタチが浮いて、誰もが知るフレーズ、

ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

 というスタート部分から既に、鴨長明さんは自己弁護と美化に進んでったのかな、と感想する。

 京都の山中の小さな庵に住まって世捨て人をうたいつつ、鎌倉に旅に出て、当時の最高実力者・源実朝に面会し、神社の宮司職につきたいという願望をチラリと垣間見せるあたりに、このヒトの矛盾というか、ヘンテコな匂いがたって、鼻につく。

 そのあたりの事実を『方丈記』では意識的(?)に消去しているから余計に……。

 となれば、貧窮極めた貧乏住まいではなかったような感も、受ける。

 下鴨神社にある復元家屋は、意外やマトを得ていて、世捨て人はあくまでポーズで、実体は別荘的快適ハウスだったのかも……、というような懐疑もわく。

 もちろんガス水道完備なワケはないし、京都特有の夏の暑さや厳冬の辛抱はあろうけど、“秘密基地っぽい隠れ家”としてはいっそゴージャスな造りじゃ~なかったろうか、とも愚考する。琵琶を自作するほどのヒトだったというから、ミニ家屋も一人コツコツ自作したとも思えないではない。となれば、創意工夫のDIYを愉しみ、己のが身と心が安住出来うるだけの創作ハウスではあったろう。

 

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      下鴨神社の復元方丈庵。立派過ぎるようでもあり、そうでもないようでもあり……

 

 ともあれ、今となっては解釈はどうともとれる。

 ま~しかし、記述内容はともあれど漢字と仮名が合体した初期の事例が『方丈記』で、文体の華麗と秀逸は目映い。今後も日本の文学史上から消えはしないし、赤色矮星みたいに妖しく発光し続けるはず。

 没して806年が経過した今、いろいろなカタチで貴男の本が出てますよ~、水木しげるも”解釈本”を出してるよ~、と806年過去の彼に霊界通信できたら、

「やったぁ! カッモ~ン!」

 鴨さんは小躍りし、隠棲忘れ、京の町に出て来て、

「あたしゃ後世に有名になりましてねっ」

 祝いのパーティを開くようなヒトだったんじゃなかろうかとも思って、結果、つい、ニンマリ笑うんだった。

 

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 若い頃に岩波文庫で『方丈記』を読んださいは、孤高の隠者というイメージが先行していたけど、やや老いて錆びはじめた今の眼で読むと、ヒトと交流したいのか、そうでないのか、そのあたりも曖昧だし、なにより、日々食べるであろう米とかは、どうやって入手してたの?

 幾重とクエスチョンがひろがり、見事な文章表現には相反し、

「このヒト、あんまり信用できんなぁ」

 という気分が否応なく湧く。

 

 けど一方で、いや待て、そうでもなかろう……、このヒトは歌も詠めば楽器も弾け、好きなように活き、が、それでも満たされない事が多々あるのをよくよく承知し、横揺れ縦揺れがヒトの常ならば、頓着も無頓着も煩悩も達観もいっさい含めて、ぁああ無常……、

はかないもんですなぁ

 という仏教的境地の入口付近にはいたのじゃなかろうか、達観という上から目線をあえて退け、いっそ、ながされるままもまた人生、あるいは、ながされるのが人生、あるがままでイイんだわさ、というような、その無常観を根底にした、ツイッター的つぶやきの集合物が『方丈記』だったのかも……、というようなコトをチロチロ考えた。

 昨今のこのブログやらFacebookやらの自己発信ともよ~く似ているようでもあって、そのイミで長明さんは1000年ほど前の、情報通信の先駆的発信者といえなくもない。

方丈記』を読むさいは、けっして聖人っぽい位置にあるヒトが書いたワケじゃない、というツボを押さえるコトが肝要。ボクら同様に揺れてブレてる様子を愛しむべきかな。

 

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 角ひろみの戯曲『狭い家の鴨と蛇』のDVD。『方丈記』を原作に、大震災による原子力発電所の災禍から逃れて山中に一人住まう男とのこされた家族の物語。舞台で主役を演じたのは、OJFジャズフェスの開催で行政の側から支援してくれたKazahaya君。

 良い芝居(アートファーム主催・西川アイプラザで上演)だったけど、彼はブルース・リーみたいに鍛え上げた筋骨逞しいナイス・ボディなので、物語途中で上半身裸になるシーンでは、その1点が逆にマイナスだった。災禍から逃れようとする男のイメージとしては軟弱なボディの方がよかったよう思えて……。

 

 

サンダーバードにキングスマン

モスラ』に継いで、『キングスマン/ファースト・エージェント』と『サンダーバードGOGO』をば、観る。

キングスマン』はメルパ岡山にて。

 

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 今月末をもって同館は岡山駅前から撤退……。

 ガッカリしないわけがない。どこにでも座れる自由席空間が最大の魅力、かつ、ここで何作もの映画を愉しんできただけに、片腕もがれちゃうような、

「ぃ、痛たたたた……」

 グッタリandブルーな気分にもなるんだった。

 まして遠い昔ながら、当時、「おふくろ」という店がグランド・メルパ〔今はない)のすぐ隣りにあって、メルパと同じく福武観光が経営し、ボクはそこで高校3年間の夏休みと冬休みと春休みはアルバイトしてた。もちろん調理のチョの字も出来ないけど、割烹着を着て来店の方々を迎え、徳利あっためて燗酒をだしてみたり、おでんを適度にと云われたら、コンニャクと糸ゴンニャクだけを選んで出したりしてた。

 オール・カウンター席の和式っぽい造りで、昼食・夕食にお酒……、けっこう繁華だったけど、なんせ映画館がやってる“食堂”だから、各館(当時は岡山グランド劇場と岡山東映の2館)の映写室に珈琲や昼食を運んだりもする。

 なので映写室のヒトとも親しくなって、ヤマモトのやつ、出前に出たまま帰ってこんぞ~、というようなコトがしょっちゅう起きてた……。要は映写室でスクリーンを眺めてたワケだんわ。東映作品は任侠モノが多くて興味なしで、もっぱらグランドね)

 当時はフィルム時代だから、映写室の暗がりの中、でっかいロール巻きのフィルムがカタカタカタカタ音をたてて廻っていて、1本の映画は複数のロール巻きを交換しながら続いてく。映写中、時にそれがちぎれるコトもありで、技師さんは上映中は動けない。

 その苦労を横目に、出前のワガハイは彼が食べ終わるまで、スクリーンを見下ろしてんだからエエ加減なバイト君だ……。

 なぜ指名されたか判らないけど、早出せよと命じられ、東映映画の舞台挨拶で来岡した若山富三郎渡辺美佐子さんの朝食をお世話したこともある。

 まだ新幹線がない時代ゆえ、お二人とも日帰りじゃなく宿泊されていたワケだけど、給仕ボーイが青い高校生だとは知りはしないだろう。メルパ(福武観光)は大胆なコトをしたもんだ……。

 そういうコトもあって、駅前メルパの撤退を心底、惜しんでいる。

 

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 ともあれ、そこでのファイナル鑑賞となるのが、『キングスマン/ファースト・エージェント』。

 もうアトがないから、しごく当然、始まる前の予告上映はない。

 口惜しいような未練ある悲哀が背中に駆け……、否応のない惜別の温度があがった。

 

 キングスマンという秘密組織の生い立ちを見せるこたびの作品は、オールド・ファッションな”時代劇”に仕上げた着想が何よりよかった。

 徹底した娯楽作品、過剰なほどの黒いユーモアに満ちたキングスマン・シリーズを、あんがい、ボクは好む方。

 前作2本が含有していた、下ネタ、エログロ、パロディ、荒唐無稽、が存分にまぶされた展開を、だからこたびもヤヤ期待した。チラシにも「超過激」の一語があるし。

 まったく意外なコトに、本作はそこを抑制し、前半から中盤あたりまでは“真面目”過ぎほどに“普通”な映画だった。

 普通というのはおかしいか。

 実は普通でなくって、物語の芯となる第一次大戦前のイギリス・ドイツ・ロシアの王室が血縁濃い従兄弟同士である史実を逆手にとったり、大戦の発端となるフェエルナンデス大公の暗殺などなどを練り込んで、実に巧みに史実を“キングスマン的史実”へと塗り替えての大騒動。

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 仔細を眺めるに、第一次大戦での塹壕戦の悲痛を描いた1957年のキューブリック監督の名作『突撃』で主役を演じたカーク・ダグラスにそっくりな役者さんを、同じ塹壕戦シーンに登場させるといったパロデイというかオマージュっぽいシーンなどもあって、前作とは趣き異なる手法でこの映画を製作していると判って、

「おやおや?」

 感心とヤヤ退屈をおぼえもしたけど、悪くない構成。

 退屈は、期待した展開と違うところから来るチョットした戸惑いゆえのもの、つまらないというイミでなし。

 ラスト30分ほどは従来のテーストが還った演出と速度で、ニンマリ。

 今後のキングスマン・シリーズ展開に期待を抱けた。

 

 当然にCGが随所に使われる。

 これでもかぁ~とばかりに、続々に登場するCGI映画連打には食滞してるけど、CGが嫌いなわけじゃ~ない。

 

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 レイフ・ファインズは007シリーズのMでお馴染みだけど、ヤヤ忘れられた作品に『アベンジャーズ』というのがあって、小粋過ぎて滑稽な英国情報部のエージェント役を実に真顔で演じて笑わせてくれ、以後ずっと気になる役者さんじゃ~ある。もっとも『アベンジャーズ』では悪漢役のショーン・コネリーがノリノリ怪演して俄然に目立ち、主役のファインズが霞んでチッと気の毒な感もあった、な。

 

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 さてと、『サンダーバード55/GOGO』。

 あえて60年代の人形劇を、CG使わず、人形劇のままに徹底して再現という試みが、何より素晴らしい。

 ただ、この国では、吹き替え版のみで公開というのが嬉しくない。”特別料金”というのもヘンテコリンで意味わかんない。

 英国での公開と同じくオリジナル音声で、字幕版として、創られたままの3部作をホントは観たかった。何も3本を1本につなげなくっともヨイのにね……。

 

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 シネマクレールで白昼に観て、後日、柔道家の車で夕刻のMOVIX倉敷に運ばれ、男3人でも観た。

 中年を超えたオジサン3人のデートは……、さっぱり華やかでない。ときめかない。

 いっそ小っ恥ずかしくもあるけど、模型趣味全開のポリスマンK君とは久々ゆえ、これはこれで大いに愉しくもあった。

 

 当然に『サンダーバード』は模型あっての映画なのだし、大のオジサン3人が童心に還るというよりは、童心みなぎらせ、

「やっぱ、2号だよなぁ!」

 とか、

「ペネロープ、いいね~」

 とかとか、見終えるや、なんぼ~でも話の輪が拡大するという点で、楽しくもありま温泉、

「ぁあ~、このぬる湯加減がイイィわ~」

 なのだった。

 

サンダーバード』の初放映は1966年。この1時間番組をライブでガッツリ観たのと、30分2回に分割しての民放での再放送(1967年より4年置きくらいでリピートされた)を初めて観たのとでは、すり込まれた形態が違い、以後持ち続ける印象に開きがある……。

 NHK放映では日本語の歌はなく、バリー・グレイの秀逸極まるインストゥルメンタルのテーマ曲がオリジナル通りに使われ、英国の香気みたいなのを放っていて、子供ながら感心したもんだったけど、TBS系再放送ではそこが例の、

「サンダ~バ~~ド~ ♫」

 に置き換わって、何やらいかにも“子供向け番組”という位置に置かれたようで、第1期の放送を観た身としてはいささか当惑し、残念に思ったもんだ。英国テーストが味噌汁テーストに変じたみたいな違和をおぼえたもんだった。

 こたびは、そこがオリジナルのままなので気分がよろしかった。

 ま~、もっとも、映画のラストでもって日本語の歌が入ってきて、これが、その直後のドラマにそぐわず、

「余計なコトをしてぇ……」

 おじさん3人は、ブ~ブ~文句を垂れるんだった。

 

 ちなみにNHKでの放映時、我が家はカラーTVじゃない。白黒だ~ぁ。

 なので少年雑誌や今井科学のプラモデルを手にして初めて、2号がグリーンだったり、4号がイエローというのを知って……、カラーTVに随分あこがれたんだわ当時は。その頃のカラーTV普及率はわずか3%だからボクちゃんのみ劣等してたワケでもないけど。

 

 はるか後年、模型業界に入って、その今井科学の社主とアレコレしゃべったさいは、すごい偉人に会ったような気がしないでもなかった……。

 

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         30年ほど前の写真  勝沢社長と私  コチラでも紹介した事あり

 

 映画館の中、画面を観つつ、

「昨今のCGもよろしいが、やはり模型が活躍の映画がイチバン、頼もしいなぁ」

 何も映画製作に関わってるわけでもないのに、妙に鼻が高くなるような気分になったのも、また可笑し。

 ま~、それほどに、こたびの映像は60年代当時の『サンダーバード』を忠実に再現しているので、その再現度合いに、『モスラ』の時には、眼がうっろ~んとなったけど、今回のは、眼が炯々しちゃい、かつ、ウットリするばかりで、爺さんが孫に逢うてるような気分もモ~クモクと燻るのだった。

 

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           昔のフィルムの一部を転用のため、今回の映画も画面比率は4:3

 

 60年代に創られたドラマ・レコードの音源をそのままに使った展開なので、ストーリーがど~のこ~のは大事でない。ストーリーそのものはユッタリしておおらかで、眠気を催す程度なものだ。(実際、2回とも、途中ウトウトしちゃったわ)

 復刻された人形たちやメカニックな諸々の活き活きを、それも60年代テースト真っ只中を眺めて愉しむという豪奢な次第が、なによりポイント。

 その意味でただタンに回顧的なだけの樋口真嗣氏の日本でのつけ足し演出はまったく不要と思われる。というより、足を引っ張ってる感が濃く、ダメよダメダメ、余計なものを足しちゃぁ。

 あと一言足せば、併映の人形劇「ネビュラ75」の意味するところを配給元の東北新社さんはもう少し丹念に説明すべきだった。『サンダーバード』以前の60年代に作られた『宇宙船XL5』を当時の雰囲気のままにリメークした作品の1部というコトを伝えないから、館内の方々は皆な、

「キョト~ン?」

 なのだった。

 

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60年代末頃のビートルズロールスロイス。で、同じロールスのお馴染みFAB1ことペネロープ・カー

   

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90年代に雑誌「モデルグラフィックス」に載せるために造られ、以後、当方宅にいる1/6-フル可動ペネロープ

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 1960年代が輝かしい時代だったとは思いもしないが、まだ将来(未来)に向けての夢があった時代だとは云える。

 なので学生運動を含め、皆さん、明日の明るさを求めて大いに闘争したのだし、『宇宙船XL5』も『サンダーバード』もそういう時代の中のヒトコマと思えば、懐かしみと、その懐かしさの中にいまだ未来に向けて進もうとしている熱エネルギーをも汲み取れて、諸々が沈滞している今にはない躍動が、この2020年代に製作された新作にはあって、そこがホンワカ嬉しくはあった。

 60年代に回帰するのでなく、良きところを汲み取って継承しようとの熱量を、あ・つ・い!、と感じ、ぬるま湯でない熱加減に肩やら腰やらが大いにほぐされるんだった。

 

 MOVIX倉敷もシネマクレールも空席だらけだったけど、イイのだ。むしろ、それで、

サンダーバードはボクとボクの近場のラブリ~なヒトだけのもんだじょ~」

 みたいな60年代に少年期を過ごしたマイ・ライフの妙チキリンをふりかけた、苦みある旨味も味わえて、今の子供にこの滋味を味わってもらいたい……、というような気分はコレっぽっちも生じないんだった。

ヤマザキパンの模型

 

 ガシャガシャ、ガチャガチャ、ガチャポンなどと呼称アレコレなカプセルトーイ。

 ヤマザキパンのミニチュアまで出てるのにゃ……、たまげた。

 既に全国じゃ完売状態らしいけど、Wakame Mizumichiちゃんより「まだ売ってる場所あり」との情報をもらい、

「なんだ、うちから近いじゃん」

 出かけてみるも、一歩遅し。売り切れなのだった。

 

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 何故にわざわざ出向いたかというと、1つには、ま~、当方、ごくごく密かにヤマザキのパンが好きだからというコトもあるけど、

「そんなモノ、何で模型に?」

 という不可思議、キツネに化かされ、お尻にキスされたようなヘンな気分の実体を、このメダマでしかと見て確かめたかったワケだ。

 

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 まっ、とはいえ、その気になれば何だってミニチュアには出来るんで、むしろ不思議の正体は、

「こんなモノ、何で買うの?」

 と言い換えた方がヨサゲ。

 

 カプセルは1ケ400円。

 本物のパンはそこいらのスーパーで1ケ170円程度なんだから、似せた模型の方がグッと高いわけだ。

 にも関わらず、売れてるのは、そのミニチュア・トーイが可笑しいからだろうか?

 現代アートっぽい、コンセプチュアル感覚(アイデアの面白みという意味で)があるからだろうか?

 

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 と、そんなことを思いつつ、紹介された高屋(地名です)の某マルナカ2Fで大きなスペースを占めているガシャガシャ・コーナーに圧倒(もう何十年もこういうアミューズメントな場所に足を踏み入れたコトがないんで)され……、

「何じゃろね、この膨大は?」

 百花繚乱、呆気にとられるまま、ヤマザキパンのミニチュアじゃ~ない別カプセルに眼がとまり、ポッケから400円……。

 そうか、売れるワケだ。

 

 エスカレーターで1Fに降りると、眼の前に、各種ご当地ラーメンの山積み……。

 品名がゼツミョウなのがあって、

「あららっ」

 つい、1000円で買った。

 

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 パッケージに、かの番組のラストでいつも出てくる黒いシルエットとなった家のマークがプリントされてたりで、著作権に抵触しない範疇での、「判るヒトには判ってもらえる」っぽい豚骨ならぬ反骨の諧謔があって~ぇ、と妙な納得もあったりぃ~。

 ぁぁぁ、でも、こういうのもやはり、無駄な消費というんだろか? 

 ヤマザキパンのミニチュアを見るコトかなわずだった腹いせに、代用として買っちまったような気がしないでもない。

 ま、いいか。

 いずれこの黒いラーメンは体内にはいるんだから、それでコトをばイイ方向というか、EATというか、胃の腑におさめて得心しよう。

ひさびさ『モスラ』

 

 昨日、四十九日の法要と納骨。

 葬儀以後、仏間の仏壇横に祭壇が設けられていたけど、納骨済んでそれが片付けられ、マザ~はカタチとして今度は仏壇の中へと移動した。

 

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 これで忌中が解除され、今日から1年は喪中というカタチになる。

 むろん、仏式世界観でのハナシであって、チョ~厳密その”規定”に準じたりは、しない……。

 

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 正月にはお雑煮も食べたし、お屠蘇も早朝より味わって、この前はセリにナズナにぺんぺん草……、七草粥もすすった。

 なので毎年とそう変わらない。年末に新見で買った三光正宗の一升瓶ももう空っぽだ。

 

 新年早々、映画にもいった。

 昭和36年(1961)の『モスラ』。

 

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 4KでレストアされたのをTOHO岡南シネマで、観た。

 懐かしい。

 津山駅前の東宝(今はない)で、両親に連れられて観たのが7歳の時だわよ。

 よくおぼえてる。

 座れなかった家族連れは通路に新聞紙を敷いて座ってる。館の左右壁ぎわと背後は立ち見の人がどっちゃり。超満員というのは、こういう状態をいうんだ。満員になることを想定して新聞紙を映画館に持っていくのが一部では常識というような時代なのだ。(信じられないでしょうが本当だよ)

 今のように入れ替え制じゃないんで、席が空くのを待つしかない。

 うまいコト、亡きファ~ザ~が2席を確保し、マザ~とワガハイは着座し、ファ~ザ~は館のどこかで立って観たと記憶する。

  カラーTVなんぞはまだない時代だから、”総天然色”のこの映画に接した津山の7歳男児は、強く感化された……。

 色彩の豊穣と絢爛に眩んだ。

 

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 その『モスラ』に、半世紀の差月を経て、映画館で会う。

 当然に感慨が、で・か・い

 ましてや4Kでの再生だもん。

 フィルムに本来定着している鮮明な映像を当時の映写技術でなく今の技術でもって見せるという企て……、その”総天然色”の極美を61年経って味わえるというのは、いったい、何やろ?

 ま~、感涙したりはしないけど、

「おほ~~I」

 眺めつつ、感嘆符を幾つとなく無音で発してた。

 ザ・ピーナッツが唄って踊るシーンの、その背後のホリゾントに描かれた絵の、筆の運びが判るほどの明瞭さに、4K画質の旨味と極美を知らされた。

 

 もはや、7歳の子供ではないんで、アレコレ当時の様相が多少は判ってる。

 怪獣映画という枠組みの中に時代批判を含ませた、中村真一郎+福永武彦+堀田善衛、3人による原作の醍醐味……。

 その原作をフイルムにまとめた脚本の関沢新一と監督・本多猪四郎の巧妙。

 日本滞在中の米国人に向けては日本警察が主導できず、駐屯のMP(米軍憲兵が動くというあたりの実態を、実にさりげなくも見せて、”占領下状態”の現実をチラリと垣間見せたり……。(云うまでもなく昭和36年当時、沖縄は日本じゃない。郵便切手も「琉球政府」発行の独自なものだった)

 

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                1994年に限定刊行された原作本

 

 むろん、この映画は日米安全保障条約のイビツを訴えるものじゃ~ない。

 ないけれど、日本の置かれたカタチを密かに開示して、ただの子供向け怪獣映画じゃなく、子供を連れて観に来た当時の大人にもインパクトをあたえるべく作られているのがアリアリ判り、そこの奥行き、フトコロのデカサが素晴らしい。

 が、そんなシーンの巧妙な味付け以上に、こたびは、当時のミニチュア・ワークの素晴らしさとその色彩感に、衝撃をうけた。

すっげ~~!

 一言でいえば、ま~、そういうこっちゃ。

 常々にそうだとは思ってたけど、いざや映画館という”特殊環境下”でひっさびさに本作に接してみると、とにもかくにも凄いんだ。

 CGを駆使した昨今の映像じゃなく、ほぼ全てが手造りの凄みと、それがもたらす醍醐味の目映さだ。

 モスラの幼虫も成虫も、壊される町も、かの東京タワーも、すべてが手造り。それを大勢で動かしている撮影現場の深度に震撼させられた。

 わけても、東京タワーに繭を作るまでのモスラ幼虫の、動きの素晴らしさ!

 4Kの鮮度と鮮烈が、その震撼をいっそう揺さぶって、

「いやぁ、まいった。降参だぁ、めっちゃ素ん晴らしいわい」

 目ん玉が、うっろ~~ん、虚ろになるほどだった。

 

 ま~、退屈な部分も、むろん、あった。

 すでに何度となく自宅でDVDを眺めた身、シーンの1つ1つをおぼえきっているゆえ、物語を追わないでイイ状態からくる常習的慣れっこが、タイクツ温度となる。

 その温度があがるたび、手にしたコーヒーをチビチビすすり、自分を戒めたりも……、した。全身全霊でもって『モスラ』に魅入った7歳の子供時代の自分に還ろうとしたワケだ。

 当然……、還れるワケじゃ~ない

 けどイイのだ。

 この映画を子供時代に観たおかげで私はやがて、模型業界に入っていくワケで、何を隠そう、業界でのデビューとなる原型製作が「モスラ誕生」という作品なのだったし、それが起因となってだったかは忘れちゃったけど、やがて、Kuyama殿下という盟友を得て、今に至るも彼の模型技巧と視点に常に嫉妬かつ羨望するというハメに陥って久しいのだっちゃ。(^^)

 

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             80年代前期にキット化された、我が「モスラ誕生」

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  既製品にあらず。Kuyama殿下のオリジナル作品。この写真のみでは迫力とリアルが伝わらない……

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                  別場所、PCモニターの前で撮影

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 こたび当方宅にある殿下のこの作品を写真に撮ろうとして、難易度の高さをつくづく痛感。撮影するには実に難しいのが、タワーと繭とモスラという組み合わせだぁ〜ね。

 折れたタワーの奥行き、羽の幅、焼け焦げた繭のサイズ……、1枚でおさまらないんだよ……。

 この模型が持ってるゲキレツなインパクトと魅力を伝えきれない。

 

 だから東宝作品『モスラ』の撮影は、とりわけ、この成虫が誕生したシーンは、大変だったろうと、いまさら強烈に感心した。撮影用模型はサイズも半端じゃない……。

 縮尺模型がただの模型としてでなく、映像というリアル空間の中で呼吸すべくアングルを考えに考え、最良の撮影を行った円谷英二に……、ブラボ〜〜! 今になって拍手喝采するんだった。

 

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         東京タワーのセットを見上げる原作者3人。右から福永、中村、堀田。

  芥川賞直木賞の作家3名がこの映画の母体というのも凄いけど、この撮影模型のサイズにも驚く……。

 

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モスラ』の1シーン。ずいぶん田舎に見えるが実は渋谷だ。昭和36年当時の渋谷界隈はこんなにローカル。

 このシーンが撮られた3年後には東京オリンピック〔1964-昭和39年)が控えていて、渋谷界隈はその工事がアチャコチャで進行中だったそうで、その辺りもミニチュア・セットとして再現されているのもまた素晴らしい。

 

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 上記のシーンを幅30㎝ほどのサイズで再現した殿下所蔵の模型。当方の稚拙な原型がKuyamaマジックで躍動。模型の台座ベースにあわせて自作されたアクリルケースと背景カラーがマッチして、1つのほぼ完璧な小世界。「アクアリウムモスラ」と名付けちゃいたいほどの出来映え。

 

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              我が宅にある別作品、通称・井上モスラ

 

 まもなく、『サンダーバード55/GOGO』も観に行くことになる。

 これはこれで、ゲキレツ激痛なほどに興味シンシンなワケで……、いささか食滞ぎみなCG映画じゃなく、模型活用を前面に出した映画なのニャ。

 なので『モスラ』に次いでの、連打。

「ミニチュア模型-再元年」

 というような、昂揚ぎみな気分の、2022年の年明け10日め。

年末の新見

 

 誰もがそうだろうけど、師走というのは何ぞかんぞと行事がかさみ、それなりに、せわしないねぇ。

 ま~、もっとも、ややエンジョイがちな行事が立て込むって~なアンバイで、ぅぅ~ん困ったぁ、というようなもんでもない。

 でしょ?

 コロナを警戒しつつも小規模なパーティーあり、zoomでのOn-line飲み会あり、などなど、やたらアルコール摂取が増え、結果として、

「ぁあ年末なのだにゃ」

 ビールの空き瓶かぞえて、そう感じる次第。

 

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 数日前、今年ファイナルとなる日曜、新見方面に出向いた。

 北に進むほど空気は凜となる。

 凜とすれば背筋もシャンとする感があるけど、この場合、背は丸くなる。

 寒いのでなく、冷たい。

 寒気と冷気の差異はジーンズを履いて味わえば、違いがよく判る。

 寒気は布地にさほど浸透しないけど、冷気はジーンズを浸食して内に進み、膝っ小僧あたりをチメタ~っく凍えさせてくれる。

 同行のKosakaちゃんは数ヶ月前にも出向いてるけど、当方、新見は久々。

 新見市のちょっと手前あたりから、雪。

 どんどん降ってくる。

 

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 新見市内某所で三光正宗酒蔵の酒をまずは、入手。

 大吟醸が欲しかったけど、在庫なしということで、しゃ~ない、別のを1本。

 抱えて車に運びいれ、さらに北上するに連れて、次第にあたりは銀世界。

 千屋を過ぎ、鳥取との県境、いぶきの里スキー場の入口直前まで駆ける。

 

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 そこにジャズフェス仲間のSasaki君が造った店 Cafe & Live Musik が、ある。

 迎えられ、あったかい珈琲。

 そして、うどん。(来年からの新メニューだそうで、冷えた身体に旨味が染みたぁ)

 しみじみとしたぬくもりを味わいつつ談笑。

 

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 彼はあったか温暖な海の町・玉野で店をやってたけど、一転、今度は県最西端、鳥取との県境の山中に店を出したわけだ。

 海幸彦が山幸彦 に変じた次第で、ダイナミック。

 こういう大きなスケールを僕は持っていないんで、いささか目映くもある。

 店内にはピアノあり、ドラムあり。PA、ミキシング装置も完備。

 まだその機能を活用できていないそうだし、春・夏・秋に限られようけど、広島・鳥取の県境というリッチ条件が、いささか面白いライブをいざなえるような予感が、した。

 

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 談笑中、2度ほど青空が垣間見えたものの、それも束の間、ふぶき、降雪が勝って、天地の境を曖昧にする。

 小一時間もすると、駐車の車にも積もりはじめる。

 

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        到着直後                          30分後

 

 温度計はマイナス5度から6度に下降中。

 わだちが凍り始めている。瞬時に激変。車もボディ下部の濡れた所がツララになっている。

 店前の180号線を駆ける車も、激減。

 

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 全国的に強い冬型の気圧配置になったこの日……、いぶきの里、というより、ふぶきの里、って~感じで、スキー場への車もこの悪天じゃ〜来ない。

 

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          スキーヤーの送迎バスもルーフに雪が積もりはするが、お客激少

 

 Sasaki 君いわく、

「このあたりの人は積雪事情をわきまえているから、こういうアイスバーンに至る天候になると車に乗らないですねぇ」

 とのこと。

 

 スタッドレス仕様で雪に強い四駆ジムニーとはいえ、路面が凍えてしまえば、危険度は他車と同じ。

「じゃ~、また来年、来ますからなっ」

 謝辞し、予定切り替え、早めに新見以南に退避と決めた……。

 

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 あんのじょう、数キロと駆けぬうち、大型のバンが一台、スリップして反対車線に飛び込んだらしきで前部が大破しているのを目撃……。

 凍った道は危ないよ~。

 

 という次第で、どこかで千屋牛を食べようとのプランも、頓挫。

 食べてるうち、さらに悪路となるのが予想され、断念。

 ま~、いいさ。

 また出向けばいい。

 

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 光景から色彩が抜け、白とグレーのモノクロームの新見界隈。南下に連れて色彩が戻ってくるんで、ホッとする……

 

 なワケで、うどんの次に食べたのは夜になった岡山市内に戻ってから。

 それも郊外。東区楢原の『魚しん』で”日替わり丼”。

 とんでないボリュームと、それがわずか1000円というプライスにたまげつつも、美味しく頂戴した。

 

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 新見のもっとも奥深い山中から南下し、一転、瀬戸内近い平地での海鮮食。

 それで、ハタと思い出した。海幸彦と山幸彦

 むろん、この場合、仲良き事は美しき哉・ケンカ駄目っすよ~、の方向での2人の幸彦を。

 来年こそは、争い少ないトシになりますように と……、望み薄いであろうけど、そう願いつつ。

 

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12月の柿

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 岡山駅前の北側にあるソフトバンクテレコムの電波塔。

 夕刻、たくさんの鳥が群れて羽を休めてた。

 鳩か? ツグミか? ヒヨドリか? ムクドリか?

 

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 やや遠目からなので、何鳥かがわからないけど、丸っこい形状から推測するに、トンビやカラスには見えない。サイズとしてはムクドリに思えるが……、どうだろ?

 これだけ数がいると、糞害も甚だしいだろうから、ソフトバンクも憤慨すら~ね、たぶん。

 

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 いっせいに飛び出さないかしら? そうしたらヒッチコックの『鳥』めいたシーンになるのになぁ。しばし眺めてたけど一向に動じる気配がないんで、しゃ~ない、見上げるのをやめ、こちらが動じてスタコラさっさ、駅方面に向かった。

 

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 ちなみに、1709(宝永6年-徳川綱吉が死去して生類憐みの令が解除された年)貝原益軒が出版した『大和本草(明治以前の博物学的書物としては最高峰にあるらしき本)によれば、ムクドリは当時、食用であったらしく、「味よし」との評価があるそうな。鳩と同じくらいのサイズでもあるんで、食ってみたいもんだ。

 クリスマスなのでフライドチキンがアタマに浮いたわけだけど、ま〜、ホントに旨いかどうか確かめる気分で。

 

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 近所の空き家の庭。その垣根そばに、旬をとっくに過ぎ、ただ寒風に揺られている柿の実あり。

 最盛期には路地に大幅にはみ出し、実ったのが多数、頭上で垂れているというアンバイなのだったが、誰採るでなく、鳥もついばみ飽きて、放置されるまま朽ち続けている。

 なにやら風情があるようでもあり、ないようでもあり、けども、光景のアクセントとして、赤色のみが眼にはいる。

 ベツダンこちらは意識していないはずなのに、赤が飛び込んでくる。柿の実そのものは動じないのに、赤のみが自由運動し、バビュ~ンってぇな勢いで入ってくる。

 寒々しく、祭りの後っぽい寂寥も感じ、しかしどこか、眼が微かに潤うような感じも、なくはない。

 

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 空き家のそれを眼にするたび、何かのSF映画だかで、ヒロインが奇妙な形に茂った樹木から赤い実をもいで口に運んでるシーンがあって、そこだけが妙に印象されたのを思い出す。

 たぶん、赤という色にボクは反応しただけなんだろうけど、蕪村ならば、そこで峻烈な一句を産むだろうなぁ~、とも思ったりする。

 

 蕪村には、こういうのがある。

 つゝじ野や あらぬところに 麦畑

 つゝじ野というのは、ヤマツツジの赤い花が咲いている頃のことを指すんだろう。5月か6月の初め頃か……

 となれば、麦の麦穂は先端あたりがヤヤ黄色がかっている頃でもあって(7月が収穫時期)、蕪村はその色彩の対比に鮮烈したんだろう。

 

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 ゴッホのような黄色に向けてのパッションじゃなく、赤を基点にしての大地の幾何学的ダイナミックと、うつろう季節の中でのヒトの立ち位置を、思ったんだろう。

「あらぬところに」という七語に、大地にしがみついて生きているヒトの営みの憂愁が写されている。常々に景色に眼を向けている蕪村ですら予期しなかった場所に、その麦畑はあったんだろう。

 だからパノラマティックな広角な景色じゃなく、ヤマツツジがあるような狭窄の山野に、畑がポツリとあって、自ずとそれは人の営みを示しているワケであって、

「ありゃ~、こんな場所にもヒトがいるんだぁ」

 って~な感慨を五・七・五に圧縮したんだろう。

 

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 そんな意味合いでは、空き家の柿は、当方に詩情をもたらす触媒なのかもしれないけど、朽ち果てて路上に落ちてベッチャリしたのもあって、踏んづけちゃ~タイヘン、

「気ぃつけて歩くんだぞ、ここは」

 ただ単に、警戒いざなう信号としての赤なのかもしれない12月の……、柿。

 かき踏めば 靴はワヤやと 顔あからめ