丸さん・金杯・チャギントン

 

 過日、岡山電気軌道清輝橋線に乗っかって大雲寺前まで行く。

 どこをどうまさぐっても、過去、この路面電車に乗った記憶がない。

 東山線は頻繁に乗っているけど、なが~く岡山市に住まっていながらこたび初体験の清輝橋線。こういうコトもあるんだなぁ。

 

 で、大雲寺前から数分歩いて、ギャラリー108に行く。

 グループ展が開催されていて、友人の丸さん、丸山徹也が幾つか出品している。

 それを見に出向いたワケ。

 昨年に彼は表町の画廊アンクル岩根のギャラリーで個展(正しくは2人展)を催し、当方は惹かれた陶芸小品を一点買い求めたけど、こたびも陶芸に加えて木彫り作品を展示するというので楽しみに出かけたワケだ。

 多数の作家さんが参加というカタチゆえ、出展数は少ないけども、1年ぶりの彼はあいかわらずの元気印でハツラツ炯々として、喜ばしい。

    

 桧を削り、丸め、部分を磨き、部分に彩色施した見事な作品。

 タイトルは「新世界より」。

 一見は牧歌的ではあるが、共生か、こういう生体か、樹木めいた諸々を生えさせ、背には髑髏あり。頭頂にカエルのようでカエルでない生き物を置いて何かに耳をすませる人類の末裔?

 不思議な姿に、前回に鑑賞した作品同様に、しばし固唾を吞むような思いで凝視した。

 カタチの中にストーリーが潜んでいる。

 遠い遠い幻影的な未来の1シーンが確固としたカタチになって今現在に立ち現れただけでなく、この木彫りの中で物語が進行しつつある。

 

 貼り合わせでない、彫刻作品とした、製作中の集中と慎重が眼に浮かぶ。

 粘土造型ではやり直しが可能だけども、木像彫刻はやり直し不可の大勝負。

 ましてや、写真の通りの繊細で大胆な造型……。

       前回、昨年3月に表町の画廊で展示された作品「新世界よりⅡ」の顔部分

 

 こんな作品たちを眼の前にすると、アタマが下がるというか感嘆に痺れ、眺めているだけでデッカイ至福にくるまれる。他の方々の作品群はカタチもおぼろと化し、ただもう木彫り作品だけがギャラリーの玉座位置に鎮座す。他の作家さん達には申し訳ないけど、そう感じたんだから仕方ない。

 

 こたびは、漆塗りの作品も展示していたけど、ウルシの奥深さを探る習作という位置づけのようなので、それにはカメラを向けなかった。

 でもおそらく、来年あたりの個展なりグループ展で、いっそう跳躍した木と漆による新作を観ることが出来ようと、楽しみが1つ増した。

 作家自身も漆の性質に驚きをまじえた可能性を見ているようで、そこも頼もしい。

 今回イチバンに感心を寄せた陶芸小品は、この写真の、金魚をモチーフにした女性像。

 静謐な優雅が髪型に集約され、それが金魚の肢体がごとく後ろになびいているカタチに、感嘆させられた。

 彼は、彼の中で醸造される発想のコトを「妄想」とよんで、クスクス笑うけど、いいぞいいぞ、もっともっと妄想に耽って頂戴とエ~ルをおくる。

 

 こたびは、ジャズフェスのTシャツやら、秋本節のCDジャケットやらやらをデザインしているYUKOちゃんと共に探訪。

 画廊は6時までなので、やや時間が早い。プチパインはまだ開いてないし、この時間で開けてくれそうな店は岡山駅前のタカちゃんの店しかない。

 電話してお願いし、3人ともども移動し、お酒と美味い食べ物でお腹を満たす。

 

 で、その場でYUKOちゃんより、思ってもいなかったモノをプレゼントされビッグに狂喜。

 な~んと70年万博で売られていた24K GPの金杯セット

 箱に貼られた証紙も劣化少なく、当時をしのばせる。GP表記なので、純金でなく金を含んだメッキという位置づけになるけど、輝きが素晴らしい。

    

 彼女は70年万国博覧会以後に生まれたヒトじゃあるけど、ずいぶんと前から、同博に羨望の眼を向けていたようで、太陽の塔が改修される前の2003〜2007年に抽選で当たったヒトのみ入場見学出来た塔内も見学している。

 狭き門を突破。傷んでいるとはいえ、1970年当時の姿をマノアタリにしたワケで、これはとても羨ましい体験だ。

 で、そのさい関連施設の特売でご自身が入手したこの稀少なグッズをば、こたび古希を迎えた当方に贈ってくれた次第なのだ。

  

 ゴム版画で刻印の「祝こき」もシャレてる。古希でなく、コキでもなく、「こき」がいいのだ。

 古希ではいかにも古びた印象が先立ち、コキでは敬意が失せて軽すぎる。彼女はおそらくは、そのあたりを熟考の末でひらがなを選んだのだろう。

 あ・り・が・た・い。

             昨年10月29日の太陽の塔

 同日の塔内。2006年頃にYUKOちゃんが体感した塔内はこんなカラフルさはなかったよう思えるけど、よりオリジナルな空気や色彩を味わったという点がとても羨ましい

 

 ともあれ、嬉しいったらなかったなぁ。

 かくなる上は後日に膝つめあわせ、70年万博バナシの四文字固めで、太陽の塔談義の花咲か爺じぃ~と化してやろうとも思うのだったけど、この日はヤヤ早く起きていた関係でオチャケの酔いが早くって、いけねぇ~、会話中にマブタ下がって眠りモードに落ちちゃった。

 やむなくタカちゃんにタクシー呼んでもらい、早々の退散という次第になって丸さんにもYUKOちゃんにも申し訳なかったけども、やって来たタクシーに、

「あっら~!」

 一転、一瞬に眼が醒めちゃったわ。

 つい最近に両備グループが導入したチャギントン仕様車だよ。

 よもやこのファンタスティック(笑)な車に乗ろうとは夢ユメ思ってもいなかったんで、

「なんだかメチャメチャ良い日に終始したなぁ」

 丸さんとYUKOちゃんとタカちゃんが手を振るのを後方にしつつ、

 充実

 の一語を点灯させるんだった。

 ……乗った感想としては、ま〜夜でよかったなぁ〜というコトかいねぇ。

 昼間、こき迎えたオトコがヒトリ乗ってる図となると、ヤヤ滑稽な気がしないではない。

 けどま〜、タクシーというのは、目的じゃなく、あくまでも運んでもらうための手段ゆえ、万が一、白昼にこれと遭遇してもコチラから乗車拒否なんぞは断固しない。

 

 

IS EVERYBODY IN?

 

 過日の芝居『わが友、第五福竜丸』。

 圧倒の情報量とゴジラを暗示する声佐野史郎のとどろきやらを並列に並べ散らしたマルチバース的手法の劇は、やたら集中力を求められたけど、観覧中に悪寒。

 もう寒くっていけない。集中できない。

 ラスト5分というあたりで我慢しきれず、外に出た。

 うちに戻って体温を測ると、あんのじょう、38度線越え……。

 いったん治りかけていたのがブリ返したようでガックリ。

 やむなくまた寝倒してみると、翌朝はケロリ。

 それで気をよくして水槽の水換えなんぞをやってたら、今度は息切れ……。

 は〜は〜セ〜ゼ〜。1歩進んで1歩後退、なんか不安定。

 

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  COMMANDの秋田直哉氏がポストカード複数枚を郵送してくれた。

 感謝。

 一目見てモディリアーニの『おさげ髪の少女』のパスティーシュと判る作品。

 岡山県立美術館での「エコール・ド・パリ展」での実物に触発された神田晃宏氏の絵を、カードに仕上げたようで、オリジナルとなる絵の他、直哉氏が文字入れした作品、計4種が刷られている。

 

 

 妙に印象に残るのは、本作がモディリアーニ作品の構図をそのまま借り入れているからゆえなのだけど、ただのパロディでなく、トレースでなく、新たなアートになっている点で、

「おほ~っ!」

 と、小さく感嘆符をうって、またしばし眺めていられる不思議なチカラがこの絵にあるからだ。

 

 モディリアーニが描いたのは少女だったけど、神田氏のこの娘は少女ではない。

 と、当方は勝手に思う。

 少女ではないが、年齢は不詳。

 というより、年齢という数字なんぞは越えた、澄んだ存在。

 この女性の下方に直哉氏が、

Is Everybody in?

 と、入れたことで謎めいた雰囲気がいっそう多層のものになっている。

 このフレーズはドアーズのジム・モリソンの曲からきているらしい。

「Is Everybody in? The Ceremony is About To Begin……」

 

 みんな入ってるかい? セレモニーが始まるよ~

 とでも訳すのがイイのだろうけど、カードとその文字を眺めつつ、この女性がライブ・ハウスの受付の女のコのように思えなくもない。セレモニーはすなわちライブだ。

 彼女の背後のややグリーンっぽい部分はドアであって、そこを開けたら、

「みんな、もう、入ってるぜ~」

 なのかも知れない、と風船みたいに妄想を大きくも出来る。

 あるいは、久しくクローズのままのCOMMANDの、店の復活を暗示しているような……、気がしないでもない。

 

 が一方で、べつだんCOMMANDを早く復活してくれ~とは、実は思っていない。

 オーナー直哉氏の気分次第でイイのだ。

 いっそ、こたびのポストカードには、店を閉じてはいるけど秋田COMMAND直哉の真髄有りや、店に縛られず闊達にしてらっしゃるトコロが仄かに垣間見られ、嬉しくもなっているのが当方だ。

 クローズのままゆえに、コマンド難民が発生しているのも判るけど、それは仕方ない。店のせいじゃなく、そこは個々人のハナシだ。

 そんなことよりも、クローズさせたままながら、秋田直哉は自身を探索し続け、堀り続け、神田晃宏氏という画家を見いだして炯々爛々としてる感触が、このうえなくイイのであって、店は閉めていても、3歩4歩と歩んでいるらしき気配が、こたびのポストカードに反映していると感じて、当方……、密かに大いに喜んでいるのだった。

 ま~、だからそれゆえ、このカードに魅了されているワケですな。

 今年もまた色々な方に色々なカードをもらったけど、うむうむ、年末直前のこれがハイライトかもだ、にゃ。

 

 

 

 

2人展にいく

 

 4週間ぶりに我が宅ガレージに、MINI。

 本来は蒜山に生息しているMINIなんだけど、この3月中頃までは岡山市南区の良きおうちにあって……、ちょっと立ち寄ったという次第だけども、

「やはり、MINIは良いなぁ、空気が和らぐなぁ」

 サイズと丸っこいメダマの配置がもたらすチャ~ミングさに、ニッコリ微笑む。

 で。

 当方が30年愛でたMINIは、この空色“レンタル”MINIでやって来た、チャ~ミ~で快活な女性が新たなオーナーに。

 我が若き友の娘さんへの、急転直下のゲキ的譲渡劇。

 預かってくれてるF氏の元でライトの交換やら書類書き換えやらが完了したら、また、すこぶる愉しいコトになるだろう。

 MINI自身も、来たるべき新生活に、

「ワクワクするなぁ、ぁあ、おまつり気ぃ分」

 心弾ませているに違いない。

 

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 岡山市北区中山下のアンクル岩根のギャラリーにて、この12日まで開催の2人展へいく。

 御一方は存じ上げなかったが、かたやもう1人はよ~く知ってる旧友。

 コロナ大騒動になった直後の、倉敷での作品展以来、3年ぶり。

 

 

 キャラクター系のフィギュア・モデラーとしてスタートし、かつてはうちの製品でも腕をふるってくれ、その後はアートに移行。アレコレの賞を受賞して今に至っている丸山徹也氏。

 3年前にも、息をのむような作品をマノアタリにしたけど、こたびもまた、眼が釘付けられた。

 とりわけ、この木彫り作品。

 技法の卓越にくわえ、繊細に裏打ちされた強い憂いに満ちた緊張がみなぎっていて、圧倒された。

 そのカタチゆえのファンタジュームと云ってよい凜々しい程の異界リアルが彫られつつ、内に潜ませた物語性が沁み出しているようでもあって、一筋縄でくくれない見事な造型物になっている。

 指がゴツゴツと樹木っぽくもあって、男性?女性? というような性別をも超越させた展開が素晴らしい。

  

 葉の匂いを嗅いでいるのか、あるいは草笛を吹こうとしているのか?
 西洋的なカタチながら、例えば弥勒像みたいな東洋的明暗を秘め、彫られたこの妖精(ではないはず)の陰陽の思惟や消息にも連想が運ばれて、しばし眺めいって、

「フ~っ」

 吐息もらし、素晴らしさを味わった。

 

 

 木目を活かしに活かし、相当な時間を費やしての作品に違いないが、願わくば、連作としてこの「丸山ワールド」の絵ハガキみたいなのがあれば良いなぁと、思った。

 ただ眺めてイイなぁ~の作品じゃ~ない。こちらの空想を強く刺激して、否応もなくアナザー・ストーリー的に丸山ワールドに加担しないと気がすまない……、みたいな。

 木彫りながら、この作品、強い磁場をもっている。

 

 こたび買った丸山作品。木彫りではなく、これは陶器作品。

 浮き草を浮かせ、水盆として使おうと思う。

 石のソファの上で脱力全開で眠っているこのネコがとても、よろしいのです。

 

 

日本のブリキ玩具図鑑

 

 創元社から案内が届いた翌々日、熊谷氏の新刊が届く。

日本のブリキ玩具図鑑

 熊谷信夫著 創元社 6600円

 ブリキ玩具の日本でのヒストリーから、各模型の詳細までをフルカラーで図解した素敵な本。レイアウトも素晴らしい。

 

     

 この30年ほど、当方の不精ゆえまったく音信不通だったけど、こたびの出版は契機、久々に熊谷氏に連絡。

 5年以上の歳月を費やして本書をまとめあげたという。

 おびただしい史料や資料に眼を通し、コトコト煮込むようにして執筆を続けていたのだろうと、その労苦をしのぶ。

 届いたばかりゆえ、まだ読み込んでるワケじゃ~ないけれど、パラパラめくってみるだけでも氏の熱気を感じ、

「ウフフ」

 口元がゆるんだ。

 30年越えの音沙汰ナシ状態が嘘のように消え、手元の、この重たい本に感慨す。

 

 同書98〜99ページの50年代ブリキ・カーと当方所持の製品。掲載された黄色い屋根のシボレー・ベル・エアの色違いらしい……、のをこの本で再発見。

 

 大阪在住だった頃、だから20代の頃だけど、しょっちゅう、熊谷氏ことノンさんとは行動を共にしていた。

 今はもうないけども梅田のランドマークだった阪急ファイブに、彼は「あしたの箱」という雑貨店をおき、そこに陳列する古いブリキ玩具を求めて大阪近郊、兵庫や滋賀などの、田舎町に出かけては、古い玩具屋さんを巡ったもんだ。

 当方は時にそれに同行し、玩具・模型のコトをチビリチビリと無自覚に学んでった……。

 

 古くから玩具を扱う店の奥や倉庫には、たいがい売れ残った品があり、店を訪ねると、古い模型やらが残っていませんか、と尋ね聴いた。

 そんな次第を重ねて、大正時代にさかのぼる玩具も“出土”したりした。

 

                   

 ブリキ製じゃないけど、大正のモボ・モガ時代に売られた石膏に彩色した「飾りオモチャ」。子供が買う代物じゃない。おそらく散髪屋とか若い人向けのディスプレー・トーイだったんだろう。

 泳ぐゴム人形。劣化してゴムが固まってしまったけど、かつては足と手が動いて水に浮いた。戦争前のオモチャかしら……。

『少年サンデー』や『少年キング』が創刊された頃のブリキのパチンコ玩具。

 ブリキ玩具時代の終わり頃の製品。東海道新幹線が開通した頃か? 部分にプラスチックが使われ……、つまんなくなっているけど、3つの乗り物が回転、ベルがけたたましく鳴り続ける。

 

 いまやブリキ玩具といえば高価極まりないコレクターズ・アイテムだけど、70年代後半の頃までは、誰もそんなモノを探したり求めていなかったから、地方の玩具屋さんを尋ねると何らかのモノが残ってたんだ……。

 しかも販売時の値段のままが大半ゆえ、極めて廉価に「お宝発掘」が出来たワケで、時にボルボの荷室がいっぱいギュ~ギュ~になるほどの”大発掘”もあった。本書244〜245ページにも、そのあたりの消息が書かれている。

 

                   動くブリキ製モノレール。部分。

ブリキの列車。真ん中のガス車両に単1電池をいれ、汽車部分のスイッチを倒すと、煙を吐きながら畳の上を駆けてく。

左は上記した50年代のモノ。右のホバークラフトは実際に宙に浮いて自走する。極薄に伸ばしたブリキ板をプレスしているんで軽く、中央のプロペラの回転で浮き上がる。けど方向は制御できないから、実に愉しい動きをする。

 

 ノンさんはそれら発掘に飽き足らず、やがて大阪ブリキ玩具資料室を立ち上げ、1979年に『ブリキのオモチャ』を出版。

    

 さらに、当時は既に休眠状態になっていたブリキ玩具製造工場の社主を訪ねて再起動を願い、自身で鉄人28号のブリキ玩具を復刻製造&販売したりもして、当時、雑誌「フォーカス」だかに載ったり、関西系のTVに出たりといそがしくなるのだけど、前後してこちらは帰岡してしまった。

 

 ボクはボクで模型の仕事を岡山ではじめ、その関係もあって90年代中頃までは親交してたけど、こちらがペーパーモデルに特化した作業を行うようなって……、以後、交信を更新しないまま今に至ってたワケだ。

 

 

 けどもだ……、我が手元に、当時の 8ミリのフィルム があるんだ。

 およそ50分前後のフィルム。

 当時〔1977〜78年頃)、大阪のどこかのスタジオを借り、ノンさん収集のブリキ玩具を一同にして当方が撮影したものなんだけど(『ブリキのオモチャ』出版準備で玩具をスチール撮影するさい、併せて同時に8ミリで撮ったよう記憶する)、いまとなっては、とても貴重な動画映像だと思う。

 

 多くのブリキ玩具はゼンマイ仕掛けで部分が動いたり、何らかのアクションが組み込まれているんで、その動く様子を撮影したんだ。

 中にはまったく驚くべき動作をする玩具もある。

 ネジ巻タイプじゃなく、でっかい単1電池を胴体部分に収納する大型の旅客機があって、スイッチを入れるとまずタラップがおりて、客がのる。すると客室の窓がいっせいに変わってお客たちが座している絵にかわる。

 ついでプロペラの1つが廻りだし、さらに次のプロペラ、さらに次プロペラ、4つのプロペラがブンブン回りだして、大きな音をたて、翼端燈が灯り、自走し出すんだから、た・ま・げ・た。

「うわっ! どうなってんだコリャ」

 ブリキ玩具メーカーの創意工夫に感嘆絶句してクチがぽっかり空いちまった。

 それらが造られた頃は安全玩具といった認識はまだ薄くってプロペラも金属だぞ。手を近寄せると痛いメ~にも遭うんだぞ。

 そんな玩具の動作を文字で書いたって、なぁ~んもオモチロクないけど、実際に眺めると、ビックリだわさ。

 走行するブリキ玩具はカメラのフレーム外にアッという間に逃げだし、壁にあたっても止まらず、そこでゼンマイが解けるまで足やら車輪やらをブンブンバタバタ動かしている。

 収録中は玩具達のその動きにスタジオ内にいた皆な、弾けたように爆笑したりで……、フィルムにはその歓声も入ってる。

 

 

 このフィルムのことを忘れていたワケでもないけど、ともあれおよそ45年(!)、我が宅で死蔵していたのはマチガイない。

 が、およそ50分、各種のブリキ玩具たちがアクションを披露するんだから、これは貴重な映像記録と自負する。貴重極まりないと大袈裟に形容詞つけてもイイか。

 

 それで一考。

 こたびの出版を機会に、ノンさん=熊谷氏に寄贈するコトにした。

 8ミリフィルムの長尺を4K画質的なデジタルに置き換えるには相当な経費がかかると思うし、フィルムの劣化も気になるけど、ともあれ、熊谷氏の手元にこれはあった方がよかろう。再編集し、Blu-ray化して披露するコトだって可能かも……。

 そう思い、明日か明後日、氏の元に送るべく準備しようと、出来たてホヤホヤの本をめくりつつ思うのでありんした。

 

 

タンタンの冒険旅行

 

 近所のスーパーがセルフレジに変わって、もう数週間経過。

 大きな混乱はないようだけど、それでも……、枯れた声で爺さんが、

「こんなんヤッてられんわ」

 怒ってた。

 お婆さんがバーコードの読み取りにナンギ四苦八苦し、店員がかざし方を教えてた。

 そのレジ店員さんも、まだ誰も退職してはいないようだけど、店頭では以前の半分ほどの人数。

 いずれもパート・タイムの方と思うけど、当然、勤務時間を減らされているワケだ。いずれの方も時間給ゆえ、収入も減っているはず。

 いいのかなぁ、それで?

 

 任意であったハズのマイナンバー・カードを、突如の義務化。

 保険証と合体させるコトでの、いきなりの強制……。

 マイナンバー・カードはチャンと運営されるなら、自分が番号化されている不快はあれど、国家という単位で眺めると、そのメリットは大きいとも思い、必ずしもこれを否定はしないけど、独断専行スタンドプレーの首相や大臣と、不始末連打の稚拙な組織デジタル庁との狭間……、本当にキチンと運営出来るのか、とても疑問。

 マイナンバー・カードは最大級の「個人情報」なんだから激烈に慎重でなきゃ~いけないのに……、導入への扱いがひどく乱雑乱暴。

 大きく不安、かつ不穏。怖いなぁ。

 

 健康保険制度は昭和36年からスタートで、そのさいの「社会保障」される意味と意義と恩恵はとても大きかったけども、こたびのは有意義に遠く、何を急いでるんだかも不明。

 小規模な医院とかでは、機械導入やら院内システム構築なんぞで負担テンコ盛りともきく。そも、1年ほど前はカード導入で数万円分のポイントなんて〜エサをぶらさげて国費を費やしていたというに、今度は一転、義務だなんて……。ポイント付与に投じた国費もまたまた無駄金じゃ〜ござんせんかいね。

 IT導入の無理強いで、振り回されるばかり……。せっかくの情報技術が、かえって不安と窮屈を産むようじゃ~いけないのでは?

 

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 書棚からエルジェの本を取り出して眺める。

 1930年よりベルギーで刊行された漫画シリーズ。そのうち19531954年に刊行された2冊の翻訳版。(翻訳初版は1991年)

 天部分にけっこうホコリがのっていたから、たぶん10年以上、書棚で眠ったままだったんだろう。

 でも馴染んだ絵だから、久しぶりという感触はない。

 

 

 実のところ、いまだこの2冊のコミックスの最初から最後までを読み通したコトがない。

 大型本ではあるものの、細かいコマ割にくわえ、各コマに行数の多いフキダシがあるんで、字面を追うのがメンド~なのだ……

 

 けども、コマの1つ1つが丹念に描かれているのは一発でわかる。

 なによりときおり、1ページ丸ごと使っての大きな1コマの完成度が素晴らしく、そこを眺めるだけで堪能の芯が燃焼し、

「ぇえな~ぁ」

 細い眼をいっそうに細めちゃえるんだから素晴らしいじゃ~ないの。

 こたびは、完読でないにしろ、けっこう小まめにコマの進捗を追って、小さなギャグの積み重ねを楽しんだ。

 

 素晴らしいといえば、原作のチンチン(Tintin)をタンタン(Tantan)に変えた翻訳者の遠慮と配慮の采配っぷりも素晴らしい。

 ボクと年齢が近い川口恵子氏(夫は中沢新一が翻訳者だけど、彼女と出版元の福音館書店の英断というか采配が、ステキだ。

(正しくは、きたさわひろお訳で1968年に数冊が刊行されているようだから、チンチン→タンタンはこれがスタートだろう)

 あのチンチンとこのチンチンはまったく別物なのだけど、チンチンとて男の子ゆえにチンチンあってぬかりなしと……、我が国特有の語感的モンダイながら、看過できない影響ある単語には違いなく、ゆえのこの取っ替えが素晴らしく、

名翻訳の単語百選

 とかいった「選」があるなら筆頭にあげていいのが、このチンチン。

Tin」は錫を意味して、「Tin Toy」と書けばブリキのオモチャを指すという次第で、あちゃらでは「かわいらしい」というニュアンスも含まれ、なので英国の人形劇『サンダーバード』の主要キャラクターの娘の名も、Tintinだったんだけど、そこをHNKではティンティンに取っ替え、下世話な感触と誤解を回避している。

 語感から連想されるアレコレというのは、小さいようだけどデッカイ問題なのにゃ。

 なのでボクは密かに、「大きなチンチン問題」とこっそり思って、ゆるぎない。

 

     1991年にフランスとカナダで合同制作されたTVシリーズ版のタイトル部分

       福音館書店の大型版のシリーズ・タイトル部分

 

 ま~、そんな余談よりは、こたびの2冊、その主軸となるロケットが、良い味シミ滋味でありますなぁ。

 白と赤のチェックが、10年ぶりに見ても、

「良いね~っ」

 好感度数が落ちない。いやむしろ、10年ぶりゆえに鮮烈増加。最近のSF映画なんぞにはこのアート・テーストはほぼ皆無ゆえ、余計に、

「いいなぁ」

 と感嘆させられるんだ。

 

 実際のロケットも、ごく最近の北朝鮮のミサイルを含め、この市松模様は機体に描かれている。発射時の機体回転とかを目視するためのもので、次の打ち上げに向けての機器制御の大事な資料となるべく考案された塗り分けなのだけど、そこをアート領域に転換したのがエルジェのセンスというもんだ……

 

 かつて、70年代後半頃から活躍したイラストレーターの原田治の絵には随分とそのポップ感覚に好感したもんだけど、いうまでもなく、『タイタンの冒険旅行』シリーズの影響が、色濃い。

 氏のイラストが着目された頃は、先に記したさかたひろお訳の数冊のみが日本にはあるきりで、それもほぼ注目されていなかったらしい。

  

 悪しく云えば、エルジェが創作したその美味しい部分のみを抽出しアレンジして我が物とした、というコトになるかもしれないけど、これについては、ま~、追求するようなコトでもない。

 ロイ・リキテンスタインが自分の作品ではない新聞の通俗漫画の1コマを流用してアートに昇華させたように、原田は、エルジェが意図しなかった部分をうまく縫い合わせ、絵1枚によるアピールの強さを示しみせるというコトに成功し、逆にエルジェのそのオリジナルの強さを浮き上がらせてくれてもいる……、ような気がしないでもない。

 

     

      『ヘアリボンの少女』(1965年作品) 

      東京都美術館1995年に6億円で購入したリキテンスタインの代表作

 

 ともあれ久しぶりにページをめくり、さらに再度再度、表紙を眺めてウットリし、御馳走をたっぷり味わった気分上昇をしっかり知覚して、書棚に戻す。

 さて次は、いつまた……、取り出すかしら? 

 この手の本は図書館で借りちゃ~いけない。ま~、そのためにも書棚というものは在るわけで。

電線絵画

 

 ちょいっと前、レンブランドが今をいきてたら電線のある風景を描いたかも……、というようなコトを書いたけど、な~んと、この前、練馬区立美術館にて、

電線絵画 小林清親から山口晃まで』

 という展覧会があったようなのだ。(2021年2月28日~4月18日)

 

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 それで、

「へ~っ」

 と感心し、さっそく図録を取り寄せたのだった。

 

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 実に意外や、この国には電線を主題として描いた絵画がかなりあるのだった。

 驚くべきなことに、かの岸田劉生も複数の電線絵画を描いてる。

 劉生といえば“麗子”の絵がアット~的に有名だけど、大正12年(1922)関東大震災までは、かなりの数量、電柱のある光景を描いてた。

 

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           岸田劉生 代々木附近 1915 豊田市美術館

 

 画家は、電線にナニを見いだしたのか? ナニを感じたのか?

 明治・大正頃の画家たちは、時代変化を見いだしたのだろうし、モダンを見いだしたのかもしれないし、昭和になってからのある画家はノスタルジーであったりもしたろうが、描くに価いすると見ていたコトは確かだろう。

 岸田劉生もその中の1人として、電柱電線に何事かを見いだしていたのだろう。関東大震災で岸田宅は全壊し、以後、彼は電柱のある風景を描かなくなったようだけど、電柱や電線に「美」を見たか、あるいは逆に「醜」を見たか、あるいは「明るい未来」を見たか、絵にする必然あっての“存在”だったのは間違いない。だから大震災の災禍にあった岸田が電柱には幻滅し、2度と描かなくなったたというような解釈とてありえる。

 

 図録のページをめくりつつ、やはり、レンブランドが今をいきてたら、電線なり電柱を描いたであろうと確信した。

 たまさか、我が宅の眼の前には、実にまったく無粋な電信柱があり、この柱にアレやコレの架線がまとわりついて、端的にいえば暴力的だ。“的”ではなくバィオレンスそのものと大げさに云ってもいい。

 毎日外に出るたび否応もなくそれが眼に入るんで、

「やだよ、まったく」

 苦悶している次第なんだけど、その苦悶は、“絵に描く価値あり”でもあるわけだ。光景の中の異物、批判としての絵として……。

 

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                 自宅前の電柱と電線たち

 

 図録に文章を寄せている1969年生まれの画家・山口晃は、

「日本近代はその始めから電信柱と共にあるので、電柱を除くとしたらその他の要素全ての再検討が必要であり」

 と云い、

「電線電柱の悪印象は圧縮写真などで記号的に印象付けられたプロパガンダであり、実風景を虚心に捉えている人は少数です」

 とも云うが、ま~、それも1つの大きな見識だけど、ボクはそうは思わない。山口の文章からは現状を肯定するだけの足踏みしか感じられず、見解としてつまらない。くわえて、彼の云う圧縮写真なる意味がわからない。その部分のみを切り取ったという事なんだろうけど、そうであるならヤッカミに過ぎない。

 我がことで云えば、認容に遠いカタチの電柱と線が庭の向こうにあるのは、愉快でない。虚心うんたらではなく、不快なんだから仕方ない。

 むろん、だからこそ、その不快を絵にする価値もまた有りとも思ってる次第だけど、ま~、要は、電線と電柱は気になる“存在”という次第が濃厚なんだな。庭先に出るたび、

「なかったら、どんなに素敵かしら」

 いつもアタマの中で電線とその柱を『消去』しているんで。

 

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           大谷写真館より転載 (津山線・宇甘川鉄橋)

 

 一方で、たとえば津山線というような単線鉄路の車両に乗れば、車窓からは常に電線が平行して延び、それが窓の中で、上へいったり下におりたり、という飽きないビジュアルが続くのを好いたりも、する。

 車両そのものはディーゼルながら、鉄路に沿ってモロモロな用途に使う電線が張られているわけで、これが車窓のアクセントになっている。

 そういう光景に親しみを持っているということもまた事実なんだ、な。

 

 ま~、いずれにせよ、この先、年数がかかるだろうけど、地表の電線と柱たちは、昨今の街中同様に田舎でも遠い将来には概ねでなくなるだろう。ホンダは2040年までにガソリン車から撤退して全て電気自動車にすると宣言したけど、そういうのも後押しになって電柱も埋設のそれに変化を促されるだろうと思う。わたし達の青や赤の静脈や動脈が皮膚で隠されるように。

 

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             牛島憲之 積わら 1961 府中市美術館蔵

 

 となれば、電線絵画というものは、22世紀頃には消滅してしまう一時代のみの限定絵画というコトにはなるだろう。

 なが~~いなが~い眼で見りゃ、電線もまた、はかない存在だぁ~ね。

 その「期間限定」を絵に残すというのは良くも悪くもない自然なフルマイだろうし、明治期の街路灯や路面電車をモチーフにした版画が今やアートとして眼に映えているのも、当然だ。「美」は瞬間で沸くこともあるけど一方で、ジンワリ沁み沁みと湧いてくるというのも、また必然だな。

 

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          笠井鳳斎本郷三丁目同四丁目の図  1907(明治40)

 

 

 

洛中洛外図

 もしも、原寸サイズのポスターがあれば、買ってもよいか……、と思う。山形の米沢市上杉博物館蔵にある『洛中洛外図』。

 ありきたりなアンディ・ウォーホルのポスターなんぞより、はるかにイイと思う。

 とはいえ屏風絵だから、六曲(5つに折れる)で一双(ペアという意味ね)。高さはおよそ1m60㎝、2つ合わせ置くと幅が8mほどだから、そんなスペースの持ち合わせはない。

 でもま~、通常は丸めておいて、見たい時のみ部分を広げちゃうというようなコトは出来そうだ。

 美術館でガラスケース越しにかしこまって眺めるより、自室で原寸ポスターを広げる方がラクチン、見つつビール飲んだってイイぞ。屏風絵の内容にグッと近寄れるワケだ。

 

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        右から左へと眺めていくのが正しい鑑賞法というか順番になっている

 

 見所は、室町時代の京都での一般ピープルの姿が描かれていることだろう。それも半端でない数。

 当時を想像できる大きな手がかり。歴史ウンタラとかじゃなく、姿カタチが覗えて興味が尽きなく、だから余計、美術館でのしゃちほこばった鑑賞じゃ~ダメなような気がする。

 

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       上杉家に伝わる『洛中洛外図』の右隻 国宝 米沢市上杉博物館

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         福岡市博物館蔵の『洛中洛外図』(重要文化財)の部分

 

 屋根瓦がある建物は公家や武家の屋敷と寺社のみ。商家(見世棚)の屋根はいずれも板張りで石を重しにしてる。

 部屋数は2つか3つで畳はなくって板張り。店舗と住居をかねている。

 3つの場合、真ん中が土間で両側が板敷きの店舗になっている。

 礎石の上に家を組んでるわけでなく、あくまで掘っ立て。上の図は、武具(主に皮製品か)を扱っているらしき店。地面に直に柱を建てて礎石がない。なので家は傷みの速度が速かったはずだ。暖簾の下にしゃがんで女房らしいのが魚(たぶん川魚)をみている。

 

 天皇家がこさえ、さらに武家の足利家が将軍として君臨して天皇家や公家と拮抗している場所が洛中なんだから、商いをやる人はあくまで地子(地代)を払っての仮住まい。いつ戦禍となるやら、何ぞで追い出されるやら判らないゆえ、屋根に瓦とか畳敷きなんて贅沢はありえない。

 1975年から82年にかけてロングランとなったアニメーション『一休さん』はこの時代の話じゃあるけれど時代考証がハチャで今みると、赤面するほどにメチャ。

(記事はコチラ

 ま〜、そこが逆にツッコミどころ満載なんで逆説に“おもしろい”けど、ともあれ『洛中洛外図』の京都の商家……、安普請といえばそれまでながら、個々、商うモノによって店に個性があり、その集積として“町”が形作られているのは、おもしろい。

 何の店だろう? と想像をめぐらせていけばアッという間に時間が経つ。

 

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 上図は上杉版『洛中洛外図』。1つ屋根に3軒が入居し、中央は餅屋。

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 そのアップ。右3人は物乞い。アタマにウラジロをつけマスク。

 ウラジロはお正月に今も使うね、お飾りの1つとして。

 マスクはウィルス予防じゃ~ない。「覆顔(おおいかんばせ」といい、自分の立場をへりくだり、対人との「結界」として使い、たいがいが和紙または麻苧で造ったもの。

 わたしはあなたに危害・害悪をもたらす者じゃ〜ございません、という意思表示的なニュアンス。

 複数でもって洛中を練り歩いて金銭やら餅を得たようだが、ウラジロを帽子みたいに頭にのせたこの物乞いスタイルは寺社とか身分制度とかが関係してくる。ながくなるので詳細は触れないが、もらった金や餅の一部は彼らが「属している」寺や神社に奉納されてもいたようだ。

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                      ウラジロ

 

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 上。左の一間の店で隠居らしいのが2人、茶か茶がゆを愉しんでる。手前の黒い着物は炭売りで、その後ろは薪売り。右が判らん……。女性らが興味を抱いてるが2人の男の持っているものは何じゃろか? 箱の上に人形らしい姿があるからひょっとすると、箱を軽くトントン叩いて人形に相撲をとらせたりする……、大道芸の一種かもとも思ったりするが、真相不明。

 

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 上。表立っては依り紐を扱ってるようだが明らかに質屋。着物だか布地を質に預けようとしてる人達。秤で何の目方をはかってるんだろ?

 こういう部分は原寸の絵でないとよく判らない……。

 

 室町時代の京都の店で一番に多いのは意外にも質屋だ。貸上(かしあげ)といった。

 高利貸しを兼ねたこれが物流の原動力に近い存在として機能する。中国から山ほど流入した銅銭(宋銭)が貨幣として定着しつつあって、物々交換より利便が高いから、木綿の一切れでもあればそれを担保に銭に換えられた。

 当然に木綿は質流れとなる。それを求める人も数多ある。木綿の一切れを買って巾着袋に仕立てて、今度はそれを売ることもできる……。(木綿はまだ貴重品。浸透しつつあるものの、綿の栽培が難しかった)

 貸上屋にはそういった諸々が何でも運び込まれ、そのために土倉(どそう)という倉ができる。すでに鎌倉時代末期には洛中(京都)に300を越える土倉があったというし、それは担保流れの物品を販売する店をかねていたろう。

 

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 上は質流れの品を商っているらしき一間の店。当時は女性が店のオーナーというのも多かったらしい。(参考:佐々木銀彌著『室町幕府小学館

 

 次いで多いのが酒屋。北野神社に残る応永22年の『酒屋名簿』には342所が記録され、醸造の技術と酒壺があれば、造り酒屋兼一杯飲み屋を誰でも開業できたというからオチャケ天国めいている。数10m置きに酒屋があったといってイイ。

 この頃は……、酒が必需なのだ。公家や武家ではほぼ毎日ように何かのパーティをやる。休肝日なんてナイ。

 そうすると呑み過ぎて失敗もする。酒席で嘔吐もする。

 今の世ではそんなコトをやっちまえば大恥で大迷惑のヒンシュクでもあるけど、どうも室町の時代はそうでない。

 公卿の大橋兼信や伏見宮貞成親王後花園天皇の実父)が残した日記によれば、酒席の嘔吐は、

 当座会とうざのえ)

 といい、座を大いに盛り上げてくれたというコトになるらしく、中には宴の室礼(しつらい-もてなすための調度品)のために他家から借りていた屏風に嘔吐して喝采された者もあったり、嘔吐した者は罰ゲームみたいに次の酒宴の主催を悦んで担うというような……、今とはえらく違うのだ。(参考:桜井英治著『室町人の精神』講談社

 よって下戸の人にはかなり冗談きつい世が室町時代ということにもなるんでね~の。

 

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                        酒壺

 

 ちなみに、第4代将軍足利義持の日々を記した『満済准后日記』の応永23年12月27日付けの項に、

「義持公、御二日酔気」

 とあり、これが文献として残るもっと古い2日酔いの記録だ。

 ひょっとすると語源そのものかもしれないけど、ともあれ、年末忘年会だかで、

「あっちゃ〜、おもちれ〜」

 と大騒ぎ、将軍が痛飲しちまったコトは明白だ。

 

 洛中に洛外、その明快な領域は今もはっきり判らないらしいが、室町時代の日本は800万人前後が全人口で、京都という狭い一地域には10万人程度がいたという説がある。

 その仮説では奈良に8千人、摂津国天王寺に3万5千人、和泉(堺)で3万人、備後尾道で5千人、などという規模だから、洛中洛外はかなりの人口率ということになり、都市というにふさわしいボリュームとなる。

 当時のこの岡山界隈からノコノコと初めて京都に登れば、家屋の数やら往来の賑わいに、

「でぇれ~町じゃなぁ」

 面食らったには違いないのだ。

 

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 これも質屋流れの品の店か? 暖簾がシャレてる。この場合、左右で1軒ね。女性従業員が2人という次第だから娘と母親かしら? 奥で店主が若い武家くんに反物を売ろうとしている。あるいは若い武家友達2人が、反物を吟味している……、のかもしれない。なんとなく後者のような気がする。呉服屋という専門店は政治が安定して物流規模が拡大する江戸時代からだ。

 

『洛中洛外図』は16世紀のアタマの頃、フィレンツェダ・ヴィンチが飛行装置を考察し、スペインではやがて日本に来るフランシスコ・ザビエルがおぎゃ~と生まれた1506年前後に描かれはじめているようだ。

 幾つもある。

 狩野永徳が描いたのを信長が謙信に贈ったのやら、江戸時代での作品などなどおよそ200点近くが現存し、司馬遼太郎はその内の1つを所有していたらしいが、個人蔵として夜ごと自在に眺めて想像を膨らませていたかと思うと、なかなか羨ましい。

 ま~、それほどに『洛中洛外図』は情報密度が高い絵で、数千人が描き込まれているというから仔細を眺めていればアッという間に時間が経つだろう。

 なので実寸のポスターが身近にあればと思うわけだ。

 信長から自慢っぽく贈られたそれを眼にした上杉謙信にしても、

「わっ、すんげぇ~な」

 日本最大の都市の規模と賑わいに眼をはったに違いなく、屏風の前にアグラをかいてジッとうずくまったんじゃ~ないかしら。部類の酒好きでもあったから、片手に杯を持ち、チビチビやりつつシゲシゲ眼を喰い入らせたと思うと、謙信の疼くようなミヤコ羨望気分の体温が2〜3度あがってくような感がしないでもない。

 

 田舎にいればいるほど、『洛中洛外図』は夢みるような羨望をかきたてるわけでもあって、パリ発エッフェル塔の絵はがきが全国に拡散してパリへの憧れを大きくしたように、「夢の京都旅行」の疑似体験装置として絵は機能したに違いない。

 ともあれ、いまもって、眺めているとあれこれ発見がありそうで、お・も・し・ろ・そ。

 デジタル画像で今は見られます……、なんて~云うけどね、置くと8mの幅を要するようなものの物的存在というのは、例え100インチのスクリーンであっても100インチという制約の中の話、ちょっとペケだよね。インターネット上のデジタル画像も原寸そのもののピクセル数に満たず、拡大しちゃうとネボけてしまうんだから役立たない。

 やっぱりポスターだな……。原寸でじっくりトコトン眺めたいねぇ。