ガリラヤの海の嵐

 ウィルスそのものより、ニンゲン側の拙(まず)さ、怖さ、滑稽に、

「なんだかな~」

 ぐったり続きなここ数週。あえてそれらに触れず、身近なモノに眼をむける。

 空間というかスペース、について。

 

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 先日夕刻の西空。

 レンブラントの描く光と影の含みみたいな、光線具合がちょっと良かった。

 彼が今の時代の日本でアウトドアを描くなら、やはり電線は描かざるをえなかったろう。実に不細工で景観への配慮などチビリともない、このラインの束が今の姿というか、今を示す特徴の1つなんだから、これを描かないことには画家の存亡に関わる。

 

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 とはいえ誰がそんな電線絵画を買ってくれるのか? かわないカワナイ。

「ぁ、無駄な空想しちゃった」

 首をすくめて、こちとらクスクス笑うのだった。

 レンブラントを想起したのは、1990年にボストンの美術館から盗まれ、未だに発見されていない『ガリラヤの海の嵐』という作品があったからだ。

 

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            1633年の作品 彼が描いた唯一の地上ではない絵

 

 激しい波に苦労している帆舟の幾つものロープが、上の写真の電線のようでもあって、それで2つのイメージがつながってしまったんだ。

 この絵は、横幅が160cmで高さが128cmもあったというから。かなりデカイ。

 流布されている画像を見るに、かなり暗い映像のものが多く、上に載せてるもののようには明るくはない。

 たぶんこの画像は明度だか彩度をあげてるような気がしないではないのだけど、何せ写真は盗まれる以前、1990年以前に撮られたものしかないワケで、実物の明暗度がどうであるかは定かでない……。

 レンブラント作品の多くはかなり暗い色調の中に沈んでいるから、本来はこの絵も暗っぽい日没間際の見えるようで見えないような描写だろうとは予測するけど、このように彩度をアップさせて提示することで、初めて、画家が丹念にディティールを描き込んでいることも判るワケで、そのことでレンブラント・ファン・レインの力量が圧倒的なものであったと、逆にしれる。

 

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たぶんおそらく、この画像の方が実際の絵の色調に近い? が、盗まれてもう30年。具体的に検証できない

 

 盗難にあったイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館はボストン美術館のすぐ近くにあって、入口こそ近代っぽい造りながら敷地内は中世イアリアの大豪邸をモチーフにしての建造で、中庭が実に美しいらしい。

 同館では、いまも本作のために、展示されていた場所に同寸のカラの額縁をかけ、絵の帰還を願ってる。

 その空のスペースは、腹立たしい災禍を示すわけじゃあるけれど、無駄なスペースじゃない。そこにあるべきものを示唆し続けてる。

 

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           イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館

 

 一方、盗んだヤカラは、売るに売れず、捨てるに捨てられず……、なのじゃあるまいか。

 丸めて保管してるのかも知れないけど、盗人の住まいだかの一画でそれは大きな意味でのスペースを取ってるはず。

 トットと返した方がいい。その空間を救済のためにも。

 ちなみに盗難は同作だけでなく、フェルメール作品も含め13作品もが、その時ごっそりやられてる。

 この事件に関してはマサチューセッツ州警察(ボストンは首都)やFBIの大捜査に関わらず犯人不明という次第で、米国では幾つかTVドラマになったり、ドキュメンタリー的映画『消えたフェルメールを探して』というのも作られたようだけど、残念ながら未見。これはDVDで市販されてるのだけど絶版だから中古市場に出るのを待つしかない。

 我が心の内には、その待ち時間としてのスペースや、有り。

 

ガリラヤの海の嵐』は、ガリラヤ湖という淡水の大きな湖をイエス使徒らが渡ってるさなか嵐がやってきて、往生した使徒らの前でイエスが奇跡をおこして嵐を静めるという、ま~、神さんの子は自然をも制御するというような、マルコの福音書第4章での話を絵にしてるようだけど、神の子は今はいないっぽいから……、嵐としてのコロナウィルス騒動をも静めてくれない。

 残念。

 

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           ガリラヤ湖。この写真はコチラからお借りした

 

 閻魔の大王さんなら、ウィルスと現政権、どっちが悪質かって~なお裁きじゃ、いささか面白い判決を下すような気がしないでもないけど、よく考えりゃ、閻魔は該当者が死亡してはじめてご登場だから、これもま~、現世じゃ役にたたんのぅ……、というわけで、ぁあ、また無駄な空想しちゃった。

 

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                  成相寺京都府宮津市)の閻魔像

 

 ともあれ、カラの額に絵が戻ってきますよう……、ここはやはり祈るっきゃ~ないか。

 祈願出来る対象という意味では、一神教多神教とわず神さんは機能してるなぁ。

 

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 マックス・フォン・シドーが亡くなったそうだ。90歳。

エクソシスト』で老神父を演じた時はまだ44歳……。大阪南の映画館で当時観たさいは、そんなに若い人とはまったく知らなかった。以後いろいろな映画で愉しませてくれた。彼が出てくるとその映画に必ず重みが生じてた。ラッセル・クロウの『ロビン・フッド』でのウォルター卿に扮した彼がとりわけに。

 合掌。

 

 

 

 

 

 

土佐光信の絵

 昨年末の講演「岡山木材史」の中で、余談バナシに中世の刃物事情と調理について、桃太郎伝承とからめて触れた。

 主旋律としては、

「おじいさんが芝刈りに出かけた山は、誰の山なのか?」

 という我が問いと共演の大塚氏の答えだったけど、中世初期では刃物は高額な希少品だったし、いわゆる包丁が登場しているワケでもなく、家族の中、小刀が一本あるきりで、それを一家の主が保持し、大事なモノだから常に携帯をし、小笹を切るのも、魚を解体するのも、すべてその1本で主人が行っていたろう……、というハナシをちょっと繰り出した。

 で、その後も折を見ては調べてたのだけど、土佐光信の絵にその痕跡が見られて、いささかの感慨をわかせているのだった。

 

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 土佐光信は室町時代の中頃から戦国時代までを生きた絵師で、8代目将軍足利義政関連の文献によると、絵所預(えどころあずかり・宮廷の作画機関のトップ)50年も務め、最終的には従四位下という位についてるから、官僚的立ち位置で絵筆を取り続けた人と書いてもいい。

 日本画の流派の大きな派閥の1つ土佐派の本流を作った人といわれ、将軍家やら公家と密接な関係を持っていた。

 宮廷画家のトップとして50年も君臨しているのだから、ただの絵師じゃない。

 年譜経歴を眺めるに、かなりの策略家であり、たびたび自己主張を押し通すために他者を蹴散らすようなコトもやっていたようじゃあるけれど、国が南北朝に別れてケンカしている乱世な時代でもあって……、ファイティング・ポーズもまた必需でもあったろうか。

 官職としての絵師の立ち位置確保というか、その権力保持に相当なエネルギーを使っていたようで、そのあたり……、後世のボクには感触として好きになれない次第じゃあるけれど、剣の輝きでなく筆の閃きに自身をのせ続けた継続の強さの中、ともあれ画業は画業、傑作が幾つもある。

 

 眺めると、何枚かの絵で男の調理が描かれている。

 庶民の家庭内じゃなく、宮廷なり武家での調理場面ではあるけれど、見るに、なるほど、やはり包丁はない。小ぶりな刀で魚をさばいてる。

 菜箸を用いて素手では魚に触れず、右手の刀でさばいてく。

 当然にこれは専門職。光信が描く調理師はたいがいどこか炯々としてる。魚さばきの自信が垣間見えるんだ。

 

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            「千僧供の霊験」の一部 頴川美術館(兵庫県)蔵

 

 当時、まだ醤油はない。切り身は生姜酢や煎り酒(いりざけ・酒に梅干や鰹節をいれて煮詰めたもの)でもって味付ける。それで煮たか、あるいは刺身として食べるさいにからめたか……、この時期の食の光景はまだ鮮明になってはいないけど、ともあれ、やや短い刀1本で魚をさばく職人がいて、お給金を頂戴していたというコトはまちがいない。

 刀でさばく役と煮炊きの役は別人が担うという点も、おもしろい。

 鍋を煮る係の男は、たいがい老人っぽいのも特徴だ。下の絵の部分、一見、汚い爺さんだけど、煮物に関しては無類の味付け舌を持った人物であるはずだ。

 この爺さんの表情にもまた自信がうかがえる。

 

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              「如願尼の利生」の部分 東京国立博物館

 女性が調理に関わっていないのも特徴だ。

 庶民を描いた絵には、鍋の煮炊きで女性が作業しているのはあるけれども、刃物を使う調理作業は男性だ。

 刃物イコール男、なのでありますな、この当時。

 ま~、そのことを土佐光信の絵が証してくれてるワケだ。

 

 ですのでね……、この時代の物語らしきかの桃太郎はですね、ご承知の通り、川で拾った桃をおばあさんがカットすると坊やが中から出てくるんだけど……、より正しく「時代考証」をすると、おばあさんは刃物は使わず(使えず)、家長たるおじいさんが桃をカットしていなきゃ~~おかしいのだ。

 

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 1937年に刊行された大日本雄辯會講談社(現在の講談社『桃太郎』は、我が見解で見れば刃物の向きが極めて正しく、これを描いた斎藤五百枝(さいとう いおえ 1881-1966は鋭いな~と思わざるをえない。(本文を執筆した神話学者の村松武雄の指示だった可能性もあるけど、ただやはり、包丁はまだ存在しない。ナタのようなぶっ叩き式のモノはあったけど……)

 

 食物の切り分けというのは、食料の大小の配分を決めることでもあって、室町時代の当時、刃物を持ってる一家の主がそれを担うのがあたりまえで、転じて、「妻は夫に従うべし」というケッタイな生活慣習が今に残滓として伝わっているワケだ。

 いわば、起源の底流には1本の刃物が置かれてるという次第なんだ、な。

 

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 上は土佐光信の絵ではなく、「松崎天神絵巻」 (別府天満宮蔵)から。フイゴ職人宅の調理シーン。やはり家長が小刀で切り分けている。左のショボクレたヤングはフイゴ職人の弟子だそうな。木刀(?)のような刃物もどきで串を削っているよう見える。研いだ小刀はまだ持てないということか?

 中世の女性の生活を研究する保立道久は『中世の愛と従属』(平凡社)でこの絵を取り上げ、黒装束の女性が実はこの家のアルジ的存在と論証(肘をついてる長持ちが重要なんだ)されているけど、ここではその点に触れず、ただ刃物というのが男に属していたモノであった時代がかつてあった、というコトにのみ、以上触れた。

 

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 刃物とは関係ないけど、土佐光信の絵でボクが惹かれたのは下の1枚だ。

 

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              「屋根葺地蔵」の部分 東京国立博物館蔵  

 

 この4人の小僧と手伝い少年1人を眺めるに、土佐光信は瞬間を捉えているのじゃなく、家屋製作の何時間かを1枚の絵に入れ込んでいるよう思えて、これはメチャに、お・も・し・ろ・い。

 屋根の上にしゃがんで竹の骨組みを縛ってる坊主と、下から重しの石を投げ上げている少年とは同じ時間に、いない。

 同じ時間なら、投げ上げた石で上の人物がケガをする。一見は連動した動きに見せるけど、そうでない。

 とすれば、この絵には4人の小坊主がいるけど、実は4人ではなく、2人だった可能性だって、ある。

 2人の作業の様子を1枚の絵で見せちゃうと、4人が同時にいるみたいな時間重ねのオーバーラップを生じさせてるというワケだ。

 と、以上は……、やや小さな図版でこの絵を見たさいの感想だ。

 けどしかし、後に、やや大きな全集本を入手してあらためて眺めるに、少年は投げ上げているのではないと判明した。

 屋根の上の坊主が縄で石を上げているんだ、ね。

 2人の作業は連動していたワケ、ね。

 

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 よって結論。

 美術系の本は文庫サイズで眺めちゃ~いけねぇ。

 情報量が少な過ぎ。断固大きなサイズの本でなくっちゃ~、上記のような”誤読”が生じるんだ。

 

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               でっかい方がいい。

 

 次いでに云うと、右側で子に乳をふくませている女性も、おもしろい。

 一見、老婆だ。

 顔のシワといいオッパイの垂れっぷりといい、若くない。

 年取ってからの子か? それともホントの母親は左の薪を運んでる女性で、代理で、出ないけどオッパイ吸わせて子を馴染ませてるのか? などとついつい注視してしまうくらいインパクトが強い老婆だ。

 いや、実は老女でなく、今の眼にはおばあさんだけど、実は18歳くらいなのかもしれない。すでに16歳で1度出産したけど、それは生後すぐに死んじゃって、苦労を重ね……、などと空想するのも、イイもんだ。

 子をあやしつつ休息しているようでもあるからこの部分にタイトルをつけると「ローバの休日」だ。

 

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 しかしまた、ひょっとすると、中央の石の下の少年の実の母であり、少年は少年にみえてドッコい、実は左の薪を背負った女性と関係しちゃって、出来た子を実母があやしている……、かもしれないと思ってみるのも、イイもんだ。ま~、可能性は薄いけど。

 ともあれなにより、この絵には、奇妙なほどに軽快感があって、ある種の小気味よいリズム音がはねているように感じられてしかたない。

 小僧たちの姿には、家屋を建てる喜びみたいなものが充満しているんだ。

(とある地蔵のために雨除けの屋根を造って、そこを寺にしようとしているという図、です)

 

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 縄綯(な)いをやってる小僧の足と手の動きもいいが、視線を屋根の方に向けているのがダントツにいい。自分の作ってる縄(麻を撚り合わせているに違いない)がまもなく結わえとして使われるという希望的展望がこの視線の先にはあるワケで、土佐光信はただ観察的に描いているだけじゃないのがこれで判る。

 要は気分が描かれてるんだ。

 

 ま~、だいたい男子はモノを造るのが好きなのだし、その過程も愉しむというのはプラモデルに集約される組立の愉悦理論そのものですけど、この絵の小僧たちもまた、きっと、楽しかったに違いないとボクは想像し、一鑑賞者として楽しんだワケだ。

 だから当然に、描いてる途中の土佐光信もきっと、乱世の世渡りのいやらしい知略やら権威にアグラをかいていっそうにそれを固めるといった処世の術などは忘れ、楽しんだに違いないと想ったりもし。

 

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 余談ですが、土佐光信には娘があった。

 千代といい、自身も絵筆をとった。

 彼女はやがて狩野元信の妻になる。

 元信は光信の大和絵テーストではなく唐絵というカタチで、いっそ土佐家の画風とは反撥するスタイルの、いわばライバル関係として勃興していたけど、この結婚でもって、両者両派閥に交流が生じ、やがてその画風の混合成果として、千代の孫である狩野永徳の手で「洛中洛外図」といった傑作が生まれ、その描法は大ブームとなって江戸時代前期頃まで、似通う構図での町と群衆の動きをとらえた絵が続々描かれることになる。

 また、その群衆の中から部分を抽出しクローズアップというカタチでもって後には「浮世絵」が登場もする。

 今の美術界の評価する所では、千代はあくまでも狩野元信に嫁いだ女性という位置に置いてるようだが、絵画改革のキーワードとなる2つの大きな川というか、土佐派と狩野派、2つのでっかいブランドを結んだ重要な女性と思えるのだけど、あるいはその結婚には土佐光信の政治的戦略的魂胆があったかとも思えるし……

 

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          千代が描いたと伝わる源氏物語図扇 東京国立博物館

冬場は夢が旬 ~ダリ~


眠ってるさなかの、夢。
冬場のそれと夏場のそれとは、なんか絶妙に違うような気がしている今日この頃。
皆さんいかがお過ごし、じゃ〜なくって、思われるかしら?

ボクの場合、どうも冬場の方がオモシロイのを見てるような感が濃い。
目覚めると同時にホボ消えはじめ、数秒後には、
「ナニ見てたっけ?」
もどかしいコト極上だけど、冬の夢の方がチョットなが〜くて、ドラマチックなもののようだ。たぶん、おフトンの温かみのヌクヌクが影響してるとは思うけど、ボクの場合、なが〜いSF仕立てのドラマが多い。
紅い砂の火星の広漠とした光景の中を鉄骨とガラスで出来たスクールバスみたいなのに複数で乗って、だいぶんと先にある音楽会場に向かってる道中でのアレやコレがどんどん脱線的なハナシとして紡がれる… みたいな。
だから、あんがい… 愉しい。
そういう長編を夏に見たおぼえがない。
そう思うと、夢には旬があるのかな? とバカなことを考えもする。
「2月の夢が最高だね〜」
などと云ってみたいもんだ。
云って、得するワケもないけど。



夢を扱った本や作品は多い。
けども、他人の夢のハナシにつきあいたくはない。
けども、中には、ボルヘスのような秀逸もあるし、これは個人的ハナシだけども某BARのママの夢の中で、
「アンタと一緒に火葬されかけた…」
というような怖い実話(夢のね)もあるんで、全部を拒絶するわけでもない。
夢物語という括りだと小説も映画もいっさいがその範疇に生息するんだから、な。
夢の生息場所は広大… なんだ。



6日ほど前、某ライブハウスにてOH君がただ1曲のみ歌うというシーンを観覧後、場所換えて数時間(気づくと朝の3時だったね)ヒチャチブリに呑んで語らったさなか、ダリのことが出てきたけど、ダリという人物が紡いだ作品をどう位置づけるかで、ダリの評価とダリを観る人そのもののカタチの輪郭が判るような… 気がしないではなかった。
シュルレアリスムと夢を一直線に結ぶ気はないけども、射程範囲の近似にはあるから、以下を書く。


ピカソがいい!
マティスがいい!
というのと、ダリがいい! というのとでは、どこか、何かが、決定的な違いがあるような気がして、いけない。
そこを確信的に語りきれないのが、ま〜、ダリのダリたる由縁なんだろう。
OH君も最近どこかで作品に接したらしきだけど、ブログに書きにくいと… にがく笑ってた。
そこはとても共感だ。ダリというのは描写しがたい属性がある画家なんだから…。

ダリは、深いようで浅い。
洗練されているようで、ダサく、うさんくさい。
鋭敏なようで鈍感な直情だったりする。
都会的? い〜や、だんこ田舎っぺ〜である。

以上はボクの感想だけども、その逆も同時にヒッソリ温存する。

ダリは、浅いようで深い。
ダサイようだけど、洗練されている。
直情にみせかけ、実は多感かつ繊細である。
都市の空気を呼吸し、吐く息はメトロポリタ〜ニャである…。

それら切り口の見極めがかなり曖昧でわかりにくいのが、ダリなんだろうとも思うし、ボクが好いているポイントのような気もする。
決定的にわかっているのは、ダリが、実にマジメなヒト、時に保守的な程に勤勉なヒトということ… だろう。
彼の著作、たとえば「天才の日記」などをめくってみると、扇情な記述の根底にマジメ過ぎの硬い人物がいて、グンニャリした時計を描くヒトには思えぬところが多々あって、衝撃させられる。
たとえば––––––––––––––––––
女性の腋毛のこと。
自分のウンコのこと。
部位的観察と考察が、真摯かつ高らかで、対象に向ける視線のピュア〜な度合いはちょっと部類がない。
ピカソにもマティスにも、そこまで露骨な正直はない。
ただ、そのピュア〜を絵画でなく文字で綴ってしまったところに、ダリのほころびがあるような気もするし、また、そうでないとも… とれないでもない。文字を連ねるダリの中の、虚実の分数配布が徹底して巧妙で惑乱させられもするから余計に。



夢という括りでもって彼のシュルレアリスム画を眺めるボクの感想は、だから未だ定まらない。
定まらないけど、ただ1つ、彼の描く空の色だけは、これは別格と思って久しい。
その色合いには、夢の朦朧がない。
彼が描いたカダケス、ポルト・リガート、フィゲラス辺りの空の色は、日本や英国のそれでなく、スペインの空、それも地方の夏場のそれ… そのものに見える。
とても深く、とても濃く、とても透明。紺碧という1語じゃ括れない、ダリの絵にのみある色だ。
どうもそこに、夢が入る余地のないダリの現実があるよう思える。


ダリの実物をボクが直に見たのは、はるか昔の大学生の頃で、大阪の大丸だか三越での規模大きな展覧会だったけど、思った以上に小さなキャンバスだったそれらの中の、濃く深い青を見た刹那の、吸い込まれるようなブルー感覚ったら… なかった、なっ。
いまだ、その時に相応する感覚を味わったことがない。



※ フィゲラスのダリ美術館で昨年に開催された真夜中のイベント。その告知ポスター。チケットは数分で完売だったらしい。


なので、いまさらに気づいたんだけど、ダリという画家を彼の画法に見合わせてシュールな空間に置く必要はないのかも知れないのだ。
彼の"浅い夢"とは切り離し、彼が無自覚に切り取っていたスペインの空気(とくに空)を味わうべき作品群… なのかも知れないのだ。
空は、ある意味では無だし、無は夢とも語呂合わせ出来ちゃうし… というのは過剰だけど、ダリもまた、夏と冬では違ったタイプの夢を見てたかしら? などと思ってみるのも一興だ。
その夢の中にも、彼の"空"はあったろうかも知れないし、その青さのみは、たぶん、ドリーミーなもんじゃない真実でしかない色彩だった… ような気がするわけなのだ。
少なくともボクは、彼の多くの絵に、"夏の暑熱"を感じる。汗ばみをおぼえる。


「内乱の予感」やら「記憶の固執」やらやらのタイトルも内容も実はさほど… 自分が毎夜に浴びる夢同様に意味はなく、それはあくまで手段で、彼は一貫して自分が吸っている空気の色、わけても、空模様を描いていただけかも知れない。
そう考えると、ボクはますますダリが好きになるなぁ。
ダリは、空を、カラッポを描き、かつ、演じ続けたんだ。…と。



ダリの作品中、イチバンに好きなのがこの『パン籠』。
1945年の油彩。33×38cmと小さいながら、ダリ宇宙が詰まってる。
フェルメールの『ミルクを注ぐ女』に登場のパン籠にいわばインスパイアされたもので、多くの評価はその描写に眼が注がれるようだけど…。
けども、そのスーパーリアルな技法に感心してちゃ〜いけない、と思うのだ。
それはダリの口実。


この作品の以前1926年にも同じタイトルでパン籠を描いてるけど、それとこの作品では作家ダリの心の在りようがまったく違う… とボクはみる。
本作の画面全体2/3を占めるダークな部分こそが命。
この絵を紹介するさい、黒部分をトリミングした例が多々あって、無茶をやるなぁと呆れもする。
1枚の絵として、この黒の占める割合と配置は、絵としての構図をあえて破綻させてもいる。
いるけれど… そこが要め。
空につながるカラッポがここに置かれているワケなのだ。その暗がりをジッと眺めてると、本当にカラッポなのか… と絶えず絵の方からこっちに問い合わせてくるから、これはとても空恐ろしくもある。
プラネタリウムを体感した方なら判るだろう、明かりが落ちるや、コンクリの丸天井が突然に無限大の空虚に変じる… あの闇に吸い込まれる感覚。
その黒は、どれだけ精度があがろうが印刷では再現出来ないだろう性質の、直筆の深みだ。
ダリは空間そのもの… への畏敬をここに籠めた。



量産といってもいい程に似通う絵を描き売って拝金主義と嘲笑もされたが、またそれを逆手にとってDALIとDOLLARを組みあわせた造語まで創って自己弁護でなく、ただもうヒトをケムに巻く手法に徹したダリだけど、この『パン籠』は終生手放さなかった。
そこのところに、「天才の秘密」があるような気がしてしかたないし、また同時に、彼の、彼の中の限界もまた感じないわけでもないのだけど、すくなくとも、この絵は画家ダリをダリたらしめて永劫の香気と光輝と宇宙的意味合いでの熱気を放ってると… 2017年2月のボクは思う。
そう、この絵は、"冷暗ながら尋常でなく熱い背景放射"を感じさせてくれる、唯一のヒトの手による絵画なんだ。
と、ことダリに関しては風呂敷拡げて誇大を申すのがヨロシイようで。

杉浦茂効果



作業を終え、あてがわれた1室でやっとシューズを脱いでシャワー浴び、ベッド・シーツをグチャグチャにし、枕を2〜3度たたいてカタチを変えて居心地良くしてから、ゴロリンと横たわって読む… 杉浦茂は最高だ。
読む… でなく眺めるが正しい。
なので文庫サイズはいかん。
すこしばかり大判がいい。


ボクにはもう1ページめから順にストーリーを追う必要がない馴染んだマンガ。開いたページの、ヒトコマヒトコマを眺める。
「武蔵野を歩くには道を選んじゃいかん」
明治の国木田独歩はそのようなことを『武蔵野』の第5章で書いてるけど、杉浦マンガも散歩的詩趣があって、だからボクは好き勝手なページを眺め、時に2〜3ページ飛ばしたり、4〜5ページ遡ったりする。
やや大判でないといけないのは、杉浦マンガはコマの背景にいる人物やモノまでが大いに"活きて"るから、そこを逃さないためにはチョビっとでもサイズ大が好もしいのだ。
そのコマゴマでは、脇役たちが主役たちの行いを眺めていて、よく笑い、よくコメントして、しかもノホホ〜ンとしてゆるがない。



うどんこプップのすけ。
ふうせんガムすけ。
らっきょうぼうや。
やさいサラダのすけ。
コロッケ五えんのすけ。
…まだまだいる。



(C)杉浦茂 「猿飛佐助」ちくま文庫版より


これら脇役たちが少年・猿飛佐助の忍術で痛いメに遭っても、彼らのセリフは、
「ひどいことすんなよ〜」
「あんりゃいたい」
「よわったねこりゃ」
「ばかばかばか」
と、実にまったくホンワカで、その上その背景で、別な通行人が、
「いけね、コロッケふんじゃったよ」
なのだから、も〜、ヒトコマヒトコマがご馳走ではあるまいか。
そも路上にコロッケが落ち、それを踏んじゃうシチュエーションというのは、こりゃ何じゃろ〜。
明治41年生まれの杉浦茂のマンガに、近頃のボクは、ケッタイな形をした生物が大量出現したカンブリア紀のエネルギッシュな躍動を重ね見たりする。
主役たちは平然と空を飛び、何ンかに化け、安く美味しいモノに舌鼓をうってポンポコ屈託ない笑みを見せてくれるが、そこに無垢なエネルギーの高圧を感じる。それが連想としてカンブリア紀に連なる。
そのうえ、極度に逸脱しながらゼッタイに安心して眺められる奇天烈。



(C)杉浦茂 杉浦茂モヒカン族の最後」集英社より


なんとこたびは読むうちに眠りこけ、夢をみて、けっこう高速で空を飛んでるのだった。
当初は県北の親戚宅に久しぶりに出向く道中で、なぜか近場までは道沿いを飛び、親戚の近くからは徒歩に切り替えなんだけど、いささか早くに着地してしまって、
「しまった、もう少し飛べばよかった」
などと後悔して歩いてる。
で、親戚宅について中を覗くと、膳が用意され、茶色い大きめな蓋つきの汁腕が7〜8つ見え、ふと気づくと道路の反対側の土手に親戚家族が一同して記念撮影している。
「あ、いわいごとか…」
それで気兼ねして、こりゃタイミングが悪いわい… こっそり空へ舞い上がった。
ちょっと寂しい感じにくるまれた頃、下方に池がみえ、その池に飛行機が映ってるんで見上げると、新式なドローンかラジコンらしいのが飛んでるんで、
「からかってやれ」
と、ボクは自分の身体ごとミレニアム・ファルコンに変身して、飛行機に近寄って、相手がビックリしてるのを大いに愉しんだ。
でも、急激に速度を可変したり回転したりしてる内、ソフト・ハットの真ん中を押しつぶしたみたいに、機体中央がペチャリンと変形してしまい、それでこれが紙製だと気づいたりした。
どういう次第か下方から女子高校生の会話が聞こえ、なぜそれが女子大生でないのか、その見極めはど〜なってんのだと自問しつつ、
「あれは課題の作品ね。どこの製品かな〜?」
なんて云ってる声が聞こえる。



こういう夢を見ちまったんだから、こりゃまったく、"杉浦茂効果"というもんだ。
杉浦的セリフでマネたら、
「いけね、夢に出ちゃったよー」
なワケで、久々、得した感じ。←実話ですぞ。



(C)杉浦茂 「猿飛佐助」ちくま文庫版より


上記の夢を見ちゃってもう3日経つ。
そんな次第あって、ボクは岡山の自室にて杉浦本を引っ張り出し、もいちど夢で会いましょうが出来るかしらと耽読中。
いやホントはこたびの安保法制強硬採決についても書いたんだけど… 怒りにかられたゆえ… 冷まそ〜と思ったりで。
実際こたびのアベとその仲間のフルマイは、
「ばかばか。ひどいことするなよー」
なのだ。
でも、失望するコタ〜ない。杉浦茂描く元気印のキャラクター同様、
「きのう、サバくったー!」
で、うっちゃって、勇気モリモリ来夏の選挙を待とうじゃないの。
ポイントは、戦争しませんの法則を国内でニチャニチャ云うだけでなくって、外に向けて大きく発信すべきところかな。



(C)杉浦茂 「ミフネ」集英社より



自室の杉浦関連をアレコレ引っ張り出してみる…。ひさしぶりに超大判だった植草甚一編集の「宝島」を眺めて、これまた久しぶりに大いに感嘆した。田川律の『まるで転がる石のようだった』に時代と躍動と、今となってはの感慨をおぼえないわけではなかった。


旬のパッションフルーツ



ここ数年で急速に、ガーデニングの植物として認知されつつあるパッションフルーツ
南洋産ゆえ、岡山では冬は室内に移動させなきゃ越冬しないけど、夏場の半年は庭でよくおごる。
けどもまだまだ、その食物としての実態は知られちゃいない。
そこで、この実が食物となる過程を、ホンの少し、ここに披露しておく。




写真の通り、けっこう大きな実となる。
けども食べられる部分はとてもとても少ない。
上写真のように大きくなるまで1ヶ月以上、かかる。
そしてある日、これがごく自然にポテッと地面に落ちる。
あんがい表皮は硬い。なので落ちて傷つくことはない。
それに、でかさの割りに随分と軽い。
その軽量さに、初めて接すると、
「えっ?」
と、なる筈。
でも、それがパッションフルーツだ。
人間は、ただ、これを拾えばいい。



で、落ちて1日経つと、このように色がついてくる。
この早い変化も、やや驚きだ。
でも、それがパッションフルーツだ。



2日めにはさらに濃くなる。
まだ食べてはいけない…。
放っておく。



さてそうすると、色素沈着がいっそう進み、さらには表面にシワが寄ってきはじめる。
写真のような変化が4〜5日で生じる。
何か、干からびていくようで、いささか忍びないが… 食べる部分の熟成が進んでいると… ここはご承知いただきたい。
籠にでも入れ、ジッと我慢の子たれ… というワケだ。



そこで閑話休題
籠に入れた様子を写真に撮る。
この写真… この構図… 
「どこかで観たなっ」
そう感じたアナタは素晴らしい。



そう、これはダリの高名な絵画『パン籠』を模したもの。
なので、広義には、これはパクりである。
ダリはパン籠をモチーフに2枚の絵を、1枚は1926年に、1枚は1945年に描いた。
19年の時間を端境に同一な絵を彼は描き、この2枚を終生、身辺に置いて売る事をしなかった。
だから、画家ダリにとってこの2枚は特別な意味ある作品だった… のだろう。



その1945年のとても不思議な空間のあるパン籠の絵を、こたびボクは模している。
ダリの絵の、左側上端のその暗い空間の置きようは、カメラの眼ではない。
もし、カメラでパン籠を撮ろうとすると、人は、このような構図ではゼッタイに撮らない。
パン籠をより中央に持っていく筈で、ベチャリといえば、これは構図として安定しない。
けども、ダリはそのスーパーリアリズムの先駆けとなる描写力のまま、あえてアンバランスともとれる配置でパン籠を描き見せた。広義な意味でそこに彼のデザインがあり、狭義にはこの絵の魅惑の核がある。


それを… ここで真似た。
なのでこれは、著作権のいささかの侵害であると捉えるコトも可能だろう。
ま〜、そこが難しい。
こたびのこの写真は、ダリの絵を想定してパチリiPhoneのシャッターを押している。
だから、ダンコ、模倣だ。
いささか照明の具合がダリのそれを再現出来ちゃいないから、良い模倣とはいいがたいし、空間の切り取りも不足している。
そも、模して撮ってるんだから、良いも悪いもない。
ダリは意識して左上端に大きな暗い空間のある絵を創った。
その暗い空間に、パンと籠以上の何かを顕そうとしたけど、ボクのは暗い空間に意味がない… 真似は真似でしかなく何もこえられない。



このあたりの"意識の配り"が、いわゆるデザインの世界では難しい。
今、例のオリンピックのロゴが問題になっているけれど、グラフィック・デザインというのは実に気の毒な"表現手段"と、ボクは思わないではいられない。
似ているといわれたら、それは必ずや何かに似てくるものだ。
とはいえ、こたびのデザイナー氏のは… ボクの眼でみれば、彼の他作品同様、うさんくさい。
その上で、
「こりゃダメでしょう」
のハンコが方々で押されたに関わらず、それを採用した決定権ある方々が、使うと主張し続けようとする…、いわば"やめるコトが出来ない"日本的感性とあわせ、とどのつまりは、かの映画『日本でいちばん長い日』でおそらくテーマとされた、戦争をやめられなくなる体質と同じ分泌液で構成された何かが、ここでもまた開陳されていると、いえなくもない。



さてと。
落下から概ね、7日か10日。
パッションフルーツはシワが増した。末期の赤色矮星という感じで赤みもダークな茶色に変じつつある。
そろそろ、頃合いだ。
いよいよ包丁を持ち出す時が、来た。




カットすると、ご覧の通り。
中央で、まるで柔らかな毛布で守られるようにして、種とその樹液がある。
例えは悪いが、見ためは、子供のアオバナみたい…。
それが、小さじ2杯か3杯の量。
食せる部分はこれだけなのだから、ガッカリしなくもない…。
典型的な南洋の、あの風味に加え、かなり強い酸味。
量にガッカリするけど、風味は南洋の一語。トロピカルだ。
種ごと、食べる。
パリポリ噛み砕くトロピカル。



この前テレビでたまたま観てしまったのだけど、とある島に"探検"に出向いた椎名誠は、その小さな島で売っていたパッションフルーツを1ダースほど買い、半分に割り、食べられる部分を指でかきだし、グラスの焼酎にのっけ、やはり指でグルグルグルかき回して、
「うまい!」
一声して、笑みていた。
なるほど、これは極めて正しい食し方… と、ボクは御大に尊敬の念をもった。
それで… コピーした。
真似て… といって指でグルグルはせず、あくまで品よく銀のサジ(うそ)でクルクルと、ゆるやかに混ぜて、麦焼酎の「むぎのこ」を割ってみた。
結果は同じである。
「うまい!」
の、一声あるのみ。
お酒のくせに、チョイと噛むというのも愉しめる。(なんせ種だらけだから)


毎日トマト朝夕キュウリ

規模ささやかな家庭菜園であっても、過剰は発生する。
どういうことか?

たとえば春も半ばにキュウリとトマトの小さな苗を買う。
1ポッド60円くらいで安いもんだし、でも1本のみじゃ、枯れたり根腐れの怖れもあるから、少なくとも2つ買う。120円づつ払う。
土に移植。これが枯れずスックスック両方とも成長する。
梅雨期の終わりから7月にかけてと、この2本×2種からキュウリとトマトが採れはじめる。




採れるのはイイけど… 量が問題、すなわち過剰の発生というワケなのだ。
昨日キュウリが3本か4本採れたら、もう翌々日の朝には3本、というように倍増しちゃって、気がつくと… 1ダースほどが常態でキッチンにあるから… ジワジワとうんざり数値があがるのだった。
これにナスがくわわり、うんざり3重奏。
個々べつに嫌いじゃ〜ないけど、毎日は食滞する。



なのでホントは家庭菜園の場合は苗は1本でイイとは思ってるんだけど、枯れるリスクを思うと最低2本… というのがここ数年の悩みというワケじゃないけど、ちょっと立ち止まってアタマをひねるような… モンダイだ。



しかしまた一方で、採れ採れの収穫を眺めると、絵画としての静物画が否応にもアタマにわいてくる。
以前、このブログで高橋由一の「鴨図」や「鮭」について触れ、ついこの前、その「鴨図」のホンモノがある山口県に出向いたさいにはそれをコッソリ強く意識したのじゃあるけど、もし高橋由一なら、キュウリにトマト、これをどう描くだろうと… ひそかに思って愉しんだ。



剣道に打ち込んでいた武士の由一が剣を絵筆に変え、幕末から明治にかけて、油絵具もキャンバス地を扱う画材屋なんぞはムロンありもしない時代にあってオイルペイントにのめっていく彼を21世紀の現在に置くことはバカげてるけど… でもキュウリの緑やトマトの赤、その形…、かつて高階秀爾が『日本近代美術史論』の中で喝破した、彼の迫真の写実が西欧絵画の写実伝統とはまったく異なる"非西欧的感受性"という1点から、いっそう想像の葉を茂らせるに、おそらくキュウリは恐ろしい程に克明に描かれつつも驚くほどに平坦なモノとして描かれるだろうと思えて、そこにまたあの「花魁」同様な、超現実的な、違和感を大いに伴う、けど1度観たらもう忘れられないのビジュアルを見せてくれるのではないか… と期待を寄せるのだった。



「鮭」にも「鴨図」にもおいしさを感じないのと同様、「花魁」に色っぽさを感じないのと同様、キュウリやトマトもまた高橋由一の筆では、おいしい瑞々しさなんぞは描かれないと思うのだ。
では何が描かれるか?
言葉で解けてしまえば絵画は言葉以下だし、言葉で解こうと絵画をみなきゃ絵画はまた成立もしない… こういう矛盾を含め、さ〜、そこを考えるのが愉しみというもんだ。
キュウリがたくさん採れたんで、こんなことを書いてるけど… めんど〜だなあ、ボクって。


その高橋由一がまだ存命だった明治の半ば、来日中の画家というか結局ラフカディオ・ハーン同様に日本女性と結婚した漫画家のビゴーは、当時の日本を外の眼でしたたかに描いて秀逸なんだけど…、ここに載せる絵なんかは、いみじくも21世紀の今に似た空気があって、すこぶる怖い。
これはビゴーが日本で発行していた『TÔBAÊ』に掲載の1枚。



タイトルは『口を封じられたジャーナリスト』。
すわらされているのは東京日々、毎日、郵便報知といった新聞社の記者。窓から覗いているのはビゴー本人らしい。官憲が手にしてるのは当時高まりつつあった自由民権運動を報じた新聞。
時の政権の、気にいらない報道機関への威圧。
ま〜、あれこれは云うまい。またぞろ同じが繰り替えされつつあるというコトの恐怖が1888年に既に描かれているというだけのコト… さほどキュウリとは関係はないけど絵の同時代ということでチョット一言した。


ビゴーの絵と由一の絵は当然に住処が違うし、由一は風刺画を志したわけもないけども、画家"個人"が何をホントに描き出そうとしているのか、ビゴーのそれは一瞥が勝負でもあるようだし、由一のはそうでない。彼の絵は平坦さを感じる反面、妙にアレコレを考えさせられ、その奇妙なフラットさ加減の中に何かがひそんでる… よう思えてしかたない。そこに政治はたぶんないにしろ、内なる光景が描かれているようだとは感じる。
オイルペイントという洋式を採用しつつ、彼は一向に、欧米に追従しない。描こうとしたのは、さ〜?



そこで酒井忠康は、『覚書 幕末・明治の美術』で由一の「鮭」を中心にアレコレ考察してくれて多少のヒントをあたえてくれ、
「あの鮭はどこの川で獲れたか」
と実にうまく脱線したりもして論文ではないエッセー的魅力も発揮されてらっしゃって、いっそうボクの脱線路線ぎみな生き方にプラス・アルファな何かを植えてくれたりもして、硬さよりも柔らかな指向の面白みを増加させてくれるけど… ま〜、ボクは描かれてもいないキュウリやトマトを、いま、考える。
このキュウリに政治は反映しないし、そうであって欲しくもないけど、そうやって明治の黎明期の画家に仮託させて、この夏のキュウリやらトマト達をどう記憶に位置づけようかと、考える。
たぶんに、それは「静止画」的光景が1番によかろうと。
iPhoneでスナップ撮影しただけじゃ〜ダメなのだ、この小さな菜園での収穫を物語るには…。
それで大袈裟に高橋由一をひっぱりだしてるわけ。
一夏の庭の想い出ポロポロを永遠にするためには、絵画という手法がイイなというハナシ。

化け物見極め 〜ルターは唄う〜

この前、誰かさんと電話で長話になったさい話題が化け物の事になって、
「近頃は多くて困るな。アレもコレもオバケじゃん」
というような事をしゃべってケララと笑ったんじゃあるけど… そうだな〜、ちょっと再定義しておかなきゃいかんなという事で、以下に書いておこっと。


いきなりで恐縮だけど…、
『龍ノ口山のお堂に化け物がいる』
『龍ノ口山のお堂に化け物があった』
以上の2つ、どちらの表現が正しい?
と、そう質問された場合、あなたはどちらを選ぶ?

どちらでもよろしいというのが概ねの解だろうけど、狭義には下側の『あった』が正しかろう。
なぜなら、"いる"というのは生ある消息としての"生き物"を指すから"いる"のであって、まずはそこを関門として、"化け物"を定義しなくっちゃ〜いけないでしょ。
呼吸の有無でもって、分けていこうというワケだ。
息をしているようなら、それはどんな姿であっても生き物だ。


化け物は呼吸しない。
そうすると路傍の石と変わらない。
私達は、
「石がいた」
とは云わない。
よって、「化け物があった」がやはり正しい言葉遣いなのである。


「あいつ、バケモンだぜ」
と云う場合は当然に、化け物じみてるの、たんなる比喩だ。
八岐大蛇も化け物じゃない。
あれはただの異形の大蛇なのだし、8股というなら頭は9つなくては数が合わないけど何故か8つしか頭のない妙な生き物でしかないし、人をばかすタヌキやキツネらは、これも生き物、その特性として化かす事が可能という程度なもんだろう。
そう考えていくと、だんだん化け物が減少していく。

ヤカンや鍋に足がはえて、これが部屋の中や外を駆けているようなら、これは呼吸しないであろうから化け物の正統だ。
お馴染みのお岩さんは、彼女は殺された後に登場しているから当然に呼吸はしていないわけで、なので幽霊のお岩さんは正統な化け物だ。
息もしないの何故に、
「うらめしや〜」
と発声出来るのかは謎として… そういうのは声帯系の学者先生にまかせよう。
幽霊と化け物は別という見解もあって、怨みを抱えたまま没した美人は幽霊となり、そうでないのは化け物になるという… これは区分けじゃなくって差別的な識別なので除外する。
(図は左がお岩さん。右はお菊さん)


水木しげる御大はその幽霊というトコロに着目し、幽霊族という区分を設けてそこに我らが鬼太郎を配置されて、これはなかなかスゴ腕な整理術と思うけども、彼やネズミ男が退治したたくさんの異形には、その幽霊族あり、生き物族あり、正統お化け族ありと… なかなか多様で広範で、そこに焦点をあてると鬼太郎君がいかにグローバルな、"困った時にお願い"的存在かという事もチョット判って、彼の支持率の高さの理由もまた判ろうというもんだ。むろん水木御大の分類法では呼吸ウンヌンは関係はない。幽霊族とはいえ、鬼太郎君はお金がなくってよく惰眠してというか、眠ることぐらいしか楽しみがないというのは周知の通りだろう。彼は呼吸してる。よって当分類法では生き物に属してる。



いささか見極めが難しいのが天狗だ。
どうもこの方々は呼吸をしているようなのだ。さて、では生き物or化け物、どっちやねんとなると… 実は答えは簡単だ。
化け物でもなく生き物でもなく、時に悪さをするのもいるらしいけど、彼らは生き物に限りなく近い神さんの1種だ。
例証としてあげるなら、当初はただの生き物だけど仏に帰依して神さんの眷属になったというのが滋賀は琵琶湖の竹生島(ちくぶじま)の天狗堂に伝わるオハナシだ。
澁澤龍彦の『ねむり姫』中の小篇『夢ちがえ』ではその消息がかなりゾクゾクするくらい良く描かれていて秀逸だった。
いよいよもって、正統オバケは減少する。
希少価値があがってきた。


ご承知の通り、菅原道真は没した後で怨霊となった。それを化け物と云ってしまうのはまったく気の毒だし、口が裂けたりツノが生えたりの異形でなく、姿もカタチもないまま眷属引き寄せ、その眷属めらが時に雷をうたせるなどして御所の清涼殿で死傷者をもたらしたりとアレコレ祟っていったから、後に天神さんと怖れられ祀られていくのはもっともだけど、彼のレコードはオバケ・コーナーにやはり置くのがいいようだ。ただ、出来るだけ… 神さん族のコーナーに限りなく近い場所へ。
まずは怖れられたけど、属性を変えて新生して復活した現在はお勉強の神さんとして今度はあがめられている… この希有を復興という意味合いでのルネサンスと云わずして何と呼ぼうかと、ちょっと思ったりさせられる存在なのがこの菅原道真だ。



話し次いでに云うと、マルティン・ルターって宗教改革の人がいるよね。カトリックから離れたプロテスタントの元祖となる偉い人の1人… ではあるんだろうし、じっさい彼の肖像画を見るに… 若い頃のそれには、干からびたパンと酸っぱいワインくらいしか胃におさめなかったろうと思える理念高らかに燃やしてるって感じの闘志が絵に映しとられているようで、悪くない。
しかし晩年に近い頃の肖像画にみる彼は、でっぷり肥えて、とてものコト偉い人に見えなくって、ともすれば堕落したブタの猪八戒に似通う化け物の醜怪さをおぼえるのは、わたしだけなのかしら?
そのような膨れたカタチになるには… いささか上等ふくよかな赤や脂質豊かなビーフの大量摂取が考えられる。それなくしてどうやって肥えるのか?
おまけに眼の光彩が、宗教家のそれでなくロシアの大統領のような政治屋っぽい猜疑と虎視眈々な策略色にしか映えないのはどうしたワケか。
顔カタチで人を判断しちゃ〜いけないけども、なんだかず〜〜っとそう感じて現在に至ってるんでルターさんにゃ申しワケないけど、聖職者として1番最初に結婚した人という所も加味されて、ど〜もこの人のイメージが変な俗物な感じに定着してしまってる。いきおい、化け物話に混ぜちゃうというのも失礼じゃあるけど…。


しかしこのルターさんがその肥満した顔と身体で、ワケの判らないラテン語のみで合唱されていた彼が住まうドイツの教会音楽を何とかしなきゃ… と思い立ち、自ら作詞作曲した平易なドイツ語での賛美歌を自らリュートを奏でつつ歌って普及に努めたという事実は、なんだかシンガーソングライターの元祖のようであり、お硬い教会内を新たなライブ感で満たし、そのグルーヴィ〜さでもって追っかけのフアンをつくっていって、それが宗教改革の底辺を拡大させたような感もあって、いわばクラシック全盛のさなかのロックンローラーだかパンク野郎めいた、ディランやビートルズ以上の革新をやってのけたようにも思えて、そこは鮮烈が際立つ。
それで…、今に伝わるレコードもCDもないから、一体どんな声の人だったんかな、あんがい甘い声音かもなと思ったりする。
けどまたやはり、その顔、その肥満姿には、"教会ライブ"後の打ち上げで甘いもん辛いもん色々お肉たっぷり食べてなきゃそ〜はならんわいな… 次の教会への道中も徒歩じゃなく馬にひかせた乗り物での悠々だろ? 成功者が陥るべく所に位置してるような、わだかまるような、やはり"化け"が進行してるような、妙なクエスチョンが浮くんだった。
もちろん一方で、太って二重顎をさらした肥え太ったアリノママの肖像画を拒否して美化したスリムな美形として画家に強いたりしなかったところには、ルターの、
人間らしくありたいな・人間なんだからな… 
開高健サントリーCMじゃ〜ないけど、正直な匂いも嗅げないことはない。この油彩を承認したところに、化け物にはならないぞと踏みとどまった生き物としてのツッパリも感じられないことはない。人間とは危ういものなり… と、そう自身の姿でうったえているのかもしれない。