この数週は近辺やたらにコロナが出廻り、ごくごく近所のタケちゃんやら某君ファミリーもかかって、それぞれ心配したけど重症にはいたらなかったんでホッとしてる。
5類というジャンルにランクを落としたコトで、近頃はどれっくらい蔓延しているか判らなくなってるのだけど、なんだかあえて判らなくしているような、情報隠蔽みたいな感が、なくもない。
「気をつけてねぇ〜」
なんてよく云うけど、どう気をつけてよいのかサッパリ判らなくなってるのが、コロナの現状かなぁ。
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前々回に記した松下電気のノベルティグッズ「タイム・カプセル」。
1970年、実は松下電気はもう1つ、タイム・カプセルのミニアチュアを造ってた。
万国博覧会での「松下館」に、何らかのカタチで貢献や協力したであろう、企業さんや個人さん、いわゆる関係者に向けた進物だ。
カプセルを金属で造り、銀メッキを施し、それをクリアなアクリルで封印したグッズ。
幾つ造られ、どこどこに配布されたのかは不明だけども、金属の光沢とその重さがゆえに豪奢な気品も醸されて、なかなかの雰囲気モノ。透明な樹脂であえて封印しているところもタイムカプセル構想をうまく表現している。
松下電気が「松下館」というカタチとタイム・カプセルに、どれっくらいチカラを注入していたか……、これらグッズをみればよく判る。
博覧会期間はわずか半年。その6ヶ月で入場者は6400万人を越え、海外からの見学者が168万3千人という公式記録がある。
70年当時、中国は文化大革命の真っ只中。日本と中国に国交はない。「中華民国館」というパビリオンが会場内にあって、だからいまだ多くの人が、
「中国も参加してたなぁ」
と思ってるけど、これは台湾ががんばって出展し、台湾を紹介するもの。
台湾は国家として認められていないワケで、けども、独自な道を模索してます〜という気概を見せてた。
よって中国本土からの見物客はない。来日は米国やカナダやヨーロッパ圏で占められた。
おそらく海外からの方々は、バンブーで囲まれた和テーストの静かな佇まい、着物姿のコンパニオンが迎える「松下館」に入館する率が高かったろう……、とも想像できる。
70年代当時の松下電気はナショナル・ブランドを掲げて、日本最大のメーカーではあったけど、まだ世界の方々に知られた真のイミでのナショナルじゃ~なかった。
70年万国博覧会は、松下電気にとって、海外向けアピールの絶好の場でもあったろう。あえてド派手なイエローと紅色というかクリムゾンカラーの着物コンパニオンというのも、そのあたりの空気をよくよんでの決定だったんだろう。
事実、万博にやって来たイブ・サンローランが最初に訪ねたのが「松下館」。あざやかな着物に感嘆し、他館コンパニオンの奇抜なミニスート姿よりも高得点をあたえている。
※ ちなみに会場内、パビリオン内での接待役女性は正式にはホステスの呼称がついていた。それを誰かがコンパニオンと言い換えた。コンパニオンは仲間という意味だけど、それを和風解釈で接待役と言い換えた……。夜の仕事のホステスとの差別化を図ったか? ともあれ日本独自なコンパニオンという名がこれで定着した。
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松下電気(2008年にパナソニックに社名変更)だけじゃ~ない。
三菱電機(三菱グループ)もはりきってた。「三菱未来館」は常に長蛇の列だった。
東宝の田中友幸をプロデューサーに迎え、円谷英二率いる特撮チームが館内巨大映像やセットを創り上げ、動く歩道に乗っけられた観客は、眼前に続々登場するスペクタクルな自然やら近未来の様相に、ただただ唖然としたまま吞まれてった。
火山の描写では、その火山の中を動く歩道が進む。灼熱色のセットと360度のフル映像と共に、大音響、温風まであてられて臨場感にワ~ワ~と声をあげた。一緒に見た小学生だった弟も、「わ~、すげぇ」といったよう記憶する。
たしかその部分では動く歩道の足元までユラユラ・ボコボコするよう造られていて、私も思わず手すりを掴み、密かに、
「円谷プロ、すっげ~」
と思いつつ、未来的アトラクションを堪能したもんだ。
(未来的というのは、それまで味わったコトがない体験という意味です)
1970年の三菱電機は「高雄」というカラーテレビを販売している。和名だ。
京都の高雄はモミジで有名。その色彩の鮮やかさをカラーテレビの名にしたらしい。
当時の大卒給料は3万円あるかないかだけど、値段は19万7千円。
高額商品ですな。
で、松下電気同様、カラーテレビ「高雄」を買うと、もらえるお品が1つ有り。
それがコレ。万博期間中のみの限定グッズ。
高さ32センチ強の太陽の塔。台座を含むと35センチに近く、でかい。
ブロンズ風味に塗装しているが総金属。重い。3㎏の鉄の塊り。
オリジナル製作はむろん岡本太郎自身。
経年で塗装が薄れているけど、この薄れと露出した地金のサビ具合が、かえっていい雰囲気を醸してる。
光の加減で、50億年先の太陽のファイナルな姿が想起されるようでもあって、燦然と黄金色に輝いたテッペンの顔も光を失い冷え切った暗黒星になったような、そんなはるか先のダーク・イメージも浮き上がり、岡本太郎作品の凄みをいっそう味わえもする。
プラスチック素材では、この味わいはヤヤ無理だろう。金属ゆえに醸された特性かな。
50億年先に、太陽は水素ガスを失って燃焼力が消滅し、代わって体積が大きくなって、地球を呑み込んで、さらに膨れ上がりつつ表層のガスがはがれ、中心部に鉄の塊を置いたガス状のモヤ~ッとしたモノになってしまうらしいけど……、その過程の一部をみるような感がなくはない。
ともあれ昨今、このような重たい置き物がオマケってナイもんね。1970年当時の企業の意気込みと張り切りようがこの金属太陽の塔にも還りみられる。
もちろん、53年も経った今頃に、この金属太陽のやれた具合でもってガス星雲化する太陽の末路を想像しているニンゲンが出てこようとは……、1970年の三菱は想定もしていなかったろう。
が、想像しちゃったんだから仕方ない。1にも2にも、太陽の塔という希有なカタチがもたらした妄想。
しかし、何だねぇ、三菱は来たる2025年の関西万博にも出展するらしいが、その名がまたぞろ「三菱未来館」だって……。
名とは逆に、まだ過去にしがみついているのかしら、と怪訝させられる。
ありきたりな未来の提示は……、もう、いいって。