早やもう4月も半ば。
1月1日元旦に、この4月の様相を予想したヒトはいない。
ま~、だからこそ未来は「未定が来る」わけなのだし、いっさいが判るなら未来という字はふさわしくなく、”確来”とでも書いた方がおさまりがイイ。
数日前の雨の日曜。夕刻の岡山駅前。ほぼ人影なし。
ときどき思いだしたみたいにJ・G・バラードの『狂風世界』を読み返す。
寝間での拾い読みじゃ~あるし、今となっては古っぽい部分も散見するけど、全地球的に風が吹き出し、強風は狂うばかりの怒濤なものに変じて止まないという設定に、魅かれてる。
人は右往左往し続け地下に潜るしかなく、経済も何もあったもんじゃ~ないパニックが描かれるけど、人知を超えて解説不能な狂風、というその一点が今なおピカピカ光って秀逸。
ヒトにとっての破滅の事態。ヒトの私感を超えてしまった世界に突入した中でのヒトの存在が消え入るほどに小さいことに一種の被虐的滅びの美……、みたいなものすら感じてるのは深読みが過ぎるだろうけど、猛り狂う風に妙な美しさを感じて久しい。
この小説は、前触れなく唐突に、風が止むところで終わる。
まさに「未定が来た」わけなのだ。
それが一時的な休止符なのか、嵐が去った終止符なのかは判らない。
その突然な終わり方も、くすぐられる。
過日の夜。ごく小さな会食。
食事中、2度、パトカーが「自粛要請」をアナウンスして通り過ぎる。
窓外の暗い影みたいなそのスピーカー音声は不穏を、煽る。
確固たるものなき明日への焦燥がそれには搦んでるわけで、どうにも鬱陶しい。
まっすぐな感染防御策ではなく、経済優先擁護みたいなアンバランス政策に知らず巻き込まれていると思えば、鬱陶しさの半分はウィルスのそれでなく二次災害としてのグラグラ政治が原因とも感じる。
最高ゲキ美味のメイン・ディッシュ。アスパラの橋渡し。
明暦3年(1657)3月2日から4日にかけての火事(明暦の大火)で江戸中が丸焼けた。大名屋敷や江戸城天守閣までが焼け落ちた。
震災と空襲を除き日本最大の火事といっていい。死者は10万人ともいう。
この大災害にさいし、まだアチコチに煙がたってるさなか、幕府官僚は天守再建をイチバンにとアタフタうごめいた。
徳川幕府の威信にかかわるというわけだ。
けど、幕僚トップの大政参与(3代目将軍光之と4代目家綱の補佐)たる保科正之は、
「アホか」
と怒声し、一蹴。
閣僚(老中)の酒井忠勝や松平信綱に命じ米蔵をひらかせ、焼け出された江戸市民に食料を供給。
当座の生活補償を率先した。
さらに材木の価格統制をおこない、復興資材の便乗値上げをさせなかった。
米を他藩から幕府そのものが買い付けもした。そのため、焼けた江戸には米がいっぱいということで、米価がさがって市民は大火前より安く買えた。
次いで防火強化のため市内の主要道路幅を倍に拡張、両国や上野に広小路(火除けの空き地・公園という概念はまだない)を設け、さらに隅田川と神田川の合流地点そばに両国橋を作って対岸への避難路を拡大。市街が再建された後も天守閣造営はおこなわなかった。
だから今も皇居に天守はない。
これら政策のために財政は逼迫した(次の将軍綱吉の時代まで財政再建の苦労が続く)。
けども市民あっての江戸というコトを保科はクッキリ認識できていた。支配者の威厳より市井再建を前面に押し出したことで、江戸市民は保科政策に共感した。賛同し、新たな防災都市計画に共同戦々みたいに共鳴した。
保科は、納得できる”未来”像をみせたわけだ。
こういうリーダーが今この国にいないのは不幸の上塗りだ。
(現政権支持者が4割もいるのは摩訶不思議だけど……)
けどまたウィルスそのものはゲンに存在し猛威進行中。
誰が・いつ・どこで・悪いクジを引くか
参加したくもないゲームに連れ込まれてるわけで、結局は「堪え難きを耐え……」とお部屋で悶々しているのがイチバンかもという諦め含みな『自衛』になってく……。
その諦めと、国家が国民に補償を云い出さないコトの諦めは別モンだ。シャクにさわるけどね。
『狂風世界』みたいな突然の”嵐”の終焉を、内心ひっそり希望する次第。